8
52 福島大学教育学部論集第22号 19m一11 Herbert Readのロマン主義の考察 (1) 1)Herbert Readは,多方面に於いて目ざまし い業績をあげた.Francis Berryは,Readが現 代で最も興味ある,最も洞察力に富んだ知恵の持 主だ,と述べた後で Concider血g the scope of his work,and廿Le e蜘1t to w舳h澹work has a㎝圃y mod置iα1 the dlought:and prac憾ce of our age, he 輔皿 cometobeseenasoneofitstwoorthree most・for∬1ative.(1) (彼の仕事のひろがりと,彼の仕事が実際にわれ われの時代の思考と実践を変えたその範囲とを考え てみると,彼は,きっと現代における二人か三人 の・最も深く影響を与える人物の一人に見なされる ようになるだろう.) と語っている.Readは1893年に生れ,1968年, 即ち一昨年の6月12日に亡くなった.彼の自叙伝 ㎞B of Innocence and E:xperience(1940) の中で, He(T」S.Eliot)has ca皿ed hi皿self royaHs鵜 dbss揃sちand anglo.cadloHc, whεreas I..... would caU myse廷 ana∫c匝sち ro皿aロdcist and ag且ostic.(p.101) (彼(エリオット)は,自分目身をロイアリスト, 古典主義者,アングロ・カソリック信徒と呼んだ が,それに対して,私は,私自身をアナキスト,ロ マン主義者,不可知論者と称したものだ.) と述べている.それから28年経って,一昨年出版 されたエッセイThe Cult of Sincerity(1968) の第六章で同じことを繰り返し述べている.彼は 詩人であり,文学,美術,社会など多方面で活躍 したが,彼が自分自身を定義したこの言葉は,そ こにあっての彼の思想上の立場をはっきりと表明 している.更に考えてみると,多くの領域での主 張は,相互に密接に関係するばかりでなく,実は それぞれの主張はその深層のところにある一つの 源から出ていると考えられる.その源とは,彼が 自分を定義した三つの思想上の立場の中でもro・ manticistの語であり,彼のロマン主義であると 考えられる.私はReadの主たる評論によって, この点に焦点をあわせて論を進めてゆきたい. 彼は,古典主義的な立場から出発し,徐々にロ マン主義に傾き,それが愈々純度を増してやがて 積極的なロマン主義へと発展していった.それ は,詩に関する「個性」,美術に関する「シュール レアリズム」,政治に関する「アナキズム」・教育 に関する「芸術教育」の各論であった.前述した ようなReadの思想上の「変身」とか,対象領域 が変ってゆくその「移り気」といったことから, 確かに読者に警戒させたり,敬遠させたりするも のがあるかも知れない.しかし,彼の作品に詳細 に当ってみる時,われわれはそこに,唯一っ,芸 術の根源を求めての一人の人間の誠実なr思想の 遍歴」を見出さないでは居られないのである. 2)1926年,彼は文学の批評。Reason and Ro・ manticismを出版した.前述の一昨年に出版さ れたThe Cult of Sin㏄rityの中で懐古的な調 子で TMs book,地430”and㎞4”∫塀’3蹴,was pubHshed i且1926,and though the Rca owes somet1血g to Hulme and even m Elioちtlle Ro㎜ticism was my ow几(p. (この本,「理性とロマン主義」は,1926年に出 版された。そして,此の表題の「理性」は・ヒューム にかなり負うているし,エリオットにさらに多く負 うている,しかし「ロマン主義」は私自身のもので あった.) と語っている. この本の表題が示すように,Readはこの二つ の対立する思想の間にあって,どちらへともつき かねていた,そして此の二つの思想の和解・統合 を目標にしていた. さて,Readの言う「ロマン主義」は,情緒と か自発的な力であり,r理性」は情緒や自発的力

Herbert Readのロマン主義の考察ir.lib.fukushima-u.ac.jp/repo/repository/fukuro/R...Herbert Readのロマン主義の考察 53 の拡がりや乱れに,秩序や調和を与えるものであ

  • Upload
    others

  • View
    1

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

Page 1: Herbert Readのロマン主義の考察ir.lib.fukushima-u.ac.jp/repo/repository/fukuro/R...Herbert Readのロマン主義の考察 53 の拡がりや乱れに,秩序や調和を与えるものであ

52 福島大学教育学部論集第22号 19m一11

Herbert Readのロマン主義の考察

田 村 忠  渾

          (1)

1)Herbert Readは,多方面に於いて目ざまし

い業績をあげた.Francis Berryは,Readが現

代で最も興味ある,最も洞察力に富んだ知恵の持

主だ,と述べた後で

  Concider血g the scope of his work,and廿Le

 e蜘1t to w舳h澹work has a㎝圃y mod置iα1

 the dlought:and prac憾ce of our age, he 輔皿

 cometobeseenasoneofitstwoorthree most・for∬1ative.(1)

   (彼の仕事のひろがりと,彼の仕事が実際にわれ

 われの時代の思考と実践を変えたその範囲とを考え

 てみると,彼は,きっと現代における二人か三人

 の・最も深く影響を与える人物の一人に見なされる

 ようになるだろう.)

と語っている.Readは1893年に生れ,1968年,

即ち一昨年の6月12日に亡くなった.彼の自叙伝

㎞B of Innocence and E:xperience(1940)

の中で,

  He(T」S.Eliot)has ca皿ed hi皿self royaHs鵜

 dbss揃sちand anglo.cadloHc, whεreas I.....

 would caU myse廷 ana∫c匝sち ro皿aロdcist and

 ag且ostic.(p.101)

   (彼(エリオット)は,自分目身をロイアリスト,

 古典主義者,アングロ・カソリック信徒と呼んだ

 が,それに対して,私は,私自身をアナキスト,ロ

 マン主義者,不可知論者と称したものだ.)

と述べている.それから28年経って,一昨年出版

されたエッセイThe Cult of Sincerity(1968)

の第六章で同じことを繰り返し述べている.彼は

詩人であり,文学,美術,社会など多方面で活躍

したが,彼が自分自身を定義したこの言葉は,そ

こにあっての彼の思想上の立場をはっきりと表明

している.更に考えてみると,多くの領域での主

張は,相互に密接に関係するばかりでなく,実は

それぞれの主張はその深層のところにある一つの

源から出ていると考えられる.その源とは,彼が

自分を定義した三つの思想上の立場の中でもro・

manticistの語であり,彼のロマン主義であると

考えられる.私はReadの主たる評論によって,

この点に焦点をあわせて論を進めてゆきたい.

 彼は,古典主義的な立場から出発し,徐々にロ

マン主義に傾き,それが愈々純度を増してやがて

積極的なロマン主義へと発展していった.それ

は,詩に関する「個性」,美術に関する「シュール

レアリズム」,政治に関する「アナキズム」・教育

に関する「芸術教育」の各論であった.前述した

ようなReadの思想上の「変身」とか,対象領域

が変ってゆくその「移り気」といったことから,

確かに読者に警戒させたり,敬遠させたりするも

のがあるかも知れない.しかし,彼の作品に詳細

に当ってみる時,われわれはそこに,唯一っ,芸

術の根源を求めての一人の人間の誠実なr思想の

遍歴」を見出さないでは居られないのである.

2)1926年,彼は文学の批評。Reason and Ro・

manticismを出版した.前述の一昨年に出版さ

れたThe Cult of Sin㏄rityの中で懐古的な調

子で

  TMs book,地430”and㎞4”∫塀’3蹴,was

 pubHshed i且1926,and though the Rcason of it

 owes somet1血g to Hulme and even more to

 Elioちtlle Ro㎜ticism was my ow几(p.107)

   (この本,「理性とロマン主義」は,1926年に出

 版された。そして,此の表題の「理性」は・ヒューム

 にかなり負うているし,エリオットにさらに多く負

 うている,しかし「ロマン主義」は私自身のもので

 あった.)

と語っている.

 この本の表題が示すように,Readはこの二つ

の対立する思想の間にあって,どちらへともつき

かねていた,そして此の二つの思想の和解・統合

を目標にしていた.

 さて,Readの言う「ロマン主義」は,情緒と

か自発的な力であり,r理性」は情緒や自発的力

Page 2: Herbert Readのロマン主義の考察ir.lib.fukushima-u.ac.jp/repo/repository/fukuro/R...Herbert Readのロマン主義の考察 53 の拡がりや乱れに,秩序や調和を与えるものであ

Herbert Readのロマン主義の考察 53

の拡がりや乱れに,秩序や調和を与えるものであ

る.そのいづれをも文学の本質であると考える点

では,Readはいわば二元論にたっていた.Rea-

son漁Ro㎜ntic㎞の第一章で  ...e皿otio∬ is the orig㎞1 subs働口ce of all

 ae8thetic fom暗for even inte11㏄tual forms can.

 皿ot have value as art unt皿 dley have been

 emo廿onaUy apprehended.(p.28)

   (情緒がすべての審美的形式の根源的実体であ

 る。というのは知的形式でさえ,その形式が情緒的

 に把握される迄は芸術として価値をもつことが出来

 ない.)

と述べて,情緒が実体と考えられ,知的形式に優

先L’ている.更に第九章では,r本当の想像力は

一種の論理である.それは.経験された現実の性

格から.他の経験されていない性格をひき出す能

力である.」(P.171)と語っている.ここで彼は

想像力の作り出すリアリティーを,実在と考えて

いるのである.このように創造に於ける,内から

遜り出る力が,一方に於いて強調されている.と

ころが,他方では,彼は「理性」の働きの重要さ

も主張している.第一章では,批評に於けるドグ

マ(独断的主張の意味でない)の設定の必要性を

論じ,第二章では

  ....itwmbeseenthatscien㏄andpoetry

 havebutoneideal,whichisthesatisfacdonof the reason.(P.57)

   (斜学も詩も唯一つの理想,それは理性の満足と

 言うことだが,この理想をもっているのがわかるで

 あろう.)

と述べている.詩が,科学に見られるような知的

な営みを目ざすとされている.第九章のChar-

10tte and Emily Bronteに於いて.想像力,情

緒などが,いかに作品を創りあげるか,を述べて

いる.しかし,Wuthering Heightsが「ロマン

精神の実り」だとする見解に対して,見方によっ

ては,概念の統一,情緒のカタリシスなどから,

これは小説が古典的悲劇の気品(the dignity of

classical tragedy)に到達した極く少い場合の一

つである,といっている.

 この本に於けるReadの見解をよく示している

と思われる

  Art is not a止血venδon in vacuo;it is rather

 a selec匠on 角rom chaos,a de丘nition fro皿the

 a皿orphous,a coロcredon wid1血 the“terrible

 fluidity of1董e”.(P.21)

   (芸術は真空での発明ではない.それはむしろ混

 渾からの選択であり,形のないものに輪郭を与え・

  「ものすごく流動する生命」の凝固である.)

といった言葉からも,われわれは,彼が選択,秩

序といった合理性を重視し,その意味で,「理性」

に傾いているのを読みとることが出来る.確か

に,伝統とか,絶えざる個性の滅却をいうEliot

とは基調を異にはするが,当時のReadはどちら

かといえば,理性を優位におく知的な古典主義の

立場であった,と言えよう.彼が自分自身のもの

と称したロマン主義が,Hulme,Eliotに負う「理

性」に,席を譲った形であって,これを「理性尊

重論」とも言えるであろう.

 もう一つ注目に価することは,この本の第五章,

Psycho-AnalysisandCriticismであろう.彼

は文学批評に精神分析学をとり入れているが,こ

れがその後の彼の思想発展に大きな力があった.

十九世紀はじめのロマン主義が,自然の神秘の追

求であったとすれば,今世紀のロマン主義(例え

ばJohn Middleton M肛ry)が,心理の世界へ

の探求が特色であると言え得ようが,Readにあ

っては,特にFreudの「無意識」を批評の支え

にしたことが,彼のロマン主義の特色と言えよう.

3)次に三十年代に入って,三十一年, The

Meaningof Artが出版された.これは美術に関

する本であるが,この本になると彼のロマン主義

への傾斜をはっきりと読みとることが出来る.こ

の評論は,イギリス,BBC放送局のリスナー誌

に連載されたものである.The CultofSincerity

で,「彼(エリオット)は,決して私の詩につい

て何んら一般的意見を述べたことはなかった.も

っとも彼は,私が美術批評や他の詩に関係のない

活動のために詩をなおざりにすることに対して,

しばしば非難しはしたけれども.」(P。118)と語

づている.これはReadの此の頃のことかと思

われるが,Eliotとの関係を知るのに興味ある記

述である.彼は1922年から十年間the Victorian

and Albert Musem1に勤めた.そうしている間に,そこでの仕事である美術史と美術批評が,

文学史と文学批評と一つになって,その間に区別

が感じられなくなって,その二つが文化一般の問

題に拡がっていった.このように。文学の領域を

超えて美術の領域に踏み出した一歩が,彼をやが

て社会,政治,教育へ向わせることになるのであ

Page 3: Herbert Readのロマン主義の考察ir.lib.fukushima-u.ac.jp/repo/repository/fukuro/R...Herbert Readのロマン主義の考察 53 の拡がりや乱れに,秩序や調和を与えるものであ

54 福島大学教育学部論集第22号

る.

 此の評論で目立っことは,r動的なこと」(不

安定)や直観の強調ということである.Reason

and Romanticismでは,the satisfaction of

thereason,emo行bn血subjectionとカ〉adef一

血tion from the amorphousといった,『形式,

固定,合理性を重視していたのに対して,此の評

論の中では

  Art is a皿escape ffom chaos.It is move皿ent

 ordaine4ill numb肛s;it is mass co㎡ined hl

 measure;it is the indeterm血ation of matter

 8eekh19山e rhyしhm of Hfe.(P.33)

   (芸術は混渾から脱出することである.それは数

  によって坦定される運動であり,寸法によって限定

  される量であり・生命のリスムを求める物質の不安

 定性である.)

という表現になっている.芸術は,数,寸法,リ

ズ’ムよりはむしろ,運動と量と不安定であるの

だ.彼の見解の中で,芸術の本質がr静」から

r動」に移りつつあることがわかる.又,他のと

ころで

  The¥(the ultimate values of art)express an

 ideal propo出o皿or harmony which the artist

 can grasp only in v㎞e of his in㎞dve pow-

 ers.(P.191)

   (芸術の究極的価値は,芸術家がその直観の力に

  よってのみ把握することが出来る理想的つりあいと

 調和を表現する.)

と述べているが,ここでは直観の力が主であっ

て,つりあいとか調和は従の関係になっている.

黄金分割について,それは芸術家の意識的な適用

もあるが,芸術家の本能的な造形感覚によって自

然に黄金分割に到るとも考えられる,としてい

る。日本人は,真の美というものは規則的な完全

さといったものでないことを知っているから,’ろ

くろで作られた形の完全さをわざとこわすことが

ある,と語っている.以前のRea{1の主張は,奔

放な情緒,想像力が,理性の判断によって,形

式,秩序を与えられて完全な美に到るのだ,とし

ていたが・今や逆に・直観や想像といった創造の

力が,その表出の時に自然に秩序,調和といった

パターンを身につける,とするのである.即ち,一

以前は「内なるもの」が,外から形式を与えられ

ることによって価値あるものとなる,『としていた

のが,今や「内なるもの」が,自分の力で自分の

形式を生み出すことに価値が移った点で,価値の

1970-11

転換ということが出来る.このように彼のロマン

主義への傾斜がこの評論に表われたのは,取扱う

主題が,文学でなく美術であるため,その表現の

形がより直接的となり,Readの心の中の彼の本

質的なものが,自由に現われることが出来たから

だと考えられる.換言すれば,この領域がRead

のロマン主義の突破口であった,といい得よう.

4)Fom in Modem Poetryは1932年に出版

されたが,これは彼の其の後の華やかな思想展開

を導き入れた記念すべき詩論である.詩の理論と

してすぐれた客観性をもつものと考えられるが,

そればかりでなく,Readの思想の核心を理解す

る上で,最も不可欠の評論であろう.心理分析の

無意識が彼の理論の前面に現われ,無意識の層か

ら生れ来るr創造力」の理論展開が活濃に行われ

ることが,注目に価する.この本のその1でOr・

ganic Form(有機的フォーム)とAbstract

Fom(抽象的フォーム)を述べている.r有機

的フォーム」は・芸術作品がそれ自身の個有の法

則を持ち,構造と奥容の統一体として融合する時

に起るフォームであり,「抽象的フォーム」は,

r有機的フォーム」が固定し,ダイナミズムに関

係がなくなり,その芸術作品よりも前に出来上っ

ていた固定した構造に内容を適合させようとする

ように1なった時に起きるフォームである.彼が

Emersonから引用した言葉,

  “it iS nOt metreS,bUt a metre・makhg argU-

 ment,that makes a p㏄m.”(p.57)

   (詩を作るのはミーターではなくて,ミーターを

 作るときの詩人の意図である.)

も,この辺のリードの詩の考え方に符合する.又,

彼は造形芸術史で,r有機的フォーム」とr抽象

的フォーム」がロマンチックとクラシックという

概念に明らかに相応する,としている.彼は,更

に続けて,一方に「有機的フォーム」一ロマン

チックな時代一緊張とエネルギーの時代,そし

て他方に「抽象的フず一ム」一クラシックな時

代一飽満と定着の時代,といった系列を暗示し

ている.その皿はPersonahty(個性)とChar-

acter(性格)について論じている.彼はこの用

語に,彼独特の意味を与えている.r個性」は無

意識から流れ出る生命力の表われであり,.「性格」

は外的な典型への盲目的な強制である.つまり

「性格」とは個人が感性や情緒の迸り出るのを抑

圧して,ある既成の型にはめよ・うとすることであ

Page 4: Herbert Readのロマン主義の考察ir.lib.fukushima-u.ac.jp/repo/repository/fukuro/R...Herbert Readのロマン主義の考察 53 の拡がりや乱れに,秩序や調和を与えるものであ

Herbert Readのロマン主義の考察 55

る.そして,このr個性」とr性格」の二つのカ

テゴリーの関係を,抒情的な文学と修辞学的な文

学,ロマン的文学と古典的文学の関係に一致する

ことを示唆している.そして芸術が,個性に従っ

た時に豊かに,r性格」に従った時に貧困に陥い

るとしている.彼は

  It looks,therefore,as though the one thh19

 aEartistmustavoidisthefixityofcharacte鵡 (P.37)

   (それ故,芸術家が避けるべきことは,性格の固

 定化ということであるようだ.)

と述べて,彼のいうr性格」に対して,はっきり

と拒否の態度を示している.更に此の評論のVに

於いて,.…the pDet has mne:no identity

〈P。78)(……詩人は何も持っていない.正体が

ない.)とか,The p㏄t must Hve inthe fl㏄th19

moments of vision(p.82)(詩人は幻想の飛び

去るその瞬間に生きている.)と語っている.

Readは,詩の本質を流動,空なる状態,束縛の

ない自由さの中に求めている.此れはKeatsの

N㎎ative Capadtyに通ずるものである.前述

のReasonandRomanticismの中のReadのロマン主義が,この詩論に到って,その束縛を断

ち切って,自由を求めて羽搏いているといった状

態である.

5)Form in Modem P㏄tryから五年後にA批

.and Society(1937)が出版された.此の社会批

評に於いては,前述の詩論に展開されたr芸術の

原理」が,そのまま社会の考察に一貫して拡げら

一れている・すの李の巻頭で・H(}W甲sの言葉

を取り上げている.

  Ardsdc produc丘ons, unlike philosophical

 thoロght and sd㎝t出。 discovery,are omaments

 and expression rather than the creadve sロb・

 staロce of history.(P.6)

   (芸術作品は,哲学的思想や科学的発見とは違っ

  て,歴史を創り出す実体ではなくて,むしろそれら

  は歴史の装飾品であり,歴史の表現といったもので

  ある.)

と.そしてその後に,Wensは,スポーツとなら

んで芸術を人間の余分なエネルギーのはけ口とし

て説明している,と書いている.勿論,Rea4は

WeHsとは全く反対の立場か軌芸術論を進め,

論証してゆく.その主張は,芸術は生命の根源で

あって,それは芸術の領域にのみ限られるもので

1なく,生活全体にかかわる営みであるとする.こ

こではr芸術の原理」がr生活の原理」に発展し

ている.前述の詩論では,「抽象的フォーム」や

r性格」で意味されるものを排除すれば排除する

程,その詩はそれだけ積極的な価値をもっことに

なった.同様に,社会の生活にあっては,祀ady-

madeの習慣,掟にわずらわされずに,「内なる

もの」に従って,自由に生活できればそれだけ価

値ある生活となる.しばしば,そのready-made

の堅固なパターンが,自由な成育にとって妨げに

なり,有害になるのである.此の時,Readのロ

マン主義は,社会に対して拒否の姿勢をとること

になる.このArt and Societyの論理の基調は,

彼の「芸術の原理」に立って文明を論じ,そこで

の人間回復の追求であった.

 ここでRea(1の「シュールレアリズ」に触れた

い.この評論の七章の中にSuperreaHsmの項を

入れて,the f「㏄oPe「ation ofthe mconもcious

forces of life.(p.123)(生命の無意識の力の自

由な働き)といった表現が用いられ,シュールレ

アリズが絵画や彫刻に限定されるものでなく,詩

や散文,そして哲学や政治学さえ含む運動である

(P.120)と述べている.此のような思考法が,こ

の後のReadの思想の発展に大きな影響力をもっ

ているように考えられる・さてこのシュールレア

リズムであるが,1952年出版のThe Philosophy

of Modem Artに至って

  _.supeπealism in general is the romantic

 P血dpleina比(P』106)

   (……概して言えば,シュールレアリズムは,芸

 術に於げるロマン主義の原理である、)

と述べている.更にこれと同じ章の中でthe i・

dentity of art and romanticism(p.111)(芸

術とロマン主義との同一性)を論じている.シュ

ールレアリズムは,Readのロマン主義の理論の

展開にとって大きな意味をもったのである,

6)Art and Society出版の翌年,Poetry and

Anarchism(1938)が世に出た.その中で彼は自

分がアナキストであることを宣言した.尤もThe

Cult of Sincerityの中での,「今では五十年以

上も続いてきた私自身のアナーキストの信念を顧

る…….」(P.76)といった言葉からすると,この

信念は長い間彼の心の中であたためられていたの

である.だが,彼は政治の行動家ではなかった.

このP㏄try and Anarchismの中で,

  I have nevαl b㏄n an a面ve politician,mereよ

Page 5: Herbert Readのロマン主義の考察ir.lib.fukushima-u.ac.jp/repo/repository/fukuro/R...Herbert Readのロマン主義の考察 53 の拡がりや乱れに,秩序や調和を与えるものであ

56 福島大学教育学部論集第22号

 1y a sympath励ロg intd匝ectuaL (p.7)

   (私は行動的政治家であっ忙ことは一度もない.

 共感をもつ知識人にすぎなかった.)

と言っているが,其の後も1945年の「フリーダム

・プレス」事件を除けば,大体このa sympa-

th圃ng intell㏄tualであったと言えるであろう.

Art andS㏄ietyの中では...byalltherestric・

tions and conv㎝tions of the compromise we

ca皿civilization(P.80)(文明と呼ぶあらゆる制

限と妥協というしきたりによって)といった表現

であったものが,この文明に関して,このPoetry

and Anarchismに於いては,

  I reahze that fom,pa“:ern,aロd order are

 essen回 aspec“30f existence; but in them雫

 sdves they are the a㎞butes of death.To

 make1迂e,to insure pro9Tess,to create interest

 and vivid豆ess,it is 血㏄essary to break form,.

 distortpatt㎝,tochangethenatureofour civi㎞tion.(P.8)

   (私は,形式,パターン,秩序が実在の本質的様

 相であることは知っているしかし・それらは・本

 来は死の属性である.新鮮に生き,進歩を保証し,

 興味と活気をつくり出すためには,形式を破り,パ

 ターンをねじまげ,われわれの文明の性質を変化さ

 せることが必要なのである.)

と語っている.新鮮な,生々とした生活を確保す

るためには生命を抑圧する掟,しきたりを打破し

なければならない,とする.彼の詩論を借りれ

ば,「有機的フォーム」や「個性」を確保するため

には,r抽象的フォーム」やr性格」を離れねば

ならない.彼の美術論を借りれば,直観や想像力

の創造性の自由のために形式化や固定化を拒否し

なければならない.その同じ思考法が,そのまま

政治の領域にあてはめられている.ここでは,本

来Readの主題が個人の心の問題であるだけに,

現実の問題と対決する時,彼の主張は絶対主義の

色彩を帯び,ラジカルな形をとらざるを得ない・

その意味では,精神の領域への鋭い洞察力に溢れ

ているが,現実性に欠けるうらみがある.

 この本の中で,彼は,代表委任制の擁護,真の

政治の単位としての地方自治体の機能の認識,産

業組織に於ける人間回復の緊急性などを主張して

いる.彼の「個性」に見られる思想が,彼の現実

の生活の体験を通して到達した一つの社会構想で

あった.決して政府や法のない社会を描くのでは

なかった.例えば,共同体の利益のため制御は避

1970-11

けられないし,その利益の具体化のため政府があ

る(P.34),としている.だが彼が問題にする点

は,上の引用文に続けて,この目的からはずれ

て,国民の生命と運命を支配しようとするとき

に,自由は死ぬ,という意味のことを述べている

ところにある.この論理は,裏を返せば次に引用

する彼の主張となるのである.

  Anarchism asserts-it is only assertion-

 that life must be so ordred thaHndividual c孤

 1ive a ㎜圃11廷e,‘attending to what is with-

 in!(1)

  アナキズムは,生命は個人が「内なるもの」に従

 って自然な生活をすることが出来るように秩序づけ

  られねばならない,と主張する.)

 彼が芸術論を展開するにあたって,作品が真に

芸術的であれば,それだけ合理性から遠ざかると

述べた時と同じ考え方が,彼のアナキズム論に於

ける..“govemm㎝t is best廿峨t goven追

1east,_・(3)(……最も支配することの少ない政

治が最もよい,……)という言葉であろう.要約

すると,彼のアナキズの主張は,国民に対して行

われる政治の名のもとでのおしつけと,(内的法

則によって行われるべき有機的)詩に対しての,

出来合いの形式のおしつけとの間に,彼が一つの

類推を認識したことに基いている.このような意

味での,政治に於ける「個人の充実性」,既成の

形式を拒否するr内的法則による詩」などの底に

あるものを,私は彼のロマン主義と解するのであ

る.

7)このようにReadのロマン主義が,外の世界

で,障害を除くために防御的な姿勢をとったのが

アナキズム論であったとすれば,同じロマン主義

が,心の世界で成長のために積極的な姿勢をとっ

たのが芸術教育論であった.The Cult of Sin-

cerityの中で,「アナキズムに対するすべての反

対論は,煎じつめれば非実践性という一つの反対

論になる.しかし,これを批判する人で,アナキ

ズムが一般教育と個人の訓練によって成就される

長期にわたる個性をのばすプロセスであると,考

えた人は誰もいない.」(p。99)と述べている.前

に引用したようにアナキズムのねらいが「個人が

内なるものに従って自然な生活が出来るように」

することであれば,結局はその実現は個人の心の

問題である.とすれば,教育に向うのは当然であ

ろう.Readのアナキズム論と芸術教育論は彼の

Page 6: Herbert Readのロマン主義の考察ir.lib.fukushima-u.ac.jp/repo/repository/fukuro/R...Herbert Readのロマン主義の考察 53 の拡がりや乱れに,秩序や調和を与えるものであ

HerbαrtReadのロマン主義の考察 57

心の中にあった一つのものの,方向を異にした二

つの面と見ることが出来る.彼自身がthe t】ゆe

of anarchist I am does not fight for ideas:

he is not ideologist of any kind,but rather

a Pmgmatist.(私のよう、なタイプのアナキスト

は思想のために戦いはしない.いかなるイデオロ

ジストでもなく,むしろ実用主義者である.)と

言っているが,この言葉は彼の教育論での姿勢を

暗示するものである.ここでの彼の理論は,地道

で説得力がある.Education through Artが出

版されたのは1943年である.The Cult of Sin-

cerityで豊the most influential bo6k I have

whtten(私の著した本の中で最も影響力をもっ

た本)と言っている.確かに,彼の地道な論理の

展開,教育の機能への誠実なアプローチ,社会に

対する鋭い洞察力がこの本に見出される.A丘

and舗cietyの中では,「美術という科目は,現

在の教育機構のもつ知的偏向を矯正するのに大い

に役立った…….」(P.96)といった表現にとどま

っていた.それが,このEducationthroughArt

では,...art,瓢ddy con㏄ived,should be the

fundamental basis of educati㎝.(P.71) (広

い意味での芸術が教育の根本的な基礎であるべき

だ.)と断言している.即ち,彼の芸術教育は,

学校での美術系の学科の強化とか,美術作品を沢

山作り出すための教育論ではない.実は,現代の

知的な,分析的な教育のゆきすぎを矯正するため

,想像力,審美的感性に基づく教育を提唱してい

るのである.彼は,児童,生徒について語る・

子供は未開人と同じように,知的分析なしに直接

に生命を経験している.この子供の無垢な感性が

やがて失われる.ここで彼は

  _what are they(ch丑dren)going to Put in

 be place of the unt丘ed・consciousness 山ey

 have enjoyed~ (p.69)

   (……彼らはたのしかったその統一された意識に

 代って,一体。何をもとうとするのか.)

と問い,続けて・それに答えて,与えられるもの

は,a split consciousness(分裂した意識),a

world of concepts divorced from sensation

(感覚から遊離した概念の世界),a world of

logic divorced from life(生命を離れた論理の

世界)などである,と言っている。この心のかた

わを正し,人間性を回復するための方法として,

彼は芸術を通しての教育を主張する。それは,彼

が芸術を通してはじめて,分裂のない,総合的な

教育が可能だと考えているからである.想像と審

美的感性の悦びは,人の心を豊かにし,意識の合

一を保つ.その結果,子供が大人になり,社会が

未開な状態から文明の進んだ状態になっても,意

識の統一は維持され,個人も幸福であり,社会も

調和を保つ.以上のような論旨であるが,更に章

が進むにつれて具体的になり,幼稚園,初等学

校,中学,そして視覚によらない表現として,遊

戯,言語,音楽などを論じている.例えば,児

童,生徒は,一教育にあたる者が,いわば根の

まわりに土を培ってやることによって一子供自

身の成長の法則に従って成長する,したがって,

外から型に入れて育てようとしてもそれは無理で

あるといったことを述べている.この考え方は,

彼がアナキズムを論じて述べた_govemmentis best that govems least.とも,詩論に於いて

言っている,...the one thing an artist must

avoiaisthefixityofcharacter.とも一致する.芸術教育論の根本にある思想は,彼のアナキ

ズ論,詩論の原理と同じものなのである.即ち,

彼は,芸術の中に見出した原理を,一芸術だけの領

域から解放して,広く「生活の原理」とした.そ

して,これを政治と教育の領域に及ぼして,「個

性」の限りない展開をそこに追求したのである.

私は,このReadの思想を彼のロマン主義と考え

るのである.今まで述べた彼の思想の発展を方程

式で表わすと,次のように表わせるであろう.芸

術=ロマン主義=有機的フォーム=個性=シュー

ルレアリズム=アナキズム=芸術教育論

          (2)

1) これまでReadのロマン主義そのものを取り

上げはしないで,彼の思想の幾つかの側面を観察

することによって,それらの内側に働く精神を見

出そうとして来た.ここで,彼のロ,マン主義その

ものを考えて見たい.一般に「ロマン主義」とい

う語が用いられる時,その語が意味するものは,

非常に多く,そのため内容が漠然としている.そ

のため却って・それはr完全さ」・「不変性」・「合

理性」に対立するカテゴリーである,と定義する

ことも出来よう.

 Arthur O Lovejoy氏は,彼の恥says in the

Historyof Ideas(1948)の中で, The word

“romantic”has come to mean so manythings that,by itself,it means nothin魯(p.

Page 7: Herbert Readのロマン主義の考察ir.lib.fukushima-u.ac.jp/repo/repository/fukuro/R...Herbert Readのロマン主義の考察 53 の拡がりや乱れに,秩序や調和を与えるものであ

58 福島大学教育学部論集第22号

232)(romanticという語は,あまりに多くの意

味をもつようになったので・その語だけでは何の

意味も示さない.)と言っている.そして言語記号

の作用をやめてしまった.と言っている.そして

同じ章の中で,romantidsmという語を,ro㎜一

tidsmsと複数で用いることに関しても述べてい

る.このLovejoy氏に関して,Morse P㏄kham

氏がToward a Theory of Ro㎜ticismとい

う表題の論文の中で,Lovejoy stated the thr㏄

new ideas of romantic thought and art were

organism,dynamism an(i diversitarianism.

He says that they are d丘ee separate and

血consistentideas《4)(LOvejoyは,ロマンチッ

クな思想と芸術渉もつ三つの新しい意図は,有機

体,ダイナミズム,多様性である,と述べた.彼

は,それらは三つのばらばらの意図である,と言

っている.)と述べている.P㏄㎞am氏は続け

て,成程,その三つの意図がばらばらに離れたよ

うに見えるという点では賛成だが,実はその有機

体,ダイナミズ,多様性は,一つの「根となるメ

タファー」に密接にかかわり,そこから引き出さ

れたものである,として,彼はそれを,dynamic

organismと呼んでいる.私は今,このPeckham

氏の説を参考にしながら,そして有機体,ダイナ

ミズム,多様性の三つの概念をもって,Readの

ロマン主義を考察してゆきたい.

2) Readは,Annals of Inn㏄ence and Ex・

perienceの中で,the Tr㏄of Life(生命の木)

の話を語っている.私は,この話が彼の思想を最

もよく象徴していると考える.今まで考察してき

た彼の評論をふまえながら,この「生命の木」の

意味を考えてゆきたい.

  My favarite symbol is the Tr㏄of Life.The

 human race is the tr血and braロches of山is

 tr㏄,and hldividual men are the leaves...l am

 1猷e a leaf of this  tree... I aコ〔L co皿scious of

 tLe1■ee,s flowing sap and steadfast s往eng出。

 Deep down i且my congciousness is the c㎝し・

 sciousnessofaco皿ectivelife,alifeofwhich I am a part and to which I coptribute a mi・

 nute but unique extensig几恥en I die and刎,

 the tree remahs7ロourished to some sma皿de・

 gree by my brief ㎜廷es悔廿on. M皿ons of

 leaves have pr㏄eded me and mmions wm

 fonowme;thetreeitselfgrowsandendures. (P.10の

1970-11

   (私の好きなシンボルは,「生命の木」である.

 人類はこの木の幹でφり,枝である.・…・・私はこの

 木の一枚の葉のようなもの……私はこの木の流れる

 樹液やたしかな力を意識している.私の意識の深い

 奥には,集団の生命の意識がある.私がその命の一

 部であり,その命をわずかであるがユニークに成長

 させるのだ.私が枯れて落ちても・木は残る・私の

 この世での短いいのちに少し育てられて.無数の葉

 が私の前に去っていった.無数の葉が私の後に続

 く.木は伸び生き続ける.)r

 彼のこの「生命の木」のイメージは,まさしく

「有機体⊥そのものである.個人,社会,人類の

相互の関係は,「生命の木」の葉,枝,幹,:大地

の相互の関係と同じである.彼の「個性」の発展

は,葉や技や幹の自由な成長と同じである.r生

命の木」の各部分の成長は,それらを統一体とし

て存在せしめている全体,即ち「木」そのものの

成長となるのである.そこには,断絶も疎外もあ

り得ない.葉も枝も幹も,それぞれ違った働きを

しながら,それが全体の調和した成育となる。そ

れが,画一的な生産をする機械などとは全く異な

る「有機体」の機能である.それが,詩論に於て

は「個性」の解放であり,「アナキズム」論で

の,押しつけの支配への拒否であり,芸術教育論

に於ける,子供の想像力の回復であった.

 これは,同時に「ダイナミズ」にも密接につな

がっている.常に成長してやむことのない「生命

の木」のイメージから,われわれは,彼が「静止

の姿」にではなく,r変化の姿」に積極的価値を

認めている姿勢を見出すのである.Readの評論

に見て来たように,彼はr完成された形式」にで

はなく,「創り出す力」に,「芸術の原理」,そし

て「生命の原理」を見出したのである.この「創

り出す力」の立場にある時,必然的に,「不変性」

ではなく「変化」に・「固定性」ではなく「成長」

と「斬新さ」に価値をおくことになる.Education

倣ough Artの中の,The dem㏄ratic state

should be conceived as a vital organism,its

hmbs articulated,its functions detem血ed

and its forn蛤 prohferated by the nat斑al

mode of life.(P.4)(民主主義国は, 自然な生

活様式によって,手足が成長し,その機能が決ま

り,その身体が増大する生物と考えられねばなら

ぬ.)といっているが,このダイナミズムが彼の

rアナキズム」論の根本理念でもあった.The

Phnogophy of Modem Artの中のArt is_

Page 8: Herbert Readのロマン主義の考察ir.lib.fukushima-u.ac.jp/repo/repository/fukuro/R...Herbert Readのロマン主義の考察 53 の拡がりや乱れに,秩序や調和を与えるものであ

「 Herbert Readのロマン主義の考察 59

an act of renewa】.It renews vision,it re・

news㎞guage;but most essen血11y it re-

news1迂ei圃bye血9㎏血es副サ助・......(P.141)(芸術は更新の働きなのだ.ぞれな

視覚を更新する.言語を更新する.しかし感性を

拡大すことによって,生命そ才頃体を更新するこ一’

とこそもっとも本質だ.)という言葉は,』彼の芸

術論にこめられたダイナミズをよく示すものであ一

ろう.このようなダイナミズヘの志向渉,Readよ『

に,いわば「静」に対する「動」の哲学を形成さ

せたと言うことが出来よう.

 次に「多様性」であるが,これも亦,Readの

ロマン主義に於いて,積極的価値をもっている.

前述のように,rダイナミズ」は,変化し,成長

し,新しい形が生れ為ことであった・次々に新し

い形が生れること,それが,r多様性」である.

「生命の木」のイメπジにあっても,それぞれが

画一的でないユニークな成長をしている.それは

多様である.彼は,芸術にも,社会生活にも,政

治にも,教育にも,このr多様性」を求めた.例

えば,Poetry and Anarc1貞smの中では,一・・

there can be no uniformity in a free fum3n

s㏄iet】んU磁ormityαm only be created by

the tranny of a totaritarian r6gh皿e.(P.40)

(自由な人間社会に画r性はあり得ない・画一性

は全体主義的政体の暴政によってのみつくり出さ

れる.)といい,EducationthroughArtでは,

The essenge of de皿㏄racy lies血hdividua・

Hsm妻variet7,and organic differentiatlon.(p.

4)(民主主義の本質は,個人主義,多様性,有機

的差別にある.)といっている.これらの言葉に

見られるr多様性」は,詩論の「個性」と密接に

つながっている.即ち,芸術作品が,彼のいう

「個性」の自由ないとなみだとすれば一それぞ

れが自身の内的法則をもっているから  一つ,

一つの芸術作品は自分の新しいパターンを創り出

すことになる.その芸術作品は,その作品の出来

.る前にあったパターンとは全く関係がない.それ

ぞれの作品が,ユニークであることは,多種多様

であることである.これが,Read「多様性」の

原理になっている.

 今,「有機体」,rダイナミズム」,「多様性」

の三つの要素から,Readのロマン主義を考察し

てみたのであるが,以上のような考察からも,わ

れわれは彼のロマン主義を積極的なロマン主義と

言うことが出来るであろう.

  ヤ Readは,芸術を個性的な・自律的なものであ

るとし,この「芸術の原理」を,詩論,美術論に

於七論じ,更に芸術の領域以外に於いてこの「原

理」に基づく論理の展開を行ったのである.ある

点で批判の余地があるかも知れないが,彼の理論

の根幹である彼のロマン主義の純粋性ど積極性

は,今後も大きな影響をもちづづけることと思わ

れる.

(1) Fmncis Beロy:Herbe鴬R{ぬd(1%3)p.36

(2)HerbertRea4:A皿als・fl∬豆㏄en㏄孤d

 and Expe貞en㏄p.135

(3} Herbe註Read:Tlle Cult of S血cedty p・93

(4)PMLA,1951,Mardl p.11