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- 1 - 平成 30 5 1 水先人・船長の生理指標 博多水先区水先人 藤瀬一則 平成 23 年より神戸大学海事科学部研究科村井准教授(現在、東京海洋大学学術研究院教 授)の水先人の行動・緊張評価に関する調査・研究に被験者として協力している。その 中から乗下船時の身体加速度や水先業務中の心拍数の変化を同研究室承諾の下、その一 部を紹介しながら水先人の緊張評価について水先人の視点より論述することにする。 (資料提供:東京海洋大学村井教授) (1)研究背景 <海中転落> 船長時代にコロンビア国の某港に於いて強風の中、パイロットボート(タグボート) より移乗する際に水先人が海中転落、死亡して当局より事情聴取を受けた。 水先修業生時代には某水先区に於いて修業生が海中転落して死亡する事故も発生した し、古くは顔見知りの先輩の悲報に接したこともあった。 水先人の海中転落は起きてはならない事故であるが 34 年に一回は発生しており 意外と経歴の浅い水先人や錨泊中の船舶に於いてもよく見られる。 海中転落の原因は一に海面状態の悪化、二に昇降設備の不備、そして水先人自身の内 面の問題等多岐に亘り、一様に特定することは不可能であるが乗下船時の体重移動(身 体加速度)との関連性についても考察する必要性を感じていた。 特に博多は速度 10 ノット前後で本船と並走しながら二船間の吸引作用を利用して接弦、 水先艇の天井デッキより昇降すると言う独特の方法を採用していたからである。

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平成 30 年 5 月 1 日

水先人・船長の生理指標

博多水先区水先人 藤瀬一則

平成 23 年より神戸大学海事科学部研究科村井准教授(現在、東京海洋大学学術研究院教

授)の水先人の行動・緊張評価に関する調査・研究に被験者として協力している。その

中から乗下船時の身体加速度や水先業務中の心拍数の変化を同研究室承諾の下、その一

部を紹介しながら水先人の緊張評価について水先人の視点より論述することにする。

(資料提供:東京海洋大学村井教授)

(1)研究背景

<海中転落>

船長時代にコロンビア国の某港に於いて強風の中、パイロットボート(タグボート)

より移乗する際に水先人が海中転落、死亡して当局より事情聴取を受けた。

水先修業生時代には某水先区に於いて修業生が海中転落して死亡する事故も発生した

し、古くは顔見知りの先輩の悲報に接したこともあった。

水先人の海中転落は起きてはならない事故であるが 3~4 年に一回は発生しており

意外と経歴の浅い水先人や錨泊中の船舶に於いてもよく見られる。

海中転落の原因は一に海面状態の悪化、二に昇降設備の不備、そして水先人自身の内

面の問題等多岐に亘り、一様に特定することは不可能であるが乗下船時の体重移動(身

体加速度)との関連性についても考察する必要性を感じていた。

特に博多は速度 10ノット前後で本船と並走しながら二船間の吸引作用を利用して接弦、

水先艇の天井デッキより昇降すると言う独特の方法を採用していたからである。

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<緊張感と心的負荷>

緊張感とは張りつめた心持ち、注意深くなり気持ちが高ぶることであろう。

水先業務に緊張は付きものである、そうかと言って始終緊張感に襲われていたのでは

プレッシャーに押しつぶされるし、緊張感の無い業務では何処かに落とし穴が待って

いる。程良い緊張感の中、時には冷や汗も経験しながらの業務と思われる。

そんな中、緊張感と心的負荷は同一の現象だろうか、逆に心的負荷の掛からない緊張

感もあるのではないだろうか? との疑問が湧いて来た。

<船長との心理戦>

船長時代は Self-pilot が殆どで自分の気に入った操船方法を好きな様に展開していた

のでそれなりの緊張感は有ったもののストレスはそれ程感じることはなかった。

然し、水先人となってからは大きな戸惑いに直面することになる。水先業務は船長に

安心感を与えてこその技能であり、運航責任者としての船長の気持ちに合わせて臨機

応変に操船方法を使い分ける技能が必要となってくる。船長の操船観と水先人の操船

観は基本的に異なるので業務中は船長の心理状態を覗きながら船長と衝突しない様に

しなければならない。然し、その事が結構なストレスを生む場合もある。

船長にもいろんなタイプがある。良きコミュニケーションを計ろうとする余り四方山

話に花が咲き着岸作業の最中にまで見当違いの話をされても大迷惑である。一方、事

細かく操船方法に関与してくる船長に対して怒鳴りたい気持ちをグッと抑えて穏やか

な口調で対応しなければならない。国民性の違いによる意見の衝突も時たまある。

出港予定時刻の 30 分前に本船乗船した時に「日本の水先人はどうしてこんなに早く来

るのか?Nonsense!」とご機嫌斜め、こうなると最悪の展開が待っている。

いろいろと反論したいのを堪えて気長に対処することになりストレスは溜まる一方。

サービス業だからと言って譲歩してばかりしていたのでは能が無さ過ぎる、どの時点

でどのように自己主張すれば良いのか悩ましい船長との心理戦が始まる。

最悪の場合は言い争いになり「Captain cone ?」の切り札を出す時もある。

業務終了後に船長が水先人を評価する決まり文句に「Good job」「Excellent」

等の様々な表現があるが、本当にそう思っているのか?

本当はハラハラドキドキしながら見ていたからこそ、そんな言葉を発していたのでは

ないか? 船長の腹の内を覗きたい衝動に駆られる時がある。

船長の緊張度の変化を知る事が出来れば船長との心理戦に於いて安易な妥協をしなく

て済むかも知れないと考えていた。

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(2)実験の目的とその方法

<海中転落>

実験目的:乗下船時の身体加速度を測定することで、どの身体方向にどの程度の瞬間

加速度が生じているか定量的に評価し、安全・安心な乗下船方法について検討する

実験方法:3 軸小型加速度計を身体重心位置である腰部に装着し、身体加速度を測定

<船長との心理戦>

実験目的::水先業務中に生じる水先人と船長の心拍変動を計測する事で水先人と船

長の心的負担を定量化することにより水先人と船長の緊張評価について検討する。

実験方法:腕時計型の受信機と胸部に装着する小型心拍計を装着して心拍変動を測定

(3)水先人の心拍数の変動

調査した平成 24 年 8 月、当時の博多港は上海や釜山港並みのハブ港構想の下にコン

テナ船の大型化が進み 10 万総トン前後のコンテナ船が月 2 回程度入港していた。

当然、水先人にとっても初の 10 万総トン級の体験で、独り乗りの業務に緊張度は極

限状態に達していた。二隻のタグ使用方法、航行速度、余裕水深、付加質量、浅水影

響等、考慮すべき事項は山ほどあり、嚮導時間もたっぷり 60 分間(通常 45 分間)掛

ける程に慎重な操船が要求されていた。それだけに水先人の心拍数の変動について非

常に興味深いものがあった。

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【実験海域】博多港東航路及び IC7 岸

【実験船舶】コンテナ船全長 335 メートル、

総トン数 93,511 トン

水深:14.00m

喫水:F/11.50m A/12.40m

図1 水先人の心拍数の変動

入港時の心拍数(被験者 A: -水先人、被験者 B・C:同乗者)

①水先人事務所より徒歩で水先艇乗船場所への移動

②水先艇乗船

③パイロットラダーで本船乗船

④コンテナ船の船首が岸壁に並んだとき

⑤舷梯で本船下船、岸壁へ

① 小生の通常状態に於ける心拍数は 70 弱である。水先艇乗船前に心拍数が 100 近

くまで上昇しているのはこれからの大勝負を前にしたアスリートにも似た気持ち

の高揚か?又、操船方法に様々な思いを巡らし苦悩している状態とも言える。

③ パイロットラダーによる本船への乗船時は当然の如く緊張度は高まり心拍数は最

大となっている。乗船後いよいよ操船開始、漸次心拍数は上がっていく。速力逓減

に悪戦苦闘している時機でじわじわと不安感が襲ってきて悩み苦しむ時間帯。

一方、同乗者の心拍数は始めは水先人より高いがこの時点で逆転する。

④ 心拍数は着岸前後に最大値の 120 近くまで上昇している。無我夢中で操船に没頭

しているせいか時間の経過すら分からない程に緊張感と不安感が混在した極度状

と言えるであろう。

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(4)水先人の身体加速度と心拍数の関連性

図2 出港時の水先人の心拍数と加速度変動

図3 入港時の水先人の心拍数と加速度変動

X 軸(左右動)Y 軸(上下動)Z 軸(前後動)方向への身体加速度について乗船時

と下船時と比較してみると、身体加速度の波動に大きな差は見られないが心拍数との

連動に時間的な差が発生している。下船時は僅かではあるが心拍数が先行し、次に身

体加速度が上昇している。乗船時は明らかに心拍数が上昇した後に身体加速度が上昇

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している。(データは(5)で記述されている船舶の乗下船時のもの)

(5)低周波・高周波比(LF/HF 値)による緊張評価

当該研究室の調査方法も回を重ねる毎に改善されて新たな手法が投入された。

それは計測した心拍データに対し、周波数解析を行うことで水先人等の操船者の心的

負荷を解析するものである。心拍変化の周波数解析は“POLAR PS800CX”の付属ソフ

トを用いて行い、LF/HF 値を算出した。解析間隔は 30 秒である。

LF とは低周波(Low Frequency)の略語であり、メイヤー波と呼ばれる約 10 秒周期

の血圧変化を信号源とする変動波である。HF とは高周波(Hi Frequency)の略語で、

3 秒から 4 秒程の周期を持つ呼吸を信号源とする変動波である。LF は交感神経活動の

指標であり、HF は主に副交感神経活動の指標である。緊張状態の変化により、心拍変

動への HF の変動波と LF の変動波の現れる大きさが変化する。これを利用して、心拍

変動から自律神経のバランスを推定する。心的負荷の定義は交感神経と副交感神経の

バランスである。交感神経が緊張状態にあれば心的負荷が掛かる状態で反対に副交感

神経が緊張状態にあれば「リラックス状態」である。LF/HF 値を算出することで心拍

変化が身体的要因・精神的要因のどちらに起因するのか明らかにすることが出来る。

つまりは LF/HF 値が高くなると被験者に心的負荷が生じた状態となる。

分かり易く言えば心拍数だけのデータでは緊張度のみならず被験者の動静検知も含ん

でいるので LF/HF 値と両者を比較評価することで、より精度の高い緊張評価の指針と

なる。(神戸大学村井研究室の論文より引用)

水先人と船長に同じ計測器を装着して夫々の波形を比較して心拍数とLF/HF値との関

連性についても考察した。

日時・実験水域:平成 26 年 8 月、コンテナターミナル香椎4岸よりの離岸・出港

対象船舶・船長:18,296GT(コンテナ船)、ドイツ人船長(博多入港の経験者)

離岸作業:出船係留の船舶をスラスターとタグにより平行離岸させた後に前進

オレンジ色:心拍数 青色:LF/HF 比

0900:岸壁にて水先人計測器装着

0905:船橋にて船長計測器装着

0907:出港準備完了

0910:シングルアップ

0912:ラインレッコー

0915:スラスター、タグ使用

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図4水先人の心拍数と LF/HF 値(出港時)

図5船長の心拍数と LF/HF 値(出港時)

水先人の心拍数は大型コンテナ船嚮導時の 120 に比べ 100 未満で推移、船長は 90 未

満であるが波動の振幅に違いが見られる。水先人の振幅は船長と比べて高い振幅が長

く継続している。入港時の別の船長と比較しても同じ傾向が見られる。

水先人の LF/HF 値が最大突起している 0919~0921 時はスラスターで船首部を

離岸させながら船尾タグ曳開始して機関前進、針路設定させている場面である。

一方、船長は水先人よりも数分前の 0915 時頃に最大突起している。この時間帯はス

ラスターを始動開始している時で船長の LF/HF 値は水先人が緊張し始めた頃には逆

に低下、船長と水先人の心的負荷は異なる事象で発生していることになる。

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次に入港時の心拍数と LF/HF 値について水先人と船長を比較してみる

日時・実験水域:平成 26 年 8 月、香椎 2 号岸壁への出船着岸

対象船舶・船長:28,755GT(PCC)、比国人船長(博多入港経験者)

着岸作業:タグ一隻とバウスラスターで回頭後、後進しながら出船着岸

0637:水先艇乗船、水先人に計測機器装着

0644:パイロットラダーにより本船乗船、船長に計測機器装着

0717:右変針 0721:左変針 0724:タグ使用で回頭 0732:後進開始

0743:スラスターとタグを駆使して着岸

図 6 当該船舶の AIS 軌跡図

図7 水先人の心拍数と LF/HF(入港時)

図8 船長の心拍数と LF/HF 値(入港時)

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操船のポイントは右変針しながら速力逓減する 0714~0721 時で最初に緊張する場面

である。水先人・船長共に心拍数も LF/HF 値も上昇している

次に緊張する場面は船尾タグ押しで左回頭をする 0724~0732 時で心拍数も LF/HF 値

も上昇し、水先人の値は最大となるが船長の値は最大ではない。

最後に緊張する場面は着岸までの 0732~0743 時である。水先人の値も上昇傾向にはあ

るが船長の値が最大値を示している。

(6)結論と課題

<海中転落>

身体加速度の見地からすると新しい発見は無かった、普段の階段昇降と変わりない身

体加速度が働いており乗下船方法としては無難であることになる。

パイロットラダーによる乗下船時の心拍数は乗下船直前より上昇傾向となるも乗船時

と下船時において身体加速度との間に時間差が発生している。その時間差は本船・水

先艇間の相対的な動揺に起因する。乗船前は相対的動揺が同調するタイミングを測ろ

うとする為に時間を要し、下船時は同調した時期を見測ってから本船甲板上より下船

開始するから短時間で終わることになる。

其れよりも現在の舷側よりの乗下船方法は風下舷を作る余裕水域が無い場合や錨泊中

に於いては危険な移乗となる。個人的に試行を重ねているのが正船尾中央よりの移乗

である。要は水先艇(又はタグボート)を船尾のフラットな部分に頭付状態にして縄

梯子を使って昇降することになるが検討すべき課題も多い。

①船尾形状によっては縄梯子が振らつく②乾舷の高い船では水先艇の頭付は不可、タ

グなら可能か?③降りるのは良いが昇りは体力的にきつい等々。

この方法は SOLAS より逸脱しているので人知れず約 20 年程前に博多の某水先人が緊

急用としてアルミ梯子を使用した例が有り、伝え聞く処によると某水先区でも実施し

たとの噂もある。船尾中央よりの乗下船では水先艇(又はタグ)の動揺が舷側のそれ

と比較して明らかに軽減されており精神的な安心度が全く違う。脱出用の救命艇が正

船尾中央に設置されている時代である、正船尾中央からの昇降設備についての検討が

ON TABLE され将来的には国際的なルール改正が望まれる。

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<船長との心理戦>

実験前までは船長も水先人も同じ場面、同じ時間帯に心的負荷を感じるだろうと考え

ていたが、LF/HF 値は予想に反する状況を演出していた。操船観の違いは如何ともし

難く、水先人は操船の鍵を握るポイント・ポイントで、船長は眼前の事象により心的

負荷が上昇することが今回の実験で明らかとなった。

①心拍数の波動振幅については航海計器周辺からウイングへと細かく動き回る水先人

と我関せずと固定位置に留まる船長の行動評価の違いが現れていると思われる。

②離岸作業に於いて水先人はスラスターの効き具合が最大の関心事であるのでスラス

ター使用開始直後から心的負荷が一気に上昇する。一方の船長、その以前より上昇

した後は降下して低域波動に終始することから推察すると、先ずは水先人の業務に

対する不信感が先行し、眼前の事象が問題なく進行すれば後は無関心でいる船長の

姿が垣間見られる。

③次に入港時に於いて勝負所は回頭場面なので意図する場所で回頭出来れば後は流す

だけと考える水先人と、岸壁近くになって迫りくる速度・離岸距離と言う眼前の事

象に過敏に反応する船長の違いである。以前より感じていたが船長は道中の過程よ

りも結果を求めるし、水先人は良い結果を出す為の道中の過程を重視する操船観の

違いが明確に抽出されている。

水先人に心的負荷が掛かる要因として挙げられるのは操船の困難さ、水先艇・本船間

の移乗であるが意外と船長との心理戦も疲れるものである。

多くは水先人任せの船長であるので自分のペースでの業務遂行が可能であるが、時と

して前述した個性派船長に出くわす場合もある。

そう言う場合は船長への気遣いは程々にして水先人自身が考える一番安全な操船を自

信を持って貫く精神が心理戦を制することになるであろう。BRM の観点からは問題は

あるが、必要以外の事は黙して語らず、自然と醸し出される無言のオーラで船長を黙

らせる方法を模索しているがまだまだ精進が足りない様である。

東京湾水先人会の会報「按針」に掲載されていた伝説の元水先人の次の言葉にヒント

が隠されているのかも知れない。

「経験とは 10~20 年やったからと言っても経験とは言わない、これは履歴と言う。

経験とは例え 1 日でも 1 年でも、いかにそれを研究して一生懸命やって、自分の知識

になり明日の知恵とすることである。今日の船より明日の船、より良い仕事をしよう

と頑張る気持ちが重要となる」

何の解説も注釈も要らないこの言葉を当論文の結論として勝手に使用させて頂いた。

以上