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14東レリサーチセンター The TRC News No.118(Mar.2014) 1.はじめに TOF-SIMSは表面感度が高く、微小領域で有機物の化 学構造解析が行える分析手法として、固体表面の微量有 機物の分析に使われている。TOF-SIMSに、分析用のイ オン銃に加え、試料のスパッタ用のイオン銃を装備する と、通常の測定とイオンエッチングを繰り返しながら深 さ方向の分析を行うことが可能となる。しかし、ポリマー など有機物の表面を、従来の単原子イオン(Ar など) によりイオンエッチングすると、エッチング面には化学 構造が破壊されたダメージ層が生成されるため、本来の 化学構造を正しく分析することができなかった。 一方、近年開発されたArによるガスクラスターイオ ンビーム(GCIBAr1500 など)を用いると、有機物の 化学構造に低ダメージなエッチングが可能となる。この GCIBTOF-SIMSを組み合わせることによって、ポリ マー材料の官能基や微量添加剤について高精度な深さ方 向の分布分析が可能となった 1︶ 昨年、弊社ではGCIBを搭載したTOF-SIMSを導入し、 有機ELなど有機薄膜を積層したデバイスの化学構造解析 のほか、工業用フィルムや塗膜の深さ方向分析に広く適 用してきた 2︶ 。本稿では、ポリマー材料への適用例とし て、食品包装フィルムの組成分析とフォトレジストの化 学構造変化に関する解析を行った結果について紹介する。 2.食品包装フィルムの添加剤の深さ方向分析 食品包装用フィルムは、機能性向上のために多層構造 で作製されていることが多い。このような多層フィルム の特性を理解するためには、各層の添加剤の分布や界面 の状態を評価することが重要である。図1GCIB-TOF- SIMSを用いて、市販の食品包装フィルムの深さ方向分 析を行った例を示す。図の横軸は表面からの深さ、縦軸 は負二次イオンの強度である。ポリマーに対するGCIB のエッチングレートは、従来の単原子イオンによるエッ チングレートよりも非常に大きいため、数十μmという 深さまで比較的容易に測定することができる。各層にお けるスペクトルの解析によって、ポリマーは表面から Nylon-6 (内面PVDCpolyvinylidene chloride)コート) PE (polyethylene)であり、添加剤として、Nylon-6にはアルキルスルホン酸(界面活性剤)やベンゾトリア ゾール系紫外線吸収剤、PE層にはリン系酸化防止剤が 含まれていることがわかる。デプスプロファイルによる と、PVDCPEの界面において、PVDCなどがPE側に 入り込み、ミキシング層が生じているように見える。 0 5 10 15 20 25 1E+5 1E+4 1E+3 1E+2 1E+1 1E+0 Depth / μm Intensity / counts Cl CH CNO C 28 H 40 PO 4 C 14 H 29 SO 3 C 6 H 4 N 3 Nylon-6 PE PVDC 30 35 図1 食品包装フィルムのGCIB-TOF-SIMS によるデプス プロファイル TOF-SIMSでは測定面内の平面分布をイオン像として 取得しているため、平面分布と深さ分布の情報から₃次 元で分布を捉えることができる。図₂によると、PVDC PE界面の凹凸が大きくなっていることがわかった。 この界面の凹凸が、デプスプロファイルで、ミキシング 層のように見えていた原因であると考えられる。 Nylon-6 PE PVDC 32μm 250μm 250μm 図2 GCIB-TOF-SIMSによる主成分(上段)と微量添加剤 (下段)の3次元マッピング 3.レジスト膜における成分・化学構造の深さ方向分布分析 半導体などの微細加工に用いられるフォトレジスト は、紫外線レーザ等の光をパターン形成されたマスクを [特集]TRCポスターセッション2013 Ⅶ-6:GCIB-TOF-SIMSによる ポリマー材料の深さ方向分析 表面解析研究部 萬  尚樹 表面解析研究部 松田 和大 ●[特集]TRCポスターセッション2013 Ⅶ-6:GCIB-TOF-SIMSによるポリマー材料の深さ方向分析

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14・東レリサーチセンター The TRC News No.118(Mar.2014)

1.はじめに

 TOF-SIMSは表面感度が高く、微小領域で有機物の化学構造解析が行える分析手法として、固体表面の微量有機物の分析に使われている。TOF-SIMSに、分析用のイオン銃に加え、試料のスパッタ用のイオン銃を装備すると、通常の測定とイオンエッチングを繰り返しながら深さ方向の分析を行うことが可能となる。しかし、ポリマーなど有機物の表面を、従来の単原子イオン(Ar+など)によりイオンエッチングすると、エッチング面には化学構造が破壊されたダメージ層が生成されるため、本来の化学構造を正しく分析することができなかった。 一方、近年開発されたArによるガスクラスターイオンビーム(GCIB:Ar1500+など)を用いると、有機物の化学構造に低ダメージなエッチングが可能となる。このGCIBとTOF-SIMSを組み合わせることによって、ポリマー材料の官能基や微量添加剤について高精度な深さ方向の分布分析が可能となった1︶。 昨年、弊社ではGCIBを搭載したTOF-SIMSを導入し、有機ELなど有機薄膜を積層したデバイスの化学構造解析のほか、工業用フィルムや塗膜の深さ方向分析に広く適用してきた2︶。本稿では、ポリマー材料への適用例として、食品包装フィルムの組成分析とフォトレジストの化学構造変化に関する解析を行った結果について紹介する。

2.食品包装フィルムの添加剤の深さ方向分析

 食品包装用フィルムは、機能性向上のために多層構造で作製されていることが多い。このような多層フィルムの特性を理解するためには、各層の添加剤の分布や界面の状態を評価することが重要である。図1にGCIB-TOF-SIMSを用いて、市販の食品包装フィルムの深さ方向分析を行った例を示す。図の横軸は表面からの深さ、縦軸は負二次イオンの強度である。ポリマーに対するGCIBのエッチングレートは、従来の単原子イオンによるエッチングレートよりも非常に大きいため、数十μmという深さまで比較的容易に測定することができる。各層におけるスペクトルの解析によって、ポリマーは表面からNylon-6(内面PVDC(polyvinylidene chloride)コート)/ PE (polyethylene)であり、添加剤として、Nylon-6層にはアルキルスルホン酸(界面活性剤)やベンゾトリア

ゾール系紫外線吸収剤、PE層にはリン系酸化防止剤が含まれていることがわかる。デプスプロファイルによると、PVDCとPEの界面において、PVDCなどがPE側に入り込み、ミキシング層が生じているように見える。

0 5 10 15 20 25

1E+5

1E+4

1E+3

1E+2

1E+1

1E+0

Depth / μm In

tens

ity /

coun

ts

Cl

CH

CNO

C28H40PO4C14H29SO3

C6H4N3

Nylon-6 PE PVDC

30 35

図1  食品包装フィルムのGCIB-TOF-SIMS によるデプスプロファイル

 TOF-SIMSでは測定面内の平面分布をイオン像として取得しているため、平面分布と深さ分布の情報から₃次元で分布を捉えることができる。図₂によると、PVDC/ PE界面の凹凸が大きくなっていることがわかった。この界面の凹凸が、デプスプロファイルで、ミキシング層のように見えていた原因であると考えられる。

Nylon-6

PE

PVDC

32μm

250μm 250μm

図2  GCIB-TOF-SIMS による主成分(上段)と微量添加剤(下段)の3次元マッピング

3.レジスト膜における成分・化学構造の深さ方向分布分析

 半導体などの微細加工に用いられるフォトレジストは、紫外線レーザ等の光をパターン形成されたマスクを

[特集]TRCポスターセッション2013

Ⅶ-6:GCIB-TOF-SIMSによるポリマー材料の深さ方向分析

表面解析研究部 萬  尚樹表面解析研究部 松田 和大

●[特集]TRCポスターセッション2013 Ⅶ-6:GCIB-TOF-SIMSによるポリマー材料の深さ方向分析

東レリサーチセンター The TRC News No.118(Mar.2014)・15

通して照射されることで、照射された部分の化学構造が変化するポリマーである。露光部と未露光部では現像液への溶解性が異なるため、その差を利用してフォトレジスト自体がパターニング(現像)される。 化学増幅型レジストに光が照射された場合、図₃に示すように、まず、レジスト膜中に数%含まれる光酸発生剤(PAG:Photo Acid Generator)が分解し、それによって発生した酸がポリマーの官能基(保護基)を脱離させることでアルカリ現像液に可溶となる(ポジ型)。なお、酸の一部はクエンチャーにより消滅する。レジスト膜中での化学構造変化の詳細を調べるために、GCIB-TOF-SIMSによる化学構造変化の深さ方向分析を行った。

S+ O3S-C4F9 HO3S-C4F9 S

h

O3S-C4F9 HO3S-C4F9 N

R1 R3

R2

+ NH+ R1

R3

R2

x O O y

O O H+

H

x O O y

O O

図3 化学増幅型レジストの反応スキーム

 図₄は、Si基板上にスピンコートしたレジスト膜について、露光前と露光/ PEB(Post Exposure Bake:加熱)後の各成分の深さ方向分布である3︶。露光前では深さ方向で各成分は概ね均一であるが、露光/ PEB後では光の入射波とSi基板からの反射波の重なりによって生じる定在波に対応する波形の強度分布が見られる。光の強度の強い20 nmおよび80 nm付近では、PAGカチオンの分解が進行しており、発生した酸とクエンチャーの反応物であるクエンチャー誘導体が顕著に増加している。また、同じ深さでポリマーの保護基が脱離(脱保護)していることもわかる。

a b PEBDepth / nm Depth / nm

PAG PAG

Si Si

Si Si

図4  レジスト膜のGCIB-TOF-SIMS デプスプロファイル(a)未露光,(b)露光/ PEB 後

4.おわりに

 TOF-SIMSは最も表面感度が高く、最も微小領域で有機物の化学構造解析が行える分析手法の一つであるが、GCIBの出現によって、有機物分析の幅がさらに広がった。長年のTOF-SIMS分析における知識と経験を生かし、この革新的な機能を最大限に活用していきたいと考えている。

5.参考文献

1) J. Matsuo, S. Ninomiya, Y. Nakata, Y. Honda, K. Ichiki, T. Seki, T. Aoki, Appl. Surf. Sci. 255, 1235 (2008)

2)松田和大, The TRC News, 116, 17(2013)3) S. Nakamura, K. Mochida, T. Kimura, K. Nakanishi, N.

Kawasaki, N. Man, Proc. of SPIE, 8682, 86821H(2013)

■萬 尚樹(まん なおき) 表面解析研究部 表面解析第₁研究室 室長 趣味:木工、釣り

■松田 和大(まつだ かずひろ) 表面解析研究部 表面解析第₁研究室 研究員 趣味:写真撮影

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