24
【地球っ子教室】 「わたしたちの横浜」本冊 1 2012年 ねん とく てい えい かつ どう ほう じん きゅう がっ こう 「地 きゅう っ子 きょう しつ 」書 き換

しつ か 教室 書き換え · 2019. 11. 15. · あ メ め リ り カ か 人 じん の漂 ひょう 流 りゅう 民 みん を助 たす けて、ア あ メ め リ り

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【地球っ子教室】 「わたしたちの横浜」本冊

1

2012年ねん

度ど

特とく

定てい

非ひ

営えい

利り

活かつ

動どう

法ほう

人じん

地ち

球きゅう

学がっ

校こう

「地ち

球きゅう

っ子こ

教きょう

室しつ

」書か

き換か

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【地球っ子教室】 「わたしたちの横浜」本冊

2

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【地球っ子教室】 「わたしたちの横浜」本冊

3

ペリー艦かん

隊たい

がやってきた ………………… 4ペぺ

ーー

ジじ

・ペリー艦 隊かんたい

がやってきた!

・ペリー艦かん

隊たい

に庶しょ

民みん

は 興きょう

味みを持

もちました

・ペリーが持もった日

に本ほん

人じん

の印いん

象しょう

はどうだったのでしょう?

・ 条じょう

約やく

が結むす

ばれるまでに・・・

・ついに 条じょう

約やく

が結むす

ばれる!~日にち

米べい

和わ親しん

条じょう

約やく

の締てい

結けつ

安あん

政せい

6年ねん

6月がつ

2日ふ つ か

~横よ こ

浜はま

開かい

港こ う

~ …… 8ペぺ

ーー

ジじ

・外がい

国こく

との貿ぼう

易えき

を決けつ

断だん

する

・神か

奈な

川がわ

か横よこ

浜はま

・開かい

港こう

の日ひ

・開かい

港こう

場ば

、横よこ

浜はま

もののはじめは横よ こ

浜はま

から ……………… 13ペぺ

ーー

ジじ

・ 堤つつみ

磯いそ

右衛え

門もん

・①パンぱ ん

②水 道すいどう

③ 牛ぎゅう

なべ ④ガスが す

灯とう

⑤鉄 道てつどう

⑥馬ば

車しゃ

⑦とこや ⑧鉄てつ

の橋はし

あとがき ………………………………… 19ペぺ

ーー

ジじ

目も く

次じ

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【地球っ子教室】 「わたしたちの横浜」本冊

4

ペリー艦隊かんたい

やってきた!

「横浜史料 開港七十年記念 ペルリ提督以下横浜村上陸図」

(横浜市中央図書館蔵)

ペリーぺ り ー

艦隊かんたい

がやってきた!

1853(嘉か

永えい

6)年ねん

7月がつ

、浦うら

賀が

沖おき

にペぺ

リり

ーー

が4隻せき

の船ふね

といっしょに来き

ました。

その7カか

月げつ

あとの1854(安政元あんせいがん

)年ねん

2月がつ

、ペリーぺ り ー

は9隻せき

の船ふね

でまた来き

ました。

金かな

沢ざわ

区く

の小こ

柴しば

沖おき

に10と お

日か

間かん

ほどいました。その後ご

、横よこ

浜はま

村むら

に上じょう

陸りく

しました。

ペリーぺ り ー

は日に

本ほん

の開かい

国こく

を求もと

めました。

ペぺ

リり

ーー

艦かん

隊たい

に庶しょ

民みん

は 興きょう

味み

を持も

ちました

人々ひとびと

は、神か

奈な

川がわ

の沖おき

に浮う

かぶペぺ

リり

ーー

艦かん

隊たい

に興きょう

味み

を持も

ちました。上陸じょうりく

した

水兵すいへい

や通訳つうやく

に食た

べ物もの

をあげたり、話はなし

をしたりしました。

「寅三月十三日神奈川ヨリ異船ノ退帆ヲ観ル図」

(横浜市中央図書館蔵)

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【地球っ子教室】 「わたしたちの横浜」本冊

5

また、ペぺ

リり

ーー

艦かん

隊たい

には測そく

量りょう

の専せん

門もん

家か

や農のう

業ぎょう

の専せん

門もん

家か

なども乗の

っていました。

彼かれ

らは測量そくりょう

したり、農業のうぎょう

の機き

械かい

や道どう

具ぐ

を日本人にほんじん

に紹介しょうかい

したりしました。庶民しょみん

も、武士ぶ し

もおもしろそうに見み

ました。時とき

には手て

をふったり、もらった名めい

刺し

を持も

ち帰かえ

って名な

前まえ

を覚おぼ

えたりしました。このような庶民しょみん

や武士ぶ し

の行動こうどう

も、鎖さ

国こく

をや

めるエネルギーえ ね る ぎ ー

になったのでしょう。(ペぺ

リり

ーー

艦かん

隊たい

日に

本ほん

遠えん

征せい

記き

より)

ペぺ

リり

ーー

が持も

った日に

本ほん

人じん

の印いん

象しょう

はどうだったのでしょう?

①好こう

奇き

心しん

と知ち

識しき

は?

読よ

み書か

きがよくできます。

見み

たことがなくても世せ

界かい

の出で

来き

事ごと

よく知し

っています。

日に

本ほん

人じん

はみな、好こう

奇き

心しん

が強つよ

くて外がい

国こく

人じん

と交こう

流りゅう

しようとしています。

②日に

本ほん

の技ぎ

術じゅつ

は?

細こま

かい仕し

事ごと

がとても上じょう

手ず

です。

日に

本ほん

がこれから世せ

界かい

に進しん

出しゅつ

すれば、

ヨーロッパよ ー ろ っ ぱ

の国くに

やアメリカあ め り か

の強 力きょうりょく

なライら い

バルば る

となるでしょう。

M.Cペリーぺ り ー

提督ていとく

「横浜史料 開港七十年記念米国使節ペルリ肖像」

(横浜市中央図書館蔵)

③日に

本ほん

の女おんな

の人ひと

は?

若わか

い女じょ

性せい

は姿すがた

がよく美うつく

しいです。

自じ

分ぶん

から行こう

動どう

します。まわりの人ひと

々びと

ら尊そん

敬けい

され、誇ほこ

りを持も

っています。

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【地球っ子教室】 「わたしたちの横浜」本冊

6

条じょう

約やく

が結むす

ばれるまでに・・・

「条約じょうやく

」とは、国くに

と国くに

の間あいだ

で結むす

ぶ約やく

そく事ごと

です。ペリーぺ り ー

は、条約じょうやく

を結むす

ぶ話はな

合あ

いのために横浜村よこはまむら

に上陸じょうりく

しました。将しょう

軍ぐん

や幕ばく

府ふ

の役やく

人にん

に、贈おく

り物もの

をしたり、

もてなしをしたりしました。日に

本ほん

もお礼れい

の品しな

を贈おく

ったり、もてなしをしたりし

ました。

■ アメリカあ め り か

からは ■日に

本ほん

からは

「横浜史料 開港七十年記念

米国献上蒸汽車模型図」

(横浜市中央図書館蔵)

「横浜史料 開港七十年記念

横浜村応接場興行相撲並米俵搬入図」

(横浜市中央図書館蔵)

開国かいこく

の利り

益えき

を伝つた

えるために、近代きんだい

文明ぶんめい

の産物さんぶつ

(蒸じょう

気き

機き

関かん

車しゃ

や電信でんしん

機き

など)を贈おく

りました。

美び

術じゅつ

工こう

芸げい

品ひん

や米こめ

、 鶏にわとり

などを贈おく

りました。ペリーぺ り ー

たちは米こめ

俵だわら

を運はこ

力りき

士し

たちに、とても驚おどろ

いたそうです。

「横浜史料 開港七十年記念

ペルリ我役人をポーハタンに招待の図」

(横浜市中央図書館蔵)

「横浜史料 開港七十年記念

横浜村応接場米使饗応図」

(横浜市中央図書館蔵)

肉にく

や魚さかな

、おいしいワインわ い ん

を、日に

本ほん

人じん

は喜よろこ

びました。特とく

に喜よろこ

んだのは

「牛ぎゅう

タンた ん

」でした。

百ひゃく

種しゅ

類るい

以い

上じょう

の料りょう

理り

をぺぺ

リーり ー

たち

にごちそうしました。アあ

メめ

リり

カか

人じん

には

日に

本ほん

の味あじ

は、かなり薄うす

かったようです。

贈り物

もてなし

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【地球っ子教室】 「わたしたちの横浜」本冊

7

ついに条じょう

約やく

が結むす

ばれる!~日にち

米べい

和わ

親しん

条じょう

約やく

の締てい

結けつ

1854(安政元あんせいがん

)年ねん

3月がつ

8日よ う か

から横よこ

浜はま

村むら

の応おう

接せつ

所じょ

で話はな

し合あ

いが始はじ

まりまし

た。3月がつ

31日にち

に条じょう

約やく

を結むす

びました。その内ない

容よう

は・・・

① 下しも

田だ

・函館はこだて

を開港かいこう

し、水みず

や食 料しょくりょう

、燃料ねんりょう

などをあげること。

② アあ

メめ

リり

カか

人じん

の漂ひょう

流りゅう

民みん

を助たす

けて、アあ

メめ

リり

カか

に帰かえ

すこと。

③ 下しも

田だ

にアあ

メめ

リり

カか

人じん

の外交官がいこうかん

が住す

んでもよいこと。

などでした。

そして、この4年ねん

後ご

に日米にちべい

修好しゅうこう

通商つうしょう

条約じょうやく

が結むす

ばれました。そして、日に

本ほん

アメリカあ め り か

との貿易ぼうえき

が始はじ

まりました。その後ご

、横浜よこはま

は貿易ぼうえき

の中心ちゅうしん

の港みなと

として発はっ

展てん

しました。

日米にちべい

和わ

親しん

条約じょうやく

は、今いま

の横よこ

浜はま

開かい

港こう

資し

料りょう

館かん

がある

場ば

所しょ

に応接所おうせつじょ

が設もう

けられ結むす

ばれました。この玉たま

楠くす

の木き

は、その時とき

から今いま

までずっと横よこ

浜はま

を見み

守まも

って

います。

(現げん

在ざい

の玉たま

楠くす

の木き

は関かん

東とう

大だい

震しん

災さい

で大おお

きな被ひ

害がい

受う

け、現げん

在ざい

の場ば

所しょ

に移い

植しょく

されたものです。)

★横よこ

浜はま

開かい

港こう

資し

料りょう

館かん

への行い

きかた★

みなとみらい線

せん

ほん

おお

どお

り駅

えき

しゃ

5分

ふん

横よこ

浜はま

開かい

港こう

資し

料りょう

館かん

にある

玉たま

楠くす

の木き

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【地球っ子教室】 「わたしたちの横浜」本冊

8

安あん

政せい

6年ねん

6月がつ

2日ふ つ か

~横よこ

浜はま

開かい

港こう

「横浜仏国役館之全図」(横浜市中央図書館蔵)

アあ

メめ

リり

カか

が貿ぼう

易えき

を強つよ

く求もと

めました。それで、1858(安あん

政せい

5)年ねん

、幕ばく

府ふ

アあ

メめ

リり

カか

と日にち

米べい

修しゅう

好こう

通つう

商しょう

条じょう

約やく

を結むす

びました。その結けっ

果か

、神か

奈な

川がわ

(横よこ

浜はま

)は函はこ

館だて

・長なが

崎さき

・新にい

潟がた

・兵ひょう

庫ご

(神こう

戸べ

)とともに開かい

港こう

場ば

になりました。同おな

じ内ない

容よう

の条じょう

約やく

を、オお

ラら

ンん

ダだ

・ロろ

シし

アあ

・イい

ギぎ

リり

スす

・フふ

ラら

ンん

スす

とも結むす

びました。そして翌よく

年ねん

6月がつ

2日ふ つ か

(今いま

の7月がつ

1日ついたち

)、横よこ

浜はま

は世せ

界かい

と貿ぼう

易えき

をする港みなと

となりました。

外がい

国こく

との貿ぼう

易えき

を決けつ

断だん

する

江え

戸ど

幕ばく

府ふ

の大たい

老ろう

の井い

伊い

直なお

弼すけ

は、この条じょう

約やく

を結むす

びました。しかし反はん

対たい

する人ひと

ちもいました。また朝ちょう

廷てい

の許ゆる

しももらわないままでした。この条じょう

約やく

は自じ

由ゆう

貿ぼう

易えき

を行おこな

うための取と

り決き

めでした。しかし、その中なか

には不ふ

平びょう

等どう

な内ない

容よう

もあり

ました。外がい

国こく

人じん

の犯はん

罪ざい

の裁さい

判ばん

ができないこと、輸ゆ

入にゅう

品ひん

に自じ

由ゆう

に税ぜい

金きん

をかけら

れないことなどです。

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【地球っ子教室】 「わたしたちの横浜」本冊

9

神か

奈な

川がわ

か横よこ

浜はま

条約じょうやく

によって、開かい

港こう

は6月がつ

2日ふ つ か

に決き

まりました。開かい

港こう

場ば

を決き

めるときに、

外国がいこく

と日に

本ほん

の幕ばく

府ふ

とでは意い

見けん

がちがいました。

アあ

メめ

リり

カか

領りょう

事じ

ハは

リり

スす

幕ばく

府ふ

代だい

表ひょう

岩いわ

瀬せ

忠ただ

震なり

「横浜史料

開港七十年記念

米国領事ハリス」

神か

奈な

川がわ

台だい

石いし

崎ざき

楼ろう

上じょう

十じゅう

五ご

景けい

一いち

望ぼう

之の

図ず

(横浜市中央図書館蔵)

それぞれの考かんが

えはちがいましたが、日に

本ほん

の幕ばく

府ふ

の意い

見けん

がとおり、横よこ

浜はま

が開かい

港こう

場ば

になりました。

神奈川!

横浜!

横浜村 神奈川宿

横浜よこはま

? そんないなか...

は貿易ぼうえき

に向む

かない。

神か

奈な

川がわ

宿じゅく

の神か

奈な

川がわ

港みなと

での貿易ぼうえき

が便べん

利り

だ。

条じょう

約やく

には「神か

奈な

川がわ

」と書か

いてあるのだから、

条じょう

約やく

違い

反はん

だ!

外がい

国こく

人じん

とトラブルと ら ぶ る

があったら大変たいへん

だ!

東とう

海かい

道どう

の神か

奈な

川がわ

宿じゅく

から離はな

れた場ば

所しょ

を開かい

港こう

場ば

にしよう。横浜よこはま

は「神か

奈な

川がわ

」の一いち

部ぶ

だか

ら、条じょう

約やく

違い

反はん

じゃない!

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【地球っ子教室】 「わたしたちの横浜」本冊

10

開かい

港こう

の日ひ

6月がつ

1日ついたち

(今いま

の6月がつ

30日にち

)、アあ

メめ

リり

カか

公こう

使し

ハは

リり

スす

が乗の

っている軍艦ぐんかん

ミシシみ し し

ッっ

ピぴ

ーー

号ごう

と商しょう

船せん

ワわ

ンん

ダだ

ラら

ーー

号ごう

が港みなと

に来き

ました。翌よく

日じつ

、開かい

港こう

の日ひ

にオお

ラら

ンん

ダだ

の商しょう

船せん

シし

ラら

ーー

号ごう

が港みなと

に入はい

りました。開かい

港こう

の日ひ

には特とく

にお祝いわ

いの行ぎょう

事じ

はありません

でした。1928(昭しょう

和わ

3)年ねん

、横よこ

浜はま

市し

は、旧きゅう

暦れき

の6月がつ

2日ふ つ か

を開かい

港こう

記き

念ねん

日び

決き

めました。

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【地球っ子教室】 「わたしたちの横浜」本冊

11

開かい

港こう

場ば

、横よこ

浜はま

「御開港横浜之全図 増補再刻」(横浜市中央図書館蔵)

元もと

町まち

と居きょ

留りゅう

地ち

の間あいだ

に川かわ

を作つく

りました。その川かわ

の橋はし

のそばに関かん

門もん

を作つく

りまし

た。関かん

門もん

の内うち

側がわ

を「関かん

内ない

」と呼よ

びました。

そして、海うみ

から見み

て、関かん

内ない

の左ひだり

半はん

分ぶん

は居きょ

留りゅう

地ち

としました。右みぎ

半はん

分ぶん

は日に

本ほん

人じん

町まち

としてはっきり分わ

けました。この頃ころ

、開かい

港こう

に反はん

対たい

の武ぶ

士し

が外がい

国こく

人じん

をおそう事じ

件けん

がたくさんありました。幕ばく

府ふ

は、関かん

門もん

を通とお

る人ひと

々びと

をきびしく調しら

べました。

「横浜異人館之図」(横浜市中央図書館蔵)

今の横浜公園

吉田橋関門

日本人町 居留地

神奈川宿

元町

開かい

港こう

後ご

すぐの、外国がいこく

商館しょうかん

の様よう

子す

です。日に

本ほん

人じん

と外国人がいこくじん

が会食かいしょく

したり、貿易ぼうえき

の相談そうだん

をしたりし

ています。

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【地球っ子教室】 「わたしたちの横浜」本冊

12

●こんなものもありました! 「外がい

国こく

人じん

に対たい

するこころえ書がき

開かい

港こう

にあわせて幕ばく

府ふ

は、横よこ

浜はま

から10里り

(約やく

40キロき ろ

)以い

内ない

の村むら

の役やく

人にん

呼よ

びました。そして、つぎのようなきまりを発はっ

表ぴょう

しました。

「区く

制せい

五ご

十じゅっ

周しゅう

年ねん

記念きねん

神か

奈な

川がわ

区く

誌し

」より

このようなきまりは全ぜん

部ぶ

で15も ありました。

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【地球っ子教室】 「わたしたちの横浜」本冊

13

もののはじめ

は横よこ

浜はま

から

横よ こ

浜はま

開かい

港こ う

資し

料りょう

館かん

蔵ぞ う

1859(安政あんせい

6)年ねん

、横浜よ こ は ま

は開港かいこ う

しました。それから、日に

本ほん

になかったい

ろいろなものが入はい

ってきました。

横浜よ こ は ま

は、「もののはじめ」の場ば

所し ょ

になりました。私わたし

は、堤つつみ

磯いそ

右衛え

門も ん

です。

磯いそ

子ご

村むら

で生う

まれました。日に

本ほん

で初は じ

めて石せっ

けんを作つ く

りました。1866(慶応けいお う

2)

年ねん

、私わたし

は横よ こ

須す

賀か

製せい

鉄てつ

所じ ょ

で働はたら

いていました。私わたし

の手て

は、汚よ ご

れていました。だか

ら手て

を洗あ ら

おうとしました。フふ

ラら

ンん

スす

人じ ん

の技ぎ

師し

ボエルぼ え る

さんが石せっ

けんを貸か

してくれ

ました。油あぶら

の汚よ ご

れがきれいに落お

ちたので、私わたし

は驚おどろ

きました。ボエルぼ え る

さんに石せっ

んの作つ く

り方かた

を学まな

ぶことにしました。日に

本ほん

はたくさんの石せっ

けんを輸ゆ

入にゅう

していまし

た。私わたし

は自じ

分ぶん

で石せっ

けんを作つ く

ろうと思お も

いました。

現在げんざい

の南みなみ

区く

万まん

世せい

町ちょう

にあった石せっ

けん工こ う

場じょう

石せっ

けん型がた

横よ こ

浜はま

開かい

港こ う

資し

料りょう

館かん

蔵ぞ う

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【地球っ子教室】 「わたしたちの横浜」本冊

14

堤つつみ

磯い そ

右衛え

門も ん

1833(天保てんぽう

4)年ねん

磯いそ

子ご

村むら

で生う

まれました。家いえ

は漁りょう

師し

の網元あみ も と

です。

1873(明めい

治じ

6)年ねん

3月がつ

三み

吉よ し

町ちょう

4丁ちょう

目め

に石せっ

けんを作つ く

る工こ う

場じょう

を作つ く

りました。

7月がつ

洗濯せんた く

石せっ

けんが できました。

1874(明めい

治じ

7)年ねん

化け

粧しょう

石せっ

けんが できました。

1878(明めい

治じ

11)年ねん

虫む し

よけのための鯨げい

油ゆ

石せっ

けんが できました。

1879(明めい

治じ

12)年ねん

塩し お

水みず

でも使つか

える海かい

水すい

石せっ

けんが できました。

1881(明めい

治じ

14)年ねん

コレラこ れ ら

を予よ

防ぼ う

する石せき

炭たん

酸さ ん

石せっ

けんが できました。

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【地球っ子教室】 「わたしたちの横浜」本冊

15

「アメリカあ め り か

人じ ん

パンぱ ん

を焼や

くの図ず

横浜よ こ は ま

開港かい こ う

資料館し り ょ う か ん

蔵ぞ う

1860(万まん

延えん

元がん

)年ねん

、内海う つ み

兵吉へいきち

が日に

本ほん

で初は じ

てパンぱ ん

を焼や

きました。

フふ

ラら

ンん

スす

の軍艦ぐんかん

のコックこ っ く

から習なら

いました。次つぎ

年と し

に外国人がい こ く じ ん

のグッドマンぐ っ ど ま ん

がパンぱ ん

屋や

を開ひら

きまし

た。その後ご

、フランふ ら ん

クく

・ホセほ せ

、ロバートろ ば ー と

・クラークく ら ー く

も店みせ

を開ひら

きました。打う ち

木き

彦ひ こ

太た

郎ろ う

はクく

ラークら ー く

に習なら

いました。彼かれ

は明めい

治じ

の中なか

ごろ、パンぱ ん

屋や

を開ひら

きま

した。その店みせ

は、今いま

も元町も と ま ち

で営業えいぎょう

しています。

野の

毛げ

坂ざか

下し た

にある日に

本ほん

近代きんだい

水道すいどう

最さい

古こ

の水道管すいどうかん

横浜よ こ は ま

は、埋う

め立た

て地ち

がたくさんあり

ました。そのため、井戸い ど

の水みず

は塩水しおみず

や汚よ ご

れた水みず

でした。だから、病びょう

気き

になる人ひと

たくさんいました。イギリスい ぎ り す

人じ ん

パーマーぱ ー ま ー

が水すい

道ど う

の設せっ

計けい

をして、水道すいど う

作つ く

りました。鉄管てっかん

による給水きゅうすい

が始は じ

まり

ました。

① パンぱ ん

② 水道すいどう

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【地球っ子教室】 「わたしたちの横浜」本冊

16

「安愚あ ぐ

楽ら

鍋なべ

横浜よこはま

開港かいこう

資料館し り ょ うかん

蔵ぞ う

1862(文ぶん

久きゅう

2)年ねん

、伊勢い せ

熊く ま

が牛ぎゅう

なべ屋や

を開店かいてん

しました。また1865年ねん

に、高橋音たかは しお と

松まつ

が吉よ し

田だ

新し ん

田でん

の堤つつみ

で牛ぎゅう

串く し

焼や

き屋や

台たい

を始は じ

ました。その後ご

、鉄てつ

なべを使つか

った牛ぎゅう

なべ屋や

開店かいてん

しました。

中なか

区く

関かん

内ない

ホールほ ー る

前ま え

1872(明めい

治じ

5)年ねん

、高たか

島し ま

嘉か

右衛え

門も ん

はフふ

ラら

ンん

スす

人じ ん

の技師ぎ し

プレグぷ れ ぐ

ラら

ンん

と一いっ

緒し ょ

に、中なか

区く

本ほん

町ちょう

小しょう

学がっ

校こ う

の場ば

所し ょ

に、ガスが す

工こ う

場じょう

を作つ く

りました。工場こ う じ ょ う

から

石炭せきたん

ガスが す

を送お く

りました。今いま

の神か

奈な

川がわ

県けん

庁ちょう

の表おもて

門も ん

から、本町ほんちょう

1~4丁ちょう

目め

の道ど う

路ろ

まで、日に

本ほん

で初は じ

てのガスが す

灯と う

を作つ く

りました。

④ ガスが す

灯と う

③ 牛ぎゅう

なべ

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17

「横よこ

浜はま

鉄てつ

道どう

館かん

蒸じょう

汽き

車しゃ

往おう

返へん

之の

図ず

横よこ

浜はま

市し

中ちゅう

央おう

図と

書しょ

館かん

蔵ぞう

1872(明治め い じ

5)年ねん

10月がつ

に、横浜よこはま

新橋しんば し

の間あいだ

で運転うんてん

が始はじ

まりました。

そのころは、横浜よこはま

と新橋しんば し

の間あいだ

の29キき

ロろ

を53分ぷん

で走はし

りました。

一日いちにち

に9往復お う ふ く

しました。そのころの

横浜駅よ こはまえき

は、今いま

の桜木町さ くらぎちょ う

にありました。

「横よこ

浜はま

商しょう

館かん

天てん

主しゅ

堂どう

ノの

図ず

横よこ

浜はま

市し

中ちゅう

央おう

図と

書しょ

館かん

蔵ぞう

開かい

港こう

後ご

、居きょ

留りゅう

地ち

の外国人がいこくじん

は馬ば

車しゃ

に乗の

って

いました。人々ひとびと

はとても驚おどろ

きました。

それを「異い

人じん

馬ば

車しゃ

」や「馬うま

引ひ

き車ぐるま

」など

と呼よ

びました。1869(明めい

治じ

2)年ねん

、下岡しもおか

蓮れん

杖じょう

などの商人しょうにん

が、京浜間けいひんかん

乗合のりあい

馬車ば し ゃ

を始はじ

めました。

⑤ 鉄道て つど う

⑥ 馬ば

車し ゃ

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18

中なか

区く

山やま

下した

公こう

園えん

ザざ

ンん

ギぎ

リり

頭あたま

の記き

念ねん

碑ひ

1869(明めい

治じ

2)年ねん

ごろ、小お

倉ぐら

虎とら

吉きち

が外がい

国こく

人じん

居きょ

留りゅう

地ち

で始はじ

めました。はじめ、

人々ひとびと

は髪かみ

を切き

るのを いやがりました。学がく

生せい

や役やく

者しゃ

しか髪かみ

を切き

りに行い

きませんでし

た。その後ご

、断髪令だんぱつれい

が出で

ました。それで、

とこや に、たくさんの人ひと

が行い

きました。

中なか

区く

JR関内駅かんないえき

近ちか

1868(明めい

治じ

元がん

)年ねん

、日に

本ほん

で初は じ

めて鉄て っ

橋きょう

が長なが

崎さ き

にできました。くろがねばしです。

横浜よ こ はま

にイギリスい ぎ り す

人じ ん

技師ぎ し

ブラントンぶ ら ん と ん

が吉よ し

田だ

橋ば し

を造つ く

りました。これは日に

本ほん

で初は じ

めてのトと

ラら

スす

構こ う

造ぞ う

の橋は し

です。鉄てつ

製せい

で「カか

ネね

の橋は し

」とも呼よ

びました。

⑦ とこや

⑧ 鉄てつ

の橋は し

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19

●ペぺ

リり

ーー

艦かん

隊たい

がやってきた

艦隊 かんたい

軍ぐん

艦かん

が22

隻せき

以い

上じょう

の海かい

軍ぐん

の集あつ

まり

開国 かいこく

外がい

国こく

と交こう

流りゅう

や貿ぼう

易えき

を始はじ

めること

庶民 しょみん

市し

民みん

測量 そくりょう

機き

械かい

や器き

具ぐ

を使つか

って、地ち

表ひょう

の距きょ

離り

やかたち、面めん

積せき

を測はか

ること

鎖国 さこく

外がい

国こく

と交こう

流りゅう

や貿ぼう

易えき

をしないこと

幕府 ばくふ

武ぶ

士し

の社しゃ

会かい

で政せい

治じ

を行おこな

うところ

将軍 しょうぐん

幕ばく

府ふ

の中なか

で一いち

番ばん

上うえ

の人ひと

もてなし

お客きゃく

様さま

が喜よろこ

ぶように、いろいろなことをすること

用よう

語ご

説せつ

明めい

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20

和親条約 わしんじょうやく

外がい

国こく

と親した

しく交こう

流りゅう

するための条じょう

約やく

締結 ていけつ

条じょう

約やく

を結むす

ぶこと

応接所 おうせつじょ

お客きゃく

様さま

と合あ

う場ば

所しょ

漂流民 ひょうりゅうみん

船ふね

が流なが

されてて

、自じ

国こく

に帰かえ

れない人ひと

修好通商条約 しゅうこう つうしょう じょうやく

貿ぼう

易えき

をするための条じょう

約やく

●安あん

政せい

6年ねん

6月がつ

2日ふ つ か

~横よこ

浜はま

開かい

港こう

開港場 かいこうば

開かい

港こう

する場ば

所しょ

大老 たいろう

江え

戸ど

幕ば く

府ふ

で、将しょう

軍ぐ ん

を助たす

ける仕し

事ご と

をする中なか

で一いち

番ばん

上う え

の人ひと

朝廷 ちょうてい

君くん

主しゅ

が政せい

治じ

を行おこな

うところ。江え

戸ど

時じ

代だい

は天てん

皇のう

が政せい

治じ

を行おこな

った京きょう

都と

にあった

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【地球っ子教室】 「わたしたちの横浜」本冊

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商船 しょうせん

貿ぼう

易えき

を行おこな

う船ふね

旧暦 きゅうれき

明めい

治じ

時じ

代だい

より前まえ

に使つか

っていた暦こよみ

(カレンダー)

関門 かんもん

そこを通とお

るる

のに許きょ

可か

が必ひつ

要よう

なところ

奉行所 ぶぎょうしょ

武ぶ

士し

の時じ

代だい

の役やく

所しょ

●もののはじめは横よこ

浜はま

から

開港 かいこう

港みなと

を外国がいこく

と貿易ぼうえき

できるようにすること。外国がいこく

との貿易ぼうえき

をするために、港みなと

開放かいほう

すること

製鉄所 せいてつじょ

鉄てつ

を作つく

る工こう

場じょう

技師 ぎし

専せん

門もん

的てき

な技ぎ

術じゅつ

を持も

って、仕し

事ごと

をしている人ひと

輸入 ゆにゅう

外がい

国こく

から物もの

などを買か

うこと

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網元 あみもと

自じ

分ぶん

の船ふね

や網あみ

を持も

っていて、漁りょう

師し

の中なか

で上うえ

の人ひと

鯨油 げいゆ

クジラからとった油あぶら

石炭酸 せきたんさん

フェノール(消しょう

毒どく

剤ざい

などの原げん

料りょう

軍艦 ぐんかん

戦せん

争そう

のための船ふね

埋立地 うめたてち

海うみ

や川かわ

を土つち

で埋う

めた陸りく

地ち

居留地 きょりゅうち

貿ぼう

易えき

を行おこな

うために外がい

国こく

人じん

が住す

むことを許ゆる

された土と

地ち

乗合馬車 のりあいばしゃ

馬うま

が車くるま

を引ひ

いて、たくさんの人ひと

が乗の

る車くるま

。今いま

のバスのようなもの

断髪令 だんぱつれい

ちょんまげを切き

って髪かみ

を短みじか

くする命めい

令れい

トラス構造 とらすこうぞう

鉄てっ

橋きょう

を造つく

るときのかたちのひとつ (写しゃ

真しん

参さん

照しょう

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【地球っ子教室】 「わたしたちの横浜」本冊

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あとがき

この冊子は 文化庁:平成 24年度「生活者としての外国人」のための日本語教育事業 地域日本語教育

実践プログラムの委託を受けて、横浜市教育委員会作成 「わたしたちの横浜」 を外国につながる小学生中

学生が理解できるように、わかりやすく書き変えました。作成に当たり、横浜市教育委員会、横浜開港資料館、

横浜市中央図書館の多大なご協力をいただきました。合わせて感謝申し上げます。

コーディネーター : 辻 雅代

書き換え担当 : 地球っ子教室(小河千咲子・小林節子・小林とも子・小山いずみ・辻雅代・廻谷朋美)

【連絡先】

特定非営利活動法人 地球学校

地球っ子教室 担当理事 辻 雅代 E-mail:[email protected]

◆事務所 〒247-0007 横浜市栄区小菅ケ谷1-2-1 地球市民かながわプラザ1階 (あーすぷらざ)

◆NPO法人 地球学校 ホームページ http://www.chikyu-gakko.org/

◆NPO法人 地球学校 ブログ http://blog.canpan.info/chikyu-gakko/

【出典】

『わたしたちの横浜 横浜市小学校用副読本 2011年度版』

社会科・理科・『横浜の時間』副読本

横浜市教育委員会(平成 23年6月 2日第 3 版発行)より書き換え

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