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九州大学学術情報リポジトリ Kyushu University Institutional Repository La folie de Gérard de Nerval et "Aurélia" 田中, 陽子 https://doi.org/10.15017/2332710 出版情報:文學研究. 74, pp.79-104, 1977-03-30. Faculty of Literature, Kyushu University バージョン: 権利関係:

La folie de Gérard de Nerval et Aurélia

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Page 1: La folie de Gérard de Nerval et Aurélia

九州大学学術情報リポジトリKyushu University Institutional Repository

La folie de Gérard de Nerval et "Aurélia"

田中, 陽子

https://doi.org/10.15017/2332710

出版情報:文學研究. 74, pp.79-104, 1977-03-30. Faculty of Literature, Kyushu Universityバージョン:権利関係:

Page 2: La folie de Gérard de Nerval et Aurélia

Nerval の狂気と ~~Aurelia"

田 中 陽 子

I . "Nerval"の自己の狂気に対する考え

JI • "Aurelia"制作の意図

][ . "Aurelia" —ー一人称形式の 'je' を中心として

19世紀の recitsromantiquesの中でも,極めて特異な作品である"Au-

叫 ia"は, Nervalの最後の作品であり, "Sylvie"と並んで,彼の散文体

作品の中で最も傑出したものである.

この作品は,今世紀に入るや A.Marieや, P.Audiat等の精緻な研

究もあって,所謂,狂人の手記的印象を脱して,立派な文学作品と評価を

されているが,その内容に関しては,例えば,<フランス文学中,最もロ

マン主義的作品(1)>とか.<その主役が espritである "Igitur"あるい

は "LaSoiree avec M. Teste"と同じ資格で "Aurelia" は ameの小

説である.(2)>とか<Aureliaの主題は言語である.(3)>等々 と, 見解

は多岐に渡っている.

作品形式については, <journalde l'experience le plus intimeC4)>,

<conte fantastiqueC5)>, <本来の意味での EssaiCB)> と様々 で, 所

謂 romanの genre に分類してしまうことに,どの研究者もためらいと

抵抗をあらわしている.L. Cellierのように,散文詩というべきか,工セ

ーというべきか自伝,小説と戸惑い乍ら,結局 <livreinclassable> と

している研究者も少なくない. L. Cellierの場合,更にこの作品含 <un

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Page 3: La folie de Gérard de Nerval et Aurélia

expo泌 methodologique,une biographie stylisee et l'enoce d'une

morale provisoire>を結合することによって成立している Descartesの

"Discours"と比較してみたとき<unexpose sur le reve>で始っている

Aureliaがよく理解できると述べている (7)が興味ある指摘だと思われる.

さて, 1830年代頃から, <instrumentprivilegie d'experience du

moi>として, Vigny, Hugo, Musset, Lamartine等,ロマン派詩人達

によって書かれた recitsが,必ずしも genreとしての romanとして,

片付けられるような性質のものではないことは,よく指摘されるところで

ある (8)が, "Aurelia"は同時代のこれらの recitsromantiquesに比べ

てみても,造かに,所謂19世紀の genreromanesqueの概念を凌駕しい

てるように思われる.

このことは, "Aurelia"が散文体作品の通常餞念と可能性をこえて,複

雑な構成と意味作用を有した作品であることを示唆しているといえよう.

この"Aurelia"は, Nervalの晩年の15年余りを度々襲った<unelongue

maladie qui s'est passee tout entiere dans les mysteres demon (Nerval

<筆者註)>)espri tC 9)>経験に直接言及し密接にかかわっている作品であ

る.

Nervalは,それ迄に "LesIllumines"ゃ, "LePrince des sots"の中

で,所謂,狂った人を描いている.それらの中に Nervalの自己投影,感

情移入が見られぬ訳ではないが,それらの作品の主調を成しているのは,

飽く迄も,外からの観察的描写といったようなもので, A. Beguinの言

葉でもって言えば, <l'oeuvredevient, parce que Nerval le veut, le

lieu meme Ou se decide son destin(lO)>となっている "Aurelia"とは

異質な作品である.

本稿の目的は, Nervalが,自己の所謂 'folie'をどの様なものと見倣し

ていたかを調べ,それを意味づけ乍ら, それが "Aurelia"という作品の

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Nervalの狂気と "Aurelia"(田中)

elaborationにどの様な意味を持ちどの様に関って,文字空間を構築して

いるかを考察することによって, "Aurela"分析の為のささやかな一試論

を呈示することにある.

その為に先ず第 1章で, Nervalが自己の狂気体験に対して, どの様な

見解をとっていたかを書簡等を通して追っていく. 次に第 2章で Nerval

の 作品 "Aurelia"に対する見解を追い, 3章で "Aurelia"の内部を貫

<'je'の二重構造を把握する。

I , "Nerval"の自己の狂気に対する考え

Marie de Vivierが指摘しているように(1), Nervalの生存中に 'folie'

の診断を下した医者を我々は知らない.我々が知っているのは, Nerval

の死後, パリの大司教に,クリスチャンとしての埋葬を頼む為に Emille

Blanche医師が Nervalは <crisede la folie>の最中に自殺したので

あると書き送っていることだけである.

それ故, Ner-valが否定的にしろ肯定的にしろ,書簡等で言及し,友人

達が語っている Nervalの現象, Nervalが "Aurelia"冒頭で<unelongue

maladie qui s'est passee tout entiere dans les mysteres demon a.me>

と表現している現象を飽く迄も便宜上, Nervalの<crisede la folie>,

又は<folie>と本稿では呼ぶことにする.

1841年 2月末, Nervalは crisede la folieを起こし病院に収容され

て以来,死の数ヶ月前迄,約15年間,精神病院を入退院する生活を続ける

ことになる.

Pleiade版の<INTERNEMENT,SEJOURS ENCLINIQVE, HO-

SPITALISATIONS, MALADIES DEG. DE NERVAL>の項をみ

てみれば,この<crisede la folie>が Nervalの晩年のかなりを占めて

いたことがわかる.

ところで,自己の folie体験に対する Nervalの態度は,二重の構造を

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なしている.folieを自己を苦しめ,人格の崩壊をもたらすかもしれない

病的現象として捉える Nervalが存在する一方,飽く迄,詩精神の過剰な

発顕として,積極的価値を持つものとして捉える Nervalが存在する.こ

の二重性は,自己について多くを吐露した書簡, folie体験と相即不離な

"Aurelia"の作品中に,直接組み込まれた形で,あるいは metarecit(12)

の形で,あらわれている.

当然のこと乍ら,書簡は,上記のことについて 2つのタイプに分かれて

いる.もと軍医の父宛,彼の晩年の主治医の ErnilleBlanche博士宛の書

簡では,自己に起こる現象を病として見据えている.他方,文学仲閻宛,

文学上の仕事に関係する人々,とりわけ女性宛の手紙では病気説を徹底的

に否定し尽し,ポジティブな内実をもっ,詩精神の横溢のあらわれである

と主張している.

第一回目の発作体験の直後からこの二重性はあらわれている.Mrne de

Saint-Marcel病院から出した父宛の書簡には,

<Le ministre ignore rnerne que j'ai ete gravernent malade ... •Ma

rnaladie a dure treize jours pleins. Le reste est rna excellente

consalescence. (13)>と書いている力ゞ , <rnalade>,<rnaladie>, <consa-

lescence>という言葉がしめすように現象を病気と見{故していることが

わかる.

他方,モンマルトルの EspritBlanche博士の病院より,女性, Mrne

Emile de Girardin, Mme Alexandre Dumasに宛てた手紙の中では,病

気説の否定をいささかの謙抑もなくおこなっている.

Mme Emile Girardinには, <Jeveux dire l'exaltation d'un esprit

beaucoups trop romanesqueC14)>とか,<… j'aimalheur de m'etre cru

toujours dans rnon bon sens,j'ai peur d'etre dans rna maison de

sage et que les fous soient en dehors(15)>とのべている.あまりにも,

過剰なロマてネク粕神の高揚として弁護するにとどまらず,自分が入っ

いる病院の中に賢者がいて,気違いは外にいるのではないかと, 'bon

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Nervalの狂気と "Aurelia"(田中)

Gerard'と彼を直接知る誰もが呼ぶ限りなく他人に対し湿順な Nervalが

言う時,それは,エゴチストの偏執的自己正当化のあらわれとみるより,

Nerval の心の中にある彼がどうしても,疑う余地ない真実なることの一

っと思うことの表白だと見ることが妥当ではなかろうか.又,同じ手紙の

中に, Nervalは,彼と同時期に入院していた,ダンテの「神曲」の翻訳者

として高名だった AntonyDeschampsと自分は, 自らを詩人だと信じて

いるのだと述べている箇所があり,明らかに自己の folieを詩精神とのか

かわりあいのうちに捉えようとしていることがわかる.

Mme Alexandre Dumasに同年11月に宛てた書簡には, <Al'aide des

definitions incluese dans ces deux articles, le science a le droit

d'escamoter ou reduire au silence tous les prophetes et voyants

predits par l'Apocalypse, dont je me flattais d'etre un!C16)>と,間接

的にではあるが crisede la folie体験をした自分を黙示録の予言者,見

者達に比肩させようとしている.

父宛,友人宛の書簡が最も対象をなしているのであるが,仕事関係の人

にもいくらかのニュアンスをもたせて,暗々裡に folie説を通常の意味あ

いにおいて否定している書簡を書いている.

1841年4月29日,文部省の演劇局の directeurの LouisPerrotには,

<il y aurait des gens encore qui prendraient mon erudition

romanesque pour la folie (17)>と書き,<ロマネクな私の碩学>という

ことばで folie説を払拭しょうとしている.勿論この場合,人が病気とみ

る限りでの folieを否定しているのだ.

この様な,自己の crisede la folieに対する二重の考えは, Nervalに

は,矛盾なく同居していた.病が一旦回復した後,一年余り,旅した東方

からの書簡にも,そのまま,この二重性が反映しており,それは又,逆に

Nervalの東方への旅行の目的の二重性も知らせるものである. Nerval

の東方旅行に関する経緯は今のところまだわかっていない.国の文化派遣

員の形で行った様であるが Nerval側がそれを要請したのか,国側が提案

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したのか,事実は殆どわかっていないようである (18).

リヨンから始ってマルセイユ,マルタ島,アレクサンドリア,カイロ,

コンスタンチノープルの旅程中, Nervalが Parisの父や友人に書き送っ

た書簡には,一個人として Nervalがこの旅に託した内密な願いが様々な

ヴァリエーションの下に読みとれる.必然的にそこには Nervalの自己の

狂気に対する感じ方が反映している.

1842年12月25日リヨンから先ず,旅中,最も数多く便りした父宛にく

L'hiver dernier a ete pour moi deplorable, l'abattement m'otait les

forces, l'ennui du peu que je faisais me gagnait de plus en plus

et le sentiment de ne pouvoir exciter que la pitie a la suite de ma

terrible maladie m'otait meme le plaisir de la societe. I1 fallait

sortir de la pour une grande entreprise qui effacat le souvenir

de tout cela et me donnat aux yeux des gens une physionomie

nouvelle, (19)>と,病の治癒, 並びに将来に備えこの活力を得る為,又,

人々に彼の病を忘れさせる為に旅に出たことを語っている.このような内

容の手紙は,その後にも父に書き送っている.

このことは Jean-PierreRichard が次のように指摘していることを裏

付けるものである.<Nerval voyage pour essayer de se guerir. A

peine sorti de la maison de sante, i1姐ched'oublier ses phantasme,

et pour cela il tente de se fabriquer un nouvelle etre. 11 essaie de

sentir comme tout le monde, de fa<;on ordinaire, inoffensive. 11 veut

se persuader tous ses amis que sa folie a ete un accident, un episode

desormais depasse. 11 s'efforce eperdument d'etre ce qu'il n'est

pas.(20)>

しかしそれのみだったとしたら,一年近くに渡る旅が友人に宛てた書簡

に見られるような幻滅を Nervalに味あわせることはなかったろう.同

じ旅先から<sanstoi, je suis comme cretin>と迄 Nervalがいう,永

年の親友 T.Gautier宛に書き送る手紙のトーンは打って変わったものが

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Page 8: La folie de Gérard de Nerval et Aurélia

Nervalの狂気と "Aurelia"(田中)

ある.くl'Orientqui m'a echappe,C21)> <…l'Orient n'est pas la terre

des prodiges, et les peris n'y apparaissent guerre, depuis que le

Nord a perdu ses fees et ses sylphides brumeuses.c22)>と,期待して

いた驚異に満ちているはずの,オリエントが最早存在しないことを嘆くよ

うなトーンである.更に<Cen'est pas la fortune que je poursuis,

がest l'ideal, la couleur, la poesie, l'amour peut-etre .. ,(23)>とのベ

ている如く,この旅が彼にとって<ideal>,<couleur>, <poesie>,

<amour>を現実の中に追求する旅であったことを伝えている.

第一回の狂気の発作では, tt初稿 Aurelia"によると (24),錯乱的状態の

うちに,自己の 'patrie'である Orientに行こうとしたのであるからこの

旅が,第一回の狂気の発作の継続的行為だと見倣すのは,穿った見方であ

ろうか?いや,そのことを裏付ける様に JulesJaninに宛てたあまりにも

有名な手紙の中で彼は次のように書いている.

<En somme, l'Orientがapprochepas de ce reve eveille que j'en

avais fai t il y a deux ans, …(25)>.

二年前の<reveeveille>とは, 1841年 2月の crisede la folieのこと

と考えられる.その <reveeveille>に叶う Orientを捜しに行ったとい

うことは,その出来ごとに一つの詩的価値をあたえていたと考えられる.

このような二重の見解は,晩年までみられる.父や叔母宛の手紙にはく

maladie> <cette bizarre exaltation nerveuse> <rechute>というよ

うな言葉が散見される.これに対して1853年11月14日 AlexandreDumas

宛に出した手紙の中の<(Lacarte du Diable)>の中で,<.. •Vous m'avez demande trois articles sur trois jours de ma vie que vous avez quali-

fies vous-meme par ce titre TROIS JOURS DE FOLLE et que j'appe-

llerai, moi, trois jours de raisonC26)>とのべている.ここでの 3日間と

いうのは Richer,A. Beguinの註によると 1853年 8月 24日から 26日の

Nervalの crisede la folie らしい.それを Dumasが, <troisjours

de folie>と呼んだのに対して Nervalが<troisjours de raison>と言

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Page 9: La folie de Gérard de Nerval et Aurélia

い換えている点が興味深い.だがここで Nervalが用いている<raison>

という言葉でもって, Nervalが理性万能主義であったと考えるべきでは

なかろう.Dumasに対する抗謡の万便として <raison>という言葉を用

いたのであって, 19世紀全般に渡って浸透していた狂気が理性よりも優等

であるとする古典主義哲学)厭理に対立する考えを Nervalも持っていたの

であり,ここではその意味あいに於て自己の folieを弁護していると考え

るのが妥当と思われる.

この二菫性は "Aurelia"の制作行為そのもの,又作品そのものをも貰

いている.

Nervalは2章で関説することく, "Aurelia"を単なる手記として雷い

fこのではなく,文学作品として,書いたのであるが,一方で,害くことに

よる治癒効果も期待するところがあったようである.

1853年12月2日 EmilleBlanche博士宛に

<Mes pensees ont toujours ete pures. Laissez-moi done la liberte

de les exp rimer. ・・・・・・ Choisissezun de mes amis, qui se charge de

surveiller mes affaies litteraires, si je ne le puis moi-meme, car la

est le seul espoir de ma guerison et le seul moyen de reconnattre

vos soins. (27)>と書き送っている.P. Audiatが指摘している様にこれは

"Aurelia"執筆のことであり,上記の事を裏付けうると考えられる.

同日の日付の父宛にしま

<J'entreprends d'ecrire et de constater toutes les impressions

que m'a laissees ma maladie. Ce ne sera pas une etude inutile pour

!'observation et la sciencec2sJ>と書き "Aurelia"の冒頭に出てくろ表

現とほげ同じ表現が使われていることからもわかる様に"Aurelia"執筆に

関することであるが,それが<observation>ゃ <science>に有効である

と述べている.この場合,父宛に書いていることを考慮に入れた場合,ゃ

はり,冶捻的効果への言及と考えうると思う.このことを吏に,父宛の別

'avure arnsi a debarrasser ma tete de toutes の書飼では,具{本的にくJ .

ces visions qui l'ont si longtemps peuple,(29)>と,脱妄作用的効果に

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Page 10: La folie de Gérard de Nerval et Aurélia

Nervalの狂気と "Aurelia"(田中)

触れている. 2章で関説することも含めて,今簡単にみてきたことから

"Aurelia"制作行為を貫く二重性は説明でぎた.

作品 "Aurelia" の巾でも,病気とみる見解とそれを否定する見解が散

見される.冒頭はまず,病気説に対する否定宣言である.

< et je ne sais pourquoi je me sers de ce terme maladie, car

jamais, quand a ce qui est de moi-meme, je ne me suis senti mieux

porant. Parfois, je croyais ma force et mon activite doublees; il me

semblait tout savoir, tout comprendre; !'imagination m'apportait des

delices infinies. C3o)>

他方

<La, mon mal reprit avec diverse alternative.(31)> という風に

narrateur=auteur自身のことばの中に,自己の状態把握の二重構造があ

らわれている,

ところで,先に指摘した "Aurelia"の作品の内部を貫く二重性に関し

ては筆者は現在の時点では 3章の "Aurelia"分析の形で関説することし

かできないのでこの点に関しては 3章にゆずることにする.

JI , "Aurelia"制作の意図

Nervalが自己の folieに二重の見解を持ち,しかも "Aurelia"制作行

為そのものをもこの二重性が貫いていることを見てきた.

ところで Nervalが, "Aurelia"を,自己の folieの弁護と病として

の folieの治癒の目的の為にのみ執筆したとしたら, "Aurelia"は, ぁ

る精神病者の手記以上のものにはならなかっただろう.

我々は,この作品の内部に入る前に,この作品の外側に立って,創作主

体ー Nervalの,作品 "Aurelia"創作の意識性と, この作品に対する見

解を瞥見してみよう.

先にあげた EmilleBlanche医師宛の手紙の中にく私の文学の仕事を…

>と書いている如く,作品 "Aurelia"の執筆当初から,文学作品の制作

を目指していたことがわかる.

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Page 11: La folie de Gérard de Nerval et Aurélia

"Aurelia"の執筆に関しては, 1926年出版された P.Audiatの研究

「"Aurelia" de Gerard de Nerval」以来1853年12月から 1854年 6月

にかけてなされたものとみる見解が定説になっていた. ところが 1962年

"Nouvelles Litteraire"紙に, "Premiere Aurelia"の一部を成すと見

倣される manuscritsが発表され, JeanRicherが翌年出版した「Nerval,

Experience et Creation」 の中でこの manuscrits が1841年から42年

に書かれたと決論し, Nervalは,この初稿から,決定稿迄,優に10余年

"Aurelia"の執筆を続行したはずで,未だに発見されてこそいないが,

第二,第三穏が存在するはずであるとし,更に Nervalには, <unevaste

autobiographie romancee>を書く意図があったぱずで "Sylvie""Aure-

lia"は1850年から53年迄は一つのレシの体裁を採っていたという見解(32)

を出して以来, "Aurelia"執筆年代に関しては,この JeanRicherの見

解を中心に諸説が提示されているが今だ決定的な資料も発見されておら

ず,確定はしていない.

筆者は,本稿ではこの点について,詳述しないが,所謂決定稿 "Aurelia"

の執筆に関しては,大体に於て P.Audiatの見舟皐を採っている. 1853年

12月から1854年 6月, PassyのEmilleBlanche医師の病院入院中とその

後のドイツ旅行中,更に,脈行後1854年一杯 Passyでという風に.

ところで1854年, 6月27日, Neuenmarktから GeorgeBelleへ宛てた

は"Aurelia"を一通り完成させた自信の様なものが紙面に派っている.

<et j'ai pris de la force dans la reflexion et la solitude. J'ai

beaucoup travaille, et j'ai meme de la copie que je ne veux pas

envoyer legもrement;le principal, c'est que je suis fort content et

plein de ressources pour l'avenir. Du resultat de ce mois seul, il y

a de quoi travailler un an. Je me suis decouvert des dispositions

nouvelles. Et vous savez que !'inquietude sur mes facultes creatrices

etait mon plus grand sujet d'abattement. A present je ne serais

pas fache de savoir comment vont les choses a ParisC33)>

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とくにくjene serais pas fache de savoir-…・・>以下は, "A ureha"

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Page 12: La folie de Gérard de Nerval et Aurélia

Nervalの狂気と "Aurelia"(田中)

が "LeVoyage en Orient"も"LesIllumines"も"LesFilles du Feu"

も彼に与えうることの出来なかった自信と力を Nervalにとり戻させたこ

とがわかる.つまり, Nervalがこの作品を心に叶う会心の作,優れた作

品と見倣していたことがわかる,

"Aurelia"に先立って, 度重なる crisede la folieの合閻を縫うよう

にして書き綴られたと言われる今 1つの逸品, "Syvlie"については,たと

えば "Aurelia"の中に, <Jecomposai une de mes meilleures nouve-

llesC34)>というエ合に触れている.

又, GeorgeSandの息子, MauriceSandに "Sylvie"単行本の為の

表紙の絵を依頼して宛てた手紙が1971年 5月に発表されたが, その中で

"Sylvie"について

<Le sujet est un amour de jeunesse: ....... C'est une sorte d'idylle,

dont votre illustre mere est un peu cause par ses bergeries du

Berry. ]'ai voulu illustrer aussi mon Valois.(35)>と語り,一人称形式で

書かれ,彼自身の意識の流れとかなり相叩不離な作品であり乍らくidylle

>とか,<私は私のヴァロアを有名にしたかった>と距離をおいて説明し

ている.

一方 "Aurelia" について語るトーンは全く違う. <J'ai ecrit des

oeuvres du demon, non pas comedie, comme l'entendait Valtaire,

mais je ne sais quel roman-vision a la Jean-PaulC36)> と旅先の

Nurembergから 6月23日には,有名な音楽家で Nervalの晩年の友人で

あった FranzLisztに書き送っている. Jean Guillaumeの指摘(37) を

ゞ roman-V1s10n a la Jean-Paul> という待つまでもなく ここてく

のは "Aurelia"のことである.このほかにも,<フランス人よりドイツ

人にわかりやすい作品(38)><極めて驚くべ善もの(39)>と可成りセンセー

ショナルな表現を用いている.

この作品の冒頭では

<Je vais essayer, …, de transcrire les impressions d'une longue

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Page 13: La folie de Gérard de Nerval et Aurélia

maladie qui s'est passee tout entiere dans les mystere de mon

esprit. (40)> とあって, 'transcrire'という語が示すように, 彼自身の内

面のドラマそのものの‘転写’だ,つまり, 意識そのものであることを強

調している.

ところで1854年の "LesFilles du Feu"の序文の AlexandreDumas

への献辞に於て "Aurelia"を次のように予告している.

<Ce serait le Songe de Scipion, la Vision du Tasse ou la Divine

Comedie du Dante, si j'etais parvenu a concentrer mes souvenirs en

un chef d'oeuvre. (41)>

この序文の調子に従って,この部分も,表而的には,謙って条件法を採

用しているが, Nervalの意図ぱ十分に表現されている.つまり, "Aurも

lia"が,客観的にみてダンテの「神曲」等の作品に必敵するか否かという

ことは別として, Nervalが "Aurelia"制作で目指したのは人類の二千

年近くに渡る歴史の中で数える程しかあらわれていない<人類の霊塊に関

する poetiqueな作品>であることが強胴されている.

][, "Aurelia"ー一人称形式の'je'を中心として

Nervalが自己のもっとも深刻な体験を根幹として制作した "Aurelia"

の中で,彼0 folie体険力ゞいかなる意味作弔,機能をもってこの作品の構

成に与っているかをみる為,先ず, folieについての Nervalの poetique

な見解を追い,それを意味づけ乍ら "Aurelia"の分析に入ることにする.

序文でものべた如<, Nervalは, 1841年 2月末に crisede la folieを

起こし Mmede Saint-Marcelの病院で手当を受けたが,その後再発して

モンマルトルの EspritBlanche医暉の病院に入浣した.そこから1841年

11月 9日友人の妻 MmeAlexandre Dumasへ殉てた手紙が残っている

が,この手紙の中で Nervalは,医者や警察,果ては,親しい文学仲間迄

が彼応対して無理解であったと喋じつつ,自分の発作は病気ではなかった

と述べている.この手紙の中に

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Page 14: La folie de Gérard de Nerval et Aurélia

Nervalの狂気と "Aurelia"(田中)

<・・・ily a ici des medecins et des commissaires qui veillent a ce qu'on n'etende pas le champ de la poesie aux depends de la vie

publique. (42)>という極めて意味深長な文章がある.

この MmeAlexandre Dumasの手紙の中に Nervalが吐露した自己の

発作に対する考え方をみると, Nervalがそれを感党の極度の高揚状態で

ある特権的瞬間として捉えていることがわかる.

Nervalはここでくpoesie>という我々にとって極めて示峻的な言葉を

用いているが,そのpoesieの領域は医学の尺度で測られるものではなく,

又通常の生活規範を逸説する性質のものであることを仄めかしている.

1852年には "LesIllumines"を出しているがこの本の中では, 過去の

歴史から,通常の歴史の表舞台にこそ,その姿を現わしていないが,人間

の精神史には測り知れぬ影薯を及ぼしたと考えられる幾人かの哲学の分野

の奇人達や Nervalと同様に狂気という宿命を背負った人々を拾い出し,

愛情と並々ならぬ共感をもってこれらの人々の portraitsを描きだしてい

るがこの序文で

< .. •n'y a-t-il pas quelque chose de raisonnable a tirer meme

des folies!C43)>とさえ書いている.

1854年には "LesFilles du Feu"を出版している.この序文で, Ner-

valは,機関紙 LeMousquetaire の1853年12月10日号に, Alexandre

Dumasが,後に Nerval の "LesChimeres" の冒頭の詩となる "EL

Desdichado"を紹介した文章の中で Nerval の crisede la folieを愛

情をこめ乍らも軽く椰楡したことに触れて次の様にイロニックな謝意をの

べている.

<Il y a quelques jours, on m'a cru fou, et vous avez consacre

qulques-unes de vos lignes des plus charmantes a l'epitaphe de

mon esprit>と述べ,これに続けて,

<II est, vous savez, certains conteurs qui ne peuvent inventer

sans s'identifier aux personnages de leur imagination.CM)>と imagi-

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Page 15: La folie de Gérard de Nerval et Aurélia

nationと folieの関係をのべ次に

< .. ,l'on arrive pour ainsi dire a sincarner dans le heros de son

imagination si bien que sa vie devient la v6tre et• • • on brule des

flammes factices de ses ambitions et de ses amours! C'est pourtant

ce qm arnve.(45)>とのべている.

ここで Nervalが,経験したと説明しているのは精神の極度な高揚の中

で起る創作する玉体と,その時創造される人閻(象との渾然とした一体化と

いう現象である.

"Aurelia"の中でも,人が精神の錯品と呼んでいるものは,自分にとっ

て,一連の論理的な出来事にすぎなかったとか,彼にとって,それが無隈

の歓溢をもたらしたものであること,それ力名所謂 raison と対立するも

のであることをのべている.

以上なぞって苔た Nevalの言葉は, 自己の folieを poesieと創造的

想像力の線上に位趾したものと考えていたことを表付けている.

ところで, poesieの概怠について,フランスロマン主義の先詔けをな

した Mmede Staelは,

<L a poesie est la possess10n momentanee de tout ce que notre

a.me souhaite(4Bl>と定義している.このことは, 原初性の辿体険,無限

への憧憬,陪唱への郷愁といったロマン主義梢神の熱望する精神状態と関

係力ゞ 深い.

ドイツ,ロマン主義及びその影薯を受けたフランスロマン王義の人々が

‘絶対主観'を軸としてこれら一連のものを春還しょうとしたことはよく

指摘されるところである.

H. B. Riffaterre は,「Orphismedans la poesie romantique:

theme et styl e surnaturahste」の中で, これらの一連の欲動が, フラ

ンス,ロマン王義の人々にどの様にあらわれているかを険討し彼ら力ゞいか

に,この欲勁に駆られていたかを証朋しようとしている.

彼女はくLe surnaturahsme est reste entierement au niveau de

1 expression htteraire>として,フランス,ロマン主義を総括してい

92

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Page 16: La folie de Gérard de Nerval et Aurélia

Nervalの狂気と "Aurelia"(田中)

る(47). だが,狂気という運命を負った Nervalの場合, それが, expres-

sion litteraireにとどまらず,彼の存在のドラマそのものとなっているこ

とに注目しなければならないと思う.

ところで GeorgesPouletは,その著「Etudessur le temps humain

I」の中で,先にあげたMmede Staelのポエジーの定義に賛同している

が,しかし,魂が欲する全てのものの瞬間的所有は,所有の喪失に終るの

だと洞察している.更に,ロマン派が追求してやまぬのは,まさに,この

poesieの瞬閻であるが,その瞬間は,現実的には決して存在しえないの

であり,結局は瞬間の手前,あるいは彼方,又は把握できない持続にしか

存在しえないと述べている.つまり,この把握で苔ない瞬間の中に自己の

生を所有しょうとすること,即ち,ポエジーの瞬間の中に生を得ること

が,ロマン主義の主張であり,願望であると Pouletは述べている (48).

ところでこれからみる如< "Aurelia"は,<自分がすべてを知り尽

し,すべてを理解しそして想像力が無限の飲喜をもたらす瞬間>を,換言

すれば,この poesieの瞬閻を志向している作品である. その瞬間は様々

なイマージュによってあらわされている.例えば,外界の Espritが突如

通常の人間に宿り,働きかけるとその人間は,身に纏っていた地上の着物

を脱ぎすて,魂が磁気ですいよせられるように肉体から離れる瞬間,とい

う風に.

しかし乍ら, G.Pouletが指摘する様に poeieの瞬間の所有は,結局,

その所有の喪失に終るのであり,破壊と不在からなる否定の時, <temps

negatif>が再度現われる.

この<letemps negatif>のイマージュも "Aurelia"にあらわれてい

る(49).

このように,瞬間としてしか存在しえなく,所有が所有の喪失に終ると

される poesieの瞬間を,喪失に終らしめず確実に捉えようとする狂気

の詩人の努力の過程とその瞬間への到達に我々を立ち会わせるのが"Aure-

lia"であると考えられよう.

93

Page 17: La folie de Gérard de Nerval et Aurélia

ところで, Nervalがこの最晩年の作品である "Aurelia"を専ら執筆

した年の数年前頃,つまり 1850年頃から, Nervalの作品には従来の作品

とは異った作風を持つものが徐々に出てくるようになる.生まれ故郷の

Valois及びその周辺の悪い出の地が記憶の換起の引き金となり, Nerval

の作品の中で,自己の意議の回想を辿る傾向が裟く現われてくる. P.

Audiatのいう Nervalの一連の oevvresconfidentielles(5oJがそれであ

る.しかし,自己の怠識の回想とはいえ, これらの作品は,所謂,自似伝

的作品とは,およそ呉質のものである.特にこれらの作品の巾でも"Aure-

lia" Iま, 素材も構成も極めて祈奇なもので, 可視的世界と不可視の世界

を街1皇する魂の軌跡が“転写,, されている,

"Aurelia"の朋芽となった作品は "Sylvie"である, Nerval自身1854

年 6月23日付の手紙で FranzLiszt宛に

<Cela se rattache a une nouvelle que j'ai publiee l'annee derniere

dans la Reuve des 2 Mondes (intitulee Sylvie) >C51)と書き"Aurelia"に

直接することをのべている.この作品も, "Aurelia"と同様一人称形式を

採る作品である.この作品は,魂が全き充足をうる時,場所及び,その充足

をもたらすことので苔る女性を希求する<idealiste>で <absolutiste>

で<passeiste>な herosが経険した,現実世界との相克の過程を描いた

作品である.内的 realiteと外的 realie とを一致させようと求めてやま

ぬ主人公の精神性故の悲劇でもある.つまり,最終的に herosは,図実世

界には,彼の求める時も場所も,又,それ等を彼に与えてくれる女性も存

在していないことを知り,絶望的状況におかれるのである.

Leon Cellierは "Sylvie"の最後で herosが経験する moraliteは,

即 "Aurela"を導くと解釈しており,筆者もこの見解を採っている.

従って "Aurelia"には,新しい没開力ゞ行われることになる. Georges

P叫 etは「Metamorphosedu Cercle」の巾でくL'histoirespirituelle

de Nerval est l'histoire d'un etre qui a voulu se passer du monde pour

faire exister son monde(52l>と述べているが,このことは "Aurelia",

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Page 18: La folie de Gérard de Nerval et Aurélia

Nervalの狂気と "Aurelia"(田中)

"Les Chimeres"に関しては正鵠を射た指摘だと考える.

ここに "Sylvie"と "Aurelia"の決定的ともいうべき相違があるので

ある.

"Aurelia"の序曲の部分の,<自我が通常の姿とは異なる姿で存在の営

みを続ける瞬間><l'instantou le moi, sous une autre forme, continue

l'oeuvre de l'existence.(53)>という表現は, "Aurelia"の作品の性質を

最も象徴的にあらわしている.

本質的に現実の中を初種する herosが現実の tempsの内部を志向した

"Sylvie" では, recit の前半に頻出した <pas•••encore> に呼応する

様に <ne·••plus> という形等で時への allusion を繰返し乍ら終るので

あるが "Aurela"では,時の性質が全く変質しており,より複雑ですらあ

る.

従って "Aurela"は "Sylvie"と同じく一人称形式で書かれているにも

かかわらず,一人称の •je' は "Sylvie" の中でのそれとは違った意味で複

雑さを芋んでいるのである.

Shoshana Felmanは「"<Aurelia" ou le livre infaisable}> de

Foucault a Nerval」(54) と題する論文の中で "Aurelia"に於る,je'は二

重になっていることを指摘している.つまり •je' は全く相異なった人物,

herosと narrateurを内在させている.

そして herosは<hommequi c筆者加筆) vit la folie au present>であ

るのに対して, narrateur は, <hommeC筆者加筆) qui a recouvre sa

raison>であり,又 herosは<dormeur>, つまり,夢,且廿ら <seconde

vie>を生きようとするのに対し narrateurは <hommeeveille>であ

り, 又, <homme qui c筆者加筆) raconte la folie c筆者加筆) apres coup>

である,と指摘している.

Felmanの分析を敷術してみれば "Aurelia"は, herosの oniriqueな

軌跡と narrateurの critiqueとしての緊張し交錯した糸が織りなすタヒ°

ストリーとして捉えることができるであろう.

95

Page 19: La folie de Gérard de Nerval et Aurélia

この様に全く異った planにある 2つを, "je"に内包させた一人称形式

の "Aurelia"という文学空間を,先にあげた Pouletのポエジーの定義及

び, G. Bache lardが,「Instantpoetique et Instant metaphysique

(55)」の中で展開した時間概念の下に照射してみることは,有効だと思われ

る.

その為に先ず, ここで, Bache lardが先の論稿で展開している <Ins

tant poetique>と<tempsde la prosodie>について簡単にみてみるこ

とにする.

Bachelard によれば, poesie とは瞬間的形而上学 <metaphysique

instantanee>であり, 1つの短い詩の中に全宇宙のヴィジォンと 1つの

魂,すなわち 1つの存在の秘密,そして様々の対象の秘密をすべて同時に

与えるはずのものである.換言すれば,本質的同時制の原理であり,そこ

では最も拡散し,分離した存在もその統一性をかちとるのであって川や水

や過ぎゆく風とともに水平的に過ぎ去っていく,つなぎ合わされた時間に

よる単純な連続,つまり水平な時間と呼ばれているものとは本質的に異質

のものである.

この Bachelardの時間論並びに先にみた Pouletの洞案を "Aurelia"

の2つの 'je'にあてはめて考えるならば, herosである 'je'は詩的瞬間

への志向のうちに,即ち垂直的時間に生きており,同じ •je' でも narateur

はプロゾディの時間,即ち,水平的時間に立っているということができよ

ぅ.それ故 "Aurelia"は,縦糸,即ち, herosのポエジーヘの瞬間への

志向と,その喪失に伴う否定の時,即ち,垂直的時間,及び横糸即ち nar-

rateurのプロゾディの時間, つまり水平的時間が織りなすタビストリー

と見ることができるであろう.

さて先ず, 垂直的時間を生きる herosの軌跡を "Aurelia" の第一部

の中で簡単に辿ってみることにしょう.

まず,初めの部分の •Vers l'Orient'の場面には, 'l'heure fatale'と

いう言葉が現われ,この時は, herosの <destinee>,<mort>, 更に

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Page 20: La folie de Gérard de Nerval et Aurélia

Nervalの狂気と "Aurelia"(田中)

<joie ineffable> と関連があることがわかる.この運命的な時を感知し

た時 herosは東方に向かって歩み出す,この時,共にいた友人は apotre

の様相を帯びてみえ始め,場所もその formeを失いはじめ, 彼の体は,

Espritとなって舞いあがるように感じる, そこへもう 1つの Esprit―他

界の Espritーが姿を現わし, 2つの Espritの相克が始まる,この相克の

原因は Espritとなった herosの地上への哀惜の念と,もう 1つの Esprit

の他界への誘惑が烈しく相争うために起こったのである.

herosが此彼と彼岸の間で引きさかれる.現実の objetさえも,此岸と

彼岸の間からみれば, 固定した明確な formeをもはや保持してはいず,

それらの輪郭さえも朦朧としがちである.

再び歩みだした herosは, 目を離さずにいた星の方向に歩き出す. 自

分の歌う讃美歌を,他の生で聞いたことがあって,得もいわれぬ悦びにつ

つまれる.身に纏っていた地上の服を脱ぎすて,魂が磁気で吸い寄せられ

る様に肉体から離れる瞬閻を待っ.と,突然,地上への愛惜の念が再びお

こり,自分を引き寄せている Espritについて行けない.そこでこの場面

は終る.

第一部の 1Vでherosは,一世紀をさかのぼって,ライン河の畔りの楽し

げな家に入っていく.herosは,祖父の魂が生きづいていると思われる烏

の話を聞く.その家にある一人の女性が河のほとりに身をかしげ,忽忘草

の草叢に見とれている姿を描いた一枚の絵に見とれているうちに,夜闇に

まぎれ,感覚が薄れ,地球を貫いて深淵の中に落ちこんでゆく.herosは

黄泉の国に辿りつぎ,そこでかつて自分がその死を嘆き哀しんだ今は亡き

肉親たちの面影が他人の中に再現されて生きているのをみる.herosは霊

魂の不滅がこの国にいる肉親や友人の存在によって立証されたのを知り喜

びに浸る.しかし,この世界にまだ入る資格のない heros は垣間みたこ

の世界から去らねばならない.

又,ある時, herosは,人口の密集した見知らぬ都会をさ迷い歩いてい

るうちに,その都会の工場の騒音が轟き渡る坂道をよじ登り一連の階段を

97

Page 21: La folie de Gérard de Nerval et Aurélia

登っていく.と,下界の喧騒を見下す山の底知れぬ深い処に,その山の原

始民族が隠れ住んでいるのに出会う.彼等は,この世の始まりの日々の自

然な美徳を守り乍ら,質素に,愛情に満ちた生活を送っておりそれは heros

にはまるで原初の天上の一家族の様に思えるのであった. そして, heros

の目からは,失われた楽園を追惜するかの様に涅が流れ始める.が,自分

は,この世界では一介の通行人であるという思いが苦しく胸に迫り,現世

に戻らなければならないのかと慄然とする.女子供達がherosを引き留め

ようとするが,彼女達の美しい顔は薄れ,凛とした顔立ち,燦めく眼は,

微笑の名残りのきらめく闇の中にまぎれいってしまう.

この様に自分の希求する,別離も死も哀しみもない永遠の確実なしるし

を herosは垣間みては歓喜する. しかし, その至福の時は続かず,耐え

難い不安感とともに再び, etrangerの感覚に襲われ,喪失の時,破壊と

不在からなる否定の時に引き戻されてしまう.

又,別の場面では,明かるい香り高い庭園に立っていた一人の美しい婦

人は空が茜色に変わるとともに姿を消す.herosは思わず,

<Oh! ne fuis pas! • • • car la nature meurt avec toi> と呼ぶ輝

<庭園はいつの間にか墓地に変わってしまい, herosはそこに只一人残さ

れる.闇の中にいくつかの声がくlemonde est dans la nuit!<56)>と呼

ぶのを聞く.herosの絶望は一部の終りに

<Les ombres irritees fuyaient en jetant des eris et trai;ant dans

l'air des cercles fatals, comme les oiseaux a l'approche d'un

or age. (57)>と表現されている.

以上みてきたことは, "Aurelia"の第一部に於る,垂直的時間を動く

herosの魂の歓喜の瞬間と,その喪失に伴う,長く暗い絶望の様相である.

この herosの軌跡を分析し,描出するのは同じ 'je'である narrateurで

ある.この narrateurがレシの所々に直接的主体として現われている.

<Tels sont les souvenirs que je retrai;ais par une vague intuition

du passe>という様な表現がみられ,水平的時間のあらわれであり,書

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Page 22: La folie de Gérard de Nerval et Aurélia

Nervalの狂気と "Aurelia"(田中)

く主体である narrateur が直接その存在を露呈している.又,この作品

に頻出する<jecroyais•··> とか, <ilme semblait que…>というよ

うな断定をさけた表現の中に herosと narrateurの存在が詰抗している

ことも注目すべきである.

"Aurelia"を構成するこの様な 2つの 'je'の相関関係は,このレシの始

まりに続く章にある次の言葉に要約されているといえよう.

<Si je ne pensais que la mission d'un ecivain est d'analyser

sincerement ce qu'il epreuve dans les graves circonstances de la

vie, et si je ne me proposais un but que je crois utile, je m'arreterai

ici, et je n'essayerais pas de decrire ce que j'epreuve ensuite

dans une serie de visions insensees peut-etre, ou vulgairement

maladi ves. (58) >

第二部は,<又しても駄目だ><Uneseconde fois perdu>という悲痛

な叫び声で始まる.herosは遇然が支配する人生について,又,それ迄忘

れていた神の存在について省察し始める.herosは, 「ヨハネの黙示録」

にある様な,終末のヴィジオンに取付かれる.荒涼とした空に黒い太陽

をみる.地球が軌道を離れ,マストを失った一隻の船の様に夜の天空をさ

迷っている様に思われる.太陽も冷え切って色を失っていくように思わ

れる. herosにとっての tempsnegatif は拡大され,世界のそれとな

る.消耗し冷たくなり色を失いつつある太陽のイマージュは次の様に描か

れている.

<Je me dis que probablement le soleil avait encore conserve

assez de lumiere pour eclairer la terre pendant trois jours mais qu'

il usait de sa propre existence, et en effet, je le trouvais froid et

decoloreC59)>

この様に herosは,様々な暗欝な,ヴィジオンの中に落ちこんでいたの

であるがこの状態は思いがけぬ遡追によって打ち破られる.ある日 heros

は<un etre indefinissble, taciturne et patient, assis comme un

gg

Page 23: La folie de Gérard de Nerval et Aurélia

sphinx aux portes supremes de l'existence.Csoジに出会う.この打ち

捨てられた存在に対する憐憫と共感によって herosの魂の幽閉状態は破

れ, herosは甘美な夢をみる.この謬の中で, これ迄 herosに幾度もも姿

を滉しては,無限の彼方へ消えていった救いの女神が姿をみせ herosに諜

された試練が終ったことを伝える.女神は herosの救済の為には,地上の

数々の絆から解き放たれた純真な魂の介在炉必要であったことを伝える,

"Aurelia"の最後を構成している『Memorables』はこの劇的場面に続

<夢の印象を書苔しるした数頁に渡る美しい coupletから溝成されに章で

ある.herosはここでかつて愛した女性が姿を変え光り輝いているのに再

会する.栄光が空に満ち,そこにキリストの血でしるされた <Pardon>

という言葉が硯われる.この時突然,一つの星がまたたき,世界の様々な

秘密が啓示される.そして,この時,静まりかえった慄淵の奥底から,一

つは重々しく他の一つは鋭く二つの音が響き渡り,忽ち,永遠の天体が回

転しはじめる.まさに,この瞬間に,永遠が時間の中に到来し,‘時’はこ

の時,単純な連統としての時であることをやめ,真に充実した瞬間として

の‘時’となる.即ち,詩的瞬間とプロゾディの時間が,完全に一致するの

である.

Bache lard は, この様な時を<原初の朝の魅惑的時間> と呼んでい

る(60). この瞬間は, Bachelardがいうように, 客観的,呈的,日常的時

間とは本質的に異質の時間で,最も完成度の高い美の生み出される瞬間で

ある.この瞬閻には "Aurelia"の2つの 'ie'つまり, herosとnarrateur

は,まさに甘美で完壁に瞬閻に生をうる.そして,そこから響きわたる躍

動的協和音の結晶ともいうべきものが『Memorables』の coupletsであ

ると見倣されよう,

この『Memorables』 について, J-P.Richardは A.Beguinを援用

し乍ら次の様にのべている.

<Spirituellement, materiellement, poetiquement toute !'oeuvre

nervalienne converge vers ces quelques couplets extatiques,(61)>

100

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Page 24: La folie de Gérard de Nerval et Aurélia

Nervalの狂気と "Aurelia"(田中)

詩的瞬間が完全に表現され尽したこの『Memorables』では,"Aurelia"

に於る 'je'の二重構造は消失し,一人称の 'je'は単一化している.

『Memorable』に続く "Aurelia"の最後で Nervalは "Aurelia"を

書いた動機について次の様にのべているが.それは,今みてきたことを説

明していると思う.

<Pourquoi, me dis-je ne point enfin forcer ces portes mystiques,

arme de toute ma volonte et dominer mes sensations au lieu de

les subir?(62)>

<Qui sait s'il n'existe pas un lien entre ces deux existences et

s'il n'est pas possible a l'ame de le nouer des a present.?C63)>

このように "Aurelia"の 'je'には,飛び去ろうとする詩的瞬間を捉

ぇ,絶対的ボエジーの時に到達せんとして,様々な試練に遭遇する heros

と,強烈な知性と意志の力によって herosのこの軌跡を分析し, heros

の夢と幻想に一定の秩序と表現を与えようとする narrateurが内包されて

いる.そして『Memorables』に於て,真の詩的瞬間が,完全に equiva-

lentな表現により把握されて,完壁なポエジーの時が実現しているとい

えよう.このプロセスと到達の過程を esotersmeあるいは, その他の方

法で意味論的に見ていくことはできよう.ここでは,一人称形式の 'je'の

二重性に注目し乍ら, "Aurelia"の構造の,極めて,大雑把な一素描をし

たにすぎない.

ともあれ, "Aurelia"は 'je'の二重構造により動的に構築されており,

この二つの要素の緊張を学んだ mouvementの相関関係とその最終的一致

への到達の過程は,狂気という運命の星の下に生きた Nervalの特異な内

面世界の葛藤と克服を反映しているといえよう.

ここにロマン主義精神の行程をその最も究極的なかたちで見る思いがす

る.

101

Page 25: La folie de Gérard de Nerval et Aurélia

〔註〕

1) Gerard de Nerval, Les Filles du Feu suivi d'Aurelia, Livre de poche

Gallimard, preface de Kleber Haedens, p.8

2) Roger Dragonetti,'Porte d'ivoire ou de corne dans Aurelia de G. de

Nerval, Tradition et Modernite'

3) Tzvetan Todorov,

4) Michel Raimond,

5) Tzvetan Todoros,

6) Raymond Jean,

7) Leon Cellier

8) Michel Raimond

9) Gerard de Nerval,

10) Albert B如 in,

Melanges offertes'a Rita Lejeune, vol TI,(Gembloux)

p. 1565

introduction a la litterature fantastique, Seuil, 1970 p.40

Le Roman dゆuisla Revotion, A. Colin, 1967 p. 73

op. cit., p. 42

La Poetique du Desir, Seuil, 197 4. p. 253

Nerval, Hatier 1974 p. 223

op. cit., pp. 71-72

Oeuvres I. Pleiade 197 4 p. 359

L'Ame roma叫 queet le reve, Jose Corti, 1967 p. 358

11) Marie de Visier, Gerard de Nerval, La Palatine p. 7

12)この用語は R.Jeanが前掲書の中で Aurelia分析の際に用いている用語である.

筆者は 3章では, metarecitもnanateurの planに属するものとして処理して

いろ.

13) Gerard de Nerval, Oeuvres 1I, Pleiade, 1961 p. 892

14) Gerard de Nerval, op. cit., p. 907

15) Gerard de Nerval, op. cit., p. 907

16) Gerard de Nerval, op. cit., pp. 913-914

17) Gerard de Nerval, op. cit., p. 908

1 B) Leon Cellier, op. cit.,

19) Gerard de Nerval, op. cit., p. 919

20) Jean-Piere Richard, Poesie et Profondeur, Seuil 1955 p. 17

21) Gerard de Nerval, op. cit., p. 945

22) Gerard de Nerval, op. cit., p. 940

23) Gerard de Nerval, op. cit., p.

24) Premiere Aureliaでは<I'Orient,ma patrie>となっているのに対し Aurelia

ではくl'Orient>とだけになっているのは注目すべき点と筆者は考えている.

25) Gerard de Nerval, op. cit., p. 953

26) Gerard de Nerval, op. cit., p. 1103

27) Gerard de Nerval, op. cit., p. 1116

102

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Page 26: La folie de Gérard de Nerval et Aurélia

28) Gerard de Nerval,

Nervalの狂気と "Aurelia"(田中)

op. cit., p. 1117 29) Gerard de Nerval,

30) Gerard de Nerval,

32) Jean Richer,

33) Gerard de Nerval,

34) Gerard de Nerval,

35) Gerard de Nerval,

op. cit.,

op. cit., p. 359

Experience et Creation, 1970, p. 419, pp. 420-21 op. cit., p. 1160

op. cit., p. 398

op. cit., pp. 1097-1098 36) Gerard de Nerval, Lettres a Franz Liszt, Presse Universitaire de Namur,

1972. p. 33 37) Gerard de Nerval, Aurelia, Prolegomenes a une edition critique par Jean

Guillaume sj p. 32 38) Obid., p. 32

39)

40) Gerard de Nerval, op. cit., p. 359

41) Gerard de Nerval, op. cit., p. 151 42) Gerard de Nerval, op. cit., p. 913

43) Gerard de Nerval, Oeuvres JI. 1961 p. 952 44) Gerard de Nerval, Oeuvres ]I. p. 149 45) Gerard de Nerval, op. cit., p. 150

46) Mme de Stael, De l'Allemagne, Garnier, p,152 cite Par G. Bachelard 47) Hermine B. Riffaterre, Orphisme dans la poesie romantique: theme et style

surrealiste, Nizet. 1970 48) Georges Poulet, Etudes sur le temps humain l, Pion. 10/ 18 1972 p. 34

邦訳, 「人間的時間の研究」筑摩書房,井上究一郎訳49) Geoges Poulet, op. cit., p. 34

50) Pierre Audiat, Aurelia de Gerard de Nerval, 51) Gerard de Nerval, Aurelia, Prolegomenes a une edition critique par

Jean Guillaume sj. p. 32 52) Georges Poleut, Metamorphose du cercle, Pion. 1961 p. 263 53) Gerard de Nerval, Oeuvres I p. 359 54) Shoshana Felman'<(Aurelia)> ou <(le livre infaisable)> de Foucault a

Nerval', Romantisme 3, 1972 55) Gaston Bachelard,'Instant Poetique et Instant Metaphysique', Messages ]I

pp. 28-31

邦訳「瞬間と持続」,紀国屋書店,掛下栄一郎訳56) Gerard de Nerval, Oeuvres I p. 37 4

103

Page 27: La folie de Gérard de Nerval et Aurélia

57) Gerard de Nerval, op. cit., p. 385

58) Gもardde Nerval, op. cit., p. 364

59) Gerard de Nerval, Oeuvres I p. 398

60) Gerard de Nerval, Oeuvres I p. 407

61) Jean-Pierre Richard, op. cit., p. 84

62) 63) Gerard de Nerval, Oeuvres I p. 412

尚 Aureliaは,稲生永氏訳中央公論社昭和50年版を参照した.

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