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Title 徳之島に暮らすフィリピン人女性の子どもたちの進路と フィリピン文化の継承 Author(s) 矢元, 貴美 Citation 移民研究 = Immigration Studies(15): 3-14 Issue Date 2019-03 URL http://hdl.handle.net/20.500.12000/45310 Rights

Issue Date 2019-03 - 琉球大学学術リポジトリir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12000/45310/1/No15p3.pdf · であった。年齢と学校種が判明した子どものうち,小学生以下は

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Title 徳之島に暮らすフィリピン人女性の子どもたちの進路とフィリピン文化の継承

Author(s) 矢元, 貴美

Citation 移民研究 = Immigration Studies(15): 3-14

Issue Date 2019-03

URL http://hdl.handle.net/20.500.12000/45310

Rights

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徳之島に暮らすフィリピン人女性の子どもたちの進路と

フィリピン文化の継承

矢 元 貴 美

Ⅰ.研究の目的と背景

Ⅱ.調査方法と調査対象者

Ⅲ.調査結果

Ⅳ.おわりに

キーワード:在日フィリピン人,子ども,教育,文化継承,島嶼

Ⅰ.研究の目的と背景

 本研究では,鹿児島県大島郡の徳之島に暮らすフィリピン人女性の子どもたちの教育に

着目し,彼らの進路と,母親から子どもへのフィリピン文化の継承の実態を把握すること

を目的とする。具体的には,①フィリピン人女性の子どもたちが中学校卒業後にどのよう

な進路を選択しているのか,②フィリピンの言語や習慣が子どもたちへ継承されているの

か,を明らかにする。

 2018 年(平成 30 年)6 月末現在の在留外国人統計では,徳之島内の 3 町,天城町,伊

仙町,徳之島町にはそれぞれ 32 人,18 人,33 人のフィリピン国籍者が登録されており,

徳之島全体では 83 人のフィリピン人が暮らしている1)(法務省,2018)。フィリピン国籍

者の男女比率を見ると,女性は日本全体では約 70%,鹿児島県では約 83%を占めている。

1980 年代後半から 2005 年頃に興行労働者として来日し,その後結婚・定住したフィリピ

ン人女性の多くは子育てを終えた世代であると考えられる。しかし,フィリピン国籍の女

性のうち,合計特殊出生率の算出基準として用いられ,子育てをしている可能性が高いと

考えられる,15 歳から 49 歳の女性が占める割合は日本全体では約 72%,鹿児島県では約

78%である。徳之島で暮らすフィリピン国籍の女性の年齢層は把握できないものの,子育

て中の人が多い可能性がある。

 離島では高校や大学がなかったり,就職先が少なかったりするため,若者の多くは進学

や就職時に島外に出て行く。2012 年(平成 24 年)度,沖縄本島の県立高校に通う離島出

身者比率は約 2.4%であり,そのうち約 70%が高校のない離島出身者であったが,残りの

約 30%は高校がある離島出身者であったという(佐々木,2018)。徳之島の南西隣に位置

する沖永良部島にも高校はあるものの,2000 年(平成 12 年)度の高校卒業者の約 60%,

中学校卒業者の約 20%が島外へ進学し,小学校卒業者も約 2%が島外の中学校へ進学して

移民研究 第 15 号 2019 3-14

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「 移民研究」第 15 号 2019.3

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いた(狩野,2001)。高校卒業後に就職する者や進学目的の浪人生も含めると,「島全体の

9 割以上の若者が青年期を迎えるまでのあいだに島外に出ていくということが言える(狩

野,2001: 51)」という。

 徳之島には高校があるが,高校卒業時には島外で進学・就職する人が多く,また,佐々

木(2018)や狩野(2001)による研究で指摘されているように,島内に高校があっても,

島外の高校へ進学する人もいるものと推測される。そこで本研究では,徳之島で育った,

フィリピン人女性の子どもたちの中学校卒業後の進路に着目し,島内・島外のどちらで高

校に通い,高校卒業後はどのような進路を選択しているのかを把握する。

 Takahata(2011)や徳永(2008),矢元(2016)の研究では,主に都市部で暮らすフィリ

ピンにルーツを持つ第 1.5 世代2)や第 2 世代がフィリピンやアメリカでの進学や就職を希

望したり,実際にフィリピンで進学したりすると指摘されている。離島に暮らすフィリピ

ン人女性の子どもたちにも海外で進学や就職をする人がいるのかも明らかにしたい。

 日本で暮らすフィリピン人女性の家庭では,強い文化継承が見られること(額賀,

2016)もあれば,言語の継承は実践されていないこと(野入,2016; 山本,2013)や実践

されていても困難または限定的であること(Bauzon & Bauzon,2000)が報告されている。

日本では散住しているフィリピン人にとって,教会,特にカトリック教会は,フィリピン

の言語や習慣や価値観の中で過ごすことができる唯一の場であり,子どもたちに親の価値

観を継承することができる場である。しかし,子どもの年齢が上がるにつれ,教会に通う

機会が減ることやカトリックの教えを伝えることが困難になることも多い(野入,2016)。

明治時代にカトリックが伝来し,島内に 10 か所の教会が存在する徳之島においても,カ

トリックの教えの継承が難しいのか,また,フィリピンの言語や習慣の継承は実践されて

いるのかを明らかにする。

 本研究は,離島で暮らす子どもたちの事例を示すことにより,これまで都市部や山間部

を中心に行われてきた,日本で暮らすフィリピンにルーツを持つ子どもたちの進路選択や

彼らへのフィリピン文化の継承に関する研究に新たな視点を加え,差異や共通点を見いだ

す手立てとなる。

Ⅱ.調査方法と調査対象者

 調査方法は 2016 年 8 月と 2018 年 8 月に実施したアンケート調査およびインタビュー

調査である。調査目的は,フィリピン人女性の移住の経緯,職業経験,地域における貢献

などを把握することであった。一部,フェイスブックでのやり取りから得た情報や,2016

年 8 月 26 日に喜念浜キャンプ場で,2018 年 8 月 5 日に畦プリンスビーチキャンプ場で行

われたバーベキュー,および 2018 年 11 月 24 日に徳之島町生涯学習センターで開催され

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徳之島に暮らすフィリピン人女性の子どもたちの進路とフィリピン文化の継承

(矢元貴美)

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たフィリピン・クリスマス・フェスタで得た情報も用いた。

 本研究に係るインタビュー調査の実施日,実施場所,調査対象者はそれぞれ次の通りで

ある。インタビュー調査の聞き手は,④と⑤は野入,その他は野入,高畑,筆者である。

① 2016 年 8 月 24 日,徳之島町役場,徳之島町の職員 2 名,② 2016 年 8 月 25 日,カトリッ

ク母ぼ

間ま

教会,神父 2 名とシスター 1 名,③ 2016 年 8 月 26 日,喜念浜キャンプ場,フィリ

ピン人女性 8 名,④ 2016 年 9 月 8 日,沖縄県那覇市,徳之島在住のフィリピン人女性 1 名,

⑤ 2018 年 8 月 4 日と 7 日,徳之島町ほか,フィリピン人女性 1 名,⑥ 2018 年 8 月 5 日,

徳之島町,フィリピン人女性 1 名,⑦ 2018 年 8 月 6 日,天城町,フィリピン人女性 1 名と夫,

⑧ 2018 年 8 月 6 日,伊仙町役場,伊仙町の職員 2 名。

 インタビュー調査の使用言語は主に日本語であるが,フィリピン人女性へのインタ

ビューでは,必要に応じて英語またはフィリピン語を用いた。インタビュー内容はその場

でメモに取り,後にまとめ直すとともに,一部のインタビュー調査は対象者の承諾を得た

上で録音し,必要箇所の文字起こしを行った。

Ⅲ.調査結果

1.フィリピン人女性の子どもたちの中学校卒業後の進路

 徳之島町の職員によると,フィリピン人女性たちの出産ラッシュは 20 年前だったため,

子育て世代の方は既にほとんどおらず,学校に通っている子どもも少ないということで

あった。また,伊仙町の職員によると,フィリピン人女性の年齢層は 30 代から 50 代であり,

子どもが成人した人が多いということであった。しかし,実際にフィリピン人女性たちに

話を伺うと,学齢期や学齢期前の子どもを持つ人が複数いることが分かった。また,ほと

んどのフィリピン人女性は 2 人以上の子どもを持っていた。

 2016 年 8 月,2018 年 8 月と 11 月に徳之島で実際に出会えた,または同じ職場の人から

名前が挙がった,定住している成人女性のうち,子どもを持つことが分かったのは 22 名

であった。年齢と学校種が判明した子どものうち,小学生以下は 10 名,中学生は 3 名,

高校生は 3 名,専門学校生は 1 名であった。この他,2016 年のバーベキューでは,九州

本島の鹿児島県内の専門学校を卒業したという第 2 世代(または第 1.5 世代)で子どもは

いない成人女性 1 名と,母親がフィリピン人女性で,母親同士のつながりがあることから,

互いに以前から知り合いであるという中学校 1 年生 2 名にも出会えた。

 子どもを持っていることが分かったフィリピン人女性 22 名について,B 氏から P 氏に

ついては 2016 年 8 月現在,A 氏および Q 氏から V 氏については 2018 年 8 月現在の子ど

もの属性を表 1 にまとめた。判明した範囲で,子どもの年齢または学年と職業,在住地,

および,在学中の子どもについては在籍校,既に学業を終えた子どもについては最後に卒

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「 移民研究」第 15 号 2019.3

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表 1 フィリピン人女性の子どもの属性

女性 子どもの属性

A長女(島内の私立高校卒,福岡の医療系専門学校卒,鹿児島で就職),長男(島内の公立高校卒,鹿児島で就職),次男(鹿児島の高校卒,奄美の調理系専門学校卒,京都で就職)

B20歳(島内の私立高校卒,自衛隊で北海道配属),

18歳(島内の私立高校卒,自衛隊で沖縄配属),

14歳a(島内の中学校)

C 30歳(熊本の私立大学卒,鹿児島で音楽関連の仕事),28歳(徳之島で就職),

26歳(大分の大学卒,自衛隊の音楽隊で東京配属)

D 34歳(アメリカ在住),20歳(三重で就職),10歳b

E 18歳(鹿児島の私立高校卒,鹿児島の医療系専門学校),16歳(鹿児島の私立高校),

14歳(鹿児島の私立中学校)

F 20歳(島内の私立高校卒,千葉で就職)

G 24歳,19歳,17歳,16歳(17歳か16歳のうち1名は島内の私立高校)

H 25歳(一度島を出てUターン),18歳(鹿児島で進学)

I 24歳

J 18歳(島内),他に上に4人(大阪他)

K 高1(鹿児島の私立高校),他1人

L 中1c(島内の中学校)

M 小4,小1,3歳

N 小1,3歳

O 6歳,4歳,3歳

P 4歳

Q 2人は島内,4人は鹿児島

R 1人(島内)

S 1人(島内)

T 5人は島内,1人は鹿児島

U 1人は島内,1人は大阪,1人は長崎

V 4人は島内,1人は福岡

業した学校を記載した。「鹿児島」は九州本島の鹿児島県内を指し,以下同様に記載する。

表中および以下の文中に記載するフィリピン人女性の呼称は,アルファベット順に A から

V の各 1 字を充てた。

 中学生 3 名のうち,2 名は島内の中学校,1 名は鹿児島の私立中学校に,高校生 3 名

のうち,2 名は鹿児島の私立高校,1 名は島内の私立高校に通っていた。鹿児島の中学

校と高校に通っている子どもたちは寮生活を送っていた。既に高校を卒業した人で出身

注)a: その後,島内の私立高校へ進学した。b: その後,三重へ転居した。c: 他にも子どもがい

る可能性がある。

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徳之島に暮らすフィリピン人女性の子どもたちの進路とフィリピン文化の継承

(矢元貴美)

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校が分かった人は 7 名で,5 名が島内の高校,2 名が鹿児島の高校を卒業し,他 2 名が

卒業した高校の所在地は分からなかった。鹿児島の専門学校に通っている人が 1 名おり,

過去に専門学校を卒業した人は 2 名で,1 名は奄美,1 名は福岡で卒業していた。大学

を卒業したことが分かった人は 2 名で,1 名の大学は熊本,もう 1 名の大学は大分にあっ

た。

 徳之島内には鹿児島県立徳之島高等学校と私立樟南第二高等学校の 2 つの高校がある3)

ため,高校卒業まで島内で暮らすことは可能である。高校卒業後,専門学校や大学へ進学

する際には島を離れる必要があるが,今回の調査では,高校入学,または中学校入学時か

ら徳之島を出て,鹿児島などで寮生活を送る人もいることが明らかとなった。就職・結婚

などをした人で見ると,島外で暮らす人の方が多いが,島内で暮らす人も 2 名おり,1 名

は確実に U ターンしていることが分かった。日本で暮らしたことのない D さんの長女を

除き,フィリピンやアメリカで進学・就職した人はいなかった。

 限られたデータから言える特徴としては,自衛隊に入隊した人が 3 名おり,就職してい

ることが分かっている 10 名の 3 割を占める。B さんによると,徳之島で暮らすフィリピ

ン人女性の子どもで自衛隊員になった人は 4 名いるということである4)。医療系の専門学

校へ進学した人も複数いる。E さんの娘で鹿児島の私立中・高に通った,または通ってい

る姉妹 3 名と,鹿児島の私立高校に通う K さんの娘は吹奏楽部で活動している。E さんに

よると,吹奏楽コンクールの九州大会で金賞を獲得するほど熱心に活動する部活動であり,

熊本や福岡など九州各地のコンクール会場へ飛行機で赴くのも大変だということであった 5)。C さんの息子で鹿児島で暮らす 30 歳と東京で暮らす 26 歳の兄弟も管楽器奏者であり,

音楽活動に関わっている人が多いことも特徴として挙げられる。

2.フィリピン人女性の子どもたちへのフィリピン文化の継承

1)カトリックの教えの継承

 1901 年(明治 34 年)にパリ外国宣教会の司祭が来島して以来,徳之島のキリスト教に

は 100 年以上の歴史がある。2016 年 8 月 25 日にカトリック母間教会で伺った内容を基に,

徳之島での教会の活動と,フィリピン人女性と子どもたちの教会活動への参加の状況をま

ずまとめておく。

 徳之島の 10 か所の教会では,月に 1 度,または 2 週間に 1 度,ミサが執り行われており,

それ以外の週には信者が中心となって毎週礼拝式を行っている。亀津教会には,徳之島で

暮らすフィリピン人女性の母親が徳之島を訪れた際に寄付したサント・ニーニョ像6)が置

かれている。

 教会を訪れるフィリピン人信者の人数は時期によって異なり,クリスマスや復活祭の時

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には増加するが,それ以外の時には少ない。ミサ後の会食ではフィリピン料理が並ぶ。夫

に反対されても努力して教会に通ったフィリピン人女性もおり,また,夫婦で教会に来て

いた人もいたそうである。職を得たことによって教会から離れてしまう人も多いという。

 徳之島でも,隣の沖永良部島でも,フィリピン人信者の希望により,25 年ほど前には

英語ミサも行っており,午前に日本語ミサ,午後に英語ミサ,と 2 言語で行っていた。徳

之島では 1 年間,タガログ語ミサを行ったことがあるが,フィリピン人信者たちから,も

うやらなくていいですよ,と言われてやめたそうである。現在は徳之島でも沖永良部島で

も,ミサは日本語のみで行われている。

 信者の子どもたちは,小学生までは親と一緒に教会に通うが,中学校に入学すると学校

の勉強や部活動などで忙しくなり,通わなくなる。最近では小学生も教会に通うのが難し

くなっており,2014 年(平成 26 年)まで行っていた子ども向けの活動(教会学校)も行

われなくなった。原因の一つは小学校の課外活動で,最近では小学校でも週末の課外活動

に熱心に取り組んでおり,土曜日に金管バンド7)(吹奏楽)の練習が入っていたり,土日

に遠征があったりする。子どもだけでなく母親たちもその活動への手伝いや付き添いで忙

しく,教会に来ることができないということである。

 フィリピン人女性の子どもたちも,小さい頃には母親に連れられて教会に通っていた。

子どもたちは母親と一緒に英語ミサに参加しても,英語で内容を理解することはできない。

一方,日本語での会話は堪能でも読むことができない母親たちは,日本語ミサでの聖書朗

読やお祈りができないため,参加が難しい。そこで日本語ミサではローマ字版を作って配っ

ていたそうである。

 フィリピン人女性たちのカトリックの実践は様々であった。B さんは,子どもたちは幼

児洗礼を受けておらず,自宅にはマリア像も置いていないが,聖書で神様とつながってい

ると語った8)。F さんは自宅の祭壇にサント・ニーニョ像やマリア像を祀っており,毎日

祭壇に祈りを捧げ,日曜日には教会に通っている。F さんは子どもに日本名をつけること

に反対し,聖書に由来する名前をつけ,子どもの名前に漢字表記はなくカタカナ表記のみ

である。F さんの子どもは幼児洗礼を受け,教会にも通っていたという9)。A さんの子ど

もたちも幼児洗礼を受け,教会にも通っていたが,中学生の頃から,部活動で忙しくなっ

たり,教会に通うことを友人たちに知られるのが恥ずかしいと感じるようになったりして,

行かなくなったそうである10)。

 沖縄県の石垣島のフィリピン人女性たちの間で実践されている,信者が順にマリア像を

自宅に預かり,定期的に信者が祈りを捧げる「ロザリオ」と呼ばれる集まりは,徳之島で

は行われていない。

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徳之島に暮らすフィリピン人女性の子どもたちの進路とフィリピン文化の継承

(矢元貴美)

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2)地域や家庭におけるフィリピン文化の継承

 1990 年代,天城町の秋あき

利り

神がみ

公園には「フィリピン村」と呼ばれる施設が作られた。当

時既に徳之島にはフィリピン人女性たちが暮らしていたが,フィリピン村が作られたのは,

天城町内で稼働していた製糖工場で,フィリピン中部のネグロス島から若い男性たちが研

修生として働き始めたことであった11)。田島(2000)はフィリピン人女性の地域とのかか

わりについて,「毎年 1 回,4 月に開かれていた『フィリピン祭り』も,地域住民との交

流の一つの機会であった(田島,2000: 67)」と述べている。A さんはフィリピン村があっ

た頃には,フィリピン祭りで毎年,計 4 回ほど,ティニクリン12)

やパンダンゴ・サ・イー

ラウ13)

といった民族舞踊を踊ったと語った。

 A さんや F さんによると,フィリピン村でのフィリピン祭りが行われなくなってからは,

踊りを披露する機会もなくなったという。10 年ほど前,伊仙町にある徳之島交流ひろば

「ほーらい館」で,フィリピン人女性が講師となり,フィリピン料理の講習会が開かれた

り14),A さんが 5,6 年前にフィリピンで注文して作った揃いの衣装を着て,知り合いの

結婚式や地域の祭りで民族舞踊を踊ったり15)

したこともあったということだが,地域で

フィリピン人女性たちがフィリピン文化を披露したり,子どもたちに継承したりする機会

は限られていたようである。

 伊仙町の職員によると,学校では,外国から客人が訪問した際に,その国について学ぶ

ことはあっても,フィリピン人女性の子どもが学んでいる学級でフィリピンについて学ぶ

機会はないということであった16)。一方,「天城小学校では,1999 年 6 月 15 日『創意の時間』

を利用して『フィリピンのあそび』を紹介する授業がもたれ,6 名のフィリピン人女性が

その指導を行った(田島,2000: 67)」と報告されているように,小学校でフィリピン人女

性たちを講師としてフィリピンについて学ぶ授業が行われた事実もある。しかし,そのよ

うな機会も,頻繁に,または定期的に持たれることはないものと推測される。

 フィリピン関連のイベントが長年開催されていなかった中,2018 年 11 月 24 日に「フィ

リピン・クリスマス・フェスタ」が開催された。このイベントは独立行政法人国立青少年

教育振興機構の「子どもゆめ基金」の助成を受け,徳之島町子ども会育成連絡協議会主催,

徳之島町教育委員会後援で開催され,徳之島内 3 町のフィリピン人女性たちがボランティ

アで企画や運営にあたった。Mさんと小学生の子ども同士が友人である徳之島町の職員が,

島で暮らす外国人の中で最多であるフィリピン人の母国のことがあまり知られていないと

感じており,フィリピンについて教えてもらえるイベントを企画したいと考えて A さんら

に相談したことから実現したものである17)。

 内容は,料理の試食,歴史や言語や民族衣装の紹介,子どもの遊びやパロール18)

作り

等の体験(写真 1),民族舞踊やクリスマスの歌(写真 2)など盛り沢山であった。来場者

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「 移民研究」第 15 号 2019.3

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は小学生以下の子どもと母親らが多く,地元の中高生が運営を手伝っていた。フィリピン

人女性の子どもも,小学生以下の子どもたちに加え,中高生も参加していた。民族衣装を

着て参加した小学生の女の子は,民族衣装を着たのは初めてだということであった。

 フィリピン人女性たちは,フィリピンに関するイベントが開催されるのはフィリピン村

でのフィリピン祭り以来であり,これほど多くの人が集まるイベントは初めてだと喜んで

いた。F さんは,子どもたちにフィリピンのことを知る機会や国際交流の機会を作るのは

とても大事なことだと語り,A さんらは来年以降も毎年開催したいと語っていた19)。

 言語の継承はあまり実践されていないようであった。A さんは子どもが小さい頃には

一緒にフィリピンへ里帰りしており,フィリピンの公用語である英語を教えたこともあ

るが,子どもは母親に教えてもらうことを恥ずかしがり,教えてもらいたがらなくなっ

たという20)。B さんの子どもたちはフィリピン語も英語もできず,フィリピン語で理解

できるのは「ゴキブリ」と「シニガン21)」だけであるという

22)。

Ⅳ.おわりに

 徳之島で暮らすフィリピン人女性たちの中には,子どもが成人し子育てを終えた人もい

る一方,子育て世代の人もまだ多くいることが分かった。また,大半のフィリピン人女性

は 2 人以上の子どもを持っている。子どもたちには一部,第 1.5 世代の人もいるが,多く

は徳之島で生まれ育っている。

 中学校卒業後の進路について明らかとなったのは次の 2 点である。1 点目は,先行研究

で報告されている他の離島と同様,高校進学時に島内で進学する人と島外で進学する人に

分かれることである。徳之島では高校卒業まで島内で暮らすことは可能であるが,高校ま

たは中学校入学時から鹿児島で寮生活を送る子どももいる。

写真 1 パロール作りの体験

(2018 年 11 月 24 日,フィリピン・

クリスマス・フェスタにて筆者撮影)

写真 2 クリスマスの歌

(2018 年 11 月 24 日,フィリピン・

クリスマス・フェスタにて筆者撮影)

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徳之島に暮らすフィリピン人女性の子どもたちの進路とフィリピン文化の継承

(矢元貴美)

‐ 11 ‐

 2 点目は,既に就職・結婚などをした人の大半は島外で暮らしており,一部 U ターンす

るなどして島内で暮らす人もいることである。都市部で暮らすフィリピンにルーツを持つ

子どもに見られるような,海外での進学・就職を選択した人はいなかった。高校または大

学卒業後の進路の特徴としては,自衛隊に入隊した人,医療系の専門学校へ進学した人が

複数いることが挙げられる。また,就職先や進学先で音楽活動に関わっている人が多いこ

とも明らかとなった。

 フィリピン文化の継承について明らかとなったのは次の 2 点である。1 点目は,カトリッ

クの教えの継承は主に子どもが幼い頃に実践されているが,限定的であるということであ

る。フィリピン人女性たちのカトリックの実践は様々であり,自宅に聖像を祀る人もいれ

ば祀らない人もおり,子どもに幼児洗礼を受けさせている人もいれば受けさせていない人

もいる。徳之島と同様に離島である石垣島で行われているロザリオは実践されていなかっ

た。幼い頃には教会に通っていた子どもたちも,年齢が上がるにつれ,学校の活動で忙し

くなるほか,友人らに恥ずかしいという気持ちが芽生えることなどから通わなくなる。こ

の点は,石垣島や宮古島を含め,日本各地で暮らすフィリピン人女性の子どもたちの多く

と共通している23)。しかし,教会に通わなくなった後も,子どもたちは家庭で聖像を目に

したり,母親の祈る姿などを見て,カトリックに触れる機会はあるものと思われる。

 2 点目は,石垣島や宮古島と比較すると,徳之島では,地域や学校でフィリピン人女性

たちが料理や民族舞踊などを披露することは稀であり,子どもたちへ文化を継承する機会

が少ないことである。先行研究でも指摘されているように,また,石垣島や宮古島と同様

に,言語の継承は実践されていなかった。

 しかし,フィリピン人女性たちはフィリピン・クリスマス・フェスタで,自身の子ども

や地域の子どもにフィリピンについて紹介できることを喜び,このような機会を持つこと

は大切であると考えている。このイベントは国際交流の機会であるとともに,フィリピン

人女性の子どもたちへの継承の機会にもなっていた。参加したフィリピン人女性の子ども

たちも民族衣装を着て嬉しそうにしていたり,学校の友人らと楽しそうに体験コーナーに

参加していた。

 このイベントは町が主催し,公の場で開催された。そのため,子どもたちにとっては,

母親の国の文化を恥ずかしいと感じることなく,誇りを持って友人に紹介することができ,

さらに知りたい,学んでみたいと思う契機になることも考えられる。来年度以降も継続さ

れる可能性があることから,このイベントが子どもたちのフィリピン文化の継承や進路選

択にどのような影響を与えるのか,今後の展開に注目したい。

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謝辞

 本研究に快くご協力くださいました,フィリピン人女性とご家族の皆様,カトリック母

間教会,徳之島町役場,伊仙町役場の皆様,その他関係者の皆様に心より感謝申し上げます。

なお,本研究は平成 28-30 年度科学研究費補助金(基盤研究 C)「島嶼への結婚移住をめ

ぐる比較研究――フィリピン人を中心に」(研究代表者:野入直美,共同研究者:高畑 幸,

永田貴聖,松田良孝,矢元貴美,課題番号:16K04073)による成果の一部です。

1)日本国籍を取得した人もいるため,フィリピン出身者の数はこれより多い。

2)主として学齢期途中に来日し,小学校や中学校,高校に通った人を指す。

3)鹿児島県立徳之島農業高等学校が 2008 年(平成 20 年)に閉校するまでは 3 校であった。

4)2018 年 8 月 4 日の聞き取り。

5)2016 年 8 月 26 日の聞き取り。

6)フィリピンで崇拝されている幼いキリストの像。

7)主に金管楽器と打楽器で構成される楽団。

8)2016 年 9 月 8 日および 2018 年 8 月 4 日の聞き取り。

9)2018 年 8 月 6 日の聞き取り。

10)2018 年 8 月 5 日の聞き取り。

11)2016 年 8 月 25 日のカトリック母間教会での聞き取り。フィリピン村の入口には建設

の経緯が説明された看板が掲げられ,水牛を使ってサトウキビを搾る様子を再現した像

や,イベントなどで使用されたと思われる舞台が残されている。徳之島と同様にサトウ

キビの産地であるネグロス島のシライ市と天城町との国際交流の経緯については田島

(2000)に詳しい。

12)ティクリンと呼ばれる鳥の動きを真似て,打ち鳴らされる 2 本の竹の間を飛び跳ねて

踊る踊り。

13)火を灯したランプまたはろうそくを両手に持ったり,頭に乗せたりして踊る踊り。

14)2018 年 8 月 6 日の伊仙町役場での聞き取り。

15)2018 年 8 月 4 日および 8 月 5 日の聞き取り。

16)2018 年 8 月 6 日の聞き取り。

17)2018 年 11 月 24 日の聞き取り。

18)フィリピンでクリスマスによく飾られる星形の飾り。

19)2018 年 11 月 24 日の聞き取り。

20)2018 年 8 月 5 日の聞き取り。

21)フィリピン料理の 1 つで,タマリンドをベースに味付けし,魚介類または肉類と野菜

を煮込んだ酸味のあるスープ。

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徳之島に暮らすフィリピン人女性の子どもたちの進路とフィリピン文化の継承

(矢元貴美)

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22)2016 年 9 月 8 日の聞き取り。

23)石垣島と宮古島の第 2 世代への継承については野入(2016)に詳しい。

文献

狩野浩二(2001)「和泊町国頭における情報型共同体づくりと子ども・青年の進路選択」『鹿

児島大学教育学部教育実践研究紀要』11,47-53.

佐々木貴文(2018)「沖縄県における教育機会の保障を目指した取り組み――沖縄県立離

島児童生徒支援センターの設置に注目して――」『北海道大学大学院教育学研究院紀要』

130,99-115.

田島康弘(2000)「大島郡天城町における日比交流について」『鹿児島大学教育学部研究紀

要 人文・社会科学編』51,49-71.

徳永智子(2008)「『フィリピン系ニューカマー』生徒の進路意識と将来展望――『重要な

他者』と『来日経緯』に着目して――」『異文化間教育』28, 87-99.

額賀美紗子(2016)「フィリピン系ニューカマー第二世代の親子関係と地位達成に関する

一考察――エスニシティとジェンダーの交錯に注目して――」『和光大学現代人間学部

紀要』9,85-103.

野入直美(2016)「沖縄・先島諸島で暮らすフィリピン人女性たちの生活世界――ネットワー

ク,リーダーシップと次世代継承を中心に――」『移民研究』11,7-36.

法務省(2018)「在留外国人統計(平成 30 年 6 月末現在)」https://www.e-stat.go.jp/(2019

年 1 月 2 日閲覧)

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威信性』を枠組みに――」『国際学研究』2(1),9-19.

矢元貴美(2016)「フィリピンにルーツを持つ子どもの大学・短期大学への進学理由――

日本で高等学校を卒業した人たちの事例から――」『移民政策研究』8, 89-106.

Bauzon, L. E., & Bauzon, A. F. (2000) Childrearing Practices in the Philippines and Japan,

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Takahata, S.(2011)The 1.5-Generation Filipinos in Japan: Focus on Adjustment to School

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(やもと きみ・上智大学アジア文化研究所共同研究所員・国際協力学)

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Career Path and Inheritance of Filipino Culture of the Children of Filipino Women Living in Tokunoshima Island, Kagoshima

YAMOTO Kimi

Collaborative Fellow, Institute of Asian, African,and Middle Eastern Studies, Sophia University

Key words:Filipinos in Japan, Children, Education, Cultural inheritance, Island

This paper aims to focus on the education of the children of Filipino women living in Tokunoshima Island, Kagoshima Prefecture to figure out their career path after junior high school and the situation of the inheritance of Filipino culture from their mothers. Based on the data from questionnaires and interviews, the following findings were identified. On the topic of career path, first, the children can be grouped into two: those who enter senior high school inside the island and those who enter outside the island. Second, most of the children who have already obtained jobs or gotten married live outside the island. Regarding the inheritance of Filipino culture, first, Filipino women put Catholic teaching into practice mainly in the early childhood of their children but the inheritance of Catholic teaching is limited. Second, Filipino women rarely show how to cook Filipino cuisines and perform ethnic dances in local communities and schools leaving their children fewer opportunities to inherit their Filipino culture. However, a large event celebrating the Philippines was held in November, 2018 for the first time in a long time. Some children of the Filipino women enjoyed taking part in it and the Filipino women were happy to introduce their culture not only to their children but also to the children in their local community. The future development of how this event will have influence on the career path and the inheritance of Filipino culture needs to be observed.