Title キーツとワーズワス
Author(s) 松下, 千吉
Citation 英文学評論 (1965), 18: 82-108
Issue Date 1965-11
URL https://doi.org/10.14989/RevEL_18_82
Right
Type Departmental Bulletin Paper
Textversion publisher
Kyoto University
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キーツの時代の他の詩人たち、ワーズワス、コールリッジ、シェリは、それぞれに個性的な秀れた詩論を書い
ていますが、キーツはそういうまとまった詩論を書くことはついになかったのです。しかし、キーツが多くの書
簡の中でおりにふれて詩について語った言葉は、全体としてキーツの詩観を形づくっています。これらの発言は、
理論的、分析的であるよりは、むしろ、直観的、比喩的であり、この事実がすでに、なべて理論化をきらったキ
ーツの詩人としての資性の一面を示しています。T・S・エリオットもこの点にふれて、「キーツが詩について
語った言葉で、その真意のくみとりにくさにじゅうぶん配慮して熟考してみるとき、真実でないとわかる言葉は
ほとんど一つもない」とのべ、キーツの直観の鋭さに注目七ています。
書簡集にあらわれた詩観をつうじて、キーツの本質にもっとも深くふれていると思われることがらの一つは、
キーツが、シェイクスピアとワーズワスという、互に対照的な性格をもった二人の詩人の詩精神の本質を探るこ
とによって、自己を発見していった過程であります。
シェイクスピアについては、周知のように、「消極能力」(NegをeCPpabi吉)と「詩的性格」(Pを。巴ChS。t。r)
という二つの言葉で、その本質を把握しています。消極能力は一八一七年十二月二十一日の弟たちにあてた書簡
で一度だけ用いられた言葉で、それは「シェイクスピアが莫大に所有していた能力、事実や道理をたしかめよう
といらいらしないで、不確実、神秘、懐疑などのなかに安住していることのできるときのことをいうのだ」との
べ、キーツはそこではコールリッジを引き合いにだして、「コールリッジは半知見(h巴ナknO奄訂dg。)に満足して
いることができないために、せっかく神秘の奥の院から捕えた精妙で孤立した真実らしいもの(壱isimi-itude)を
とり逃がすだろう」というのです。
一方、詩的性格の方は、およそ一年後の一八一八年十月二十七日のウッドハウス(RichardWc。dhcu且あての
書簡に、これも一度だけあらわれるのですが、そこでキーツは、みずからもその一員である詩的性格とは、ワー
ズワス的・自己中心的荘厳(W。乙sw。rthian。reg。ti註ca-sub【ime)とは識別されるべきものであるといい、「そ
れは自己であって自己でないもの。それは自我をもたず、あらゆるものであり、なにものでもない。それは個性
をもたない。それは光をも影をも楽しみ、美醜、高低、貧富、黄塵を問わず、生を満喫する。極悪なイアーゴー
を描くにも、美しいイモジェソをえがくのと同じ喜びを味わう。高徳な哲学者をぞっとさせるものも、カメレオ
ンのような千変万化の詩人をたのしませるのだ。それは事物の暗黒面の玩味から、ちょうどその光明面の賞玩か
らと同じく、何らの害をも受けることがない。けだし、それはいずれも、虚心な観照におわるのだから。詩人と
はおよそ存在するかぎりの最も非詩的なものである。なぜなら、彼は本体をもたないから、彼はたえず自己なら
ぬものになりかわりつづけるのだ」と語っています。
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四
このようなシェイクスピア観を中心にして、キーツはさまざまな面でシェイクスピアにたいして終始かわらぬ
敬愛を抱きつづけたのであり、また、キーツとシェイクスピアの親近性は、アーノルドのキーツ論(MatthewAr・
nO-d‥bぎ恕9号∵nWard、S酔態宗旨へ訂-・0-・Iく∵∞害)、ブラッドリの「キーツの書簡」(A・C・Bradす‥当へト寧
首的亀許已h∵害∽)、マリーの『キーツとシェイクスピア』(l。hnMiddlet。nMu=yこ評注=さ〓芦卦遭莞3品は∽)、
トリリソグの「英雄としての詩人」(Li。ne-Tri--ing‥当馬加え串〔詳3!染邑竺ざ讃㌣訂き3こ洩-)という線によ
って、そのたびに、より深い意義が明らかにされてきました。ところが、シェイクスピアとは対照的な詩精神と
して引きあいに出されたワーズワスにたいするキーツの態度は、それほど単純ではなく、いわば、愛憎の両面を
はらんでいたのであります。
丑
キーツはワーズワスにたいして早くから尊敬の念を示し、一八一六年十一月に、
HaydOn)にあてたソネットで、あからさまに名前はあげていませんが、ワーズワス、
ドンの三人を、時代の偉大な精神として讃え、ワーズワスのことは、その冒頭で、
画家のへイドソ(Benjamin
ハソト(LeighHunt)、へイ
Gre芝spiritsnOWOneartharesOjOurningい
HeO嶋thec】Oudsこhecataractこhe-ake-
Wh00nHeTe-Hyn、ssummitYWideawake-
Catcheshis鴫reshne拾㌢OmArchangel、swiPg.
大いなる心もつ人びとが今や地上に宿っている。
かの人、雲や、滝や、湖の人、
ヘルベリンの山頂で心の眼を見ひらいて、
大天使の巽から清新の気をとらえる人よ。
と呼びかけて、これら偉大な人々が世界に新しい脈動を与えるであろうといっています。このソネットは、やは
りキーツの初期に属するいま一つのソネット、すなわち、一八一七年の処女詩集の献呈の辞としてハソトに捧げ
たソネットを想起させます。そのソネットでキーツは、当時の詩的感性の一般的な衰退を欺いて、つぎのように
歌っています。
G-Oryand-○くe-iロeSShaくepaSSdawayい
句OrihwewanderOutinear-ymOrn-
NOWreathedincensedOWeSeeupbOrロe
HntOtheeast二〇meetthesmi-ingday.
栄光と美は消えさりぬ。
朝まだき野に出でてさまよえど、
晴れやかな朝の日を迎えんと、
東の空に向かいて捧げまつる香の煙も見えぬ。
キーツとワーズワス
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六
この二篇のソネットを読みくらべてみますと、使い古された神話や詩語に覆われて不毛化していた当時の詩的
感性の風土の中で、ワーズワスの詩が、心ある人々にとって、いかに清新なものであったかが、いまさらのよう
に感じられます。ワトスワスは、『迫邁篇』(害~許へミ計三雲)の序文にその一部を発表した未完の長詩『隠適
者』(当へ知己己へ)の一節で、
Paradise-aロdgrOくeS
E-ysiaローFOrtunateFie-ds1-ikethOSeO鴫0-d
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InHOくeandhO】ypassiOn-∽haH】Fdthese
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エデンの園や、エリジアムの森、
いにしえ人びとが大西洋に探し求めたような、
無上の楽土-Lこれら楽園は、どうして、
ただ過ぎきった出釆事の物語りか、
(l-∞書I∞○①)
たんに架空の作り話でなければならないのか。
なぜなら、われら人間の聡明な叡智は
愛と聖らかな情熱のう、ちに、
この美わしい宇宙と結ばれるとき、これら楽園が
素朴な日々の所産であるのを知るだろうから。
とのべて、人間の心と自然との直接の交合をはかり、日常の素朴な事物にひそむ美と栄光を歌いたいと、その信
条を告白しています。キーツの二篇のソネットとこの一節を読みあわせてみるだけでも、キーツが、ワーズワス
の詩の本領とその清新さを、的確に感知していたことが察せられるのです。
ワーズワスにたいするこのような尊敬は、一年後もかわらず、一八一八年一月十日に、やはりへイドンにあて
た書簡でキーツは、「現代において喜ぶべきことが三つある、ワ!ズワスの『遼遠篇』と、君の絵と、ハズリッ
ト(Wi≡amHaNlitt)の深い眼識である」と語っています。(ちなみに、この書簡では、ハズリットが前のソネッ
トのハントにとって代っているのが、キーツの成長をものがたっています。)ところで、キーツのワーズワス観
はこの域にとどまらず、彼はさらに深くワーズワスの内面を探りつつあったのです。
上のへイドソあての書簡から四カ月後の一八一八年五月三日、レノルズ(l〇hnH・Reyn。-ds)にあてた書簡では、
これも周知のように、キーツは、人生を多くの部屋のある館にたとえ、キーツらしい感覚的な比喩を用いて、お
よそつぎのように論じています。すなわち!人間は幼少の頃は「無思想の部屋」(ThOughtle訟Cham訂r)にいる
が、成長するにつれて、そこから「処女思想の部屋」(Cham訂r。鴫MaidenTh。ught)に進み、そこで光りと歓喜に
っっまれる。しかし、そのうちに、この世は悲惨、心痛、苦痛、病気などもろもろの人間苦にみちみちているこ
キーツとワーズワス
キーツとワーズワス
、\、ヽ
ノノ
とを知り、人間の心情をよみとる洞察力が研ぎすまされる。そして、それとともに、この部屋はしだいに暗くな
り、四方八方に暗闇に通ずる通路のロが開き、われわれは善悪の均衡を見失い、「神秘の重荷」(thebuaB。ごhe
MystegCf∴ヨ吾…b恕受【・∽∞)を感ずるようになる。「ワーズワスが『ティソタソ・アベイ』(3亀へ⊇ゝ宗Q)
の詩を書いたときには、まさにこの地点にまで達していたのであり、そしていまや、彼の天才はこれら暗い通路
を探究しっつあるように思われる。われわれが生き続け、考え続けるとするならば、われわれもまたこの通路を
探究することになるのだ。ワーズワスがこの暗い通路の中で、われわれ以上に、発見をやり光明を投ずるかぎり
において、彼は天才であり、われわれよりも優れている」-キーツはこのようにのべ、さらに「ワーズワスは、
本当は、叙事詩的情熱を持っていながら、彼の歌の主な領域(themainregiOnOfhis冒n嬰Cf.ゴ訂智へ訂♪I二宏)
である人間の心情のために殉じたのではないか」という問題を提起しています。
この書簡を見ると、キーツがワーズワスの思想の歩みにも深い理解と共感をいだいていたことがわかります。
感覚の書びにはじまる自然愛が、生の苦悩を通して、より高い人間愛へと昇華されうる道、そういう道の存在を
直観し、それを探索しっつあったワーズワスの思想の道程を、キーツは正しく洞察していたのです。
そういうキーツの洞察の間違いのなさは、さきの書簡で、ワーズワスと叙事詩的情熱について論じた言葉にもう
かがえます。ワーズワスはし『序曲』(↓Puhy軋買掛)の第一巻(ここ笥-巴こ箸∽爪d・)で、ミルトソも歌わずに残した
ような題材で叙事詩的な作品を書きたいと思った時期のあったことを語り、しかし結局、それら叙事詩的な題材
も、彼自身の心には、なにか空虚なものに思われ、最後の願望として、「人間の心情の深奥から湧きいでる熱烈な
瞑想にみちた」哲学的な詩を書きたいと願った、とのべています。一八≡年になくなったキーツは、ワーズワ
スの最も重要な作品となった『序曲』(一八〇五年には初稿が書きあげられていながら、一八五〇年までは世に発表されな
かったこの魂の自伝)を、ついに知らずにおわったのですが、それにもかかわらず、ワーズワスが叙事詩的情熱を
もちながら、人間の心情に殉じたのではないかと察したキーツの洞察は、ここでもあやまつことはなかったので
あります。
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ワーズワスに関する少なからぬ言及の中で、キーツがヮーズワスの偉大さをすすんで語ったのは、以上にみた
少数の場合にとどまるのですが、キーツがヮーズワスから受けた影響は、セリソコート(ErnestdeSe-incOurt)や
マリーが指摘しているように、意外に大きいのです。一九二五年に『キーツとシェイクスピア』(爽F廷=§軋hP鼠軍
阜昌且を書いたマリーは、何年か後の小論「キーツとワーズワス」(れ兵eatsandWOrdsw。rth㍉二m幹註訂㌻こFE
-器①)の中で、「私がヮーズワスの偉大さをより深く知るようになるにつれて、彼がキーツに与えた影響が、ま
すます微妙で捉えがたく、ますます広く珍みわたっているように思われてくる……『キーツとシェイクスピア』
②
を書いた当時に、私が今知っているほどワーズワスを知らなかったのを、むしろ感謝したいくらいだ」とのべ、
③
さらに、「キーツは、ある程度、ワーズワスの中に自己を発見した」とまでいっています。
マリーはこの小論で、ワーズワスの思想・イメジ・ノ用語の影響がキーツの詩にそれとわかる痕跡をとどめてい
る例をいくつかあげていますが、しかも、それらの例は、ワトスワスの影響のうちでは、むしろ、表面的なもの
にすぎない、とことわっています。そういう類いの影響は、たとえば、セリソコート編集のキーツ詩集の詳細な
注釈でとりあげられたものだけでも、数えあげればいとまがないのではないかと思います。
しかし、その広汎な影響の中で、ワーズワスがキーツにとってもっていたもっとも重要な意義は、やはり、レ
キーツとワースワス
キーツとワーズワス
ノルズあての書簡が語っているように、感覚の喜びにはじまる自然愛が、苦悩を通して、深い人間愛へと昇華さ
れる道を、ワーズワスが、もっとも身近かな生きた道標として、キーツに指し示したことではないかと思われま
す。あの書簡でキーツが語った人生の三つの段階は、それよりおよそ一年まえに書いた「眠りと詩」(由還;軋
旨へ~q)で早くも描かれているのですが、その思想がヮー∵スワスの「ティソタソ・アベイ」のそれに照応するも
④
のであることは、ブリッジズ(R。bert冒idges)やセリソコートが早くから指摘しています。
人間、あるいは詩人の生涯の、このような成長過程は、キーツが熟知していた「ティソタソ・アベイ」、「蛭と
る老人」(3qOにトへへへ㌣G邑訂1且、「不死の告知の頒歌」(○詩聖こぎぎ註害意予ぎ音畏註告など、ワーズワスの
代表的な短詩はいうまでもなく、『遣造篇』でも繰り返しあらわれる主題であり、または思想でありますが、キ
ーツの場合も、それに相似した思想、あるいは主題が、「眠りと詩」から「ハイペリオン」(ぷ督慕且および
「ハイペリオン没落」(当馬知覧且こせ苫計且にいたるまで、一貫した理念として、深められつつ繰りかえしあ
らわれるのです。
この点におけるワーズワスからキーツへの思想の通いが、どれだけ深いものであったかは、べつに影響の痕跡
といえるものでなくても、たとえば、つぎにあげる「蛭とる老人」の一節と、「ハイペリオン没落」の女神モニ
ータ(MOneta)のイメジとを照らしあわせてみるだけでも、じゆうぶんにうかがえます。
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(】】.彗-3)
あらわな丘の頂きに、ときおり
巨大な石がうずくまっていることがある。
目にする人みなにとっての不思議、
どこから、どうして、そこへ来たのか、
心もつ生きもののように思えるのだ。
まるで、波打ちぎわに旬い出して、岩だなか
キーツとワーズワス
九
キーツとワーズワス
砂の上で陽に憩う海獣のように。
塾
そのようにこの老人は見えた、老いの極みをさまよいつつー
しかと生けるでも、死せるでもなく、はた深く眠れるでもなく。
その身は、今生の旅に老いかがまり、
頭は今や足にとどこうとしている。
さながら、遠い昔に受けた恐ろしい苦痛の緊縛か、
すさまじい病の苦息が、人の身にはたえがたい
重荷をその躯に課したかのように。
YetIhadaterrOrOhherrObes.
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TOnOdeathwa∽thatまsa的e…
(IVN巴-N巴)
しかもなお、われは女神の衣、
とりわけて、その額より垂れし
神秘みつ白ぎぬに、わが心の
裂けんばかりに、怖れ慄きぬ。
そを見し女神は、聖らなるみ手にて
自ぎぬをはらえり。そのときわれは蒼ぎめし顔を見たり、
人の世の悲しみに睾れLにはあらず、死にいたらぬ
永劫の病に蒼白に輝けり。
そはこやみなく変貌しっつも、安らかな死は
止めも刺しえず、死にむかいてすすみつつ
死にいたることなかりき、その顔は……
もとより、この二編の詩には、異質の要素がいくつかあります。たとえば、ワーズワスの場合は、感性の表面
に錆びついたあらゆる詩的因習を除去して、純朴な心情と赤裸々な自然との直の結びつきを求めようとする根本
的な態度が、この詩でも典型的な姿であらわれています。蛭とる老人の、生きているとも、死んでいるともいい
がたい孤影を措写する直裁素朴なイメジと直喩が、それをよく示しています。一方、キーツの場合は、ワーズワ
キーツとワーズワス
キーツとワーズワス
スによる詩的革新のあとをうけて、解放された感性を通して、いまいちど古い神話に新しい思想的生命を探ろう
とする態度がみとめられます。
このように、両者の間には、当然のことながら、表現の上でも(また、ここではとくにふれませんが、思想内
容の上でも)異なる点もいくつかあるのですが、しかし、ワーズワスもキーツもともに、尽きることのない人間
の苦悩を、大自然、あるいは宇宙そのものの永却の生滅推移の二端として観照し、そこから苦悩の意義と救いを
見出そうとしている点では、相い通ずるものがあります。しかも、二篇の詩の問には、それとわかる影響の跡が
みられないだけに、いっそう、マリーのいう捉えがたい(昌bt-e)影響の深さが察せられるのであります。キーツ
は、あの書簡の言葉どおりに、ワーズワスの探っていた暗い通路をみずからも探索しっづけていたのです。
Ⅳ
しかし、そのように尊敬もし、影響も受けながら、キーツはヮーズワスにたいして正しい批判の眼をはたらか
せていました。時期的にいうと、一八一八年一月へイドソあてに『冶造篇』を賞讃した書簡をはさんで、その前
の年一八一七年十月と、あけて一八年の二月に、キーツはワーズワスについて批判的に語っています。はじめの
十月二十八日のベイリー(BenjaminBaiす)あての書簡は、ワーズワスの「ジプシーたち」(C甘訂)という短い
詩に関するもので、「もしワーズワスがそのときもっと深く考えていたら、彼はこの詩を書かなかったであろう。
この詩は彼の生涯のもっとも楽しい気分のときに書かれたにちがいない。それは一種のスケッチ風な知的風景画
であって、真実の探求ではない」というのです。この批評は、その対象になった原詩に即してみると、その妥当
⑤
性がよくわかるのですが、エリオットは、これを「最高の批評、最深の洞察」と評しています。
つぎに、二月三日のレノルズあての書簡では、もっと手きびしいワーズワス批評になります。キーツはこの書
簡で、ワーズワスの壮大さを否定するつもりはないし、ワーズワスは当然受けるべき尊敬を受けなければならな
いが、とことわったうえで、こう語っています!「わずかばかりの想像的で家庭的な美しい詩句のために、自
尊家(eg。ti豊の気まぐれにものした哲学をむりに読まされる必要があろうか。人は誰でも自分なりに思索をする
のだが、しかし、その思索の上に腰をすえて誇らしげにしたあげく、ついにはいかがわしい産物を作りあげて、
自己を欺くものはいない。天国の界隈まで旅をすることのできる人はたくさんいるが、半ば見聞したこと(haF
Seeing)を書きとめるだけの確信はないのだ……読者にたいして見えすいたもくろみをもっていて、こちらが同意
しないと、ズポソのポケットに手をつっこむような詩はきらいだ。詩は偉大で、しかも出しゃばらず、魂にしみ
こむべきものである=‥‥」~キーツは、そうのべて、さらに、ワーズワスはもう読みたくない、とまでいうの
です。一
カ月まえに『拇造篇』をはめていたことを思うと、この急変は不思議のようですが、これには二つの事情が
考えられます。一つは、一八一七年の十二月から翌一八年の一月にかけて、キーツはロンドンで数度ワーズワス
に会い、人間ワーズワスから、なにか尊大な印象を受けたということです。そのときのりトスワスの印象を、キ
▼tツは..prOud。という言葉でとらえています。その数度の出合いのあるとき、当時まだ本になっていなかった
『エンディミオン』(醇を邑03)の第一巻の「牧羊神讃歌」(さま3旨さ3)を、キーツが同席のへイドンに勧めら
れて朗読したとき、ワーズワスは「異教趣味のなかなかきれいな詩だね」(a記ryprettypiece。fpagani㊥m)とい
う一言で片づけて、かくべつ感心した夙にも見えなかったという逸話は有名ですが、その頃まだ『エンディミオ
ソ』の域を出なかった未熟なキーツを、すでに立派な詩業を成しとげていたワーズワスは、すすんで理解しよう
キーツとワーズワス
キーツとワーズワス
とはしなかったようです。(ちなみに、キーツの天稟に終始かわらぬ敬愛の念をいだいていたシェリーは、「牧
羊神讃歌」についても、「最高の卓越性を約束するもの」と評しています。)
一方キーツは、現代の詩人たちの中で会いたいと思うただ一人の詩人はワーズワスだ、と(一八一七年十月八
日ベイリーあての書簡で)いっていたほどですから、いっそう好ましからぬ印象を、人間ワーズワスから受けた
ものと思われます。もっとも、ロソドソでの出合いから数カ月たった六月に、キーツはスコットラソド旅行の途
次、ライダル(Ryd巴)にワーズワスを訪ね、不在のため会えないで残念がっていますので、このことからも、キ
ーツのワーズワスにたいする好悪の両面がうかがえます。
もう一つの事情は、ちょうどその年(一八一八年)の一月十三日から、ハズリットの『イギリス詩人論』(ト芝だ苛Ⅵ
QB旨へ定賢さ諷もの講演がはじまったことです。キーツは週一回ずつで八週にわたる講演のほとんど全部を
聴講したのですが、その三回目(一月二十七日)の「シェイクスピアとミルトン」(寧註卓等!買=重富)という
講演で、ハズリットはシェイクスピアについて、「シェイクスピアは可能なかぎりもっとも自己中心性の少ない
詩人(the-east。輪▲g。tist)である。彼はみずからは何ものでもなく、他のあらゆるものである。……彼の天才は、
⑥
善悪、賢愚、貧富をとわず、あらゆるものの上にひとしく光り輝く…‥」とのべています。
ハズリットがキーツの批評精神にあたえた刺観は、ワーズワスの詩的影響におとらず大きいのですが、上の講
演は、いうまでもなく、はじめにあげました詩的性格の書簡(一八一八年十月)に余韻を響かせており、キーツの
理念の形成を促したのです。また、キーツはさきの二月のワーズワス批判ではじめて「自尊家」(egOtist)という
言葉を用いたのですが、それもこの講演の名残りと考えられます。ともかく、この講演によって、キーツはそれ
までワーズワスについて漠然と感じていた要素を、シェイクスピアとの鮮かな対照のもとに、にわかに明確に感
得することになったものと思われます。
しかし、忘れてはならないことは、「ティンタソ・アベイ」に言及した「処女思想」の書簡は、これより後の
五月に書かれており、そして「詩的性格」の書簡は、さらに後の十月に書かれているということです。したがっ
て、キーツのワーズワス観は、多少は一時的な波があるにもかかわらず、根本的には、見るべきものを見ていた
といえます。この点について、W・P・ケア教授(W・P・Keユの語ったつぎのような言葉が、印象的に想起され
ます1「(ヮーズワスの『序曲』が一八〇五年に発表されていたとしても)、キーツのワーズワス観は本質的に
は変らなかったであろう。というのは、キーツはワーズワスをじゅうぶんに、そして正しく理解していたからで
ある。しかし、『序曲』が出ていたら、キーツがそのワーズワス観を補足して全きものにするのを促したことで
⑦
あろうに。」
さて、キーツがヮーズワスとは対照的なものとしてシェイクスピアの内に見出し、また、程度の多少はあって
も、みずからの内にも自覚していた詩的性格や消極能力は、どのような姿でキーツの詩や書簡にあらわれている
のか、その一端を見てみたいと思います。
キーツは、いわゆる「魂形成」(賢丁己king)の書簡と呼ばれるものを含む、弟たちあての長い日記体書簡(這
l年㌫謡。)の一部(三月十九日)で、友人ハズラム(W・謬sFヨ)の不幸に接したときの自己の心がいかに無私の共
感にほど遠いかという内省にはじまる一連の思索・観照をやっていますが、そこでキーツはおよそつぎのように
いうのです1自然界では無私を極度におしすすめると「鷹は朝食に駒鳥を食べられなくなり、駒鳥は虫を食べ
キーツとワーズワス
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八
られなくなるだろう。」人間界でも大部分の人々は動物と同じ本能的な生き方をしているので、完全な無私に達
することは至難であるから、無私の理念を最高度におしすすめても実害はないし、またそうすべきである。それ
に、ワーズワスもいったように『われら人間はみな同じ一つの心をもっている』(C_ゴ訂〔詳〓P§蒙とF鼓二g恕盲,
ニ〕ひ)のだから、たえず浄化作用がおこって、ときおり層の中の真珠のように、ソクラテスやキリストのような
完全に無私な精神が生れる。ところで、そんなふうに考える自分も動物と同じような本能的な生き方をしていて、
「ゆきあたりばったりにものを書き、広大な闇のさなかで徴垣の光を求めて懸命になっていて、ただ一つの主張、
ただ一つの見解の是非も知らないでいる。しかし、私はこの点で罪をまぬがれてはいないだろうか。ちょうど、
用心深い詔や、不安そうな鹿の姿を見て私が楽しむように、私の心がおちいる本能的ではあるが魅力的な姿態を
見て楽しむ上位者があるのではないだろうか。街頭の喧嘩は憎むべきものだが、そこに発揮される精力はすばら
しい。ごく平凡な人間も喧嘩のときに魅力を示すのだ。上位者から見れば、われわれの議論は喧嘩と同じような
調子になるのだ。それは間違っているかもしれないが、すばらしい。これこそ詩の存する所以のものである。そ
して、もしそうなら、詩は哲学はどすばらしいものではない。ちょうど鷲が真理はどすばらしいものではないの
と同様に。」
ほとんど止まるところを知らないかのように、弁証法的に美しい軌跡をえがいて展開してゆくこの思索と観照、
キーツのいうへspecuFtiOnVには、善悪・美醜・好悪などの判断や結論をできるだけ留保して、思索の成行きを
静かに見まもる態度がみられますが、それは半知見にとどまりうる消極能力にはかならないのです。のみならず、
喧嘩についての一節や、同じ書簡の中のつぎにあげる一節などには、善悪・美醜をとわず、生を満喫する詩的性
格の喜び、キーツのいうへへgustO。が感じられます。
The臼Ob】e如3ima】Ma3㌢rhisamu仇ementSmc訂shispipe-theHawkba-ancesabeuttheC-Ouds-thatisthe
On-ydi詳reロCeOごhei一二eisures.ThisitisthatmakestheAmusementOfLi訂∵ItOaSpeCu】atiくeMiロd.IgOamOng
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whatごheCreaturehasapurpOSeandhiseyesarebrightwithit.
高貴な動物である人間は、パイプをくゆらせて楽しみ、鷹は巽で平均をとりながら雲間を浮遊するーそれが人間と動
物の暇を楽しむときの唯一のちがいであり、それこそ、観照的な心の持主にとっては、生の楽しみとなるものだ。野原を
歩けば、枯草の中から栗や野ねずみがチラッとのぞいているのが見える。動物には目的があり、眼はそれに輝いている。
街に出てビルの問をゆけば、人がいそぎ足に歩いている-何をRHざして7人の子には目的があり、眼はそれに輝いて
いる。
この純一素朴な散文に息づいている美しい思索と観照の態度、それは、当然、キーツの詩においても、いろい
ろな姿をとってあらわれます。たとえば「想像の喜び」(き、董)の一節もそうです。
ThOuShaltseethe許-d・mOuSepeep
Meagre㌢〇日itsceロeds-eepい
Andthesnakea-【winter.thin
CastOロSunロybankitsskin.
(ロ.㌣誌)
キーツとワーズワス
キーツとワーズワス
野ねずみは冬眠の穴ぐらから
やつれた顔をのぞかせている。
蛇は冬ごもりにやせはそって、
川土手の陽なたでその皮を脱いでいる。
」こで、ワーズワスの『遣造篇』(第四巻)から、同じように野の動物の姿をえがいた一節をあげてみます。
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DeeSthatbenignityperくadeこhatwarms
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Her㌻完SightVhndinte】-igencethatmakes
Thetinycreaturesstr呂gbysOCia〓eague.。
「これら岩がちの荒地、これらこんとんたる荒野にも、
あの慈愛が遍く満ちあふれている。それは、冷たい地中の
暗い通い路に満足しているもぐらの身を暖くし、
蟻たちには、先見と、そして英知とをー
かれら小さなものらを、共同の営みによって
強からしめるあの英知とをーl授けている。」
(Iくー畠?畠N)
これを、キーツのものとくらべてみますと、どちらも野の小動物に眼をそそぎ、思いをいたしているのですが、
その限ざし、その思いやりには、明らかな相異があります。キーツの場合、生命の発現そのものの見事さ、また
はあわれさに、暖かい共感の限ざLがそそがれているのにたいして、ワーズワスの場合は、その背後にあるなに
ものかにも、同等またはそれ以上の関心がよせられているのです。キーツの「やつれて」(meagre)とワーズワス
の「満足して」(C。ntented)という言葉も、それを反映して象徴的です。
『近道篇』の第一巻は、その主要部をなすマーガレット(Marg彗e叶)の受苦の物語が、ワーズワスの詩魂の最盛
期に属する一七九六年から九八年までの間に、独立した詩篇「廃屋」(当馬如註§〓P蕾璧)として書かれて(そ
れだけに、この冗漫な長詩の中ではもっとも充実した、心ゆさぶる一巻となって)いるのですが、第二巻以下は、
それからほぼ十年後、すでに『序曲』の初稿を書きあげたワーズワスの詩魂が、ようやく沈滞の薪Lをみせはじ
める一八〇六年以後一八一三年頃までの間に書かれたことが明らかにされています。この時期におけるワーズワ
スの「慈愛」(be已g註y)がどのような性質のものであったか、ここでくわしくのべる用意はありませんが、とも
かく、その頃すでにワーズワスは、『序曲』の汎神論的な神から、より正教的な神へと向いつつあったことはあ
⑧
きらかです。また、ジョン・ジョウンズ(J。hnl昌eS)などの弁護にもかかわらず、この「信」の変化に詩的発展
がともなわなかったことも否定できない事実であります。それは、上にあげた一節にもあらわれていて、『序曲』
を知らなかったキーツにとって、「見えすいたもくろみ」といえるほどではなくとも、どこか教訓的な匂いが感
じられたとしても、不思議ではないのです。
「想像の喜び」や書簡にみられるキーツの観照の限ざLは、もっと劇的な人間の情念の諸相にたいしても、ゆ
るぎなくそそがれます。『池遥篇』の一節のあとに、たとえば、「憂愁によせる頭歌」(○討宣旨訂C訂富の一
キーツとワーズワス
キーツとワーズワス
節をおいてみると、そのことがいっそう顕著に感じられます。
OrihthymistresssOmerichaロgerShOWSV
EmprisOnhersO訂hand-and-etherraくe-
Andfeeddeep.deepupOnherpeer-esseyes.
また、おまえの女が何か艶な怒りをみせるなら、
その柔な手を捉えてはなさず、女を怒るがままにさせ、
その類いない眼を深く、深く見つめて、おまえの心の糧にするがいい。
一〇二
野ねずみの眼の輝きを楽しむ詩人の眼は、ここでは、怒りをみせる女の眼に、そしてその眼をとおして女心の
不思議な動きに、見入っているのです。また、同じ「憂愁によせる頒歌」の、
AndachingP訂asurenighV
TurningtOPOisOnWhi-ethebee・mOuthsips.
そして、蜜蜂が花の蜜を吸う問にも毒液にかわってゆく、
あの心疾く逸楽とともに(憂愁は住んでいる。)
という一節では、キーツの詩心は、蜂の体内に身をひそめ、蜂の吸う蜜がその体内で刻々に刺毒にかわってゆく
過程に思いをいたすとともに、その刻々の変化をとおして、人間と自然の存在の最大の条件である時間の推移を
も感知しっつあるのです。(なお、このような知性と感性のあり方には、キーツが医学を修めたことが、少なか
らず影響していると思われます。)
Ⅵ
うえに見たように、あらゆる対象の内部に身をひそめて、たえずなにものかになりかわる詩精神は、たとえば
シェイクスピアのように、劇の世界におかれた場合、劇中の人物になりかわり、その劇的運命を内面から感知し
てゆく、そういう資質に発展する可能性をはらんでいるといえましよう。しかし、キーツの詩精神の発展は死に
よって中断され、本格的な劇の世界で、そのような資質が成熟し、発現する機会には恵まれなかったのでありま
す。また、アーノルドも指摘しているとおり、劇作(や叙事詩)に必要な強力な構想力の面では、キーツは未熟
であったか、あるいは、それが不足していたことが、彼の長詩の出来はえなどから察せられます。のみならず、
劇作ということは、その時代の社会において劇自体のしめる立場とも関連していますので、キーツが熱望してい
たように、詩劇の傑作を書くことが、あの当時にはたして出来たかどうかは、大いに疑問です。しかし、そうい
う詩精神が、自然を把握する場合に、どのように高い客観性をその詩において獲得しうるものであるかば、「秋
によせる」頒歌(ゴbミS且がよくものがたっています。
SeasOnO蝿mistsand出ロe--OW訂uitfuhess、
C-OSebOSOm・琵endO鴫thematuringsunい
C昌SpiringwithhimhOWt0-Oadandb訂切
キーツとワーズワス
一〇三
キーツとワーズワス
WithfruittheくiロeSthatrOundthethatch・eくeS昌nい
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…
もやたちわたり木の実まろやかに熟れる季節よ、
成熟をうながす太陽の心の友、
その太陽とはからって、わら葺きの軒端をめぐる
葡萄のつるにふさふさと重い実をきずけ、
いなか家の苔むした木々に林檎をたわわに実らせて、
その一つ一つを心の心まで熟れわたらせ、
瓢をふくふくとふとらせ、榛の実を
あまい仁でむっちりとふくらませるのだ……
「秋によせる」頭歌は、その静諾さにおいては、キーツの作品中最高のものとなったのであり、F・R・リー
グィス(F・R・㌃aくis)は、この静諾さは、すでにあげた、「ハイぺリオン没落」のモニータのイメジに象徴され
た没我的な受苦の境地と表裏をなすものであるとのべ、消極能力や詩的性格が、成熟とともに獲得しうる倫理性
⑬
を示唆しています。ワーズワスの倫理性とは異質的なものとして、キーツの倫理性の成熟の方向を考えるとすれ
ば、それは、この頒歌において自然にむけられた眼が、そのまま人間界にむけられたときに、おのずから生れる
性質のものだといえましよう。
しかし、あのような静謎な項歌を書いた数カ月後の一八一九年の冬に、身辺の窮状が重なったとはいえ、キー
ッは、たとえば、ソネット「おまえの情けを」(㌣月誉琶弓竜§d)のような乱れた調子の詩を書かなければなら
なかったのです。
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鵬
(--.㌣-e
ああ、お前よ、そっくり私のものになってくれーなにもかも、すべて私のものに。
キーツとワーズワス
キーツとワーズワス
あの姿、あの美わしさ、あの愛のささやかな妙味、
お前の口づけかTllあの手、あのすばらしい瞳、
あの暖かい、白く、かがやく、百千の快楽にみちた乳房を~
お前のその身を-お前の魂をー後生だからみんな私に与えてくれ、
みじんも残さないでくれ、さもないと私は死ぬ、
たとえ、生きながらえようとも、おそらく、お前のあわれな奴れいとなり、
いたずらな苦悶のもやに閉されて、この世の目的を
忘れてしまうだろうー私の心は生き生きとした
感興をおぼえず、私の志も盲いはてて。
一〇六
「秋によせる」のような詩を書いたにもかかわらず、このようなソネットを書かずにはおれなかったという事
実を知るとき、われわれは、天国と地獄が併存している人間の精神の栄光と惨めさを、あらためて想起せずには
おれないのです。が、しかし、その逆に、あの静穏な秋の頭歌を書くことができたがゆえに、このようなソネッ
トも書きえたのだということも、同様に真実ではないかと思われます。外界のあらゆる事象に投入し、同化しう
ることは、他方においては、時に応じて、赤裸々な自我になりきることでもあります。「秋によせる」において、
秋の自然を感知したのと同じ心のはたらきが、このソネットでは、恋人の肉体を感知し、また、それを渇望して
心を破る自我を見つめているのであります。
このソネットは、キーツの書かれなかった詩劇の台詞であっても不思議ではなく、そういう意味で、ここでも
劇への可能性を感じさせます。また、このソネットは、ワーズワスを驚かせるような詩にちがいありません。ワ
Iズワスがこのような詩をきらったことは、一八一五年出版の『詩集』(pへ3㍍Of-∞-豊の序文につけた補遺
(評董こ甘言さ亘3;:訂蜃旦ぎ)からもうかがえます。また、アーノルドが苦々しく思ったのも、キー∴ツの
このような一面でありました。しかし、それと同時に、われわれはこのソネットから、ワーズワスの「蛭とる老
人
」
の
一
節
1
WePOetSinOuHyOuthbegining一adness"
B已thereOfcOmeSintheendいdespOndencya已madness.
われら詩人の青春は喜びにはじまる。
が、しかし、やがてついには絶望と狂気がやってくる。
という言葉を思い起し、そういう危険がキーツにもあったことを知るのです。
キーヅは、「詩の天才はみずから苦しみ努力して、みずからの救済を成就しなければならない」と語っていま
⑧
すし、このソネットでも自己の危険を自戒しています。また、「シェイクスピアはアレゴリーの生涯を送った。
⑫
彼の作品は、その注釈である」とのべたことがあるように、シェイクスピアの人間的成熟にも深い関心をいだい
ていたキーツのことです。ワーズワスという先達がいなくても、キーツはあのような危険から自己を守りえたで
ありましよう。けれども、はじめにものべましたように、ワーズワスという生きた道標が目の前に存在したこと
によって、キーツの成熟が少なからず促進されたことは、否定できないのではないかと思います。
(本稿は昭和三十九年十一月一旦只大英文学会のシンポウジアム「詩と詩論」でおこなった口頭発表の草稿に加筆したも
キーツとワースワス
キート、刃ト一矢hK
Q㌣嶋崎0)
〔粗〕
OT.S.Eliot:771etheQfIbetryandthetheQfCuicis77t,p.101.
㊦JolmMiddletonMurry:Keats(1955),p.290.
㊦乃域p.277.
㊦RobertBridges:ACliticalhtrodktiontoKeats,PP.97-104;
ErnestdeSelincourt:77ieZbemsqfJbhn&ats,pp.XXXV-Ⅹl.
◎T.S・Eliot:77LetheQfmel7yandtheueQFChticism,p.100.
㊥WilliamHazlitt:LecluresontheEhgHshhetS,PP・70-71・
㊤W.P.Ker:OnAhdb771Literature,P.87.
㊥JohnJones:T協g毎0ぬ血α励左椚β,Ch.IV.
㊥MatthewArnold:JbhnKeats(ゐSLySinChticism,2ndseries,P.72).
㊥F.R.LeaviS:Revaluation,Pp.270T3.
㊥LettertoJ.A.Hessey,90ct.1818.
㊥LettertoGeorgeKeats,18Feb.1819.
10く