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Title 獲得と臨床の音韻論( Dissertation_全文 ) Author(s) 上田, 功 Citation Kyoto University (京都大学) Issue Date 2019-03-25 URL https://doi.org/10.14989/doctor.r13227 Right Type Thesis or Dissertation Textversion ETD Kyoto University

Title 獲得と臨床の音韻論( Dissertation 全文 ) Issue …...1 第1章 序論 1.1 はじめに Roman Jakobsonは音韻体系の普遍性を求め、その研究(Jakobson

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Title 獲得と臨床の音韻論( Dissertation_全文 )

Author(s) 上田, 功

Citation Kyoto University (京都大学)

Issue Date 2019-03-25

URL https://doi.org/10.14989/doctor.r13227

Right

Type Thesis or Dissertation

Textversion ETD

Kyoto University

獲得と臨床の音韻論

上田 功

i

目次

第1章 序論

1.1 はじめに . . . . . . . . .. . . .......................................... 1

1.2 誤構音の規則性 . . . . . . . .......................................4

1.3 関連する音韻現象 . . . . ...................................... 12

1.4 第1章のまとめ . . . . . . . ....................................... 11

第2章 初期の音韻理論による音韻獲得の分析

2.1 はじめに . . . . . . . . .. . . .......................................... 12

2.2 初期生成音韻論 . . . . . . ....................................... 12

2.3 初期生成音韻論に基づく研究の問題点...................... 16

2.4 自然音韻論に基づく音韻過程分析.......................... 20

2.5 基底表示決定の問題と制約の導入.......................... 26

2.6 派生時代の制約の問題点.................................. 32

2.7 第2章のまとめ . . . . . . . ....................................... 34

第3章 より合理的な説明を求めて—音韻理論の発展と獲得研究

3.1 はじめに . . . . . . . . .. . . .......................................... 36

3.2 階層的素性表示と軟口蓋音の獲得.......................... 41

3.3 素性不完全指定と調音位置の同化.......................... 46

3.4 目標音に対する異なる音韻知識............................ 49

3.5 素性の不完全指定と疑似指定............................. 53

3.6 第3章のまとめ . . . . . . . ....................................... 57

ii

第4章 基底の素性指定と語彙拡散による音韻変化

4.1 はじめに . . . . . . . . .. . . .......................................... 59

4.2 語彙拡散による音素分離.................................. 59

4.3 3つの素性不完全指定理論................................. 64

4.4 もう一つのタイプと個人変異.............................. 72

4.5 歴史的音韻変化と方言分布................................. 74

4.6 4章のまとめ . . . . . . . . ........................................ 77

第5章 音獲得順序のパラドクス

5.1 はじめに . . . . . . . . .. . . .......................................... 79

5.2 音素分離と弁別素性...................................... 80

5.3 素性獲得と含意法則 . . ..................................... 88

5.4 依存音韻論による分析 .................................... 90

5.5 音獲得の性格 . . . . . . . . ........................................ 98

5.6 第5章のまとめ . . . . . . ....................................... 101

第6章 継続性のある音韻体系の記述を求めて———最適性理論

6.1 はじめに . . . . . . . . .. . .......................................... 107

6.2 制約のランキングと獲得過程............................... 108

6.3 最適性理論による獲得の類型化............................ 111

6.4 音韻獲得の機能的側面.................................... 119

6.5 音韻獲得の形式面と機能面の関係.......................... 120

6.6 第6章のまとめ . . . . . . ........................................ 122

第7章 まとめと展望(結論にかえて)

7.1 音韻論と獲得・障害 . ...................................... 125

iii

7.2 今後の展望 . . . . . . . . . ......................................... 126

注 . . . . . . . . .. . . .. . . .. . . . ................................................ 131

引用文献 . . . . . . . . . . .. . . . ............................................. 135

付録1、2..................................................... 148

謝辞......................................................... 149

1

第 1 章 序論

1.1 はじめに

Roman Jakobson は音韻体系の普遍性を求め、その研究( Jakobson 1941)は

現代言語学の有標性理論の嚆矢とされるが、彼は幼児の音韻獲得過程に注目

し、幼児は対立する言語音の獲得を繰り返しつつ音を増やしていきながら音

素目録を構成していくと論じ、音韻獲得研究においても先鞭をつけた。その

後 Jakobson (1941)に言及したいくつかの記述的研究が出たが(Velten 1943,

Leopold 1947 等)、質、量共に本格的な研究は、Chomsky and Halle (1968)に集

大成された生成音韻論の登場を待たねばならなかった。生成音韻論は表面的

な分布のあり方に重きを置く構造主義の音素論とは異なり、内在する音韻知

識と表面の音声形を規則で結びつける理論的道具立てを有しており、それが

まさに音韻獲得の動的過程の説明となり得る理論であった。本稿ではこの時

期の生成音韻論を初期生成音韻論と呼ぶことにする。

それ以来、音韻理論は発展を続け、プロソディー等 Chomsky and Halle (1968)

では射程に入っていなかった分野に踏み込んでゆき、さらに分節音に関して

も、理論面の修正を繰り返し、発展していった。それに伴って、音韻獲得研

究も表示と派生両面において、音韻論に立脚した研究が増加していった。さ

らに、しばしばパラダイム転換とも言われる Prince and Smolensky (1993)によ

る最適性理論の台頭に至って、幼児の音韻獲得は音韻理論を支えるひとつの

柱ともなり、欧米では半世紀前とは比較にならないほど研究が盛んになって

いる。

さて本稿の目的は、このような研究の歴史を踏まえ、幼児の音韻獲得の諸

相を現代の音韻論から考察することにある。特に考察対象とするのは次の諸

2

点である。これまで先達の多くの研究にもかかわらず、音韻獲得には昔から

のパラドクスが存在する。ひとつ目は、音獲得の順序には一般的な傾向があ

る反面、幅広い個人差があり、厳密な順序は決定できないというものである。

二つ目は、誤構音(音の逸脱)には一般的傾向があるものの、必ず例外が存

在するというものである。またこの二つのパラドクス以外にも、音の獲得で

は規則的にすべての語彙項目に当該音が現れるタイプと、漸次的に目標音が

現れるタイプがあるという指摘もあり、合計三つの問題がある。本稿ではこ

れらの問題を主たる解明対象としつつ、関係する諸問題に対して、音韻理論

の発展を辿りながら、筆者の論を展開してゆく。

本論文の具体的な構成は次のようになる。次節では日本語の構音獲得の遅

れの事例を取り上げ、誤構音には規則性があり、それが日本語や他の自然言

語の音韻体系と密接に関係しており、それ故音韻理論の射的であることを述

べる。第 2 章では初期生成音韻論による古典的な誤構音の分析を概観し、続

いて 1970 年代から音韻獲得分野で非常に影響力を持っている Stampe (1973)

らの自然音韻論による音韻獲得の考え方と分析を紹介し、それらの問題点を

指摘する。第 3 章では、その後発展した、Clements (1985)等による素性階層

論と Archangeli (1987)等の素性不完全指定理論とを取り上げ、それらがどの

点でより合理的な事実の記述と説明に貢献したかを例証し、さらに知覚と産

出の間のギャップという難しい問題にも言及する。第 4 章ではそれまでの派

生に関する問題から基底の表示に関する問題に目を転じ、音韻発達に伴う基

底表示の変化を、素性不完全指定理論との関係から考察する。ここでは語彙

拡散によって音を獲得するタイプについて論じるが、一見規則性を欠くこの

タイプの獲得にも、基底の素性指定に関して法則性があることを主張する。

3

第 5 章では音獲得の順序と個人差という問題に踏み込み、Dinnsen らの弁別

素性に基づいた研究(Dinnsen 1992 等)に敬意を払いつつ、彼らの研究結果

をさらに一歩進め、音目録の段階的な構成過程の普遍性に関する性格付けを

試みる。第 6 章では、最適性理論による構音発達の分析を論じ、制約を基盤

とする理論が規則に基づいた理論に比べて記述、分析両面において優れてい

ることを論じ、この理論に基づく音韻発達の類型化を試み、それによって音

逸脱における一般的傾向と例外というパラドクスが解決するのみならず、誤

構音のタイプに見られる臨床的な頻度等の機能的な問題についても説明でき

ることを主張する。全体的には音韻理論の発展に伴って、音韻獲得上の誤構

音がどのように説明されてきたかを、筆者独自の分析に基づく主張を展開し

つつ、歴史的に辿ることになるが、各章は音韻理論と音韻事象は研究にとっ

て表裏一体であり、理論と臨床は相互乗り入れ的に裨益し合うべきであると

いう筆者の出張が反映されたものとなっている。

本稿で俎上に上げる音韻データは日本語と英語のものである。これらは正

常発達児だけではなく機能性構音障害児からのデータも多く含まれる。構音

の遅れや障害は聴覚異常や脳損傷、そして口蓋裂等、器質的問題がある場合

にも起こるが、機能性構音障害児は何ら器質的問題が認められないのにもか

かわらず構音獲得が遅れるケースをいう。機能性構音障害は構音障害のカテ

ゴリーとして確立されたものとなっており、純然たる発達上の問題として言

語学の研究対象とされる。以下で述べるように、機能性構音障害児の音韻逸

脱は正常発達児が発達段階で見せる誤構音と共通点が多く、音韻発達におけ

る問題点を映し出す鏡に喩えることができよう。欧米と比べ、我が国では音

韻獲得に機能性構音障害を含めたものは、ほとんどゼロに等しく、また言語

学からのアプローチもほとんど無く、その点で本研究は、ささやかなもので

4

あるが、この大きなギャップをわずかでも埋めることを目的としている。

なお本論で使用する用語であるが、言語病理学や言語発達等で一般的に使

用されている「構音」を「調音」に代わって使用し、「誤構音」を正常音から

の逸脱と同義で使用する。また文脈や言及する理論に応じて、「基底表示/音

韻表示」と「入力表示」を、「音声表示」と「出力表示」を適宜同義に使用す

る。「学習」も獲得と同じ意味に使われる。

1.2 誤構音の規則性 (1 )

幼児の音韻体系は不完全なものから徐々に大人の体系に近づいていくが、

その過程では多くの誤構音が繰り返される。おおよそ 6 歳くらいには大人の

体系を獲得すると言われるが(田口・笹沼 1963)正常発達児より獲得が遅れ

る場合、これを機能性構音障害児と呼ぶ。「障害」という表現は、体系性がな

く無秩序であるような印象を受けるが、機能性構音障害を含む、発達段階の

多くの幼児は、きわめて規則的な音韻体系を持つ。次の幼児の発音の例を見

てみよう。(左の「発音」が本事例の幼児の実際の発音で「目標語」は調査語

を示す。) (2 )

(1) 機能性構音障害児発話データ(ケース 1)

発音 目標語

だっぱ ラッパ

そら そら

ぱらしゅーと パラシュート

てれび テレビ

どーぶつえん 動物園

ぐろーぶ グローブ

5

なみら 涙

でんしゃ 電車

ぶろー ブドウ

でぃす リス

どーそく ローソク

だるま だるま

じろーしゃ 自動車

でもん レモン

一見すると、この発話では、ダ行とラ行が、入れ替わって発音されていると

いう印象をもつ。このタイプの音置換は、5歳を過ぎても正常にならない場

合は、機能性構音障害と判断されることがある。その場合、ほとんどの言語

聴覚士は、「構音能力未発達による、ダ行音とラ行音の混同」というアセスメ

ントを下すことが予想される。しかしながら、音環境や分布といった言語学

的に有意義な概念に基づいて、上記のデータを整理して、標記も IPA を用い

て、もう少し詳細に観察してみよう。

(2) ラ行音の逸脱 (Type A)

1 語頭

a. 音声形 目標語

dappa ɾappa

do ːsokɯ ɾo ːsokɯ

demoɴ ɾemoɴ

disɯ ɾi sɯ

(目標音 /ɾ/は [d]に置換される)

6

b. 音声形 目標語

daɾɯma daɾɯma

do ːbɯʦɯeɴ do ːbɯʦɯeɴ

denʃa denʃa

(目標音 /d/は正しく [d]と発音される)

2 語中

a. 音声形 目標語

paɾaʃɯːto paɾaʃɯːto

ɡɯɾo ːbɯ ɡɯɾo ːbɯ

teɾebi teɾebi

soɾa soɾa

(目標音 /ɾ/は正しく [ɾ]と発音される)

b. 音声形 目標語

ʤ iɾo ːʃa ʤ ido ː ʃa

namiɾa namida

bɯɾo ː bɯdoː

(目標音 /d/は [ɾ]に置換される)

このケースでは、音置換には明らかな方向性があることがわかる。まず語頭

にあっては、必ずラ行音からダ行音へと置換が起こり、反対に、語中にあっ

ては、必ずダ行音がラ行音に置換されている。結果として語頭では、目標音

がダ行音、ラ行音にかかわらず、必ずダ行音が現れ、逆に語中では、必ずラ

行音が現れることになる。すなわち、この現象は語頭、語中ともダ行音とラ

7

行音の対立が失われる中和現象であり、ダ行音とラ行音の分布は、相補的で

あり、きわめて規則的であることがわかる。そうなると、上記のアセスメン

トにある「混同」という判断には、問題が生じてくる。すなわち、もしこれ

をダ行音とラ行音の発音の区別ができないという意味で「混同」と言うなら

ば、語頭において、 'ɾo ːbɯʦɯeɴ 'や 'ɾeɴʃa'のような、ラ行からダ行への音置換

が、また語中では、'gɯdo ːbɯ 'や ' tedebi'といった、ダ行からラ行への音置換が、

起こってもよいはずであるが、それがデータにはまったく見られない。すな

わち、この幼児の音置換の背後には、はっきりとした規則性が存在し、逸脱

発音は、それを反映したものと言えよう。このように、構音障害とは規則が

壊れてしまって無秩序になった状態ではなく、障害児が独自の規則体系をも

つことなのである。誤構音にはこのような規則性が潜んでおり、この性格を

明らかにすることも、音韻理論の重要な貢献のひとつなのである(この症例の

分析に関して、詳しくは Ueda and Davis 2005 参照)。(2)の誤構音はラ行音の

逸脱において、ひとつの一般的なパターンであり、今村(2016)にも類例が

報告されている。今これを Type A と呼ぶことにする。

ラ行の誤構音にはもうひとつの一般的なタイプがある。これを Type B と呼

び、次の(3)で見ることにする。

(3) ラ行音の逸脱 (Type B)

1 語頭

a. 音声形 目標語

dappa ɾappa

do ːsokɯ ɾo ːsokɯ

demoɴ ɾemoɴ

disɯ ɾi sɯ

8

(目標音 /ɾ/は [d]に置換される)

b. 音声形 目標語

dadɯma dadɯma

do ːbɯʦɯeɴ do ːbɯʦɯeɴ

denʃa denʃa

(目標音 /d/は正しく [d]と発音される)

2 語中

a. 音声形 目標語

padaʃɯːto paɾaʃɯːto

ɡɯdo ːbɯ ɡɯɾo ːbɯ

tedebi teɾebi

soda soɾa

(目標音 /ɾ/は [d]に置換される)

b. 音声形 目標語

ʤ ido ː ʃa ʤ ido ː ʃa

namida namida

bɯdo ː bɯdoː

(目標音 /d/は正しく [d]と発音される)

このタイプの誤構音では、すべてのラ行音がダ行音に置き換えられている。

目標ラ行音が、ワ行音やザ行音等他音に置換される場合も少数ながら存在す

るが、置換される場合、圧倒的にダ行音が多く、規則的に置換される場合は、

必ず上記の Type A か Type B のいずれかになる。ここで、そもそもラ行音は

9

何故ダ行音に置換されるのか、そして何故この 2 つのタイプになるのかもこ

れまでは明らかにされてきておらず、解明されなければならない問題である。

例えば Type A に関しては、構造主義の音素論でも、原音素を設定することに

より、表面的な分布は記述が可能である。しかしその原音素がこの誤構音の

音韻体系においてどのような役割を担っているかは明らかにできず、また同

じラ行音の誤構音である Type B との関連性も説明できない。さらに臨床面で

も、正常な構音を獲得するのは Type A より Type B の方が早く、またこれら

が発達の遅れた機能性構音障害である場合、構音訓練に時間を要するのは

Type B に比べて Type A の方である。一見すると Type A は部分的ではあるが

ラ行音が産出されている点で、まったくラ行音が現れない Type B より獲得が

進んでいるように思えるが、事実は逆である (Ueda 2014)。このような獲得

に係わる機能的な側面もまったくこれまで議論がなされておらず、合理的な

説明が求められる所以である。

1.3 関連する音韻現象

このラ行音の逸脱は、獲得の遅れにだけ観られるものではない。馬瀬(1967)

は長野県の幼稚園児を調査し、「りんご」や「りす」ではラ行音が発音できな

い子供も、「おりんご」や「しまりす」になるとラ行音が発音できて、逆に「だ

んご」や「だるま」では問題なかったダ行音が、「おだんご」や「ゆきだるま」

では急にあやしくなって「おらんご」や「ゆきらるま」になる子供が多いと

いう報告をしている。また村田(1970)には Type A とまったく同じ音置換を

する正常発達児の事例が報告されている。すなわちこのようなパターンの誤

構音は、正常発達児の音韻体系にもごく一般的に観られるのである。

次の方言に目を転じてみよう。次の(4)a は古いデータであるが、八丈島

10

で話される八丈方言からのものであり(国立国語研究所 1950)、 b は新潟県

東三条近くの尾崎方言である(東条 1961)。

(4) 方言における [ɾ]と [d]の分布

a. 八丈方言

八丈方言 標準語

dambo ː ɾambo: らんぼう

dentoɡeɴ ɾentoɡeɴ レントゲン

do:sokɯ ɾo:sokɯ ローソク

(語頭でラ行音はダ行音で発音される)

b. 尾崎方言

尾崎方言 標準語

koɾomo kodomo 子供

soɾe sode 袖

so:ɾa so:da そうだ

ʤ iɾo ːʃa ʤ ido ː ʃa 自動車

(語中のダ行音はラ行音で発音される)

これら二つの方言においてラ行音とダ行音の分布は Type Aの誤構音と同じで

ある。(但し、八丈方言では語中で、尾崎方言では語頭で、 [ɾ]と [d]は対立し

ているので、両方言は位置による部分的な中和である。)また語彙においてダ

行音とラ行音が混淆する事例は多くの方言に散見され、 Type A に観られる音

交替は、日本語の文法に広く根ざした傾向であると言える。

さらに日本語以外の言語を見回したとき、次のような例がタガログ語に観

11

られる (Schachter and Otanes 1972)。

(5) タガログ語における [ɾ]と [d]の分布

音声形 意味 音声形 意味

dalita 貧困 maɾalita 貧しい

dapat すべきである naɾaɾapat 適当な

dining 聞いている makaɾining 聞く

( 5)では左右のペアが形態音素交替を示しているが、語頭では [d]が、語中で

は [ɾ]が現れている。タガログ語の例は、語頭の [d]と語中の [ɾ]の分布は、普遍

性の程度はともかくとして、自然言語においても起こりうることの証左とな

っている。このように見てくると、Type A は機能性構音障害と呼んで「障害」

というレッテルを貼るのを躊躇わせるものがある。( 3 ) この分布やそれに関連

する両音の音韻的振る舞いについて、音韻理論は合理的な説明を与えなけれ

ばならない。

1.4 第 1 章のまとめ

本章では幼児の発達段階に観られる誤構音に関して、ラ行音の事例を取り

上げ、これが規則性・体系性をもつこと、そして単に言語発達期の幼児の逸

脱発音だけにとどまらず、日本語の諸方言や他言語の音韻体系のあり方にも

関連する問題であることを論じた。次章からは、幼児の誤構音に関して、こ

れまで音韻理論からどのように説明が試みてこられたかを見て行く。

12

第 2 章 初期の音韻理論による音韻獲得の分析

2.1 はじめに

本章では、Halle (1959)に始まり、Chomsky and Halle (1968)において集大成

を見た初期の生成音韻論による音韻獲得研究を論じるが、最初に生成音韻論

以前にはどのように獲得や誤構音が扱われていたかを概観する。

伝統的に発達段階の幼児の誤構音は、( 1)置換、( 2)省略、そして( 3)歪

みの 3 種類に分類されてきた。置換とは、目標音が他の音に置き換わること

であり、省略とは、ほとんどの場合、子音が脱落するケースをいう。歪みは

目標音とは異なった母語にはない音が構音された場合で、要するに置換でも

省略でもないケースがすべて含まれる。船山・竹下( 2002)は「声門破裂音」、

「鼻咽腔構音」、「口蓋化構音」、「側音化構音」を挙げているが、笹沼・大石

( 1998)は日本音声言語医学会口蓋裂小委員会( 1989)の音声サンプルに基

づいて、これらに「咽頭摩擦音」と「咽頭破裂音」を加えている。要するに

伝統的に誤構音は目標音がどのように発音されているかという、表面的な現

象を見て分類されていたのであった。これはアメリカ合衆国でも同様で、主

要な構音スクリーニングテストである Templin-Darley Tests of Articulation

(Templin and Darley 1960)や Goldman-Fristoe Test of Articulation (Goldman and

Fristoe 1972)等も、表層の音のみに注目している。これが生成音韻論以前の状

況であった。

2.2 初期生成音韻論

生成音韻論の登場は、獲得研究に新しい視座を与えた。この頃すでに研究

者達は、誤構音の規則性に気がつき始めていた。例えば幼児が目標音の [ s ]

13

を [ t ]に置き換えるケースは発達段階でよく起こることであるが、これは必ず

[ s ]が [ t ]に置換されるのであって、決して逆にはならない。つまり誤構音に

は置換の方向性が存在する訳である。生成音韻論では話者の内在する音韻体

系は、余剰的な音韻情報を含まない基底表示に音韻規則が働き、結果として

実際の発音に近い音声標示が導かれると主張する。研究者達が注目したのは、

基底表示と音韻規則であった。すなわち、幼児の音韻体系には、より深いレ

ベルで表層とは異なった知識があり、それに対して音韻規則が働いて、表面

の音形が生ずるという考え方であった。これによって誤構音を音韻体系に関

係づけてより「立体的に」捉えられることとなった。

生成音韻論の援用には今ひとつ利点があった。従来から指摘されてきたの

は、誤構音は単音にとどまらないという事実である。例えば、[ s ]が上記の逸

脱をするケースでは、しばしば [ ʃ ]や [ ʧ ]も [ t ]に置き換えられた。生成音韻

論では音素を最小の音韻単位とせずに、弁別素性の束であると考える。そう

するとこのケースでは、基底表示において、[+strident, -voice]という素性をも

つ音がこの変化を被ることになる。すなわち、粗擦性をもつ無声歯擦音とい

う音類がこの置換を受けることになるわけである。従来の考え方では、この

現象は [ s ]は [ t ]に、 [ ʃ ]も [ t ]に、さらに [ ʧ ]も [ t ]に置換されるという 3 つ

の別個の現象であり、それらの間の関係は捉えられなかった。このように生

成音韻論は誤構音の事象の一般化に成功したわけである。

このような考え方は、Compton (1970, 1975, 1976)、Lorentz (1976)、そして

Smith (1973)などの研究に典型的に見ることができる。次に Smith (1973)から

の例を見ながら、これらの点について考えて見よう。

14

( 6)Smith (1973)の事例(その 1)

音声形 目標語 音声形 目標語

dɛp stamp ʌɡu uncle

bʌp bump ɛbi empty

ɡik drink ɡɛɡu thank you

dɛt tent

( 6)では、すべての(目標)無声子音の前で鼻音が発音されていない。Smith

は、まずこれらの発音の基底表示には、大人と同じ鼻音が存在すると仮定し

た。そして次の音韻規則によって、母音が「脱落」すると論じた

( 7)鼻音脱落規則

[+nasal] → φ / __ [-voice]

もうひとつ例を見てみよう。

( 8)Smith (1973)の事例(その 2)

音声形 目標語 音声形 目標語

wi ːt feet wæwə flower

wiŋə finger ɡæwəәwæn caravan

wæː f ire

( 8)では、[ f ]と [ v ]が [ w ]で発音されている。Smith は( 6)と同じように、

基底表示に / f /と / v /を設定し、次のように母音に先行する位置で、これらを

わたり音に変化させる規則が働くという分析をおこなった。

15

( 9)唇歯音わたり音化規則

[-coronal, +anterior, +continuant, - lateral]

→ [+sonorant] / ___ [+syllabic]

このようにこの変化は、 / f /と / v /という個別の 2 音ではなく、唇歯音という

音類の変化とより一般性をもった現象であると位置づけられることになる。

Smith( 1973)をはじめ、上記の先行研究に従えば、次のような予測ができ

る。それは、音韻規則は適用される環境を満たすすべての音に適用される。

もし音韻獲得が進んでこれらの音韻規則が無くなると、( 6)ではしかるべき

鼻音が、また( 8)では / f /と / v /が、すべての語で現れることである。Smith

( 1973)の観察対象はひとりの幼児であるが、彼はまさにこのような変化が

獲得に伴って起こったと述べている。そしてこのような変化を「全般的変化」

( across-the-board change)と呼び、自説の妥当性のよりどころのひとつにし

ている。

以上、初期の生成音韻論に基づく音韻獲得研究の主張をまとめると次のよ

うになる。

( 10)初期生成音韻論に基づく研究の主張

1. 幼児は大人と同じ(それ故正しい)基底表示をもつ。

2. 誤構音は大人にない(それ故誤った)音韻規則によって生ずる。

3. 音逸脱の原因となる規則の消失とともに構音は正常になる。

このように、初期の生成音韻論の基本概念は、ある意味で音韻獲得の説明に

うまくはめ込むことができたのである。それは2つのレベルを設定すること

16

によって、内在する音韻知識と実際の誤構音との関係を明示的に記述するこ

とが可能になった点に負うところが大きい。しかしながら上記( 10)の主張

はいくつかの点で大きな問題をかかえることになった。次節ではそれを論じ

る。

2.3 初期生成音韻論に基づく研究の問題点

生成音韻論の応用により、発達段階に観られる誤構音の性質を明示的に、

そしてより一般性をもって記述することが可能になったが、それは同時に大

きな問題をも抱えていた。それは上記 (10)の 3.にあるように、「規則の消失」

という点にあった。これを Maxwell and Rockman (1984)から、ある事例の発達

段階の 2 期にわたるデータを見ながら論じていく。この幼児は Matthew とし

て紹介されているが、彼の 3 歳 11 か月の段階では、次のような音置換を見せ

ている。(論文末に、付録 1 として発話データに番号を付して、Matthew( 3

歳 11 か月)のデータ全体を収録している。下記の括弧付き番号は、発話の番

号を示す。)

( 11)Matthew( 3 歳 11 か月)

音声形 目標語

1. dɛn (2) then

2. dæ (12) cab

3. du (13) zoo

4. wo (31) rose

これらの誤構音に関して、1.では、[ ð ]を [ d ]に、2.は、[ k ]を [ d ]に、3.では、

[ z ]を [ d ]に、そして 4.では [ r ]を [ w ]に、それぞれ変換する規則が設定され

る。それを順に形式化すると次のようになり、この幼児はこれらの規則をも

17

っていることになる。

( 12)( 11)の誤構音に対応する音韻規則

1. [-sonorant, +consonantal, +anterior, +coronal, - strident, +voice]

→ [-continuant]

2. [-sonorant, -anterior, -coronal, -voice]

→ [+anterior, +coronal, +voice]

3. [-sonorant, +consonantal, +anterior, +coronal, +continuant, +strident,

+voice] → [-continuant]

4. [-syllabic, +sonorant, +consonantal, +anterior, +coronal, -nasal,

-lateral] → [-consonantal, -coronal]

続いて、音韻発達が進んだ Matthew の 4 歳 3 か月の発話から、関係する語の

発音を見てみよう。(論文末に、付録 2 として発話データに番号を付して、 4

歳 3 か月の時点での Matthew のデータ全体を収録している。下記の括弧付き

番号は、発話の番号を示す。)

( 13)Matthew( 4 歳 3 か月)

音声形 目標語

1. lʊk (9) look

2. dʌz (20) does

3. dɛ (2) there’s

4. wʌf (6) roof

この段階では、すでに [ k ]と [ z ]は正常に産出されているので、規則( 12)の

2.と 3.は音韻体系に存在しないことになる。それに対して、 [ ð ]と [ r ]は、 3

18

歳 11 か月の時点と同じように [ d ]と [ w ]に置換されているので、規則 3.と 4.

は変わらずに存在し続けているということになる。このように音韻体系の獲

得に従って、規則の数は減っていくということになるのである。これは獲得

の過程で、存在していたものがだんだんと減少していって、ついには「消失」

してしまうという奇妙なことが起こることを意味する。さらに問題は、

Matthew の発音できる音(音目録)を調べるとさらに顕在化する。次の( 14)

は Matthew が 3 歳 11 か月の時点で産出した子音である。

( 14)Matthew の音目録( 3 歳 11 か月)

b d ʔ

h

m n ŋ

w j

この時点での音素目録はきわめて未完成であり、Chomsky and Hal le (1968)に

従って、 [ ʔ ] と [ h ]を声門わたり音とすれば、阻害音はわずかに有声破裂音

のみであり、摩擦音や破擦音はまったく見られない。さらに流音も両方とも

欠けている。この結果、次のような誤構音が見られる。

( 15)音脱落による誤構音

音声形 目標語

1. dɪ dish

2. wʊ roof

3. dæ glass

この誤構音に対しては、次のような削除規則を設定することになる。

19

( 16)継続性子音削除規則

[-sonorant, +consonantal, +continuant] → φ

( 16)は継続性阻害音に限定した規則であるが、その他流音を含め、すべて

の産出されない音に対して、削除規則を設定せねばならない。この規則は文

脈自由の規則であり、すべての音環境で多くの音が削除される音韻規則はき

わめて不自然であると言わざるを得ない。またこれは基底の抽象性という問

題にも関係する。これらはすべてまったく表面に現れない音を基底表示にし

ており、非常に抽象度の高い仮説となっている。次に 4 歳 3 か月の Matthew

の目録を見てみよう。

( 17)Matthew の音素目録( 4 歳 3 か月)

pb td kg ʔ

f θ sz ʃ h

ʧ

m n ŋ

l

w j

この段階になると、獲得は相当進み、 3 歳 11 か月では見られなかった摩擦音

や破擦音、側音などが加わり、また閉鎖音や一部の摩擦音には有声無声の対

立も観られる。すなわち、この段階になると、( 16)をはじめとする多くの削

除規則は消失していることになる。このように初期の生成音韻論の基づく獲

得研究は、見るべき成果もあったが、獲得に従って規則が減少し、消滅する

という矛盾、そしてその規則の性格も抽象度の高い中和規則や、不自然な削

20

除規則が多く、自然性を欠くという点で、大きな問題に直面することになっ

た。(この問題点については、後で詳しく論じる。)

さて、 1970 年代に入ると、この理論的矛盾を解消し、獲得研究に新たな理

論的基盤をもたらす音韻理論が現れた。それが、現在も臨床分析に広く用い

られている、Stampe (1973)等の「自然音韻論 (Natural Phonology)」である。

次節ではこれについて議論する。

2.4 自然音韻論に基づく音韻過程分析 (4 )

自然音韻論は伝統的な生成音韻論に対する、いわばアンチテーゼのひとつ

として、Stampe (1969, 1973)や Donegan and Stampe (1979)などで展開された理

論である。この理論の特徴は幼児の音韻獲得をひとつの重要な理論的基盤と

したところである。例として阻害音の中和化現象を取り上げよう。中和化は

ドイツ語、ロシア語、カタルニア語、ポーランド語等非常に多くの自然言語

に観られる音韻現象である。次にポーランド語の例を挙げる。

( 18)ポーランド語の中和化

主格単数 属格複数 意味

rɪba rɪp 魚

broda brut ひげ

droga druk 道

sprava spraf ケース

koza kos やぎ

myedza myets (細長い)土地

ここでは主格単数の有声阻害音が属格複数では無声音となり、語末の位置で

21

有声無声の対立が失われている。このような阻害音の音交替を説明するため、

伝統的な生成音韻論では次のような中和化規則をたてた。

( 19)語末阻害音無声化

[-sonorant] → [-voice] / ______ #

さて、前節の初期生成音韻論の考え方によれば、幼児は獲得の順序として、

まず( 18)の語彙項目の有声無声の対立に関する知識を獲得した後に、( 19)

の語末位置で有声音を無声化する規則を学習することになる。しかしながら、

Stampe の観察によると事実はまったく逆で、幼児ははじめに阻害音をすべて

の位置で無声音として獲得し、そして成長に従って、有声無声の対立を獲得

していくという。例えば、英語等の語末で声の対立のある言語でも、幼児は

まず無声音から獲得し、初期には bad も bat も [bæt]と発音されるという。

Stampe は、阻害音を無声で発音するのは、構音のメカニズムを考えるときに、

きわめて自然なことであり、これを最初に発音のより容易な無声音として獲

得することは言語使用者として、すべての人間に共通することであり、それ

ゆえ生得的であるという。これに対して阻害音の有声無声の対立がある言語

の存在を考えたとき、この有声無声の対立は言語個別の問題であり、対立の

ある言語環境に生まれた人間が、後天的に学習して獲得せねばならない特徴

であるというのが Stampe の主張である。このように Stampe は動的な音韻の

プロセスを二つに分けて、前者を「音韻過程 (phonological process)」、後者を

「音韻規則 (phonological rules)」と呼び、両者を峻別した。音韻過程は生得的

であり、普遍的であるのに対して、音韻規則は後天的であり、言語個別的で

ある ( 5 )。この主張が自然音韻論の中核をなすものであった。この考え方によ

22

ると、音韻獲得とは人間が母語の音韻規則を学習しながら、持って生まれた

自然な音韻過程を、いわば抑圧して進んでいくことになる。 Stampe によると

規則の学習は意識的であり、過程は無意識的である。そして抑圧された過程

は様々な状況、例えば言い間違えや酩酊の時、あるいは外来語の借入などで

その姿を現すという。

さて多くの研究者が注目したのが、この音韻過程であった。前節の生成音

韻論によるアプローチの問題点は、幼児は言語音を産出し始めた時には、す

でに数多くの規則を獲得しており、音韻が発達するにしたがって、これが消

失していくという点であった。もしこの「規則」を「音韻過程」と読み替え

るならば、幼児が生得的にもって生まれてきた数多くの過程は、獲得にした

がって抑圧されていく、言い換えれば、構音能力に対する制限が徐々に無く

なっていくということなので、消失するという矛盾は解消する。このように

新たな理論的基盤を得て、多くの研究者達が「プロセス分析」という名の下

に 獲 得 研 究 を 再 開 し た 。 Weiner (1979) 、 Hodson (1980) 、 Shriberg and

Kwiatkowski (1980)、伊藤( 1990)等をはじめ、多くが後に続き、特に構音障

害の臨床では、プロセスを中心に据えた診断や構音訓練がもてはやされ、そ

の後も多くの診断テストやガイドブックが登場することになる。しかしその

ほとんどは、自然音韻論の理論全体を理解して応用しているとはいいがたく、

単に現実に見られる音置換の傾向を、プロセスと言い換えているだけにすぎ

ない。またプロセス分析では弁別素性を用いず、標記は音素標記へと後退し

た。さらに自然音韻論には、臨床的な問題点も存在する。例えば獲得初期に、

(20 a.)のように、軟口蓋音を歯茎音に置換する誤構音は一般的であり、事例

数も多い。しかしながら症例数は少ないが、(20 b.)のように、逆に歯茎音を

軟口蓋音に置換する事例も存在する(西村 1979)。

23

(20) 機能性構音障害児発話データ 3

音声形 目標語 音声形 目標語

a. mitaɴ mikaɴ potet to poketto

damɯ ɡamɯ dohaɴ ɡohaɴ

b. kamaŋo tamaŋo kiba ʧiba

maŋo mado ɡeŋɰa deŋɰa

自然音韻論では、構音位置に関する困難度を考えると(20 a.)は自然なプロセ

スとされるが、(20 b.)は逆に「不自然な」プロセスである。要するに、まっ

たく正反対の方向性をもつ音置換の、どちらが自然なプロセスなのかという

問題である。英語でも同様の、さらに深刻な例が、Williams and Dinnsen (1987)

によって報告されている。次の(21)は、4 歳 6 か月で N.E.のイニシャルで

紹介された事例であるが、特に破裂音の分布に注目したい。(便宜上、構音位

置に基づいて分類している。)

(21)N.E.(4 歳 6 か月)

音声形 目標語 音声形 目標語 音声形 目標語

[両唇 ] pɪ pinch bɪ big pi ʔ peach

bɛ bed pei page bo blow

bu ʔ boot pʊh push bʊʔ book

bɑh bath

[歯茎 ] tɪku chiken dɪ swim diu deer

dɛ dress dɛ leg tɛi catching

te cage de ʔ gate

24

[軟口蓋] ko comb ɡo ʔ goat ku ʔ soup

kʊ hill ɡʊ girl kɑh cough

ɡoh wash kɑ Tom ɡɑ dog

語頭の破裂音の分布に注目すると、両唇音は目標語と同じ音を産出している

が、歯茎音と軟口蓋音には音置換が見られる。具体的には、歯茎音では ‘tɛ i’

(catching)、 ‘te’ (cage)、 ‘de ʔ‘ (gate)が目標語の軟口蓋音の代わりに使われて

おり、軟口蓋音では、 ‘kɑ’ (Tom)と ‘ɡɑ’ (dog)が目標歯茎音の代用として発

音されている。プロセス分析ならば、前者の歯茎音の誤構音に関しては、(22)

の、軟口蓋音の誤構音については(23)のプロセスを設定することになろう。

(22)前方化

/ k / → [ t ] / ɡ / → [ d ]

( 23)後方化

/ t / → [ k ] / d / → [ ɡ ]

この 2 つのプロセスは、まったく正反対の過程がひとつの音韻体系のなかに

共存することを意味する。自然音韻論の定義では、音韻過程とは構音を容易

ならしめるために生得的に備わった言語機能であるはずである。この事例は

明らかにそれに対する反例になろう。このように自然音韻論には、実際の臨

床例を合理的に説明できないという問題も存在する。この N.E.(4 歳 6 か月)

のデータについては、次章で改めて分析する。

自然音韻論の核となる主張の中で、後天的に獲得される音韻規則について

25

はある程度認めることができても、先天的普遍的な音韻過程は、実質的には

上述した生成音韻論の音韻規則と変わらず、問題はそのままであった。要す

るに、弁別素性の代わりに、矢印の左には大人の発音が基底形として音素表

記され、矢印の右には、幼児の実際の産出形が書かれているにすぎない( 6)。

さらなる疑問として、そもそも言語獲得とは、はたして規則が消失したり、

プロセスが抑圧されたりするような「負」の過程であろうか? Pinker (1989)

も述べているように、言語獲得とは新しいものを徐々に構築していく、積極

的な過程ではないかという直感的にして根本的な疑問は解消されない。

もっとも自然音韻論研究そのものは、その理論的基盤が脆弱であったこと

もあり、1970 年代の後半からは徐々に下火になっていった(栗栖 2005)。そ

の理由としては、生得的で普遍的なプロセスにはどのようなものがあるのか、

そしてそれがいくつあるのか、という根本的なことに具体的な答が出されな

かったことが大きい。この問題は獲得の応用研究にも反映しており、Shriberg

and Kwiatkowski (1980)は自然なプロセスは 8つしかないと言い、Weiner (1979)

は 20 あると主張し、 Ingram (1976)に至っては 27 種類もあると論じている。

さらにプロセスの特徴付けでは、Wolfram and Johnson (1982)は「いくつかの

よく観察される過程」というように厳密さを欠く表現を使用したり、Edwards

and Shriberg (1983)のように「一般的過程」をリストアップした後に、一般的

なプロセスとは認めがたい音変化を、「例外的な音変化」として挙げざるをえ

なくなっている。これらは取りも直さず、音韻過程が理論的にはっきりと明

らかにされていないことを意味している。それにもかかわらずプロセス分析

は、臨床現場では今も変わらず利用されているのが現状である(例えば Dodd

et.al、2006, Lancaster 2008 等)。但し、そのほとんどすべてが自然音韻論の理

論全体を理解して獲得に応用しているとはいいがたく、単にこれまで蓄積さ

26

れた臨床結果を踏まえて、現実に観られる誤構音の傾向をプロセスと言い換

えているにすぎない。今、プロセス分析でも、基底形や音韻過程によって誤

構音を予測し、誤りの方向性や獲得の難易等に関する仮説を伴ったものを、

プロセス分析の「強いバージョン」と呼ぶ。それに対して単に誤構音の傾向

を示し、臨床の助けにしようとするものを「弱いバージョン」と呼ぶ。臨床

現場で言われるプロセス分析はほとんどがこの弱いバージョンである。もし

プロセス分析が真に音韻理論に立脚した音韻獲得へのアプローチたり得るな

らば、それは検証可能な予測を伴う仮説である強いバージョンでなければな

らない(7)。

2.5 基底表示決定の問題と制約の導入

これまで検討して来た初期生成音韻論と自然音韻論に基づく獲得研究の根

本的な問題は何であろうか。それは基底形を音声形にマッピングする動的な

変換(前者にあっては音韻規則、後者にあっては音韻過程)にすべてを依拠

しているところにある。そして基底表示はすべての幼児に画一的に設定され

ていた。基底形はすべてにおいて、大人の(それ故正しい)発音であった。

つまり、幼児が大人の音声形と同じ基底形を獲得しているという前提に立っ

ていた。しかしこれはあくまでも仮説であって、検証された事実ではない。

どの話者も、自身の音韻体系をもっていて、その体系のなかで、基底形がマ

ッピングされて音声形が導かれる。これまでの考えでは、異なる体系である

大人の音声形を、先験的に幼児の基底形と決めていたことになる。Dinnsen ら

はこの基底形の決定に、慎重な立場をとった (Dinnsen, Elbert and Weismer 1980,

Dinnsen 1984)。すなわち、すべての幼児が画一的に大人の音声形と同じ基底

形を獲得しているとは限らないとして、基底表示は言語学的に有意義な事実

27

を確認してはじめておこなわれるべきであると主張した。幼児によっては、

大人と同じ基底形を獲得している場合もあるが、まだ正しい基底形が未獲得

のケースもあり得ると主張した。例えば、英語を外国語とする学習者が、

‘collect’を「訂正する」、‘correct’を「集める」と逆に学習した結果として生ず

る誤構音は基底形そのものが間違っているわけであり、その間違いは [ l ]と

[ r ]の変換規則によって生じるわけではない。誤った基底形がそのまま表面に

現れているだけである。それでは言語学的に有意義な事実とは何か。Dinnsen

らは、音響的な事実も例としてあげているが、音韻的なものとしては、形態

音素交替をあげている (Dinnsen 1984)。次に(11)等で見た Matthew の発話デ

ータから、彼らの主張を見てみよう。Matthew の 4 歳 3 か月の段階(第 2 期)

には次のような産出が観られる

( 24)Matthew( 4 歳 3 か月)無声破裂音の交替

音声形 目標語 音声形 目標語

dʌk (26) duck dʌʔi (26) duckie

pɛp (27) pep pʌʔi (27) peppie

*****

hæʔ i (28) happy pɪʔo (29) pickle

形態音素交替とは、形態的に関係する語の間の音交替であるが、最初の 2 例

では、語末と母音間で無声破裂音と声門破裂音の交替が観られる。この様に、

ある音環境では目標音が産出されている場合は、正しい表示が基底に存在す

ると考える根拠となる。ここではじめて次のような音韻規則を設定する。

28

( 25)無声破裂音声門化規則

[-sonorant, -continuant, -voice] → [-consonantal]

/ [+syl labic] _____ [+syllabic]

この規則は母音間での弱化規則と解釈できる。さらに( 24)の後半の 2 語を

観ると目標無声破裂音が母音間で声門破裂音に置換されているので、規則

( 25)の妥当性が高まることになる。さらに同時期の別のデータを見てみよ

う。

( 26)Matthew( 4 歳 3 か月)有声破裂音の交替

音声形 目標語 音声形 目標語

daɡ (30) dog daɡi/dai (31) doggie

*****

bɛi/bɛjbi (32) baby nobʌi (33) nobody

( [daɡi/dai]はどちらの音声形も産出されたことを示す)

語末の有声破裂音に注目してみると、最初の例では、 dog は [daɡ]と産出され

ているので、[ɡ]は基底形として存在していると考えられる。 形態的に関連す

る doggie は [daɡi]と [ɡ]が含まれる場合もあるものの、[dai]と [ɡ]を含まない形

もあるので、この場合は、 [ɡ]とφの交替があると考えられる。また、 [bɛi]や

[nobʌi]を考慮に入れると、この現象は [ɡ]だけではなく、有声破裂音すべてに

当てはまると考えられる。この事実から、次の規則がたてられる。

( 27)有声破裂音脱落規則(随意的)

[-sonorant, -continuant, +voice] → φ / [+syllabic] _____ [+syl labic]

(optional)

29

規則( 27)は、 [daɡ i]や [ bɛ jbi]等の脱落しない形も産出されているので、随意

的 (optional)規則である。次に時期をさかのぼって、第 1 期の 3 歳 11 か月のデ

ータを見てみよう。

( 28)Matthew( 3 歳 11 か月)

音声形 目標語 音声形 目標語

dæ (37) dad dæi (37) daddy

i (39) eat iin (39) eating

ここでの目標音は破裂音であるが、語末と母音間で、( 24)のような形態音素

交替は観られない。このような場合は目標音がまだ獲得されていないと判断

して、基底表示はそれぞれ、 /dæ/および /i/とする。

この判断基準は、要するに音声として表層に現れないものを基底として認

めないというものである。このように形態音素交替を経験的な証拠と認める

ことは、幼児が正しい基底表示を獲得していれば、必ずいずれかの音韻環境

で何らかの形態素に現れると主張することに繋がる。この主張は、Kiparsky

(1968)に始まり、Hyman (1970)、Harms (1973)、Kenstowicz and Kisseberth (1977,

1979)等で盛んに議論された「抽象性」の問題と深く関わる。これらの議論の

なかには、音声標示に決して現れない抽象的な基底表示を擁護する主張もあ

った。しかし Kenstowicz and Kisseberth (1977, 1979)も認めるように、それは

抽象的な基底表示を認めるに足る十分なデータがある場合のことで、基本的

に基底表示は、可能な限り音声表示に近い方が好ましいとされている。

Matthew は 3 歳 11 か月と 4 歳 3 か月の間にこれらの基底形と、 2 つの規則

を獲得したことになるが、次にこの 2 つの規則の性格を考えてみよう。まず

( 25)の母音間で無声破裂音を声門破裂音に変換する規則であるが、これ

30

は、 ”cotton”が [kɒʔn]、 ”bottom”が [bɒʔm]と発音されるように、英語の諸方言

に散見される規則であり、自然言語としての母語に存在する規則であること

がわかる。また( 27)の有声破裂音脱落規則も、母音間における一種の弱化

規則と考えられる。阻害音の弱化は、段階的に開口度を大きくするか共鳴性

を高めていき、最後に脱落する (Anderson and Ewen 1987)。例えば [ t ]を例に

とると、次のような順序になる。

( 29)子音弱化のスケール

[t] → [d] もしくは [θ] → [ð] → [ɾ] → φ

規則( 27)はこの線に沿った弱化である。ただ自然言語では段階を踏んで弱

化が進むが、Matthew は(おそらく [ð]も [ɾ]も構音できないために)これを過

剰般化 (overgeneralize)して、最後の脱落まで起こしてしまったと考えられる。

このように考えると、この規則も自然言語に見られる音韻現象と深い関係が

あり、その意味で「自然な」規則と言える。初期の生成音韻論で仮定された、

すべての摩擦音や流音を文脈自由に消去する規則と比較して、抽象度も低く、

自然性も高い規則であると考えられる。

それでは Dinnsen らは、音韻体系が獲得が進むにしたがって大人の体系に

近づいていくという事実を、音韻規則の消滅やプロセスの抑圧以外に、どの

ように説明しているのか。彼らは音韻制約という概念を獲得に導入した。

Dinnsen (1984)によると、音韻制約は大きく音配列に関する制約と、音目録に

許される分節音に関する制約に分かたれている。例えば前者に例としては次

のようなものがある。

31

( 30)音配列に関する制約の例

1. 語中の子音はすべて母音に後続されねばならない。

2. 語末の阻害音は許されない。

この制約は、語頭、語中での子音連続や、語末の阻害音で閉じられる音節を

禁ずるものである。また可能な分節音に関する制約には次のような例がある。

( 31)音目録で分節音を制限する制約の例

1. すべての阻害音は無声である。

2. すべての母音は非鼻母音である。

3. すべての阻害音は前方音である。

1.は有声阻害音の出現を禁ずる制約であり、2.は鼻母音を、3.は軟口蓋阻害音

を禁ずる制約である。これらの制約の特徴は音韻規則や音韻プロセスが何ら

かの変換を伴う動的な変化であったのに対して、静的ものである。この制約

を用いて、Matthew の 3 歳 11 か月の時点での音素目録を再考察すると、次の

ような制約が働いている。(すべてを網羅したものではない。)

( 32)Matthew( 3 歳 11 か月)の音目録にかかる制約

1. 阻害音は破裂音である。

2. 阻害音は前方音である。

3. 円唇性わたり音は非舌頂音(唇音)である。

4. 歯擦音は許されない。

5. 流音は許されない。

6. 音節末の阻害音は許されない。

32

これらが抽象度の高い消去規則や中和化規則の代わりとなる。またそれぞれ

の制約も何らかの音声的な有標性を反映しているように見える。このように

制約を導入すると獲得初期であるこの時期には、音韻規則がまったく存在し

ないことになり、これまで論じてきたパラドクスは解消されたかに見え、ま

た獲得可能な文法を制限するという意味からもすぐれた考え方であった。し

かしながら、この制約にも問題が依然として残った。次節ではそれを検討し

ていく。

2.6 派生時代の制約の問題点

制約の導入により、音韻規則の数は制限され、自然言語に見られないよう

な不自然な規則は排除された。その結果として、幼児は必ずしも大人の音声

形と同じ画一的な基底表示を持っているとは限らないという主張を導いた点

で評価されるが、それでも制約は完全ではなかった。Dinnsen (1984)は前述し

たように、( 30)、( 31)の例のような 2 種類の制約を提案した ( 8 )。例えば( 30)

の 2.と( 31)の 1.は次のように形式化される。

( 33)語末の阻害音は許されない。

*[-sonorant] / _____#

( 34)すべての阻害音は無声である。

[-sonorant] → [-voice]

これらは明らかに語彙項目の構造を規定するものである。( 33)は語の連続的

構成を、( 34)は語を構成する個々の分節音内部の構成を、それぞれ規定して

いる。これらは生成音韻論初期に提案された形態素構造条件( morpheme

structure condition)を想起させる。前者は配列構造条件( sequential structure

33

condition)、後者は分節素構造条件( segment structure condition)である。

Dinnsen (1984)の制約は明らかに、かつての形態素構造条件という概念を拡張

して「制約」という名を与えていると考えられる。構造条件は、一義的には

基底表示の素性指定の余剰性を避けるためのものであったが、Dinnsen (1984)

はむしろ素性の共起制限という面を重要視している。 ( 9 )

さて Matthew は 3 歳 11 か月の段階では、( 32)にあるように、音目録にか

かる複数の制約をもっていた。例をあげると、唯一の阻害音類であった有声

前方破裂音は語末に現れなかった。これは何らかの制約が働いた結果として

捉えられるが、 4 歳 3 か月になると、いくつかの阻害音が語末に現れている。

これは制約が失われていくと解釈できるが、それでは制約の消失とは、いっ

たいいかなることであろうかというような、規則の消失と同じような疑問が

生ずる。Dinnsen (1984)では、制約は語彙項目の構造を規定し、基底表示を制

限するとしているが、その明確な性格付けをしていない。要するに制約が音

韻体系のなかでどのように位置づけられるかを明確にしない限り、この問題

は解決しない。また数を制限し、自然性を確保したとしても、依然として音

韻規則は存在する。そしてその音韻規則はやがて消失せねばならない。当然

消失の問題は残る。例えば( 27)の母音間で有声破裂音を脱落させる規則は

随意的規則であった。規則が適用される場合もあればされない場合もあると

いうことである。例えば、 /doggie/を [dai]と発音する場合は適用、 [daɡi]と発

音する場合は適用されないということになる。これはまさにこの規則が消失

する寸前の状態であるが、同一の語彙項目が、まったく同じ音環境にあるの

にもかかわらず、規則が適用されたり、されなかったりする理由は如何とも

説明しがたい。このように動的な音韻獲得においては、文法の変化という問

題が常につきまとう。

34

Dinnsen (1984)の制約は、初期生成音韻論による獲得研究の不備を部分的に

解決したが、規則と共存する限り、根本的な問題は解決できなかった。要す

るに音韻制約は、動的な音韻規則が設定できない場合に設けられる、あくま

でも補完的な役割を果たすものでしかなく、真に説明力を持つ制約の登場は、

最適性理論の登場を待たねばならなかった。 ( 1 0 )

2.7 第 2 章のまとめ

初期の生成音韻論と自然音韻論に基づく研究は、幼児の逸脱発音の原因を

すべて異常な動的規則もしくは過程に帰することにより、これを説明しよう

とした。このため、経験的な証拠もなく、すべての幼児に対して、大人の音

声形と同じ正常な基底表示が画一的に設定された。これに対して、基底表示

は幼児によって異なりうるという研究も少数ではあるがなされ、静的な制約

を導入することによって、可能な音韻体系として不自然な規則を排除し、規

則の数も大幅に減らすことができたが、依然として獲得にしたがって規則が

減少し、消滅するという根本的な疑問は解消できなかった。

さて、これまでの議論から、幼児の音韻体系は基底表示と音韻規則(もし

くは過程)に関して、論理的には次のように類型化できる。

( 35)基底表示と音韻規則による類型

1 2 3 4

基底表示 正常 正常 異常 異常

音韻規則 正常 異常 正常 異常

このうち、1 は正常発達児の体系である。誤構音に関して、初期の生成音韻論

35

は、2 のタイプしか考慮に入れておらず、3 や特に 4 のタイプを理論的に排除

してしまった ( 1 1 )。構音の遅れとしては、2 に比べて 4 は深刻である。2 は規則

が改善されると、当該の分節音を含むすべての語彙項目で正常な形が現れる。

それに対して 4 は、個別の知識として獲得せねばならない基底表示を一語ず

つ学ばなければならないからである。実際臨床でも、2 と評価された幼児に比

較して、4 と評価された幼児は、はるかに正常音の獲得が遅れることが報告さ

れている(Elbert, Dinnsen and Powel l 1984)。

36

第 3 章 より合理的な説明を求めて—音韻理論の発展と獲得研究

3.1 はじめに

前章ではいわば古典的な生成音韻論に基づく音韻獲得研究とその問題点を

論じたが、 1980 年代後半には音韻理論の発展にともない、獲得に対する研究

も進歩し、また多様化した。理論面での発展は、Chomsky and Hal le (1968)が

カバーできなかった音節、アクセント、イントネーション等のプロソディッ

クな問題の解明や、同研究において論じられてはいたが、理論的に不備が指

摘された分節音の問題の修正という形で、すでに 70 年代前半から始まってい

た。また特筆すべきは、音韻獲得や障害のデータが理論研究に取り入れられ、

理論と臨床の間で、いわば相互乗り入れ的な研究が見いだされることである。

これらの研究のうちで、本研究に関係するのは、素性階層理論と素性不完全

指定理論である。

最初に素性階層理論を概観すると、Chomsky and Halle (1968)では分節音は

弁別素性のマトリクスから形成されると定義されていた。すなわち、主音素

性、調音方法に関する素性、調音位置に関する素性、音源素性等が、無秩序

にパッキングされていた。ところが諸言語の同化現象を観てみると、(当然の

ことであるが)調音位置の同化は、調音位置に関する素性のみが変化し、有

声化や無声化では値がかわるのは声の素性のみで、他の素性は変化しない。

このような事実から、研究者は素性はさらにグループ化ができるのではない

かと考え始めた。また理論面でも問題が指摘された。例えば英語の鼻音の調

音位置同化において、基底の鼻音は、後続する子音の調音位置が両唇であれ

ば両唇鼻音へ、歯茎音であれば歯茎鼻音へ、軟口蓋音であれば軟口蓋鼻音へ

と変化する。これらの音韻過程が 3 つの別々のものではなく、ひとつの過程

37

であることを示すために、Chomsky and Halle (1968)の枠組では、ギリシャ文

字変項(Greek let ter variables)が用いられた。しかしながら、変項αとβが

つくのは、[anterior]と [coronal]だけである。何故数多くの素性のなかでこの 2

つだけに変項が付されるのかは、理論的には明らかではなく、恣意的である

との誹りを免れなかった。

すでに 70 年代から自律分節理論によって、音調や鼻音性が独自のレベルに

属するという議論が続けられてきたが、他の素性もいくつもの階層を成し、

素性体系は多次元的であることがわかってきた。そして Clements (1985)や

Sagey (1986)らは、素性のグループ化を試み、さらに素性や素性のグループ間

にはいく種類かの関係があると主張した。これが素性の階層性である。階層

的素性表示のモデルは複数提案されているが、次の( 36)にあげるものは、

最も一般的な表示である。

これを見ると、それまでは対等であった素性は、 [coronal]と [anterior]のよ

うに支配・被支配関係にあるもの、 [anterior]と [dist ributed]のように姉妹関係

にあるもの、あるいは [nasal]と [back]のように、直接的な関係がないもの、と

いうように異なった関係で体系をなしていることになった ( 1 2 )。素性階層理論

によって明らかにされた素性間の関係は、音韻獲得研究に大きな示唆をもた

らした。例えば阻害音の有声・無声の区別に関する誤構音の場合、問題とな

る素性 [voice]はその上の素性 Laryngeal の接点に支配されている。ということ

は、声が関係する誤構音は Supralaryngeal の支配する調音位置や鼻音性とは無

関係である。また [anterior]と関係する前方性の問題は、 [coronal]の素性を持

つ舌頂音に限られる。階層的構造を仮定することで、このようなことが、表

示自体から導かれるのである。

38

( 36)一般的な階層的素性表示

Root

[ sonorant]

[consonantal]

[continuant]

[ lateral]

Supralaryngeal Laryngeal

Soft Palate Place [voice]

[nasal] [labial] [coronal] [dorsal]

[round] [anterior][distributed] [high][low][back]

次に本研究に大きく関係してくる理論が、基底の素性表示を論じた素性不

完全指定理論である。上記の如く、Chomsky and Halle (1968)では、分節音を

形成している弁別素性は基底においては、必ずプラスかマイナスの指定を受

けている完全指定( fully-specif ied)であった。この点に関しても早くから前

述した余剰性との関係で、問題が指摘されていた。この問題はいわば理論そ

のものに内包される問題である。例えば鼻音は原則的に有声音であるので、

[+nasal]と指定されれば、後は自動的に [+voice]が導かれることになり、[voice]

に関しては、基底で指定する必要がなくなってくる。しかしながら 70 年代に

39

はこの未指定をどのように理論に位置づけるかが整備されていなかった。次

によく例にあげられる一般的な 5 母音の体系の素性指定を例にとってこの問

題を考えてみよう。 5 母音の素性は完全指定されると次のようになる (1 3 )。

( 37)完全指定された 5 母音

i e a o u

high + - - - +

low - - + - -

back - - + + +

round - - - + +

これを例えば [+high]ならば必然的に [-low]というような余剰性を排除したり、

[+round]であれば [+back]であるというような言語個別の含意法則によって、

予測可能な指定をブランク表すと次のようになる。

( 38)余剰性等を排除した 5 母音の素性指定

i e a o u

high + - - +

low

back - - +

round - - - + +

そして未指定の素性は、( 39)のディフォールト規則と呼ばれる規則によって

素性値が埋められる (1 4 )。

40

( 39)ディフォールト規則

1. [+high] → [-low]

2. [+round] → [+back]

Archangeli (1988)はさらに、基底では指定される素性が少ないほど好ましいと

論じた。素性不完全指定理論にもいくつかの異なった考え方があるが、

Archangeli (1988)によれば、ある素性の正負の値に関して、有標性の違いが成

り立つならば、基底では有標の値のみ指定して、そして無標の値は未指定に

しておけ ばよいと主張した。そして無標の値を埋める規則を補充規 則

( complement rule)と呼んだ。 5 母音体系の補充規則は次のようになる。

( 40)補充規則

1. [ ] → [-high]

2. [ ] → [-low]

3. [ ] → [-round]

この補充規則をも含めて、最小の素性表示は次のようになる。

( 41)

i e a o u

high + +

back +

round + +

素性不完全指定理論は、音韻獲得のコンテクストにおいては、幼児が当該の

分節音を形成する音韻特徴に関して、どのような知識を有しているかという

41

点できわめて重要になってくる(Stoel-Gamman and Stemberger 1994)。以下で

は素性階層理論と素性不完全指定理論を援用した分析を提示していく。

3.2 階層的素性表示と軟口蓋音の獲得

日本語の音韻獲得において、最も獲得が遅れるのは前にあげたラ行子音と

サ行、ザ行などの歯擦音、そしてカ行、ガ行の軟口蓋音であり、その誤構音

は、それぞれ Rhotacism、Sigmatism、Kappacism と呼ばれている(永渕 1985)。

本節では、まず軟口蓋音に関する誤構音を考察する。次の構音データは、Ueda

(1996 a)からのものである。

( 42)軟口蓋音の誤構音(Subject A 4 歳 1 か月)

音声形 目標語 音声形 目標語

mitaɴ mikaɴ taito taiko

neto neko taŋ i kaŋ i

toppɯ koppɯ satana sakana

medane meŋane damɯ ɡamɯ

dohaɴ ɡohaɴ ɾindo ɾiŋŋo

このタイプの誤構音では、軟口蓋子音が歯茎子音に置換されている。 Ueda

(1996 a)では、次のような別のタイプの誤構音が紹介されている。

42

( 43)軟口蓋音の誤構音(Subject B 3 歳 0 か月)

音声形 目標語 音声形 目標語

miʔaɴ mikaɴ taiʔo taiko

neʔo neko ʔaŋi kaŋ i

ʔoppɯ koppɯ saʔana sakana

meʔane meŋane ʔamɯ ɡamɯ

ʔohaɴ ɡohaɴ ɾiɴʔo ɾiŋŋo

この事例では、目標の軟口蓋音が声門破裂音に置き換えられている。さて、

平野・的場・藤木( 1965)は耳鼻科の臨床現場から、興味深い事実を報告し

ている。まず軟口蓋子音の誤構音は、おおむね( 42)と( 43)の二つのタイ

プに分けられること。今ひとつは、( 42)のタイプに比べて、( 43)のタイプ

は正常な軟口蓋音を獲得するのに時間を要すること、以上の 2 点である。特

に機能性構音障害と診断された場合、前者に比べて後者の方が構音訓練に時

間を要し、正常音獲得に手間取ると述べている。まず第一番目の指摘である、

この 2 つが典型的な誤構音のタイプであるという点について考察する。最初

にこれらの誤構音を、 2 章で論じた Chomsky and Halle (1968)の伝統的な生成

音韻論に基づいて動的過程を記述してみよう。( 42)の歯茎音に置換される音

韻規則は次のようになる。

( 44)前方化( k, ɡ → t , d)

[-sonorant, +consonantal, -continuant, -anterior, -coronal]

→ [+anterior, +coronal]

これは調音位置を前方に移す規則である。続いて( 43)の過程は声門化規則

43

として次のように形式化される。

( 45)声門化( k, ɡ → ʔ)

[-sonorant, +consonantal, -continuant, -anterior, -coronal, +high, +back]

→ [+sonorant, -consonantal, +low, -back]

この 2つの規則を見ると、( 44)の前方化規則によって指定が変化する素性は、

調音位置に関係する [anterior]と [coronal]であるのに対して、( 45)の声門化規

則では [anterior]と [coronal]は変化せずマイナスのままであり、補助的に子音の

調音位置を区別する [high]、[low]、[back]の指定が代わり、さらに Chomsky and

Halle (1968)では、声門破裂音は声門わたり音という位置づけであるので、

[sonorant]や [consonantal]の主音素性も変化する。すなわち、( 44)と( 45)で

形式化された 2 つの規則は、同じ軟口蓋子音の誤構音であるのにもかかわら

ず、両者の間の関連性が捉えられず、これらは何らつながりがない別個の規

則として分析されることになる。 さて同じデータを、階層的な素性構造か

ら考えて見よう。( 36)で示した階層構造から必要な部分だけを取り出すと、

軟口蓋子音の素性は次のように表示される。

( 46)軟口蓋子音の素性表示

Root

Supralaryngeal [-continuant]

Place

Dorsal

44

これが歯茎音に置換されるので変化は次の( 47)ように、Dorsal が Coronal

に変化することになる。

( 47)置換された後の歯茎音の素性表示 (1 5 )

Root

Supralaryngeal [-continuant]

P lace

Coronal

これに対して、軟口蓋子音から声門破裂音への変化は次のように表される。

( 48)軟口蓋子音から声門破裂音の素性表示変化

Root

==

Supralaryngeal Laryngeal [-continuant]

P lace

Dorsal

この変化は、Supralaryngeal 以下の連結線が削除される(すなわち口腔内の調

音位置が消失)ことによって、自動的に Laryngeal が選択され、 [-continuant]

45

の素性指定と相俟って、声門破裂音が得られる。両者の変化を( 47)と( 48)

の表示で比較してみると、歯茎音に置換されるタイプは、調音位置を支配す

る Place の下の Dorsal が Coronal に変化するだけであるが、声門破裂音に置換

されるタイプは、構造の大元となる Root のすぐ下の Supralaryngeal 以下をす

べて切り離すことになる。つまり前者の変化が比較的小さな、周辺的な構造

変化であるのに対して、後者の変化はより根本的で大きな構造の組み替えで

あると言える。このように考えると、平野ら( 1968)の「前者に比べ後者は

正常音の獲得に時間を要する」という指摘は、表示の構造変化の性質や大き

さの違いから自明のこととして導かれるのである。

さらに、この 2 つのタイプの誤構音は、( 44)と( 45)の Chomsky and Hal le

(1968)のモデルによる形式化では、共通点が見られず、別個の 2 つの規則であ

ったが、階層的モデルに依拠すれば、これらは Dorsal を支配している結節線

をどこかで切るという共通点があり、両者を関連づけることができる。この

ように階層的素性表示によれば、軟口蓋子音誤構音の 2 つのタイプが関係し

ていること、その性格の違い、そして臨床的事実を適切に説明することが可

能である。

最後に付記するならば、平野ら( 1968)の耳鼻咽喉科医としての長年の臨

床経験に基づく報告は、言語学分野の研究者では不可能であったものであり、

非常に貴重なものである。また逆に、この臨床的事実に合理的な説明を与え

ることは、音韻理論無しにはありえなかった。本事例の教えるところは、学

際的、分野横断的な研究の重要性と、言語事象と言語理論は、研究において

車の両輪であるということである。

46

3.3 素性不完全指定と調音位置の同化

次に素性不完全指定理論を適用した分析の例を見ることにしよう。( 21)で

破裂音に問題をもつ幼児の事例を紹介したが(Williams and Dinnsen 1987)、

ここで改めて( 49)として同じデータを掲げて、再検討をおこなう。

(49)N.E.(4 歳 6 か月)

音声形 目標語 音声形 目標語 音声形 目標語

[両唇 ] pɪ pinch bɪ big pi ʔ peach

bɛ bed pei page bo blow

bu ʔ boot pʊh push bʊʔ book

bɑh bath

[歯茎 ] tɪku chiken dɪ swim diu deer

dɛ dress dɛ leg tɛi catching

te cage de ʔ gate

[軟口蓋] ko comb ɡo ʔ goat ku ʔ soup

kʊ hill ɡʊ girl kɑh cough

ɡoh wash kɑ Tom ɡɑ dog

この事例は、目標軟口蓋音が舌頂音に置換される一方で( ‘tɛi’ (catching)、 ‘ te’

(cage)、 ‘de ʔ‘ (gate))、目標舌頂音が軟口蓋音に置換される ‘kɑ’ (Tom) ‘ɡɑ’

(dog))、真逆のプロセスが共存する事例として紹介した。このケースに対し

て Williams and Dinnsen (1987)は、軟口蓋音を基底形として、舌頂音を導く次

のような音韻規則を想定している。

47

( 50)Williams and Dinnsen (1987)の音韻規則

[-continuant, +dorsal] → [+coronal] / ____ [+syl labic, -back]

しかしながら、彼ら自身も認めているように、軟口蓋音と舌頂音の分布がほ

ぼ同じであることを考えたとき、この基底形の設定は恣意的であると言わざ

るを得ない。ここで N.E.の破裂音の分布を後続する母音との関係で見てみよ

う。両唇破裂音 [p][b]には、前舌母音も後舌母音も後続している。ところが舌

頂破裂音 [t][d]には前舌母音しか後続しておらず、また軟口蓋破裂音には後舌

母音しか後続していないことがわかる。上記の階層的素性体系では、両唇子

音、舌頂子音、軟口蓋子音は調音位置の節点 Place の下で、それぞれ、Labial、

Coronal、Dorsal という素性をもつ。また母音についてはいくつかの立場があ

るが、Gierut, Cho and Dinnsen (1993)にしたがって、円唇母音が Labial、前舌

母音が Coronal、後舌母音が Dorsal と指定されると考えると、目標軟口蓋音が

舌頂音に置換されている語( ‘tɛi’ (catching)、 ‘te’ (cage)、 ‘de ʔ’ (gate))はす

べて前舌母音が後続し、逆に目標舌頂音が軟口蓋音に置換される語( ‘kɑ’

(Tom) ‘ɡɑ’ (dog))において後続するのは、すべて後舌母音であることがわか

る。ここで歯茎破裂音と軟口蓋破裂音は基底で調音位置に関しては未指定で

あると考えてみよう。そうすると、この誤構音は、( 51)のように、後続する

母音の素性が破裂音に波及した結果であるということになる。それに対して、

前舌母音と後舌母音がどちらも後続する両唇破裂音は、それ自身の調音位置

に関する素性、すなわち Labial が指定されていることになる。

48

( 51) a. ‘te’ (cage)の派生

Place Place Place Place

Coronal Coronal

( ) e t e

b. ‘ɡɑ’ (dog)の派生

Place Place Place Place

Dorsal Dorsal

( ) ɑ ɡ ɑ

( 52) ’b ɪ’ (big)と ‘bo’ (blow)の表示

Place Place Place Place

Labial Coronal Labial Dorsal

b ɪ b o

( 51)では語頭の破裂音は、調音位置に関しては基底で未指定であり(無論、

破裂音を構成する他の素性は指定されている)、後続母音から位置素性の波及

によって、調音位置が決定される。この現象は調音位置に関する同化現象で

あることがわかる。それに対して両唇破裂音は基底で Labial がすでに指定さ

れており、波及も起こらない。別の表現をすれば、N.E.の音韻知識において、

49

破裂音の調音位置は Labial のみが獲得されており、他の Coronal と Dorsal は

未獲得であり、実際の音声は隣接する母音によって、自動的に表層に現れて

いることになる。臨床的に重要なのは、‘tɪku’ (chiken)、‘diu’(deer)、‘dɛ’(dress)

そして ‘ko’(comb)、‘ɡo ʔ’(goat)、‘kɑh’(cough)である。前者にあっては、前舌母

音、後者にあっては後舌母音がたまたま後続したために、同化現象の結果と

して一見すると正しい音が産出されているのである。つまり表面上は正しい

目標音を獲得しているように見える場合でも、音韻知識は不完全であるケー

スが存在することを臨床現場では注意しておく必要がある。(16) このように

素性不完全指定理論から誤構音を見ると、初期の生成音韻論では説明できな

かった事例を、幼児の音韻知識と関連づけて分析することが可能になるので

ある。

3.4 目標音に対する異なる音韻知識 (1 7)

これまで素性の不完全指定という考え方が、音韻獲得に有用であることを

論じてきたが、本節では獲得期の音韻知識という点から、不完全指定だけで

は不十分であることを指摘し、「疑似指定」という概念を導入する。

従来から音韻獲得期の幼児には、ある段階で音声産出と知覚の間にギャッ

プが存在することが指摘されていた。例えば、Kornfeld and Goehl (1974)は次

のような例を挙げている。

( 53)Kornfeld and Goehl (1974)による大人と幼児の会話

Adult: (pointing to a picture) “What’s that?”

Child: “That’s a [wæbıt]”

Adult: “No, say [ r æbıt], not [wæbıt].”

Child: “But I didn’t say [wæbıt]; I said [wæbıt].

50

この会話からわかることは、この幼児は [r]と [w]の聞き分けはできるが、発音

上の区別ができないということである。換言すれば幼児は、たとえ産出はで

きないにせよ、両目標音に対する何らかの知識を有していることになる。

幼児の音韻知識についてさらに踏み込んで考えてみよう。次の事例は( 42)

にあげた軟口蓋音に誤構音を見せる Subject A( 4 歳 1 か月)の無声音の部分

のみを再掲したものある。

( 54)軟口蓋音の誤構音(Subject A 4 歳 1 か月)

音声形 目標語

mitaɴ mikaɴ

potet to poketto

taito taiko

tote ː toke ː

ここでは、目標音 [k]が誤構音され、 [ t]で置き換えられている。ところが、も

し [k]の発音ができないので、他の音で代替するのならば、他にも発音できる

音は多くあるのにもかかわらず、何故すべての目標音 [k]が [ t]で置き換えられ

るのであろうか?すなわち、目標音と代替音の間には、規則的な対応が観ら

れるということである。この事実は幼児の構音能力の未熟さだけに原因を記

してしまうとこの規則的な対応が説明できない。さて、この幼児は獲得が進

むと正常な目標音を獲得した。それが次の(55)である。

51

(55)正常音が獲得された状態(Subject A 5 歳 0 か月)

音声形 目標語

mikaɴ mikaɴ

poketto poketto

taiko taiko

toke ː toke ː

この発達過程はしごく当然のように思えるが、もしこの幼児が [ t]という誤構

音を [k]と発音することを学んだのならば、何故目標音 /k /の代替として誤構音

された [ t]だけが [k] に変化し、すべての [ t]が [k]へと変化しないのであろう

か? [poketto]は [ pokekko]に、 [taiko]は [kaiko]に、そして [toke ː]は [koke ː]に変

化することが予測できるはずである。このように発達によく観られる過剰般

化が起こらないということは、この幼児は /k /を代替する [ t ]と、本来の /t /が発

音として具現化した [ t]に対して、異なった音韻知識をもっているということ

が考えられる。

次の点は言語学的に見て重要である。( 54)と( 55)は複数の目標音( /k/

と /t/)に対して、ひとつの音( [t])が使われる事例である。このようなケー

スでは、目標音によって異なった音韻現象が観られることがあるということ

である。Dinnsen(1993)がわかりやすい英語の事例を紹介しているので次に掲

げることにする。

52

( 56)目標音によって異なった振る舞いを示す事例

a. 音声形 目標語 音声形 目標語

it eat iʔən eating

bæt fat bæʔ i fatty

but boot buʔi booty

b. 音声形 目標語 音声形 目標語

t it teeth titi teethy

wit wreath writi wreathy

maʊt mouth maʊdi mouthy

この事例においては、目標音 /t //θ /どちらに対しても [t]が使われている。とこ

ろが、目標 /t/に使われている [t]は母音間で声門破裂音化を示すのに対して、

目標 /θ /の代用として使われている [t]は、これを引き起こさない。ここでもま

たこの幼児の音韻知識は表面上同じである 2 種類の [t]に関して、質的に異な

っていると考えられるのである。また田口・小川口( 1987)にあげられてい

る日本語の誤構音の事例にも、[ʦɯ]の代替例として、[tɯika](スイカ)、[tɯmiki]

(積木)、[kɯtɯ](靴)、[tɯkɯe](机)が、[ ʃi]の代替例として、[boot i](帽子)

が、[ɾi]の代替例として、[dinno](りんご)が、[ʤ i]の代替例として、[ditenʃa]

(自転車)、 [nindin](人参)がリストアップされているが、これらの誤構音

における子音と母音の組み合わせは、いずれも本来の日本語の音素配列では

許されない音連続である。

以上 4 点、すなわち( 1)聴覚と産出の間のギャップ、( 2)代用音と被代用

音との間の規則的な対応、( 3)発達にともなう過剰般化が観られないこと、( 4)

53

異なった目標音に使われた同じ音が異なった音韻現象を示すこと、これらの

点から、幼児はたとえ産出上は区別できなくとも、異なった目標音に対して、

何らかの異なった知識を有していると考えられる。そこで、表面上は同じ 2

種類の音を、表示の上でどのように区別すべきかが問題となってくるのであ

る。これを次に論じることにしよう。

3.5 素性の不完全指定と疑似指定

前述した異なる目標音に対する同じ音の表示に関して、上の /k /を代替する

[ t]と、本来の /t/の発音である [ t]を例に考えていこう。これまで議論してきた

階層的素性体系では、軟口蓋破裂音は( 46)で見たように、次のように表示

される。(議論に無関係な素性は省略している。)

( 57)軟口蓋子音の素性表示

Root

Supralaryngeal [-continuant]

Place

Dorsal

これに対して、歯茎破裂音の素性表示は( 47)では Coronal を表示したが、

Paradis and Prunet (1991)によると、調音位置の中で舌頂音はディフォールトで

あるので、歯茎破裂音は( 58)のように基底では表示されず未指定であり、( 59)

のようなディフォールト値を具現化するディフォールト規則によって実際の

54

音声が導かれる。

( 58)歯茎破裂音の素性表示

Root

Supralaryngeal [-continuant]

Place

( 59)歯茎音の発音を導くディフォールト規則

Place → Coronal

このように歯茎位置が未指定であるという仮説を立証するために、Paradis and

Prunet (1991)では音素配列の制約や、言い誤り、失語症等、内的外的な事実が

あげられているが、Dinnsen (1996)では獲得の観点から、次のような現象が挙

げられている。

( 60)子音調和の例(Subject 18 4 歳 3 か月)

音声形 目標語 音声形 目標語

bupi bootie pæp fat

bæpi bathy baʊp mouth

bʌpi bussy peɪp face

これは、子音の素性が母音を越えて、隣接する真に影響をおよぼす、別名「長

距離子音同化」とも呼ばれる現象であるが、このケースでは語頭の両唇音の

影響で、次の歯茎音が両唇音に同化している。これを形式化すると次のよう

55

になろう。

( 61)歯茎音の派生

C V C C V C

Root Root Root Root

Place Place → Place Place

Labial Labial

つまり、後続する歯茎音には調音位置が指定されておらず、いわば「空」と

なっているので、先行する両唇音の素性 Labial が容易に波及するのである。

それではもう一方の本来の目標音 /k/を代替する [ t]をどのように表示すれば

よいのか。上であげた 4 つの理由から、その表示は( 58)のディフォールト

の表示とは異なるもので、しかも実際の発音である [ t]を満足させるものでな

ければならない。ここで素性の不完全指定に修正を加えて、本来ならば未指

定であるディフォールト値が指定されている表示を考えてみよう。

( 62)軟口蓋破裂音を代替する歯茎破裂音の素性表示

Root

Supralaryngeal [-continuant]

P lace

Coronal

56

本来、素性 Coronal は( 59)のディフォールト規則で埋められるもので、基底

で指定されてはならない値である。すなわち( 62)は正常ではない表示と言

える。しかしながらこの表示を仮定することにより、 2 種類の [ t]を区別でき

るのみならず、現実に産出される音声の特徴をも矛盾することなく説明する

ことができるのである。Dinnsen (1993)はこれを shadow specification と呼び、

と呼び、Ueda (1996b)は「素性疑似指定」の訳語を与え、日本語の数々の事例

においてこの仮説の妥当性を検証している。次にこの素性疑似指定を指示す

る証拠を次にあげてみたい。( 63)は( 60)と同じ幼児からの事例である。

( 63)子音調和が起こらない例(Subject 18 4 歳 3 か月)

音声形 目標語 音声形 目標語

pıdi piggie bædi baggie

この例では、両唇音が隣接しているという( 60)と同じ条件であるにもかか

わらず子音調和が起こっていない。それはこの歯茎破裂音 [d]は本来の /ɡ/の代

用である [d]であるので、すでに調音位置として Coronal が疑似指定されてお

り、「空」ではないので、素性 Labial の波及をブロックするので同化が起こら

ないという説明ができる。これを図式化すると次のようになる。

57

( 64)疑似指定により、Labial 波及をブロックする事例

C V C C V C

Root Root Root Root

Place Place → Place Place

Labial Coronal Labial Coronal

この様に、素性の疑似指定を仮定すれば、誤構音の代用音と本来の音の基底

表示の区別が可能となるだけではなく、その結果として産出された音声の事

実をも説明することができるのである。

Spencer (1988)は、このような同じ音の表示における区別に関して、音韻発

達の 3 つの段階を認めている。それは( 1)知覚、産出のいずれにおいても 2

音を区別できない段階、( 2)知覚上区別はできるが、産出上は区別ができな

い段階、( 3)知覚、産出のどちらにおいても区別できる段階の 3 つである。

本節で議論している素性の疑似指定は、この( 2)の段階にあたり、幼児が大

人の音韻体系を獲得していく中間的な、不安定な段階の音韻体系であると言

えよう。

3.6 第 3 章のまとめ

Chomsky and Halle (1968)の枠組では、分節音は無秩序にパッキングされた

素性の束から成り、それが糸に通されたビーズ玉のように時間軸上に並んで

いた。その後音韻理論は発展し、分節音の音声特徴を決定する素性はグルー

プ分けされた 3 次元的構造をなすと考えられるようになった。本章では、特

58

に素性の階層性に注目して、階層的構造の表示に基づけば、従来の線的なモ

デルより、合理的な分析が可能となり、また同時に臨床現場での事実も反映

した説明が可能となることを示した。また素性の不完全指定と、それを発展

させた素性疑似指定によって、獲得期の音韻知識を明らかにすることが可能

であることを主張した。次章では、基底の素性不完全指定をさらに深く追求

し、語彙拡散的な音韻変化を考察することにする。

59

第 4 章 基底の素性指定と語彙拡散による音韻変化 (1 8 )

4.1 はじめに

これまでは音韻獲得や誤構音の形式的な側面を議論してきたが、正常音の

獲得については、発達のあり方に関して、機能的な違いが存在する。具体的

にいえば、学習者としての幼児は獲得の速い者と、そうでない者の 2 つにグ

ループ分けができるのである(福迫・沢島・阿部 1976、Ueda 1999)。前者は

誤構音のパターンが一定であり、また正常音を獲得する時間も短い。目標音

が現れ始めるとすぐにすべての語彙項目において目標音が出現する。それに

対して後者は誤構音に観られる代替音も同じ音とは限らず、置換のパターン

は不安定であり、目標音の獲得は一語また一語と進むので、なかなか誤構音

は解消しない。これまでの議論では、多くの研究者が誤構音を誤った音韻規

則や音韻プロセスが原因であると主張していることを見た。もし原因が規則

やプロセスであるならば、これらの問題が解消されると、誤った音を含むす

べての語彙項目において正常音が現れるはずである。すなわちこれは上で述

べた前者の獲得の速いタイプの学習者ということになる。それでは後者の獲

得の遅いグループはどのような過程で目標音を獲得していくのかを論じるの

が本章の目的である。具体的にはこのタイプの獲得は語彙項目の基底の指定

変化と捉え、前節で論じた素性不完全指定理論をさらに深く考察し、再びラ

行音の獲得を俎上に上げ、いくつかの異なった立場の主張を検討する。また

歴史的音韻変化との関係等の発展的問題にも言及する。

4.2 語彙拡散による音素分離

音韻獲得には機能的視点から見て、2 つのタイプがあることを述べた。そし

60

て獲得の速い学習者は、比較的短期間で、すべての語で正常音が現れること

も述べた。これはまさに Smith (1973)が主張した全般的変化( across- the-board

change)であり、正常音の出現は規則もしくは音韻プロセスの解消によるも

のであることを示唆している。それに対して獲得の遅いタイプは、正常音の

出現にこのような規則性( lawfulness)が見て取れない。これは規則やプロセ

スの問題ではなく、目標音が基底において正常な表示がなされておらず、そ

のために一語一語正しい基底表示を学んでいかねばならず、結果として獲得

に長い期間を要すると考えられる。代替音が一定ではなく、置換が不安定で

あることも基底に問題があることを示唆している。これまで議論してきたラ

行音の獲得においても、Ueda and Davis (1999)がラ行音は語頭に比べて語中で

ははるかに早く出現すると出現位置に関する規則性を述べているほか、石川

( 1930)はさらにラ行音は [i]が後続する場合に最も多く出現し、逆に [a]が後

続すると最も出現しにくいと、後続母音に関しても規則性を指摘している。

他方で、これまでの発達心理学や言語障害学領域の研究でラ行音の獲得時期

を調べると、高木・安田( 1967)では 6 歳半以上、大和田・中西・大重( 1970)

が 4 歳 5 か月、中西・大和田・藤田( 1972)では 5 歳 6 か月から 11 か月と相

当な差があることがわかる。これらの分野の調査手法は、産出における 90%

の正答率をもって獲得とみなしているが、この研究結果の大きな差は、調査

対象の母集団にどれだけ獲得の遅いタイプの幼児がいるかによる、その差で

あると推察できる。最初は同一音素の異音であった 2 音が、音韻発達の結果、

別個の音素になることを音素分離( phonemic spli t)と呼ぶが、このタイプで

は、徐々に目標音が語彙の中に浸透していくタイプであり、語彙拡散( lexical

diffusion)による音素分離である。すなわち、目標の正常音を含んだ語が時間

をかけて増加していく訳である。それではこの語彙拡散のタイプの獲得はど

61

のようなメカニズムで目標音を獲得していくのかを、本論文の冒頭で紹介し

たラ行音の誤構音を例にとり、考えてみよう。次の( 65)は( 2)として紹介

したタイプ(Type A)に若干の追加をしたものである。

(65) Type A の音素分離(第一期)

1 語頭

a. 音声形 目標語

dappa ɾappa

do ːsokɯ ɾo ːsokɯ

demoɴ ɾemoɴ

disɯ ɾi sɯ

(目標音 /ɾ/は [d]に置換される)

b. 音声形 目標語

daɾɯma daɾɯma

do ːbɯʦɯeɴ do ːbɯʦɯeɴ

denʃa denʃa

(目標音 /d/は正しく [d]と発音される)

2 語中

a. 音声形 目標語

paɾaʃɯːto paɾaʃɯːto

ɡɯɾo ːbɯ ɡɯɾo ːbɯ

teɾebi teɾebi

soɾa soɾa

(目標音 /ɾ/は正しく [ɾ]と発音される)

62

b. 音声形 目標語

sɯbeɾ iɾai sɯbeɾ idai

ʤ iɾo ːʃa ʤ ido ː ʃa

namiɾa namida

bɯɾo ː bɯdoː

(目標音 /d/は [ɾ]に置換される)

この最初の段階では、ラ行音とダ行音は完全な相補分布を示しており、同一

音素異音の関係にある。これを第一期と呼んでおく。ここから音素分離が始

まるのであるが、正常音獲得に規則性を示さないタイプの学習者にとって、

音素分離は一瞬に起こるわけではない。次の(66)で獲得がいくらか進んだ

段階を見てみよう(上田 2004)。

(66)Type A の音素分離(第二期)

1 語頭

a. 音声形 目標語

dappa ɾappa

do ːsokɯ ɾo ːsokɯ

demoɴ ɾemoɴ

ɾi sɯ ɾi sɯ

(いくつかの語に [ɾ]が出現する)

b. 音声形 目標語

daɾɯma daɾɯma

do ːbɯʦɯeɴ do ːbɯʦɯeɴ

denʃa denʃa

(目標音 /d/は正しく [d]と発音される)

63

2 語中

a. 音声形 目標語

paɾaʃɯːto paɾaʃɯːto

ɡɯɾo ːbɯ ɡɯɾo ːbɯ

teɾebi teɾebi

soɾa soɾa

(目標音 /ɾ/は正しく [ɾ]と発音される)

b. 音声形 目標語

sɯbeɾ idai sɯbeɾ idai

ʤ iɾo ːʃa ʤ ido ː ʃa

namida namida

bɯɾo ː bɯdoː

(いくつかの語に [d]が出現する)

第二期では、語頭の目標ラ行子音が ‘ɾi sɯ’において現れているが、その他の語

では、変わらず [d]で置換されている。また語中では、 ‘sɯbeɾidai’と ‘namida’

に目標ダ行音が、その他の語においては [ɾ]によって代替されている。この時

期は同じ音環境で正常音と誤構音とが混在する時期と言える。やがてさらに

獲得が進むと、すべての語彙項目でしかるべき目標音が出現し、音素分離は

完了する。語頭の位置では ‘ɾappa’、 ‘ɾo ːsokɯ’、 ‘ɾemoɴ’が、語中では ‘ʤ ido ːʃa’、

‘bɯdoː’が正しく産出されるようになるわけである。この最終段階を第三期と

呼ぶ。このように獲得の遅い、規則性の見られないタイプでは、獲得に 3 つ

の連続した段階が認められる。これを総合的に記述・説明できる音韻理論が

求められるわけである。

64

4.3 3 つの素性不完全指定理論

さてこのタイプの獲得は基底の素性指定の問題であるので、これまで論じ

てきた素性不完全指定理論の射程になる。しかしながらこの理論にもいくつ

かの異なった立場があり、どの立場をとるかによって、獲得に対する意味合

いが大きく変わってくる。以下に素性不完全指定の 3 つの異なる考え方を紹

介する。まず Steriade (1989)は、対立する素性は基底ですべて具体的に指定さ

れなければならないと主張している。これを対立的素性指定理論(Contrastive

Underspecif ication、以下 CTU と略)と呼ぶ。続いて前述した Archangeli (1988)

の文脈自由根本的素性不完全指定理論(Context-free Radical Underspecificat ion、

以下 CFRU と略)では、基底において有標の素性値のみが、すべての文脈に

画一的に指定されるという主張がなされている。最後に、Kiparsky (1993)は同

様に、基底では有標の素性値のみが指定を受けるが、相対的な有標性は文脈

によって異なりうると主張し、これを文脈依存根本的素性不完全指定理論

(Context-sensitive Radical Underspecif ication、以下 CSRU と略)と呼ぶ。この

3 つの主張を上記のラ行音の獲得に当てはめて考えると次のような表示とな

る。 ここでラ行音とダ行音の相対的有標性は、両者の分布や頻度を考慮し

て、ラ行音を有標としている(Eckman,Moravcsik and Wirth 1986)。また位置

に関していえば、Type A のようなラ行音とダ行音の分布を考えると、ラ行音

は語中で無標であり、語頭で有標であると判断され、ダ行音はそれとは逆に

なる。 (1 9 )

65

( 67)ラ行音とダ行音の指定( 3 つの異なる立場)

CTU CFRU CSRU

語頭 ɾ +sonorant +sonorant +sonorant

d -sonorant underspecified underspecified

語中 ɾ +sonorant +sonorant underspecified

d -sonorant underspecified -sonorant

最初は第1期である。この時期の分布に関しては、3 つのどの立場であって

も、適切に記述が可能である。すなわちダ行音とラ行音は非対立的であるの

で、素性を未指定にしておくならば、いずれの立場でもこの事実を説明でき

る。ダ行音とラ行音を弁別する違いを、Carr (1993)に従って、共鳴性の有無

であり、素性では前者を [-sonorant]、後者を [+sonorant]であると考えると、基

底では [sonorant]は未指定であり、語頭ではマイナスが、語中ではプラスがデ

ィフォールトとして選ばれることになる。このディフォールト値は、後の派

生段階で埋められるが、その規則は次のようになろう。

( 68)文脈依存ディフォールト値挿入規則

[ ] → [- sonorant]/ #___ [ ] → [+sonorant]/ V ___ V

( [sonorant]に関して未指定である場合、語頭ではマイナス、語中では

プラスをディフォールト値として挿入せよ。)

さて、第 1 期の状態は、次のような説明が可能であろう。

66

( 69)第 1 期の基底での素性表示

語頭 語中

‘d’ 未指定 ×

‘r’ × 未指定

この表では、‘d’ と ‘r’を区別する素性 [sonorant]が、語頭ではダ行音に関して、

語中ではラ行音に関して、いずれも未指定となっている。(表の中の×は当該

音が現れないことを示している。)これらは( 68)のいわゆる異音化規則によ

りディフォールト値が挿入され、語頭ではダ行音が、語中ではラ行音が出現

することになり、結果として第 1 期の相補分布が得られる。そもそも第 1 期

では、 2 音の対立がないので、CTU、CFRU、CSRU のいずれもが、分布の事

実に合った説明を与えうることになる。ところが問題は次の第二期である。

第二期を CTU、CFRU、CSRU の順に検討していく。

第二期の語頭では、目標音 ‘r’を含む語 ‘ɾi sɯ ’にラ行音が出現し、反対に語中

ではダ行音が部分的に出現する( ‘sɯbeɾ ida’i と ‘namida’)。これをまず CTU(対

立的素性指定理論)で考えてみよう。CTU においては、全ての対立する素性

は基底でプラスかマイナスの指定がなされていないといけない。第二期には

語頭にも語中にも ‘d’ と ‘r’両方が出現しているので 、この 2 音は素性

[sonorant]において対立していることになる。つまりダ行音であればマイナス、

ラ行音であればプラスと、基底で指定されているわけである。そして基底で

指定がなされているので、ディフォールト値挿入規則はもはや表面的には機

能を停止していなければならない。この状態を( 69)に習って図示してみる

と次のようになる。

67

( 70)CTU による第二期の規定での素性表示(第二期)

語頭 語中

‘d’ [-sonorant] [-sonorant]

‘r’ [+sonorant] [+sonorant]

( 70)では位置にかかわらず、すべてのダ行音は [-sonorant]、すべてのラ行音

は [+sonorant]の指定を受けることを表している。さて、ここで問題が生じて

くる。まず語頭では ‘ɾi sɯ’にラ行音が出現しているが、依然として他の語はダ

行音で代替されている。これらの語では基底における表示が [+sonorant]に変

更されたにもかかわらず、元のままの [-sonorant]の音声形を保ったままである。

同様に、語中でも目標ダ行音が、 ‘sɯbeɾidai’と ‘namida’で出現しているが、依

然としてラ行音のまま残っている語がある。これらは、基底での指定が

[-sonorant]に変更されたにもかかわらず、音声的には変化せずに [+sonorant]の

ままである。すなわち、これら変化を起こしていない語では、音声形の素性

指定が基底の素性指定とまったく逆になってしまっている。しかも、特に第

二期の最初の段階にあっては、これらは数少ない例外ではなく、数の上では

正しく産出される語を上回っているのである。

このような語頭のラ行音や語中のダ行音の出現と、依然として誤って発音

される語の混在に対して CTU の立場でなしうる最善の解釈は、第一期から第

二期へと以降する際に、幼児の音韻体系において変化が起こり、基底の

[sonorant]の素性指定が音声形の素性と一致しない段階、すなわちダ行音とラ

行音が混同される状態に変化したという解釈であろう。しかしながら、この

解釈も誤りであることがわかる。次の表でダ行音とラ行音の分布を目標音と

の関係に注目して見てみよう。

68

( 71)ダ行音とラ行音の目標音との関係で見た分布

語頭 語中

本来のダ行音 ○ ○

ラ行音の代替のダ行音 ○ ×

本来のラ行音 ○ ○

ダ行音の代替のラ行音 × ○

この表では、「本来のダ行音」は目標ダ行音がしかるべきダ行音で発音されて

いることを示し、(66)では語頭 b 群のすべての語と、語中の ‘sɯbeɾ idai’と

‘namida’がこれに相当する。「ラ行音の代替のダ行音」は本来のラ行音がダ行

音に置き換わる場合で、(66)では語 a 群の ‘dappa’、 ‘do:sokɯ’、 ‘demoɴ’が

これにあたる。「本来のラ行音」は目標ラ行音がしかるべきラ行音で現れてい

る場合で、語頭 a 群の ‘ɾ isɯ’と、語中 a 群のすべての語がこれに相当する。最

後に「ダ行音の代替のラ行音」は目標のダ行音がラ行音によって代替されて

いるケースで、(66)の語中 b 群の ‘ʤ iɾo ːʃa’と ‘bɯɾo ː’がこれにあたる。また表

中の○は該当するケースが存在することを示し、逆に×は存在しないことを

表している。この表を一見すると、語頭においては「ダ行音の代替のラ行音」

が、語中においては「ラ行音の代替のダ行音」が存在しないことがわかる。

すなわち ‘ɾaɾɯma’や ‘ɾo:bɯʦɯeɴ’、 ‘ tedebi’や ‘soda’のような形は存在しないの

である。もし幼児の音韻体系において [sonorant]の指定に段階的変化が起こり、

ダ行音とラ行音の区別がつかないのならば、当然その帰結としてこのような

語頭のラ行音や語中のダ行音もあり得るはずである。CTU はこの理論的には

可能な誤構音の体系的な空白を説明できないことになる。

69

それでは CFRU(文脈自由根本的素性不完全指定理論)はどうであろうか。

CFRU の主張は基底で有標な素性値のみが指定され、無標な素性値は文脈に

関係なく未指定のままにしておかれるというものであった。さて( 70)にな

らって基底での表示を図示すると次のようになる。

( 72)CFRU による第二期の規定での素性表示(第二期)

語頭 語中

‘d’ 未指定 未指定

‘r’ [+sonorant] [+sonorant]

図中の未指定の値は、後の派生の過程で次のような文脈自由の異音化規則に

よって埋められることになる。

( 73)文脈自由ディフォールト値挿入規則

[ ] → [- sonorant]

( [sonorant]に関して未指定の場合、マイナスを指定せよ。)

さて、この CFRT は、語頭の分布に関しては適切な記述を与えることができ

る。語頭 a 群に新たに出現した ‘ɾ isɯ’のラ行音だけが [+sonorant]と指定される

わけである。a 群の残りの語と、b 群のすべての語に関しては、素性値は未指

定のままであり、これが後にディフォールト値のマイナスで埋められ、ダ行

音として産出される。ところが語中では問題が起こってくる。ラ行からダ行

に変化した ‘sɯbeɾidai’と ‘namida’では、基底が指定されていないままであり、

素性指定に変化がないままであるにもかかわらず、音韻変化を起こしている。

つまり CFRU では、基底表示が変わらず何ら変化が予測されないところに変

化が起こる訳である。つまり、第一期から第二期への変化の過程で、基底形

70

と音声形の対応が適切ではないわけである。

また第二期の語中における指定の変化に注目すると、最初の語彙項目にダ

行音が現れた瞬間に(すなわち第一期から第二期に移行した瞬間に)、残りの

ラ行音の誤構音をとどめているすべての語の指定が、第一期の未指定から

[+sonorant]へと突然変化することになる。この最初のダ行音は、唯一の未指

定の音なのである。そして獲得が進むにつれて、未指定のダ行音が増加して

ゆき、逆に有標の [+sonorant]の指定を受けるラ行音が減少していくことにな

るが、音韻発達を有標性の獲得過程と見なしうるならば、奇妙な現象が起こ

っていることになる。

最後に CSRU(文脈依存根本的素性不完全指定理論)を検討する。CSRU で

は、有標の素性値のみが基底で指定され、無標の値は未指定である点では、

CFRU と変わらないが、有標と無標の相対的関係が文脈によって異なりうる

という主張をする。言い換えれば、ディフォールト値は語の位置によって異

なるという立場である。それでは次に CSRU による第二期の基底での素性表

示を見てみよう。

( 74)CSRU による第二期の規定での素性表示(第二期)

語頭 語中

‘d’ 未指定 [-sonorant]

‘r’ [+sonorant] 未指定

この表では、語頭ではラ行音が、語中ではダ行音が有標であり、それぞれ

[+sonorant]、 [-sonorant]と指定されている。これに対して語頭ではダ行音、語

中ではラ行音が未指定である。それぞれのディフォールト値であるマイナス

71

とプラスは後の派生規則で指定される。すなわち、語頭と語中ではディフォ

ールト値が逆転するわけである。まず語頭ではラ行音に変化した語のみが基

底で [+sonorant]の指定を受ける。 ‘ɾ isɯ’がこれに相当する。残りの語について

は、[sonorant]は未指定のままであるので、( 68)のような文脈異存のディフォ

ールト値挿入規則によって、音声形としてはすべてダ行音が現れる。語中に

おいてはダ行音が出現した語においてのみ、基底で [-sonorant]の指定を受ける。

‘sɯbeɾidai’と ‘namida’がこれにあたる。残りの語ではやはり [sonorant]は未指定

のまま残り、ディフォールト値挿入規則によって、今度はすべてラ行音で現

れる。すなわち、音声形が変化した語においてのみ、基底で指定がなされる

わけである。獲得が進むにつれ、語頭ではラ行音が現れた語が、語中ではダ

行音が現れた語が増加していくが、これは単に基底で指定を受ける語が増加

してゆくだけである。つまり第 1 期を示した( 69)の表にある×の部分、す

なわちブランクであったところが漸次的に増加していくのである。これによ

って基底での指定の変化は、音声形の変化に応じた、しかも最小の変化をす

ればよいことになる。

また当然のことながら、音素分離が完了するまで、ディフォールト値挿入

規則は働き続ける。その結果、語頭において未指定として獲得された ‘daɾɯma’

や ‘daŋŋo’が、語中の位置にくると、この規則によって自動的に [+sonorant]と

ディフォールト値が与えられるので、結果として ‘jɯkiɾaɾɯma’や ‘oɾaŋŋo’とし

て産出され、元の形と形態音素交替を示すことが予測できる。第1章で紹介

した、馬瀬( 1967)の観察したケースは、まさにこの予測に一致するわけで

ある。

以上のように、基底部の音韻発達に関しては、CSRU のみが第二期の音韻

体系と第一期からの移行を矛盾なく説明できることになる。このように有標

72

の指定を受ける語彙項目が徐々に増加していくことによって獲得が進行し、

最終的に第三期にいたって、幼児は成人と同じ音声形を産出するにいたるの

である。

4.4 もう一つのタイプと個人変異

(3)では ラ行音の逸脱のいまひとつの典型的なタイプとして、目標ラ行音

が、すべての位置で ダ行音に置換されるパターンを Type Bとして紹介した。

今度はこのタイプの獲得を3つの素性不完全指定理論によって考えてみよう。

このタイプでも初期の段階を先ほどと同じく第一期と呼んでおく。第一期の

基底での素性表示は、CFRU でも CSRU でも次のようになろう。

( 75)第一期の基底での素性表示

語頭 語中

‘d’ 未指定 未指定

‘r’ × ×

この表では、語頭、語中いずれにおいてもダ行音が無標であり、未指定とな

っている。実際の素性値は、( 73)の文脈自由のディフォールト値挿入規則に

よって与えられる。獲得が進むにつれ、ラ行音を含む語が現れるが、これは

( 75)の×の部分に [+sonorant]と指定される語彙が増加していくことを意味す

る。これを Type A の場合と同様に第二期とすると、この段階の素性指定は次

のようになろう。(CSRU は、ディフォールト値が文脈によって異なりうると

主張するのであって、必ず異なる者ではないことに注意したい。)

73

( 76)第二期の基底での素性表示

語頭 語中

‘d’ 未指定 未指定

‘r’ [+sonorant] [+sonorant]

そして獲得が終了し、すべての目標ラ行音が産出されるようになり、音素分

離が完了する。このように Type B に関しては、 [+sonorant]が文脈に関係なく

有標であるので、CFRU も CSRU も同様に獲得の事実に矛盾しない説明を与

えることができる。

しかしながらここで注目すべきは、Type A と Type B の基底表示の違いであ

る。前者ではダ行音しか観察されなかった語頭でラ行音が、ラ行音しか観察

されなかった語中でダ行音が、それぞれ増加していくが、後者ではラ行音だ

けが増加していく。すなわち幼児によって2音の分布とその変化に関して明

らかに2つのタイプがあるわけである。このような議論に基づくと、獲得上

の個人変異だけではなく、音素分離が完成した成人の音韻体系を考える上で

も少なからぬ示唆を得ることができる。もし成人が引き続きこれらの異なっ

た音韻体系を有しているとすると、言い誤りや速い発話での音変化、酩酊時

の発音などにこれらの違いが顕在化することも考えられる。ひとつだけ例を

あげると、Barlow (2001)では、英語の成人話者が Pig Latin という言葉遊びを

する際の語頭の子音連鎖について調査を行っている。この遊びは、語頭の子

音を語末に移動させて、その後に [eɪ]を添加するものであるが、彼女は語頭が

子音連続である場合、 Pig Latin は二つの「方言」に分かれるという。Barlow

はこの違いを二通りの基底表示に帰しており、成人であっても基底の指定が

異なっているという主張をおこなっている。このように成人が潜在的には異

74

なった音韻体系をもちうるという可能性は、個人方言の差異や男女や世代間

の社会的方言の違い、あるいは各方言間のダ行音とラ行音の分布の異同、さ

らに各地の方言に固有な形態としての化石化したダ行音とラ行音の交替形な

どに新たな視点から説明をあたえることができる可能性を秘めている。

4.5 歴史的音韻変化と方言分布

本章での議論は、幼児の音韻獲得だけに関係する特殊な問題ではない。例

えば語彙拡散による音韻変化は歴史的な音韻変化にも見られる。一例として、

日本語のダ行音とザ行音の融合を考えてみよう。橋本( 1966)によると、ダ

行音とザ行音は少なくとも室町時代の半ばまでは、すべての文脈で異なる音

であった。ところがイ列とウ列で2音の混同が起こり、江戸時代初期までに

は、これらの音環境では対立がなくなった。すべての位置で対立していた2

音が特定の文脈で対立を失ったわけである。また現在の方言にこの変化が反

映されている場合がある。例えば高知方言や高城方言のように、すべての列

でこの2音が対立する方言、いわゆる四つ仮名弁は、この変化を受けなかっ

た方言であり、東京方言などに代表される中性弁は、この変化を受けた方言

である。この変化はこれまで論じてきた幼児の音韻発達過程の真逆の変化と

して捉えることができる。すなわち、基底での素性指定が徐々に逆の方向へ

変化していく過程と見なしうるわけである。今、室町時代半ば以前、すなわ

ち四つ仮名弁における2音の分布を表で示すと次のようになる。

( 77)室町時代以前のダ行音とザ行音の分布(四つ仮名弁)

イ・ウ列 他列

ダ行音 ○ ○

ザ行音 ○ ○

75

表の○印はこれまで同じように当該の音が存在することを示す。次に江戸時

代初期の分布、すなわち中性弁における2音の分布を図表で表すが、論点を

絞るためにザ行音の破擦音化など、他の問題は考慮に入れないこととする。

( 78)江戸時代初期のダ行音とザ行音の分布(中性弁)

イ・ウ列 他列

ダ行音 × ○

ザ行音 ○ ○

( 78)から、ダ行音がイ・ウ列で欠けていることがわかる。さて、四つ仮名

弁のように古い形をとどめている方言も存在する一方で、江戸初期以降にこ

の2音に関する変化が他列でさらに進んだと考えられる方言も見られる。例

えば、鏡( 1975)に記されている山口県大津郡日置村や隣接する長門市仙崎

などでは、「ザ、ゼ、ゾ」が「ダ、デ、ド」で発音されるという。 (2 0 ) 例と

して「ダイモク」(材木)、「ダッキン」(雑巾)、「マデル」(混ぜる)、「カデ」

(風)等の例があげられているが、この方言では、イ・ウ列ではすべてザ行

音で発音され、逆に他列ではダ行音で発音され、両音の対立は失われ、次の

ような相補的分布をなしている。

( 79)山口県大津郡日置村等におけるダ行音とザ行音の分布

イ・ウ列 他列

ダ行音 × ○

ザ行音 ○ ×

これを今まで論じてきた基底での指定の変化として考えてみると、Type A の

76

幼児の獲得と逆の道筋を辿ることがわかる。ダ行音とザ行音を弁別する素性

を [continuant]とすると、山口県大津郡日置村等ではこの素性は非対立的であ

り、次のように基底では指定されない。

( 80)山口県大津郡日置村等のダ行音とザ行音の素性指定

イ・ウ列 他列

ダ行音 × 未指定

ザ行音 未指定 ×

この段階は、幼児の第一期の素性指定に対応する。次に江戸初期の分布、す

なわち中性弁における2音の分布は次のようになろう。

( 79)江戸初期(中性弁)のダ行音とザ行音の素性指定

イ・ウ列 他列

ダ行音 × 未指定

ザ行音 未指定 [+continuant]

この段階では、イ列とウ列でもはや対立が見られないが、その他の列におい

ては、ザ行音が有標値の [+continuant]の指定を受けている。この段階が Type A

の幼児の第二期に相当する。ただし、イ・ウ列はまだ [continuant]の指定をう

けていないところが幼児とは異なっている。最も古い室町半ば以前(四つ仮

名弁)では、基底で有標な値だけが指定されているのは( 79)と変わりはな

いが、イ・ウ列と他列では音環境によるディフォールト値が異なり、イ・ウ

列ではマイナスが、他列ではプラスが、それぞれ次のように指定されている。

77

( 80) 室町時代半ば以前(四つ仮名弁)のダ行音とザ行音の素性指定

イ・ウ列 他列

ダ行音 [-continuant] 未指定

ザ行音 未指定 [+continuant]

( 80)は幼児の第三期に相当する。このようにいわゆる四つ仮名に関わる歴

史的音韻変化は、先に考察した幼児の音韻獲得の逆のプロセスを辿り、音韻

対立が、はじめは限られた文脈から失われていき、それが次第に他の文脈に

も拡がっていくという喪失過程であることがわかる。このような歴史的音韻

変化には、他に考慮すべき問題も多く、それらをここで論じる余裕はないが、

少なくとも語彙拡散的な音韻変化は、基底表示の指定の変化として捉えるこ

とができる可能性が示唆される。

4.6 4章のまとめ

本章では自然言語を記述説明する素性不完全指定理論の3つの立場を、特

にラ行音の獲得という事実に照らして検討した。その結果、文脈依存根本的

素性不完全指定理論のみが、これを適切に記述でき、もっとも合理的な説明

を与えることを論じた。本論文の冒頭で、音の獲得では規則的にすべての語

彙項目に当該音が現れるタイプと、漸次的に音が現れるタイプがあり、これ

に対して説明を与えることが必要であると述べた。要するに漸次的に時間を

かけて獲得するタイプは、基底表示が徐々に変化していくタイプであり、基

底の指定の問題であることが分かる。

筆者は理論の説明力や整合性を論じる以外にも獲得理論としての重要性も

併せて主張したつもりである。議論の中で、筆者は獲得を3つの時期に分け

78

て考察した。獲得のひとつの段階を記述する場合、複数の説明が可能である

場合が多い。それぞれの段階は閉じられた体系として見なしうるからである。

しかしながら各段階の連続性を考慮に入れると、可能な説明の中でどれがす

ぐれたものかが、おのずと決定されてくる。例えば第一期で仮定した音韻体

系を第二期でまったく崩してしまって、著しく異なった文法体系を仮定した

場合、時間軸上での連続性が失われることになってしまう。この点からする

と、最良の獲得理論とは各段階の間の変化を最小限の構造の変化として捉え

られる理論であるということになる。それが文脈依存根本的素性不完全指定

理論であった。本章ではさらに日本語の四つ仮名に関する歴史的音韻変化に

踏み込んで、基底の素性指定の変化に訴えることによって、この変化の合理

的な説明が可能であると示唆した。ここでも文脈依存根本的素性不完全指定

理論が、漸次的な動的音韻体系の変化に有効であることを論じた。さらに、

音素分離が完了した成人が異なった基底の表示をもち、これが言語使用にお

いて様々な形で顕在化する可能性をも示唆したが、これについては更なる経

験的な事実の発掘が待たれる次第である。

79

第5章 音獲得順序のパラドクス

5.1 はじめに

幼児は1歳前後から意味と結びつく発音を始め、ひとつまたひとつと音の

数を増やしていき、ついには成人と同じ音目録を獲得するにいたる。これは

誰もが認める事実であるので、次のような問いかけがなされても当然であろ

う。「幼児はどのような順序で言語音を獲得していくのか?」「音獲得におい

て、早く獲得される音と遅く獲得される音が認められているが、なぜそのよ

うな違いが生ずるのか?」これらの疑問は、要するに音獲得は何らかの体系

的な原則に支配されているのかという問いかけである。本章はこの疑問に対

して答えようとするものである。これまでの研究は、音獲得の順序には一定

の傾向が認められる一方で、大きな個人差があるというパラドクスに苦しん

できた。その原因はまず幼児の音韻発達の観察方法にある。

音獲得の順序を観察した研究はかなりの数に上る。これらはその方法にお

いて2つのグループに大別することができる。ひとつは縦断的( longitudinal)

研 究 で あ る 。 古 典 的 な Jakobson (1942)を は じ め 、 Moskowitz (1970)、

Stoel-Gamman and Cooper (1984)、Vihman, Ferguson and Elbert (1986)等、列挙

にいとまがないほどで、第1章で言及した Smith (1973)も自分の子である

Amahl の言語発達を丁寧に記録したものである。この手法においては、ひと

りまたはごく少数の幼児が、かなりの期間に渡って観察されている。その意

味では質的には満足できるものが多いが、何と言っても観察対象が少ない。

最も問題になるのが、これらの研究で報告されている音獲得の順序には、か

なりの個人差が観られるという点である。すなわち、ある2つの音を A、B

とするとある幼児は A、B の順序で獲得するが、別の幼児は B、A の順に獲得

80

するということである。

もうひとつの方法は横断的( cross-sectional)な研究手法を取るものである。

これらの例としては、Templin (1957)、Snow (1963)、Olmstead (1971)、Prather,

Hendrick and Kern (1975)等があげられる。上であげた日本における研究例の

高木・安田( 1967)、大和田・中西・大重( 1970)、中西・大和田・藤田( 1972)

等もこのグループに属する。これらの研究では、一般的に相当数の幼児を対

象に、ある音が正しく発音される年齢が調査される。この方法では縦断的手

法の量的な不満は解消されるものの、結局は「調査対象の 80%が A という音

を獲得していた」というような統計的な記述で終わってしまう。すなわちた

とえパーセンテージは低くとも、常に例外が存在し、音獲得のおおざっぱな

傾向は指摘できるものの、これを支配する原理を厳密に捉えることはできな

いという弱点があった。要するに、どちらの手法を取ろうとも、一般的な傾

向はあるものの、必ず例外が存在するわけである。

1990 年前後から、インディアナ大学の Dinnsen らは、NIH(連邦保健衛生

研究所)から基金を受けて、かなりの期間に渡って、40 名前後の幼児の音獲

得を調査し、データベースを構築した。このデータから、Dinnsen (1992)や

Dinnsen, Chin, Elbert and Powel (1990)、Dinnsen, Chin and Elbert (1992)等の興

味深い成果が生まれた。次の節ではこれらの研究の要点を述べるが、本章の

目的は彼らの音目録獲得順序に対する仮説を検討し、さらに合理的な説明を

提示することにある。

5.2 音素分離と弁別素性

言語音を個別に見るとその獲得順序には大きな個人差がある。これは弁別

素性から獲得を考えても結果は同じであった。例えば多くの先行研究におい

81

て、破裂音は摩擦音より獲得が早いことが知られている(Edwards and Shirberg

1983)。素性では [+continuant]よりも [-continuant]の獲得が早いということにな

る。確かにすべての破裂音が摩擦音よりも先に出現する幼児も多い。ところ

が両唇や歯茎の破裂音は獲得しても、軟口蓋の破裂音が出現する前に、唇歯

や歯茎の摩擦音が出現する幼児も多く、 [+continuant]に先立って [-continuant]

が獲得されるというのは、あくまでも一つの傾向に過ぎず、やはりここでも

個人差に悩まされることになる。Dinnsen らはまず獲得順序を年齢などの外的

要素と切り離した。また彼らは個別の音ではなく弁別素性に注目したが、獲

得のデータベースを綿密に観察した結果、すべての幼児の音目録が、含まれ

る音の種類にしたがって5段階の獲得段階に分類できることを発見した。こ

れを発達段階の順に A、B、C、D、E として、以下で説明する。なお、ここで

は出現する音が必ずしも意味と結びつくいわゆる音素であるとは限らない。

とにかく調音できるようになった音である。また獲得の基準であるが、一度

でも観察されたら、音韻知識が質的に変化したと見なし、その音は獲得した

ものと見なされている。

まず、最も未完成な段階がレベルAである。レベルAの幼児の目録には次

のような音しか存在しない。

(81)レベルAの目録

母音、わたり音、鼻音、破裂音(但し有声無声の対立無し)

レベルAは、個別音は幼児によって異なるものの、どの幼児も何らかの母音、

わたり音、鼻音をもち、破裂音では幼児によって有声音をもつ幼児もあれば、

無声音をもつ幼児もあるが、両方をもつ幼児はいなかったということを示し

ている。これを Chomsky and Halle (1968)の伝統的弁別素性で考えてみると、

82

最も初期の段階では、母音と非母音を区別する [syllabic]、非母音のなかでわ

たり音と子音を区別する [consonantal]、子音のなかで共鳴音と阻害音を弁別す

る [sonorant]、以上が獲得されていることになる。これをわかりやすく図示す

ると次のようになる。

(82)レベルAで獲得されている素性

[syllabic]

- +

[consonantal] 母音

- +

わたり音 [sonorant]

- +

破裂音 鼻音

この樹状図では、左側の枝がそれぞれ当該の素性値がマイナス、右側がプラ

スであることを示している。ここで注意せねばならないのが [sonorant]である。

[-sonorant]の素性指定を受ける阻害音はさらに有声、無声、すなわち [voice]

によっても下位区分されるが、この段階では幼児によって有声か無声だけな

ので [voice]は獲得されていない。また阻害音は破裂音だけではなく、他の阻

害音もありうるが、Dinnsen (1992)では [-sonorant]と指定されれば、ディフォ

ールトで破裂音が選ばれ、まだ [continuant]は未獲得であると主張する。同様

に、[+sonorant]には流音も含まれ、素性 [nasal]によって区別されるが、やはり

鼻音 [+nasal]がディフォールトとして選ばれる。すなわち、 [nasal]もまだ獲得

されていないということになる。

次の段階はレベル B である。次のような種類の音をもつ。

83

( 83)レベル B の目録

母音、わたり音、鼻音、閉鎖音(有声・無声の対立あり)

この段階では破裂音に声の対立が生じ、どの幼児も有声と無声の破裂音をも

つ。すなわち、素性 [voice]が獲得され、次のようになる。

(84)レベル B で獲得されている素性

[syllabic]

- +

[consonantal] 母音

- +

わたり音 [ sonorant]

- +

[voice] 鼻音

- +

無声破裂音 有声破裂音

この段階でも [-sonorant]では破裂音が、[+sonorant]では鼻音がディフォールト

として選ばれている。

次の段階であるレベル C を見てみよう。音目録は次のように、摩擦音もし

くは破擦音が加わる。

( 85)レベル C の目録

母音、わたり音、鼻音、破裂音、摩擦音もしくは破擦音

この段階で、初めて阻害音の調音方法に関して分化が観られ、まず破裂音や

84

破擦音などの非継続音と摩擦音を弁別する、継続性に関する素性 [continuant]

が、さらに非継続音で、破裂音と破擦音を区別する [delayed release]が獲得さ

れていることになる。また Dinnsen (1992)等の実際のデータでは、これらの阻

害音には有声・無声の両方が観られ、すでに [voice]が獲得済みであることを

裏付けている。これを図示したものが次の( 86)である。

( 86)レベル C で獲得されている素性

[syllabic]

- +

[consonantal] 母音

- +

わたり音 [ sonorant]

- +

[voice] 鼻音

- +

[continuant] [continuant]

- + - +

[del. release] 無声摩擦音 [del. release] 有声摩擦音

- + - +

無声破裂音 無声破擦音 有声破裂音 有声破擦音

さらに獲得の進んだレベルDの目録を見てみよう。

( 87)レベル D の目録

母音、わたり音、鼻音、破裂音、摩擦音もしくは破擦音、流音

85

この段階では、今度は共鳴音の種類が増えて、流音が加わった。上と同様に

樹状図によってこれを見てみよう。

( 88)レベル D で獲得されている素性

[syllabic]

- +

[consonantal] 母音

- +

わたり音 [sonorant]

- +

[voice] [nasal]

- + - +

[continuant] [continuant] 流音 鼻音

- + - +

[del. release] 無声摩擦音 [del. release] 有声摩擦音

- + - +

無声破裂音 無声破擦音 有声破裂音 有声破擦音

この段階で獲得される素性は、共鳴音の下位区分を決定する素性 [nasal]であ

る。 [+nasal]と指定されれば鼻音が、 [-nasal]と指定されれば流音が選ばれる。

しかしながら、この段階で出現するのは一種類の流音であることに注意せね

ばならない。日本語では一種類の流音しかないので、自動的にラ行音が出現

するが、英語では [ r ]でも [ l ]でもどちらでも可能なわけである。非鼻音の種

類はオープンなのである。つまり、[ r ]か [ l ]かを決定する素性 [lateral]はまだ

獲得されていないことになる。またこれらの研究で明らかになった音素目録

86

の複雑さという点で類型化すると日本語はレベル D 言語ということになる。

さて、英語など目録が多い言語は、さらに最終段階としてレベル E が続く。

この目録を次に見てみよう

( 89)レベル D の目録

母音、わたり音、鼻音、破裂音、摩擦音もしくは破擦音、複数の流音

もしくは阻害音の粗擦性の区別

このレベルはやや複雑である。レベルDの流音に加えて、別の種類の流音が

加わる場合もある。すなわちレベルDで [ r ]があった幼児には [ l ]が、 [ l ]が

あった幼児には [ r ]が追加される。もしくは流音は一種類のままで、阻害音が

細分化されてもよい。それが粗擦性の区別である。元来粗擦性 [strident]は音

響的特性の違いを区別するための素性であり、事実、 Chomsky and Hal le

(1968)においても音源素性のひとつに数えられているが、ここでは、 [ s ]と

[ θ ]の間のような、(勿論音響的違いも存在するが)主として微妙な調音位

置を区別するために使用されている。もちろん複数の流音と阻害音の粗擦性

の区別の両方を満足していてもよい。これらのレベル E を図示したものが

( 90)である。

87

( 90)レベル E で獲得されている素性

[sy llab ic]

- +

[ con son an ta l] 母音

- +

わたり音 [ sono ran t]

- +

[v oice] [ n asa l]

- + - +

[ con tinuant ] [ con t inu an t] [ l ater a l] 鼻音

- + - + - +

[d el . r e lease ] [ s tr ident ] [de l . r elease] [ s tr id en t] [ r ] [ l ]

- + - + - + - +

無声破裂音 無声破擦音 有声破裂音 有声破擦音

無声非粗擦摩擦音 無声粗擦摩擦音 有声非粗擦摩擦音 有声粗擦摩擦音

この最終的段階において、側音性 [lateral]と粗擦性 [strident]が加わり、音目録

は完成する。前段階ではオープンであった非鼻音については [-lateral]であれば

[ r ]が、 [+lateral]であれば [ l ]が、それぞれ選択される。また粗擦性について

は [+strident]であれば [ s ]等の粗擦音が、 [-strident]と指定されれば [ θ ]等の

非粗擦音が選ばれることになる。このように Dinnsen らが発見した音目録獲

得の5段階にはどのような意味があるのかを次節では考えていく。

88

5.3 素性獲得と含意法則

これまでの要点を整理するために、それぞれのレベルで獲得される素性を

あげてみよう。

( 91)各段階で獲得される素性

A: [syl labic], [consonantal], [sonorant]

B: [voice]

C: [continuant], [delayed release]

D: [nasal]

E: [strident], [lateral]

さて、Dinnsen, Chin, Elbert and Powell (1990)では、どの幼児も上記の5つの

レベルのどれかに属することが報告されているが、これは音目録のあり方が

無秩序ではなく、ある制約に支配されていることを示唆している。すなわち、

幼児が [syllabic]、[consonantal]、[sonorant]の獲得後に [voice]ではなく、[nasal]

による区別を加えることも論理的には可能なはずである。ところがそのよう

な過程を経る幼児は存在しない。さらに Dinnsen, Chin and Elbert (1992)では、

これらの幼児達がその後どのような獲得過程を辿ったかが追跡調査されてい

る。これによると、すべての幼児が( 91)の順序にしたがって獲得が進行し

たという(ごく一部の幼児に、例外的に退行が観られたが、これについては

後述する)。例えばレベルAの幼児は B に、C の幼児はDにというように、ワ

ンステップずつ獲得が進行する例が多い。また、たとえAレベルの幼児が次

のデータ収集時に C レベルに達していても、その幼児はすでに B レベルの

[voice]をも獲得していることが報告されている。換言すれば、B レベルをす

でに「クリア」しているのである。幼児がいかなるレベルに達していようと

89

も、そのレベル以前のレベルの素性は獲得しているということが判明したの

である。この事実から興味深い「含意法則」が導かれる。それは次のように

表すことができるであろう。

( 92)音目録の獲得にかかる含意法則

幼児があるレベルの素性を獲得しているならば、それ以前のレベルの

素性は必ず獲得している。そして逆は真ではない。

例えばある幼児が、ある獲得段階において、 [nasal]の区別を獲得しているな

らば(レベルD)、この幼児は [continuant]や [delayed release](レベル C)も獲

得していなければならず、それはとりもなおさず、 [voice]や [syllabic]、

[consonantal]、[sonorant]を獲得していることを意味するのである。逆に [voice]

を獲得していても、 [continuant]や [nasal]を獲得しているとは言えないのであ

る。( 92)は音獲得にかかる明確な制約といえる。ここにおいて初めてわれわ

れは音獲得の順序に対する言語学的な手がかりを得たことになるのである。

獲得した素性を示した樹状図を順に見てゆくと、言語音の獲得とは、最も初

期には主音を決定する素性しかもたなかった幼児が、音源や調音方法に関わ

る他の素性を段階的に加えていく変化の過程と見なすことができる。また注

意すべきは素性によって課された制約なので、対象は単音ではなく音類であ

る。つまり素性で指示された音類のなかで自由度が保たれているので、幼児

によって「使用する」音が異なっても問題はない。つまりこの素性によるし

ばりを満たしているならば、個人差は許されるということである。例えば( 91)

には調音位置に関する素性は基本的には含まれていない。だからレベルAで

は子供によって目録に含まれるのは、両唇破裂音でも歯茎破裂音でも軟口蓋

破裂音でもよく、またこれらの組み合わせも自由なのである。

90

さてこのように Dinnsen らの研究は音目録の獲得に大きなインパクトを与

えたが、残念ながら理論的に不備な点も観られる。またこの制約にもっと合

理的で踏み込んだ説明や特徴付けを与えることも可能かと思われる。以下で

はこの可能性のひとつとして、依存音韻論に基づいた分析を試みる。依存音

韻論は主として、Anderson and Jones (1974)、Ewen (1980)、Anderson and Ewen

(1987)などで展開されてきた理論である。この理論は Anderson の歴史的音韻

変化に対する強い関心を反映し、段階的な通時的音韻変化の説明に効果的で

ある。前章で述べたように、幼児の音韻獲得も段階的に音韻体系が変化して

いくので、共通する部分があると考えられる。

5.4 依存音韻論による分析

依存音韻論の基本的な特徴のひとつは、Chomsky and Halle (1968)ではお互

い独立した存在であった素性がグループを形成することであり、先に論じた

Clements (1985)や Sagey (1986)等の素性階層理論といくつかの共通点がある。

言語音は要素の束から成るが、これらは categorial gestureと articulatory gesture

の2つのコンポーネントに属している。前者は phonatory sub-gesture と

initiatory sub-gesture、後者は locat ional sub-gesture と oro-nasal sub-gesture と

いう2つの sub-gesture から成っている。これを図示すると次のようになる。

( 93)依存音韻論のコンポーネントの構成

言語音

catego r ica l ges tur e ar t i cu lr a tory ges tur e

phona tory sub-g es tur e in i t i a tory sub- ges tur e lo ca t ion a l sub -ges tur e o ro -nasa l sub-g es tu re

91

要素のうち、子音性や継続性、共鳴性などに関する要素は phonatory sub-gesture

に属している。それでは次に個々の音がどのように表示されるかを見ていき

たい。

依存音韻論は、いわゆるエレメント理論のひとつで、まず |V|と |C|という2

つの要素(プライム)を設定する。 |V|はおおむね音響的に見た「母音性」(音

響的周期性)に対応し、|C|は逆に「子音性」(音響的周期エネルギー減少特性)

に対応すると考えて良い。これらを両極に配置して、各種の音はこの2つの

相関関係によって規定される。以下では、( 91)で見た獲得のレベルにしたが

って、各種の音の具体的な表示と音目録が形成されていく過程を考察する。

レベルAでは目録に母音、わたり音、鼻音、そして有声もしくは無声の破

裂音が存在した。母音は当然のことながら最も母音性をもった音であるので、

次のように、単に |V|と表示される。

( 94)母音の表示

V

わたり音は母音性においては母音と同じであり、さらに高次のプロソディッ

クな、すなわちセグメント間の依存関係で扱われるので、単音としての

phonatory sub-gestureでの表示は母音と同じ |V|である。次に |V|の対極にある |C|

であるが、最も高い子音性をもつ音は無声破裂音であり、これは次のように |C|

と表示される。いずれの音もその表示は音声的、音韻的根拠に基づいて決定

されているが、ここで詳しく説明する余裕はないので、詳細は Anderson and

Ewen (1987)を参照されたい。

92

( 95)無声破裂音の表示

C

幼児によっては無声破裂音ではなく、有声破裂音をもつ者もいた。有声破裂

音は無声破裂音にくらべて母音性が高いので、次のように表示される。

( 96)有声破裂音の表示

C

V

|C|に下接する |V|は、|C|すなわち子音性が、|V|すなわち母音性を「支配」して

いることを意味し、母音性を帯びてはいるものの、子音性が優勢であること

を示している。異なった表現をすれば、 |V|は |C|に「依存」していると言うこ

とができる。このように依存音韻論では、すべてがプリミティブ間の相対的

な依存・支配関係で音韻を記述していくのが特徴である。

また鼻音は共鳴性をもつ点などが母音に近いが、フォルマント上ではっき

りと子音性を示すので、有声破裂音とは逆に、次のように |C|が |V|に依存する

表示となる。

( 97)鼻音の表示

V

C

以上をまとめるとレベルAは次のような構成になる。

93

( 98)レベルAの目録

V V C もしくは C

C V

母音 鼻音 有声破裂音 無声破裂音

この最も初期の段階では、基本と成るコンポーネント |V|と |C|、そして最も単

純な「依存関係」が獲得されていると見なすことができる。但し破裂音が無

声で現れる幼児もいるので、「 |V|母音性の依存」はまだ確実には獲得されてい

ないと言えよう。

次のレベル B では破裂音に有声無声の対立が生ずる。( 98)では「子音性」

と「母音性の依存をともなった子音性」の区別がなされていなかったものが、

この段階では明確に区別されるようになったのである。言い換えれば、「母音

性の依存」がはっきりと獲得されたと言えよう。これが( 99)である。

( 99)レベル B の目録

V V C C

C V

母音 鼻音 有声破裂音 無声破裂音

次にレベル C に移ろう。このレベルでは、有声無声の対立がある摩擦音も

しくは破擦音が加わる。依存音韻論では、自律分節理論と同じように、破擦

音はひとつの音のなかで破裂音が摩擦音を支配し、かつ時間軸上で先行する

という、いわば摩擦音の性格をもった複合的な破裂音であるという解釈がな

94

されるので、ここでは摩擦音のみを考察すればよい。摩擦音は次のように表

示される。

( 100)摩擦音の表示

無声摩擦音 有声摩擦音

V:C V:C

V

無声摩擦音の |V|と |C|の間の | : |は、 |V|と |C|が拮抗し、どちらも支配あるいは依

存できない状態である「相互依存」している関係を表す。有声摩擦音は、無

声摩擦音がさらに |V|を支配しており、その分だけ母音性が高いと言える。そ

してこれらを加えたレベル C の目録は次のようになる。

( 101)レベル C の目録

V V V:C V:C V C

C V C

母音 鼻音 有声摩擦音 無声摩擦音 有声破裂音 無声破裂音

レベル B では、母音性の強い鼻音と子音性が優勢である有声破裂音の間に相

当のギャップが存在したが、レベル C では摩擦音がこのギャップを埋めてい

ることがわかる。またレベルA、B で獲得した「 |C|の依存」と「 |V|の依存」

を基盤として、「 |C|と |V|の相互依存」という関係も、あらたに獲得したと言

えよう。

次のレベルDでは流音がひとつ加わる。次のように表示される。

95

( 102)流音の表示

V

V:C

流音には鼻音と同じく共鳴性がある。鼻音、流音どちらの表示にも |V|に支配

された |C|があり、両者が自然音類を形成していることがわかる。しかし流音

の方が被支配位置にもうひとつ |V|を含んでいる分だけ、より母音に近いこと

がわかる。流音の出現によって、母音と鼻音の間が埋められたと言うことが

できる。流音が加わったレベルDの目録は次のようになる。

( 103)レベル D の目録

V V V V :C V:C C C

V :C C V V

母音 流音 鼻音 有声摩擦音 無声摩擦音 有声破裂音 無声破裂音

レベル C では |C|と |V|の相互依存を獲得した。レベルDではそれを依存位置に

用いることができるようになったと言えよう。

最終段階であるレベル E を満たすには2つの可能性があった。ひとつはも

うひとつ流音が出現することである。英語では [ r ]と [ l ]の区別がなされなけ

ればならない。依存音韻論では、上記( 102)の表示が、音類としての流音を

カバーする表示であるだけではなく、 [ r ]と [ l ]の両方が存在する場合、 [ r ]

音をも表示する。

96

( 104) [ r ]音の表示

V

V:C

これに対して [ l ]は側音であり、声道中央で呼気が妨害され、さらに子音性が

含まれているものとして、次のように表示される。

( 105) [ l ]音の表示

V

V:C

C

本来の依存位置にさらに下接して、いわば依存の依存をする |C|は非常に微妙

な子音性を示している。これは前のレベルですでに学んだ流音の表示を基盤

にして、いわば「二重の」依存関係を構築しているのである。レベル E のい

まひとつの可能性は、摩擦音に粗擦性の区別が生じて、微細な調音位置の区

別ができるようになったことである。依存音韻論では粗擦音は次のように表

示される。

97

( 106)粗擦摩擦音の表示

無声粗擦摩擦音 有声粗擦摩擦音

V:C V:C

V

Anderson and Ewen (1987)等では、音響的な根拠から、無声粗擦性摩擦音が両

極にある母音性と子音性の中間にくると主張されている。(2 1 ) これに対して非

粗擦摩擦音の表示は次のようになる。

( 107)非粗擦摩擦音の表示

無声粗擦摩擦音 有声粗擦摩擦音

V:C V:C

C C

V

有声の非粗擦摩擦音は、 [ l ]音と同じように、二重の依存を示す表示となり、

音声的内容の微妙さが見て取れる。ここにおいても以前のレベルで獲得され

ている要素を用いて「二重の」依存を構築しているのがわかる。この2つの

可能性を組み込んだ獲得の最終段階であるレベル E の目録は次のようになる。

98

( 108)レベル E の目録

V V V V V:C V: C

V :C V :C C V

C

母音 r 音 l 音 鼻音 有声粗擦摩擦音 無声粗擦摩擦音

V:C V :C C C

C C V

V

有声非粗擦摩擦音 有声非粗擦摩擦音 有声破裂音 無声破裂音

このように依存音韻論から音素目録の獲得過程を考察してきたが、これを通

して見えてきた音素獲得の性格はどのようなものであろうか。Dinnsen らの伝

統的な素性を使ったアプローチに比べて、どこが優れているのか。次節では

これらについて議論する。

5.5 音獲得の性格

はじめに、各レベルで獲得された要素をまとめながら、獲得のステップを

順に見ていこう。

99

( 109)各段階で獲得される要素

A: V(母音性) C(子音性) |(子音性の依存)

C

B: |(母音性の依存)

V

C: V:C(母音性と子音性の相互依存)

D: |(上記の依存)

V:C

E: x x(母音性と子音性の二重依存)

| |

y y

| |

C V

まず最も初期のレベルAでは、 |V|と |C|、すなわち母音性と子音性という極性

の両端、および |C|の依存という単純な依存関係が存在する。レベル B ではこ

の依存関係を使い、|V|の依存が出現する。レベル C では、|C|の依存と |V|の依

存を用いて、 |C|と |V|の相互依存関係を構築する。そして次のレベルDで、今

度はこれが支配されるのである。最終的にレベル E では、さらに二重の依存

関係を組み上げている。

これを見ると、獲得の過程は前段階までに学んだ要素を用いて、さらに複

雑な依存関係を一歩一歩作り上げていく、段階的な変化であることがわかる。

そしてこの変化は、最も母音性の強い母音と子音性の強い無声破裂音の両極

100

の間を、新たな種類の音で徐々に埋めていく過程である。Dinnsen らの伝統的

な素性による説明では、ある種の細分化のプロセスであることはわかるもの

の、この動的過程の全体像が把握できない。また特に問題となるのがレベル C

からレベルDへの移行である。伝統的な素性システムでは、なぜ阻害子音が

分化した後に共鳴子音の分化へと進むのかが説明できない。Dinnsen( 1992)

は、これを獲得にかかる別の種類の何らかの制約であろうと述べ、これを未

解決のままにしているが、依存音韻論の表示では、レベル C で獲得した |V:C|

を発展させて、レベルDではこれを依存位置に用いるという、Aから C に至

る発達過程の延長線上にある変化と捉えることができるのである。

また依存構造のみならず、音そのものの表示を見ていくと、母音や無声破

裂音から [ l ]音や有声非粗擦摩擦音にいたるまで、レベルがすすむにつれて、

表示自体も複雑になっていくのがわかる。これに対して、伝統的素性システ

ムでは表示自体に相対的な複雑さは含まれておらず、レベルAで出現する素

性もレベルEで出現する素性も、複雑さという点ではまったく同じである。

すなわち表示自体が有標性を表す説明力をもたないのである。以上から、依

存音韻論によれば、獲得とは音自体も依存構造も、単純なものから複雑なも

のへと段階的に進んでいく継続的な音韻体系変化であることが、明示的に表

せることになる。

また、Dinnsen, Chin and Elbert (1992)では獲得レベルの後退例が報告されて

いる。例えばある幼児は、最初の検査段階では目録に [ r ]音をもっていた。こ

れはレベルDと判断される。ところが後の検査で、この [ r ]音は消失した。す

なわち獲得が進んでしかるべきであるにも関わらず、レベルはDから C へと

後退しているのである。伝統的な素性による説明では、いったん獲得された

101

素性 [nasal]が消失したと考えざるをえない。しかしながらいったん獲得した

ものが消えてなくなるとは、にわかには考えづらい。依存音韻論の表示では、

前述したようにレベル C で |C|と |V|の相互依存関係を獲得し、レベルDではこ

れが依存位置に現れると考えた。それゆえ、たとえ [ r ]音が消えたとしても、

単に |V:C|が依存位置に出現しなくなるだけであって、「 |V:C|」あるいは「依存

関係」そのものが消失するわけではない。単に依存関係の再構築であると見

なすことができるのである。

最後に、レベルEでは、粗擦音と非粗擦音を弁別する [strident]が、実質的

には微妙な調音位置を区別する素性として使われていた。すなわち、このレ

ベルにおいてのみ調音位置に言及せねばならなかった。依存音韻論の表示で

は、粗擦音と非粗擦音の区別は、純然たる音響的根拠に基づいてなされてい

る。故に調音位置に関してはまったく別のコンポーネントである locational

sub-gesture で処理することができるので、ここでは「未指定」にしておくこ

とができるのである。

以上、本節では依存音韻論によって、獲得に対してさらに合理的な説明及

び特徴付けができることを論じた。

5.6 第5章のまとめ

これまでの議論の結果、音目録の獲得は次のように特徴づけることができ

よう。

102

( 110)音目録の獲得

音目録の獲得とは、最も構造的に単純な音、すなわち母音性の極にあ

る母音と子音性の極にある破裂音を最初に獲得し、依存関係を徐々に

複雑に組みながら、両極の間をより構造の複雑な音で埋めていくとい

う、易から難へと進む動的な発達過程である。

この特徴が、ヒトの認知・言語の発達に対して、どのような示唆を与えるの

かについて述べておきたい。人間の音声言語のなかで、発話の相手にとって

最もよく聞こえる音は母音である。ところが人間のコミュニケーションで母

音ばかりが使われるかというと決してそうではなく、聞え度の低い子音を織

り交ぜてはじめて、言語音声の体系が成り立っている。聞こえ度に差をつけ

た方が、円滑にメッセージが送れるわけである。幼児は先ず、最も聞こえ度

の高い母音と、逆に最も聞こえ度の低い破裂音を獲得する。(2 2 ) これらはとり

もなおさず、もっとも構造の単純な音なのである。幼児は徐々に音の種類を

増やしていくが、その過程はより単純な構造の子音を獲得してから、より複

雑な構造の子音の獲得へと進んでいくのであって、その逆ではない。すなわ

ち、一見無秩序に見える音目録の獲得とは、より簡単なものからより難しい

ものへと続いていく段階的な学習過程と見なしうるのであり、ヒトの認知能

力の発達の一側面を表しているものと思われる。

最後に、「音獲得の順序には一定の傾向が認められる一方で、大きな個人差

がある」というパラドクスに戻ろう。はたして獲得順序には一定の傾向があ

るか?答えはイエスである。上記の5段階のそれぞれで獲得される音類は決

まっているので、獲得の順序には一定の制約があり、それが傾向となって現

れるのである。獲得順序に個人差はあるか?これも答えはイエスである。上

103

記の表示で獲得されるのは個別の音ではなく、音類である。その音類に属す

るものならば、個々の幼児がどれを選択してもよい。故に個人差が許される

のである。Berlin and Kay (1969)の古典的な基本色彩語研究では、諸言語で最

も基本色彩語の数が少ない言語は2語しかなく、それは白色系と黒色系であ

るという。そして次にひとつ基本色彩語が多くなって 3 語の言語になると、

黒と白に加わる語は必ず赤色系であり、他の緑や黄ではない。そして赤色系

語彙を持つ言語には、必ず白色系と黒色系の語彙が存在する(逆は真ではな

い)。すなわち色彩語彙のあり方には規則性と含意法則が存在するのである。

これは我々の議論してきたレベルの進展にかかる制約に喩えられる。また赤

色系には実際は赤だけではなく、緋色、朱色、紅色等複数の色が存在する。

そのなかでどれを選ぶかに関しては、幼児に委ねられている。このようなア

ナロジーが可能かもしれない。 (2 3 )

先の章で、素性不完全指定理論が、あるタイプの歴史的変化の説明にも有

効であることを議論したが、依存音韻論も同様である。幼児の動的な音韻獲

得と歴史的な音韻変化には共通点が多い。その最も顕著な点が、変化の「漸

次性」であろう。本章を閉じるにあたって、この点に触れておきたい。例と

してロマンス語の発達段階で生じた「引き連鎖( drag chain)」と呼ばれる現

象を取り上げる。初期西部ロマンス語では、母音間で有声破裂音 [b, d, ɡ]が有

声摩擦音 [β , ð , ɣ]に変化し、その穴を埋めるように、無声破裂音 [p, t , k]が有

声破裂音 [b, d, ɡ]へと変化した。さらに空白となった無声破裂音 [p, t , k]へは、

無声破裂重複音 [p ː, t ː, k ː]が変化した。これらの音韻変化はある音類が変化し

て空白になった体系の穴を埋めるように別の音類が変化する現象であるため

に「引き連鎖」と呼ばれる。この値連の変化を図示したものが次の( 111)で

ある。

104

( 111)ロマンス語の引き連鎖

p ː → p → b → β

t ː → t → d → ð

k ː → k → ɡ → ɣ

これを伝統的素性システムで形式化したものを考えてみよう。次の( 112)の

音韻規則は、Walsh (1979)に若干の修正を加えたものである。 a.では無声破裂

重複音から無声破裂音(非重複音)への変化、 b.が無声破裂音から有声破裂

音への変化、そして c.が有声破裂音から有声摩擦音への変化である。

( 112)

a. [-sonorant, +long] → [-long] / V___V

b. [-sonorant, +tense, -long] → [-tense] / V___V

c. [-sonorant, -tense, -long] → [+continuant] / V___V

ここで [long]は長短を決定する素性、 [tense]は強弱を定める素性である。すな

わち無声音は有声音に比べて、調音時に、より大きな声道の緊張を伴うので、

[+tense]と指定されている。 [continuant]は破裂音と摩擦音を区別する素性で

ある。このように、この 3 つの規則はそれぞれ子音の長短、強弱、継続性に

係わる規則であるが、数ある素性の中でこの 3 つだけが、なぜ相互に関係し

うるのかは、音声的、音韻的に考えて理解しづらいところである。そして何

よりも、この 3 つの規則では a .の出力が b.の入力になり、さらに b.の出力は

c.の入力になっているので、 a.が起こった時点で、 3 つの規則はただちに適用

され、すべての変化が同じ時点で、瞬時に起こることになる。ところがこれ

らの変化は相当な時間をかけながら、順に起こった連続的な変化であり、

105

( 112)の規則は歴史的変化の「漸次性」を満足していないことになる。

今、依存音韻論でこの変化を記述してみると、無声破裂音、有声破裂音、

有声摩擦音の表示は次のようになる。

( 113)無声破裂音、有声破裂音、有声摩擦音の表示

C C V:C

V V

無声破裂音 有声破裂音 有声摩擦音

ここで無声破裂重複音を、上田( 1993)にしたがって、次のように表示する。

支配を示す斜線の右下に位置する C は、左上の C に依存し、かつ線的な順序

ではこれに後続することを示している。

( 114)無声破裂重複音の表示

C

C

これらの表示を用いて、( 111)の引き連鎖を表してみよう。

( 115)依存音韻論の表示による引き連鎖の変化

C C V:C

→ C → →

C V V

この変化を見ると、最初の変化では依存位置にある子音成分 |C|がひとつ消え

106

て、続いて母音成分 |V|が依存位置に現れ、最後に母音成分は支配位置にまで

侵入する。すなわちこの引き連鎖は、子音成分が段階的に減少し、逆に母音

成分が増加していく現象と性格づけできる。これらの変化が起こった環境は、

母音間であった。すなわち隣接する母音の母音性に影響を受け、母音成分が

段階的に増加したのである。この現象は典型的な弱化過程であるが、伝統的

素性システムでは、表示外でこれを規定せねばならなかったのに対して、依

存音韻論では連続的で一貫した変化であると明示的に記述することができる。

このように依存音韻論は幼児の音韻獲得や歴史的音韻変化のように、時間を

かけて変わっていく音韻変化の方向性を記述する場合に有効であると考えら

れる。

107

第 6 章 継続性のある音韻体系の記述を求めて———最適性理論

6.1 はじめに

これまで述べてきたように、音韻理論の発展は、様々な点において音韻獲

得の合理的な説明を可能ならしめてきた。しかしながら 1990年代に入っても、

まだ解決できない大きな問題が残っていた。それは繰り返し述べてきた、発

達の段階が進むに連れて音韻規則やプロセスがなくなっていくという問題で

ある。すでに音韻獲得を負の過程と見る考えには疑問を呈したが、第 2 章で

は特に随意規則を例にとり、随意規則は音環境を満たしているにもかかわら

ず、音韻規則が適用されたりされなかったりする恣意性が問題であると指摘

した。しかしながら獲得にあっては、同じ検査語が正しく発音されたり、誤

構音されたりすることはよく観察されるので、このような不安定な状態をも

説明できる理論が必要であった。前述したように、獲得のある段階から次の

段階に進む時点では、どちらの時期の特徴も併せ持つ場合が多い。それを適

切に記述できるモデルが待たれていた。Prince and Smolensky (1993)に始まる

最適性理論は音韻理論に大きな変革をもたらした。この理論の最も特徴的な

概念は、違反可能な有限個の制約と制約のランキングであるが、これらは音

韻獲得に関しても非常に重要な視点をもたらした。最適性理論の制約は 2 章

で議論した派生の枠組みでの制約とは大きく異なる。まず制約は普遍的なも

のであり、その意味では幼児であっても大人であっても、機能性構音障害児

であっても、全ての話者の音韻知識・能力に共通して存在するものである。

次に制約にはランク付けがなされている。そのランキングが各言語、各方言、

各個人方言の文法を決定する。本章ではこの制約のランキングに注目して、

音韻獲得を考えていく。

108

6.2 制約のランキングと獲得過程

ここで再度軟口蓋音の獲得過程を辿りながら、最適性理論のすぐれた点を考

察してみよう。

( 116)軟口蓋音を誤構音する時期(Subject A 4 歳 1 か月)

音声形 目標語

mitaɴ mikaɴ

potet to poketto

taito taiko

tote ː toke ː

( 117)軟口蓋音を部分的に誤構音する時期(Subject A 4 歳 10 か月)

音声形 目標語

mitaɴ /mikaɴ mikaɴ

poketto poketto

taito/taiko taiko

toke ː toke ː

( 118)正常音が獲得された状態(Subject A 5 歳 0 か月)

音声形 目標語

mikaɴ mikaɴ

poketto poketto

taiko taiko

toke ː toke ː

109

最適性理論の制約は、有標な形式や構造を避けようとする「有標性制約」と

基底表示と音声表示(最適性理論にあっては「入力表示」と「出力表示」)を

一致させようとする忠実性制約の 2 種類の制約群に大別される。今、このケ

ースを議論するために次の 2 つの制約を仮定する。

( 119) 2 つの制約

a. *Dorsal

(軟口蓋音は禁止される:有標性制約)

b. Faith(segment)

(分節音の入力と出力を同じにせよ:忠実性制約)

まず( 116)の誤構音の時期には、軟口蓋音はいかなる音環境にも現れなかっ

た。この時期には *Dorsal が Fai th(segment)に優先して守られている時期であ

り、この状態を( 119)のように前者が後者より高位にランクされていると考

える。

( 120)誤構音時期のランキング

*Dorsal >> Fai th(segment)

次が( 117)の誤構音は見られるものの、正常音も現れており、 [ k ]と [ t ]が

混在する時期である。この時期にはランキングが変化して、 *Dorsal と

Faith(segment)の間に優先順位はなく、同じランクに位置していると考えられ、

これを次のように表す。

( 121)正常音と誤構音が混在する時期のランキング

*Dorsal, Fai th(segment)

110

獲得がさらに進んで、( 118)のように全ての語彙項目に正常目標音が現れる

と、今度は次のようにランキングが逆転する。

( 122)正常音獲得時のランキング

Faith(segment) >> *Dorsal

この過程を見ると、最初は Faith(segment)より上位にランクされていた *Dorsal

が、次の時期にはこれと同じにランクされ、最終的には Faith(segment)より下

位に落ちていくという段階的な降下のプロセスである。ここで注意すべきは、

この一連の変化では、何も消失するものはないという点である。始めにあっ

た *Dorsal と Faith(segment)は、獲得の終了後も存在する。さらに重要なのは

最初の誤構音の時期から最後の正常音を獲得した時期までを通して、 *Dorsal

がランクを段階的に下降する(相対的に見れば Faith(segment)が上昇する)と

いう点において継続性が保たれているということである。ここにおいて、我々

を悩ませてきた問題に満足のいく解答が与えられたのである。要するに正常

な構音を獲得するプロセスとは、制約を大人と同じランキングに組み替えて

いく過程であるということができる。

最適性理論が音韻獲得や構音障害に寄与したのは、このような点だけに止

まらない。しかしながら最適性理論が全ての問題を解決したかというと、必

ずしもそうではない。最も大きな問題点は、依然として残されている基底(入

力)表示の問題である。最適性理論の代表的な獲得研究では、初期の音韻規

則に立脚するアプローチがそうであったように、幼児は必ず大人と同じ正し

い入力表示を獲得していると、先験的に仮定されている( Demuth 1996、

Gnanadiskan 1996、Goad 1996、Smolensky 1996 等)。この考え方に従うと、正

111

常発達児であろうと構音発達の遅れや音逸脱を示す幼児であろうと、入力表

示は全て大人と同じ正常なものであり、実際の発音の違いを生み出している

のは制約のランキングの違いだけであるということになる。問題はここでも

同じで、幼児が誤った入力表示を学習している可能性はゼロか、という点で

ある。特に構音障害が疑われる幼児は、この可能性を考慮に入れておく必要

がある。最適性理論では、幼児の構音獲得が遅れている時期には、有標性制

約が忠実性制約より上位にランクされているとされる。正常音の獲得が進む

につれて、有標性制約はランキングを下降し、忠実性制約と入れ替わり、正

常な音韻が獲得されるというのが一般的な主張である。しかしながらこの両

者のランキング上の相対的関係にかかわらず、入力表示自体が正常ではない

場合も考慮せねばならぬはずである。元来、幼児の入力表示が大人のそれと

同じであるという主張は、その根拠として、幼児の聴覚能力(音の識別)が

大人と同じであることをあげる場合が多い(Smolensky 1996、Boersma 1998、

Pater 2004 等)。これらの主張が成り立つためには、聴覚能力が常に産出能力

に優るという前提条件が必要であるが、Gierut (2004)の報告にもあるように、

逆に聴覚能力が産出能力に劣るケースも存在し、依然としてこの問題は解決

していない。最適性理論になって、入力表示の役割は格段に低下しているが、

音韻獲得という点から入力表示を考えた場合、幼児が誤った入力形を学習し

ている可能性は否定できず、入力表示の決定は経験的問題であり、より慎重

な立場での判断が求められる。

6.3 最適性理論による獲得の類型化

最適性理論の基本概念である入力表示と出力表示、そして制約のランキン

グによって、獲得期の正常構音やさまざまの誤構音を類型化することができ

112

る。 (2 4 ) そしてそれはさらに進んだ説明力をもつ。これまで多くの研究にお

いて、幼児は成人と異なる制約のランキングをもつ場合があり、それが誤構

音を引き起こすという主張が主流であることを述べた。そして筆者は、ラン

キングだけではなく、入力形も大人のそれとは異なるケースがありうること

を主張してきた。そしてそれが出力形に反映し、結果として正常音もしくは

誤構音が生まれると論じてきた。これらを整理すると、入力、ランキング、

出力、いずれも「大人と同じ」か「大人と異なる」によって、幼児の音韻知

識は論理的には次の 8 通りに分類できる。

( 123)最適性理論によるタイポロジー

入力 ランキング 出力

1 大人と同じ 大人と同じ 大人と同じ

2 大人と同じ 大人と同じ 大人と異なる

3 大人と同じ 大人と異なる 大人と同じ

4 大人と同じ 大人と異なる 大人と異なる

5 大人と異なる 大人と同じ 大人と同じ

6 大人と異なる 大人と同じ 大人と異なる

7 大人と異なる 大人と異なる 大人と同じ

8 大人と異なる 大人と異なる 大人と異なる

これら 8種類を、それぞれカテゴリー 1から 8と呼ぶことにする。このなかで、

カテゴリー 2 は実際には存在しない。すなわち最適性理論では、正常な入力と

大人と同じランキングが与えられると、必然的に大人と同じ正しい出力が得

られなければならないからである。故にこのカテゴリーは除外せねばならな

い。カテゴリー 1 は、入力、ランキングが正しく、出力も正しいので、要する

113

に大人や正常発達児の音韻体系である。これに対してカテゴリー 4 が多くの先

行研究で先見的に仮定されているタイプである。入力は大人と同じであるが、

ランキングが大人と異なるので、誤った出力が生まれるというケースである。

それではこれから先行研究が考慮に入れていないタイプを見ていこう。ま

ずカテゴリー 3 であるが、入力は正常であるがランキングは大人のものとは異

なる。それにもかかわらず出力は正常であり、一見するとありえないように

思える。この例として、(2)で取り上げて、これまで何度も議論している Type

A のラ行音の逸脱を考える。このタイプの幼児は語中で入力のダ行音がラ行

音として現れた。

( 124)Type A の語中におけるラ行音化

音声形 目標語

ʤ iɾo ːʃa ʤ ido ː ʃa

namiɾa namida

bɯɾo ː bɯdoː

(目標音 /d/は [ɾ]に置換される)

これは、Ueda and Davis (1999)では、次のように、語中の母音間に入力のダ行

音が挟まれたとき、弱化する有標性制約 Intervocalic Weakening が有標性制約

の Faith(segment)よりも上位にランクされたと分析している。

( 125)( 124)の出力を生むランキング

Intervocal ic Weakening >> Faith(segment)

このランキングは、語中のダ行音が正しく産出される大人の文法には存在し

ないランキングである。しかしながら、この幼児の語頭の目標ダ行音は次の

114

ように正しく産出されている。

( 126)Type A の語頭のダ行音

音声形 目標語

daɾɯma daɾɯma

do ːbɯʦɯeɴ do ːbɯʦɯeɴ

denʃa denʃa

(目標音 /d/は正しく [d]と発音される)

これは Intervocalic Weakening が、語中という音環境においてのみ働く制約な

ので、語頭ではその影響が及ばない。この幼児は、全体として同じ音韻体系

の中に大人と同じ入力形をもち、異なったランキングをもちながら、制約の

及ぶ範囲の違いから、部分的に大人と同じ出力が観られるのである。これを

派生を基盤とする枠組で考えるならば、幼児が正しい基底表示をもち、間違

った異音化規則をもっているが、規則の適用範囲が及ばない音環境では、正

しい基底形がそのまま表面に現れるということになるであろう。

次のカテゴリー 5 では誤った入力形と正常なランキングが、正常な出力を導

くケースである。この事例は日本語の連濁に関係するものである。次に連濁

の例をいくつかあげる。

( 127)連濁の例

入力 出力 意味

tama tama 玉

aka+tama akadama 赤玉

ame+tama amedama あめ玉

kawa kawa 川

115

o+kawa oŋawa 小川

dobɯ+kawa dobɯŋawa どぶ川

連濁は進行的有声化であり、次のように Sequent ial Voicing という有標性制約

が、声を照合する制約 Ident IO(voicing)の上位にランクされていると考える。

( 128)連濁を出現させるランキング

Sequential Voicing >> Ident IO(voicing)

しかしながら次のケースでは、幼児が入力として「川」の語頭子音を誤って

学んでしまっている。

( 129)誤った入力の例(Ueda 2005)

入力 出力 意味

tama tama 玉

aka+tama akadama 赤玉

ame+tama amedama あめ玉

ɡawa ɡawa 川

o+ɡawa oŋawa 小川

dobɯ+ɡawa dobɯŋawa どぶ川

この幼児は、(128)のように、「玉」では複合語に連濁が観られるが、「川」

では誤った入力形の語頭子音が有声であるために、結果として「小川」と「ど

ぶ川」では、表面的には正しい出力が現れている。このようにこのカテゴリ

ーは中和化の環境で起こりうる。

次のカテゴリー7 は、大人とは異なる入力とランキングが結果として正しい

116

出力を生むケースである。これも一見するとありえないように思えるが、数

こそ少ないが、実際に起こりする。次の Ueda (1992)から、機能性構音障害児

の事例を観てみよう。

( 130)日本語軟口蓋子音の誤構音事例

a. 音声形 目標語

kitte kitte

jɯki jɯki

keito keito

tokee tokee

(目標音 /k/は正しく発音される)

b. 音声形 目標語

taeɾɯ kaeɾɯ

atai akai

ʦɯʃi kɯʃi

toma koma

(目標音 /k/は [ t ]に置き換えられる)

(130)では、 b.の語彙項目で目標音が [ t ]に置き換わっているが、 a.では前舌母

音が後続する場合、目標音 [ k ]が現れている。Ueda (1992)では限定的な [ k ]

の分布を根拠に、基底形を / t /と仮定して、a.の語で目標音 [ k ]が現れるのは、

大人が持たない異音化規則であると考えている。本来、[ k ]と [ t ]の交替では、

前舌母音は [ t ]と共起する場合が多いが、このケースは例外的で、可能性のあ

る制約として、舌頂音である [ t ]と、やはり舌頂性のある前舌母音の連続を避

117

ける制約を考えることができる。

( 131)舌頂音を回避する制約

*OCP [coronal]

元来 OCP 制約は同じ音韻特徴の分節音の連続を許さない制約であるが、この

場合は、特に舌頂性の連続を許可しない制約であり、ほとんどの正常発達の

音韻体系では、(存在はするものの)下位にランクされ、顕在化はしない制約

である。 ( 2 5 ) [ k ]の出現は次のように形式化できる。

( 132)( 130) b.のタブロー

/ti/ *OCP Feature Faithfulness

☞ ki *

ti *!

このようにカテゴリー 7 で、大人と異なった入力とランキングから、正常な出

力が生ずるのは、非常に限定的で例外とも言えるケースである。

以上のように、カテゴリー 3、5,7 は非常に限られた音環境や語彙項目で起

こり、制約の働く範囲が限られているので、例外的なケースと見なしうるで

あろう。だからといって、これらカテゴリーの可能性を排除することはでき

ない。

続いて大人とは異なった出力、すなわち誤構音が生ずるカテゴリーを検討

していく。大人と同じ入力をもつが、ランキングが大人とは異なるカテゴリ

ー 4 については、ほとんどの先行研究で理論的基盤とされているタイプである

ことはすでに述べた。これをカテゴリー 6 と比較すると獲得上興味深い事実が

118

浮かび上がってくる。カテゴリー 6 では入力は誤っているが、ランキングは大

人と同じで、誤った出力になるものである。これに関しては、Dinnsen and

Barlow (1998)が興味深い研究をおこなっている。彼らは先に見た引き連鎖の

ような、「連鎖的音置換( chain shift)」と呼ばれる誤構音を示す複数の幼児の

正常音獲得過程を調べ、正常音獲得が速い者と、非常に遅い者に二分される

ことを発見した。前者はいとも簡単に目標音を獲得するが、後者はたとえ構

音訓練を受けても、誤構音が解消しなかった。Dinnsen and Barlow は、前者は

正しい入力を持っているが、ランキングは大人と異なっており(カテゴリー 4)、

それに対して後者は入力が誤っており、ランキングは正常であるという結論

に達している。具体的には、前者は誤ったランキングが正常になる、すなわ

ち忠実性制約が有標性制約より上位にランクされると容易に正常構音になる

のに対して、後者はすでに忠実性制約が上位にランクされているために、誤

った入力に対して忠実であろうとして、それを出力しようとする力が働き、

正しい形がいつまでも獲得できないわけである。つまり、誤った入力形に忠

実性制約がかかるならば、誤った入力形に忠実であろうとするので、長期間、

誤構音が続く。結果として獲得は遅れ、問題は長期化・複雑化することにな

る。Dinnsen and Barlow (1998)の研究はこの可能性を示唆している。

本節をまとめると、大人と同じ正しい出力は、多くの場合大人と同じ入力

表示と制約のランキングから生まれるが、それ以外にも大人と同じ入力と誤

ったランキングから生ずることもあり、さらに大人とは異なる入力とランキ

ングから生まれることもある。さらに重要なことには、誤った出力は、必ず

しも誤ったランキングの結果だけとは限らず、ランキングの正誤にかかわら

ず、誤った入力表示から生ずる可能性もある。( 8 は誤った入力と誤ったラン

キングで誤った出力が生ずる、理論的にはわかりやすいケースである。)

119

6.4 音韻獲得の機能的側面

これまでは、音韻獲得を音韻理論の形式面から議論してきたが、本節では

機能的側面に注目する。すでに第 3 章で、獲得には速い学習者と遅い学習者

がいることに言及したが、ここでは、2 つの臨床的な研究を紹介し、さらに音

韻学習能力に関して詳しく検討したい。福迫・沢島・阿部( 1976)は東京大

学付属病院で構音訓練を受けた 71 名の幼児のデータを分析したものである。

彼らの本来の研究目的は、幼児の音置換等、誤構音のパターンを列挙し、そ

れを一般的な誤構音と希な誤構音にグループ分けをして、その傾向から誤構

音を類型化することにあった。残念ながら彼ら自身も認めるように、複数の

誤構音を併せ持つ幼児が多く、類型化は成功しなかった。しかしながら、彼

らは議論の中で非常に興味深い点をいくつか指摘している。 1 点目は、 71 名

の幼児のうち、35 名が構音訓練を受けたが、残りの 36 名には一定の観察期間

がもうけられることになった。このうち 11 名は観察期間中に目標音を獲得し

た。すなわち、構音訓練なしで正常音が出現したわけである。またこの現象

は、広義には訓練をしていない語彙項目に目標音が現れることも意味する。2

点目は、「般化学習」に関する点である。ここで言うところの般化学習とは、

例えばある音について構音訓練をおこなうと、同じような性質をもつ別の音

も訓練無しで出現することを指す。福迫らは、合計 233 個の目標音が訓練の

結果獲得されたが、訓練無しの般化学習で出現した目標音も 137 個に上った

と報告している。3 点目は訓練に要した期間の長さである。これは比較的長期

間を要した幼児と比較的短期間で訓練を終えた幼児がおり、訓練期間の長さ

には違いがあった。福迫・沢島・阿部( 1976)は、結局音置換のパターンと

以上の 3 点は関係がないと結論で述べている。もうひとつ注目すべき点が西

村( 1979)によって指摘されている。彼は誤構音を示す幼児は、やはり早期

120

に目標音を獲得する者と、時間を要する者がいると述べているが、さらに前

者の音置換は一定で同じ音置換のパターンをとるが、後者は音置換が不安定

で、置き換えられる音が毎回必ずしも同じではないと論じている。この 2 つ

の研究は、音韻獲得において、比較的高い音韻能力をもった幼児と、そうで

ない幼児が存在し、機能的な相違があることを示している。

これらの事実に基づいて、Ueda (1999)は音韻獲得を機能面から類型化した。

それを次の表に示す。

( 133)機能面の類型化

能力の高い学習者 能力の低い学習者

音置換 一定 不安定

訓練無しの目標音獲得 可能 不可能

般化学習 可能 不可能

構音訓練期間 比較的短期間 比較的長期間

ここで注意しておかねばならないのは、すべての幼児がこの 4 点の特徴全て

を実際に示すわけではないということである。例えば音置換が一定であって

も、般化学習が観察されない幼児もいれば、般化学習が観られなくても、比

較的短期間で訓練を終える者もいるのである。重要な点は、( 123)で提案し

たタイポロジーと、このような機能的側面が密接に関係するということであ

る。それについて、次節で議論する。

6.5 音韻獲得の形式面と機能面の関係

本章 3 節では、最適性理論に基づいて、形式面から獲得期の構音のタイポ

ロジーを提案し、4 節では、獲得の機能面に関して類型化をおこなった。この

121

形式と機能は、一見すると関係がないように思えるが、本節ではこの機能的

な諸相が形式的なタイポロジーから導かれることを主張する。それでは( 123)

のタイポロジーが何を示唆するかを考えよう。まずカテゴリー 1 は大人と同じ

システムであることを述べた。これに至るには幼児は正常な入力とランキン

グを獲得せねばならない。また誤構音は大人と異なるランキングと正常な入

力とともに起こるか(カテゴリー 4)、もしくはランキングの正誤にかかわら

ず、大人とは異なる入力からも起こりうると論じた(カテゴリー 6 と 8)。カ

テゴリー 4 ではすでに正常な入力が獲得済みである。例えば( 116)のカ行音

の置換に関しては、目標 /k/音を含む語彙項目では、すべて正常な /k/音が音韻

知識として存在しているのである。ところが有標性制約 *Dorsal がこの出現を

妨げている。もし発達に伴ってランキングの再構築が起こり、*Dorsal が忠実

性制約 Faith (segment)より下位にランクされると、目標音 [k]が、すべての語

彙項目で全般的変化として現れるはずである。前節の機能的類型化において、

能力の高い学習者のグループでは比較的短い訓練期間で早期に目標音が獲得

され、訓練をしていない語彙項目にも正常音が出現した。このような特徴は、

他ならぬカテゴリー 4 に属する学習者に相当する。「早期の獲得」と「訓練を

していない語に目標音が出現」は、形式的には、「すべての語彙項目」と「全

般的変化」に対応する。つまり「高い学習能力」とは、正常な入力表示を獲

得していることなのである。それに対して、正常な入力が獲得されていない

カテゴリー 6 と 8 では、語のしかるべき位置に目標音が存在しないので、語彙

項目によって、異なった音で代替されうる可能性がある。目標が /k/音である

場合、ある語では /t/が /k/の位置を占めていたり、別の語では声門破裂音であ

ったりして、音置換が一貫しておらず、不安定なのである。また入力形は語

彙項目ごとに学ばねばならないので、目標音は全般的変化によって一挙に現

122

れずに、一語また一語と語彙に拡散しながら増えていく過程を示すことが予

想できる。当然のことながら、獲得には時間を要することになる。また語彙

拡散的な獲得は規則性をもった過程ではないので、般化学習も起こらない。

このような特徴はすべて、「能力の低い学習者」がもつ機能的な特質であると

言える。換言すれば、能力の低い学習者は、カテゴリー 6 か 8 に属する幼児で

あり、その能力の低さは、正常な入力形を獲得していないことに帰すことが

できるのである。

最後に冒頭で紹介した「誤構音には一般的傾向があるものの、必ず例外が

存在する」という 2 番目のパラドクスを考えよう。誤構音、すなわち誤った

出力に観られる一般的傾向は、正しい入力を獲得しているが、制約のランキ

ングは大人と異なっているタイプ、すなわちカテゴリー 4 の幼児であり、問題

はランキングなので、規則的な音逸脱を示す。多くの幼児は正常な入力を獲

得しているので、これが主たるタイプである。これに対して例外的な誤構音

は、それ以外のカテゴリーで、 6 もしくは 8 である。これらのカテゴリーは、

幼児ごとに、あるいは同じ幼児でも語彙項目ごとに異なる入力形をもちうる

ので、出力は様々な例外となって現れるのである。誤構音には 3 種類しかカ

テゴリーがないが、3 種類もカテゴリーがある。このように考えれば、このパ

ラドクスにもおのずと解答が与えられたものと思われる。

6.6 第 6 章のまとめ

本章では、現在もっとも広く研究されている理論である最適性理論から音

韻獲得を考察し、この理論が獲得の初期から終了までの過程全般を適切に捉

えうると論じた。しかしながら現行の多くの研究では、入力表示が大人と同

じ正しい形であるという先験的に決定された前提の上に立って議論が進めら

123

れており、音韻規則を基盤とした時代と同じように語彙項目に固有な情報と

しての入力表示は、大人とは異なったものを持ちうるという視点が欠けてお

り、多様性に富んだ幼児の誤構音に対応できていないことを指摘した。そし

てこの可能性を考慮に入れたタイポロジーを提案し、さらにこの形式的類型

化が、機能面である獲得能力の相対的な差をも導くことができることを主張

した。臨床現場で幼児の誤構音を観察すると、多様性に富み様々な種類があ

ることがわかる。上記のランキングだけに帰する説明では、誤構音は画一的

となり、現実の多様性を捉えているとは到底考えられない。

以上の類型論的考察は、臨床にも少なからず示唆を与える。誤構音のタイ

プの中で、カテゴリー 4 は正常な入力を獲得済みで、問題はランキングのみで

あった。このタイプは般化学習が可能であり、目標音が訓練なしで出現する

カテゴリーであった。このタイプには般化学習を促進する訓練が効果的であ

る。例えば、すでに述べたように、日本語のラ行音は、石川( 1930)による

と、 [ i ]に後続されると最も出現しやすく [ a ]で最も出現し難い。また馬瀬

( 1967)などによると、語頭より語中で早く出現する。そうであるならば、

ラ行音の産出でもっとも容易な環境は、語中で [ i ]に後続された場合であり、

最も難しい環境は、語頭で [ a ]が後続する環境である。これを踏まえて臨床的

訓練では、最も難しい語頭の [ɾa]を集中的に訓練すれば、他の音環境でも訓練

なしにラ行音が現れることが期待できる。これは実際アメリカ合衆国でも効

果をあげている。例を挙げると、英語の摩擦音は通常語末から出現して、語

中、語頭の順に獲得される。また摩擦音の中でもっとも獲得が遅れる音は、[θ ]

と [ð]である。それを踏まえて、臨床のいくつかのケースでは、摩擦音を発音

できない幼児に、最も獲得が遅れる語頭の [θ ]と [ð]を訓練したところ、他の

環境で [θ ]と [ð]が現れたのみならず、他の未獲得の摩擦音が訓練することな

124

しに出現した(Elbert and Gierut 1986)。すなわち、最も有標な音環境で、最

も有標な音を集中的に訓練することで、般化学習が促進されたということに

なる。人間の学習能力の一つに、より難しい物を習得すれば、それより簡単

なものは学習なしに習得しているということがあり、これは言語習得におい

ても認められている(Eckman 1977)。これを臨床現場でうまく利用すれば、

言語聴覚士にとっては、訓練時間の短縮につながることが期待できよう。こ

れに対してカテゴリー 6 や 8 はランキングという規則性に関わる問題ではな

く、個々の語彙項目の入力形の問題であった。これらのカテゴリーでは、般

化学習は期待できず、誤構音も不安定であった。このタイプに対しては、逆

に最も無標なものから順に、一歩一歩有標なものへと積み上げていく訓練が

必要であろう。ラ行音の場合は語中の [ɾi]を含む語から始めて、語中の全ての

母音に先行するラ行音の出現を待って、語頭の [ɾi]へと進み、最後に最も有標

な [ɾa]で終えるべきである。そして訓練には相当の期間を要することを覚悟せ

ねばならないであろう。

以上のように、最適性理論に基づいて定めたカテゴリーのどれに属するかを

見極めることは、臨床現場にも裨益する可能性があることを示唆して、本章

を締めくくるが、最適性理論は現在も発展途上にある理論であり、問題点が

指摘されては、修正が繰り返されている段階にある。それに従って、音韻獲

得面でも新たな議論が展開されている(最適性理論の枠内で音韻獲得や構音

障害の諸相を論じたものに、Dinnsen and Gierut (2008)がある)。今後さらに研

究が進み音韻獲得や構音障害に新たな光が投げかけられることが期待される。

125

第 7 章 まとめと展望(結論にかえて)

7.1 音韻論と獲得・障害

音韻論は、言語音が言語普遍的に、あるいは個別言語内で、どのように働

くか、どのような機能を担っているかを解明しようとする分野である。本論

文では幼児の獲得や障害に観られる言語音の逸脱や、正常構音への発達を、

幼児独自の体系として捉え、その記述と説明を、音韻論の発展を辿りながら

試みてきた。そしてこれらの事象に対して、音韻理論が有益で合理的な説明

を与えることを論じてきた。また獲得や障害に観られる事象の説明によって、

理論そのものの評価が左右されることも論じた。さらに筆者は、事象の記述

と理論的説明は車の両輪であり、両者がバランス良く進められるべきである

と主張した。新しい事象の発見はそれ自体価値のあることであるが、その重

要性を決定するのは、理論に他ならない。

筆者は第 6 章で、最適性理論が現在のところ、獲得と障害の記述・説明に

は最も有力な理論であるとして、これに基づいて獲得期の事象を分析した。

最適性理論の利点は、獲得期間全体にわたって、一貫した、継続性のある記

述が可能なこと、そして獲得に観られる規則性と例外を無理なく説明できる

からである。

近年、認知言語学の台頭により、これに基づいて音韻を記述しようとする

試みが見られるようになってきた。認知主義にも複数の立場があるが、獲得

や音韻変化に深く関係すると思われる立場は、用法基盤( usage-based)のモ

デルである。例えば Bybee( 2001)には、アメリカ英語の曖昧母音脱落にお

ける非対称性が紹介されている。すなわち、 ’memory’は第 2 音節の曖昧母音

が省略されやすく、 [mɛmri]と発音されやすいのに対して、 ’mammary’は同じ

126

構造であるのにもかかわらず、[mæmər i ]と脱落が起こりにくい。また ’evening’

は、「夕刻」の意味で使われるときは、 [i ːvn ɪŋ]と曖昧母音の脱落が起こるが、

動詞 ’even’(「均一にする」)に ’ing’が添加された場合は、 [i ːvənɪŋ]と省略が起

こりにくい。Bybee( 2001)はこれらの例で、前者は使用頻度が高く、後者は

使用頻度が低いので、このような非対称が生ずるとして、使用頻度が変化を

促進すると主張している。筆者はこのような言語使用が体系に影響を与える

ことは十分あり得ると考えるが、説明を使用頻度のみに依拠すると、これま

で論じてきた全般的変化等の構造変化に観られる規則性のかなりの部分は偶

然と言わざるを得ないことになる。現在のところ、筆者の考えとしては、使

用頻度に影響される事象は、規則に支配されない事象、例えば長期間の語彙

拡散による音素分離において、どの語彙項目から変化が起こっていくか等の

現象に限定すべきであると考える。もっとも認知主義言語学が音韻の対極で

ある意味の分析から発展していることを考慮すると、現在の時点で批判する

のはフェアではないかもしれず、今後の研究の進展を待ちたいと思う。

7.2 今後の展望

筆者は、獲得研究で大切なのは幼児の音韻知識を明らかにすることである

と繰り返し述べてきた。今後進むべき方向のひとつは、音響音声学的視点か

ら音韻獲得を掘り下げていくことである。これまで議論してきて音韻獲得は、

すべて検査者の耳で判断がなされてきた。この点ではおのずから限界があり、

それを補うために音響的な考察を取り入れるのである。このようなアプロー

チが、これまでなかったわけではない。例えば、Weismer, Dinnsen and Elbert

(1981) で は 、 語 末 の 破 裂 音 が 発 音 で き ず に 脱 落 さ せ る 幼 児 3 人

に、’cab~cop’、’kid~pat’、’dog~duck’等、語末破裂音の有声無声で対立するペ

127

アを発音させ、音響分析をおこなった。発話では3人全員が語末破裂音をす

べて脱落させて検査語を発音したが、直前の母音長を測定すると、2人は有

声破裂音を語末にもつ語の直前の母音を無声破裂音の前の母音より、相対的

に長く発音していることが判明した。この現象は一種の反中和化であり、標

準アメリカ英語でも、 ’wr iter’と ’r ider ’は同じ発音になるが、 ’rider’の [aɪ]の方

が ’writer’の [a ɪ]より長く発音され、2語が完全に中和することを防いでいるこ

とはよく知られた事実である。この反中和化が2人の幼児に観られたという

ことは、幼児が語末破裂音そのものを発音できなくても、その子音の有声無

声に関する音韻知識をすでに知っていることになり、それゆえ正しい基底表

示を獲得していると判断しうる根拠になる。しかしもう1人の幼児には、長

さの差が観られなかった。この幼児は基底形を獲得しているとは認めがたい

であろう。また Maxwell and Weismer (1982)は、阻害音をすべて有声で発音す

る幼児に対して、構音検査で有声と無声のミニマルペア(例えば、’to~do’等)

を発音させて、音響分析をおこなった。結果として大人の耳には同じに聞こ

えるものの、声帯振動開始時間( voice onset time)の値を違えることによって、

有声音と無声音の区別をしていることがわかった。これもこの幼児が音韻的

には同じと見なされる音に対して異なった知識を有していることの証左とな

ろう。

最近の Ueda and Idemaru (2018)の研究では、目標ラ行音がダ行音に置換され

る幼児(前述の Type B)を 3 歳 5 ヶ月と 5 歳 3 ヶ月の 2 期にわたって調査を

おこない、特に産出されたラ行音の継続時間に注目し、これを計測し、2 期の

結果を比べ、さらにこれらの結果を大人(データを取った言語聴覚士)の発

音とも比較した。本来日本語のラ行音は語頭で長く、語中で短い。次の図を

見られたい。

128

( 134)被験者幼児と大人のラ行音の継続時間の違い

この図では右が大人の発音である。縦に2列になっており、上が「れ」下が

「くろ」の発音である。そして下線を引いて示した部分がラ行子音の部分で

ある。上の語頭では 44 ミリセカンドであるのに対して、下の語中では 17 ミ

リセカンドと、2倍以上の差がある。そして左側がこの幼児の 3 歳 5 ヶ月時

点の「れ」と「くろ」である。語頭が 26 ミリセカンド、語中が 20 ミリセカ

ンドとほとんど継続時間の長さに差はなく、むしろ語中の方が若干長く、大

人とは非常に異なった数値を示している。次の図は、 3 歳 5 ヶ月から 5 歳 3

ヶ月への変化を示したものである。左が 3 歳 5 ヶ月、右が 5 歳 3 ヶ月である。

( 135) 3 歳 5 ヶ月から 5 歳 3 ヶ月への変化

図中で一番上の破線は大人の語頭のラ行音の持続時間の平均値、一番下の破

線はやはり大人の語中の持続時間の平均値であるが、2 回の計測でほとんど変

化がないことがわかる。これらに挟まれたかたちの2本の実線が幼児の発音

129

である。語中は 20 ミリセカンドから 17 ミリセカンドへと短くなり、大人の

持続時間とほぼ同じになっている。語頭は 26 ミリセカンドから 39 ミリセカ

ンドへと長くなってはいるが、大人の数値とはまだかなりのギャップが存在

する。次に総合的なデータを掲げる。

( 136)目標音に関するデータ

  T ime  1   T ime  2   Adu l t    

I n it i a l   Judgement   Dura t io n   Judgement   Dura t io n   Dura t io n  

[ɾ ]     41%   (7 )   0 .2 6   80%   (4 )   0 .3 9   0 .4 4  

[d ]     59%   (1 0)   0 .1 6   20%   (1 )   0 .0 7    

O ther   0%   (0 )     0%   (0 )      

Med ia l            

[ɾ ]     46%   (1 6)   0 .2 0   83%   (1 9)   0 .1 7   0 .1 7  

[d ]     40%   (1 4)   0 .3 2   13%   (3 )   0 .4 1    

O ther   14%   (5 )     4%   (1 )      

この表には、目標ラ行音がラ行音とダ行音のどちらに判断されたかについて

も統計的な数字が含まれている。 3 歳 5 ヶ月の段階では、語頭では 41%が、

語中では 46%がラ行音と認定されたにすぎないが、 5 歳 3 ヶ月になると、語

頭では 80%、語中では 83%がラ行音と判断され、どちらの位置でも約2倍と

なっている。すなわちこの幼児は、ラ行音の語頭と語中の持続時間に差がで

きるにしたがって、正しいラ行音がどちらの位置でも増えたといえる。この

事実から考えられることは、幼児のラ行音獲得において、位置による持続時

間の差を学ぶことが、正常音獲得のための、少なくともひとつの重要な要素

である可能性が高いということである。

130

このケースは、表面的(あるいは音韻論的)には、ダ行音で置き換えられ

ていたラ行音を含む語が、約2年後には正常に発音される数が増加したとい

うことしか言えない。しかしながら、このように音響面から考察してみると、

子音の持続時間という表面には現れない音声学的要因が明らかになり、正常

構音の必要条件を明示的に指摘することができるのである。ここでも音韻的

な事象に対して、音声学的な分析がその裏付けをあたえていると言えよう。

また先ほどの Weismer, Dinnsen and Elbert (1981)が調査した 3 人の幼児のう

ち 2 人は、母音長によって後続すべき破裂音の有声無声に関する知識を表し

ていた。この 2 人は検査語の後に [i]をつけて発音させると、 [kæbi]~[kapou]、

[kɪdou]~[pæti]、[dɔɡ i]~[dʌki]というように、語末位置では発音されなかった破

裂音が現れ、しかも正しい有声無声の対立を示した。( 2 6 ) 一方で、母音の長短

の区別が見られなかった 3 番目の幼児は、このような形態音素交替による母

音間の当該破裂音の出現もみられなかった。このような結果を見ると、音声

学的なアプローチと音韻論的な考察は、決して異なった次元のものではなく、

むしろ補完的な関係であることを教えてくれる。このケースでは、両者はま

さにコインの裏表であると言うことができよう。

以上、今後の展望として、音韻理論だけではなく、もっと広い視点から音

韻獲得や障害を考察することが効果的であることを論じたが、それだけでは

なく、発達心理学や言語病理学など他の領域と学際的な共同研究も望まれる。

我が国では学問分野間の垣根が高く、研究手法や対象が異なるために、自由

な交流が少ないことは残念なことである。筆者はさらに言語学分野において

も、もっと多くの研究者が獲得や障害に興味をもってもらいたいと願ってい

る。これらが言語学の可能性を試せる研究対象であり、直接研究成果を社会

に還元できる可能性があるからである。

131

( 1)本節の内容の一部は、Ueda (2014)で論じたものに修正を加えたものであ

る。

( 2)本事例に関して詳しくは上田 (2013)を参照。

( 3)実際、機能性構音障害は、伝統的には funct ional speech disorder と呼ば

れたが、それが functional misar ticulation と呼ぶ研究者が増えてきて、さらに

最近では protracted speech(獲得に長期間を要する音声言語)という用語も提

案されている。機能性構音障害について詳しくは、本間 (2000)、白坂・熊田

(2012)、Edwards and Shriberg (1983)、Stoel-Gammon and Dunn (1985)等を参照。

( 4)本節の内容は、上田( 1995, 2013)で述べたものに修正を加えたもので

ある。

( 5)音韻過程は、言語能力にとって難しい性質をもつ音や音連続を、その性

質を欠く類似の音や音連続で置き換える認知作用であると定義されている

(Stampe 1973)。以下、「過程」という表現がしばしば用いられるが、これは

Stampe 流の「プロセス」を指す場合もあれば、一般的に同化や、脱落、挿入

などの動的な音韻変化を指して用いられる「音韻過程」を意味する場合もあ

るので、混同に注意されたい。

( 6)この点ではプロセス分析は上記の生成音韻論に基づく分析の簡略版とも

言うことができる。そして表示に音素標記を使用しているので、弁別素性を

用いた一般化もできていないことになる。

( 7)筆者は臨床的視点に立った、誤りの傾向や音置換の指標としての弱いバ

ージョンのプロセス分析を否定するものではない。特に機能性構音障害の場

合、後述する基底形の獲得の有無を組み入れた場合、かなり効果は高まるで

132

あろう。川合( 2011)は、最新の構音検査は、ある程度専門的知識がないと

臨床現場では使いこなせないと述べて、その助けとなる分析ツールを試案と

して提示している。まさにこの専門的知識こそが臨床現場で求められている

ものであり、この点では言語病理学と言語学との協働が求められる所以であ

る。

( 8)Dinnsen(1984)はこの 2 種類の制約のカバータームとして、 phonotactic

constraints という用語を用いている。彼は明らかに、素性の分節音内でのいわ

ば縦の配列( paradigmatic な配列)と分節音連続に関して、素性の連続に関す

る横の配列( syntagmatic な配列)を意味してこのカバータームを採用したよ

うであるが、日本語で phonotact ic(音素配列)は、後者を意味することにな

るので、ここでは単に「制約」としておく。なお実際に、Liles(1975)の様に、

当時であっても segment structure condi tion ではなく、 combinatorial constraint

と「制約」という用語を用いた研究者もいたことを付記しておく。

( 9)この構造条件は、特に基底の余剰性との関係で議論されたが (Stanley

1967)、当時からこの条件が語彙項目にかかるものか、音韻分門に属するのか、

あるいは再調整規則であるのかに関しては、議論が分かれたところである。

Dinnsen (1984)は、制約は語彙項目の構造を決定すると言いながら、それが基

底表示にかかるものであるとして、その明確な性格付けをしていない。すな

わち固有の語彙目録に属しつつ、かつ基底表示を決定するという音韻部門の

一部であるように位置づけられている。

( 10)本節に関してく詳しくは、上田( 2006)を参照。

( 11)異常な基底系と正常な規則との組み合わせはありえないように思える

が、例えば、Stampe (1973)の事例にあるように、幼児の ”dog”の基底系が誤っ

た [dɑk]であり、これが形態音素交替によって ”doggie”[dɑɡi]と発音される場合

133

は、母音間という音環境で無声阻害音を弱化して有声化する規則が働いてい

ると考えられる。この規則は、例えばアメリカ英語の [ t ]の弾音化規則のよう

に、母語に存在するので、「正常」な規則と考えられるのである。但し、この

類型化においては、音声標示が正常か異常かには言及されていないことを確

認しておきたい。

( 12)個々の素性の変更点については、Keating(1988)を参照されたい。

( 13)この部分の説明は、Spencer (1988)に多くを負うている。

( 14)この規則は、2 章で論じた形態素構造条件と実質的には同じであり、I f

[+high], then [-low]のように記述することも可能である。また用語の問題にな

るが、後述する補充規則をも含めて、すべてをディフォールト規則と呼ぶ研

究者もいる。

( 15)厳密に言うと、調音位置で最も無標な位置は Coronal であるので、素性

不完全指定理論からすると、この Coronal は基底で無指定となる。この点に関

しては、後に素性の疑似指定を論じる際に詳しく説明する。

( 16)この事例に関しては、上田( 1995、 2013)で臨床に関係づけて論じて

いる。

( 17)本節と次節は、上田( 2001)に修正を加え、加筆したものである。

( 18)本節は Ueda (1999)と上田( 2004)に基づき、これらに修正を加え、加

筆したものである。

( 19)上田( 2004)では、ダ行音とラ行音を弁別する素性を、小泉( 2003)

に基づいて、 [flap](弾きの有無)としていたが、これは素性体系全体の整合

性を考えると、アド・ホックであったと考えている。

( 20)例えば山口( 1987)は同じパターンを示す伊豆半島の方言を報告して

いるが、彼によればこのような方言は日本中に散見されるという。

134

( 21)すなわち [ s ]が母音と無声破裂音との中間に位置することになる。この

無声粗擦摩擦音の表示が摩擦音の表示と同じであることに注意。[ s ]は音類と

しての摩擦音の代表ということになる。これは [ s ]の類型的な分布を考えても

うなずけることである。

( 22)本来は無声破裂音がもっとも子音性が高いのであるが、有声破裂音を

もつ幼児もいるので、このような記述にしている。もっとも、幼児の初期の

無声破裂音には帯気がなく、大人の耳には有声に聞こえる場合が多いことを

付記しておく。

( 23)もちろん Berlin and Kay (1969)の色彩語彙に関する主張は視覚認知の言

語化の文化的な側面を論じたものであり、同じ俎上に上げて語ることはでき

ない。あくまでもアナロジーである。

( 24)以下のタイポロジーは、Ueda (2005)において提案したものである。

( 25)但し、この制約がまったく正常な音韻体系で働いていないわけではな

い。ヤ行音で禁じられる [ji][je]がその例となろう。

( 26)これは、ゼロ形態(語末)~当該破裂音(母音間)という形態音素交

替に他ならない。

135

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付録 1

M.B.の発話データ 第一期(3 歳 11 か月)

1 [wi da ə jɛo bɛ du ] we got a yel low bed too 2 [hi maj bi mami dɛn] he migh t b e

a mommy then 3 [daj du bæ] driving too fast 4 [æʔ ı dɛ] at his desk 5

[du bɛwi] tooth fai ry 6 [hoin bæ ̴ ə ̃ajn ] holding a valent ine 7 [maj diŋ ɪ dan]

my thing is gone 8 [hi dɛʔ in dɛ j ə wajən ] he 's get t ing chased by a l i on 9 [bʊʔ an ɪ

əə ju ] put on this other shoe 10 [dæon] clown 11 [d ɪ ] d ish 12 [dæ] cab 13

[du] zoo 14 [baj] f ly 15 [bɛ ] Fred 16 [bu] b lue 17 [bɛ ] bread 18

[bɛ j ] p l ate 19 [bɛ i n] spreading 20 [dʌ ] ju s t 21 [di ] ski 22 [din]

queen 23 [d ɪn] twin 24 [wʊ ] roo f 25 [bæ] bad 26 [daʔ owə] c ross

over 27 [dæ] g l ass 28 [dɛ ] s led 29 [o ɪn ə bæ ʌ ] holding a fl ag up 30

[do ə baj ] th row the pie 31 [mɛwin ə wo] smel l ing a rose 32 [dɛ nɛ jʔ an d ɛo]

there 's (a ) snake on there 33 [wiʔən] s l eeping 34 [win ̩] sweeping 35 [a]

saw 36 [dʌ ] g love 37 [dæ/dæi ] dad / daddy 38 [da/daj] dog / doggie

39 [i / i in ] eat / eat ing 40 [daʔ /daʔn] t alk / t alking

付録 2

M.B.の発話データ 第二期( 4 歳 3 か月)

1 [bɛ i bɛd] baby bed 2 [dɛ ̣ no bɛ j bi ] the re 's no baby 3 [haʔ t aʔɪʔ ] hot

chocolat e 4 [ fæw ɪ ɡa ɪn] f lower garden 5 [naj /naj f] knife 6 [wʌ f] roo f 7

[aj mɛ j ɛ is ɪ ŋ] I make everything 8 [dɛ wə hæʔ i ] t hey were happy 9 [dɛ j t aʔ nobʌ i

wʊ lʊk] t hey thought nobody would look 10 [dɛ j ka θ ʌm f ɪ ] they caught some fish

11 [hi n ̣ du ɛniθ ɪŋ t o ɪm tu ] he can do anyth ing you told him to 12 [aj æ ə hɛop h ɪm] I

have to help him 13 [dʌmpwop] j umprope 14 [aj n ̣ dʌm o ːw ɪ ʔ ə daj ] I can jump

149

over i t , the sky 15 [ɛn wæ ̃ a ̃ maj fi t ] and land on my feet 16 [aj hæ ə bajk ] I have a

bike 17 [ajm naʔ o ɪnʌ ] I 'm not old enough 18 [am foə] I 'm fou r 19 [maj ʧio]

my Cheerios 20 [maj dæi dʌz] my daddy does 21 [tɛ i /ʧɛ i ] cherry 22 [aj ɡɪ ʌp] I

g ive up 23 [haʔ daɡ ] hot dog 24 [bʌ aj ajk kon n ̣ həmbʌɡə ] but I l ike corn and

hamburgers 25 [n ̣ p ɪʔo fwi p ɪ ʔo] and pi ckles , sweet pi ckles 26 [dʌk/dʌʔ i ] duck /

duckie 27 [pɛp/pʌʔ i ] pep / peppie 28 [hæʔ i ] happy 29 [p ɪ ʔo] pickle 30

[daɡ] dog 31 [dai /daɡ i ] doggie / doggie 32 [bɛ i /bɛ jbi] baby / baby 33 [nobʌ i ]

nobody 34 [wa ɪ] r abbi t

150

謝辞

本論文は京都大学大学院文学研究科に提出した博士号学位申請論文である。

本論考をまとめるにあたって、多くの方々にご支援とご指導をたまわった。

最初に、論文審査委員会主査の吉田和彦先生には、論文を細部に至るまで精

読していただき、審査の段階で、きめの細かいコメントや建設的な質問と批

判、そして正鵠を得たご指摘をいただいた。また先生には、身をもって研究

者としての模範を示していただいた。研究に対する真摯な姿勢、学問に対す

る情熱、そして言語学に対する愛情などを拝見するにつけ、いつも襟を正し

て研究に取り組むことができた。また生来怠け者の筆者を常に励まして下さ

り、背中を押していただかなければ、本論文は完成しなかったであろう。吉

田先生にたまわったすべてに対して心からお礼を申し上げたい。また副査を

ご担当いただいた定延利之先生、家入葉子先生には、全体にわたって多くの

問題点をご指摘いただき、適切なご助言を頂戴した。日頃からそれぞれの分

野でご活躍され、我が国の言語研究を牽引しておられる両先生に審査をして

いただいたのは望外の喜びであり、両先生には深い感謝の意を表したい。

本論考は幼児の構音の遅れを音韻論から考察する試みであるが、最初の米

国留学時にこのような応用研究領域での分析の手ほどきをしていただいたの

は、ウィスコンシン大学名誉教授 Fred Eckman 先生であった。その後帰国し

て研究を始めた時には、音韻論の応用は、我が国ではまったく未知の領域で

あった。そのような筆者を、インディアナ大学名誉教授 Daniel Dinnsen 先生

と Mary Elbert 先生は、連邦保健研究所(National Institutes of Health)基金に

よるプロジェクトの研究員として、2 度にわたって招聘して下さり、幼児の構

音評価や構音訓練の観察、データ分析のミーティングのメンバーに加えてい

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ただいた。この貴重な機会が筆者の研究の方向性を決定したといえる。また

ミーティングでは本論文にも含まれる筆者の考察を定期的に議論する場を設

けていただいた。このように、これまで研究を導いていただいた三先生に、

心から感謝の意を表したい。

同じインディアナ大学の Stuart Davis 教授からは長年の学問的交流を通じ

て教えられることが多かった。本論文に含まれる分析のいくつかは、彼との

共同研究の結果であるが、その緻密な分析と洞察力に救われることも少なく

なかった。ここに感謝申し上げる。

2005 年からは、構音の遅れの言語普遍性に関する国際的なプロジェクトに

招待していただき、多くの言語の構音獲得問題に関して知識を得て、類型論

的な視座から自分の研究を見ることができた。プロジェクト責任者のブリテ

ィッシュ・コロンビア大学名誉教授 Barbara May Bernbardt、Joseph Stemberger

両先生には変わらぬご厚意に感謝申し上げたい。

本論考に含まれるデータの多くは、これまで 30 年にわたって、言語聴覚士

のご厚意によりアクセスできたものである。また臨床現場でのご経験に学ぶ

ことは筆者の研究にとって欠くべからざるものであった。小川れい、大西環、

川合紀宗、久保田功、里見恵子、田端祐介、以上の方々には深謝申し上げる。

これまで研究成果をさまざまな機会に発表してきたが、音声研究の専門家

から様々な質問、コメント、批判をいただき、理論的考察や分析結果等の至

らぬところを改めることができたのは幸いであった。特に本論文の内容に関

してご意見を頂戴したのは、出丸香、伊藤順子、氏平明、岡崎正男、Rene Kager、

窪薗晴夫、斎藤弘子、菅原真理子、田中伸一、田中真一、田端敏幸、時崎久

男、那須昭夫、那須川訓也、原口庄輔、松井理直、Armin Mester、山田英二、

山本武史、以上の方々であるが、改めて、研究仲間に恵まれたことに感謝し

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ている。

長年勤務した大阪大学、大阪外国語大学では、大学改革の荒波の中でも、

のびのびと研究することができた。これはひとえに良き同僚に恵まれたから

である。大津智彦、越智正男、加藤正治、郡史郎、杉本孝司、早瀨尚子、宮

本陽一、安田麗、由本陽子、米田信子、以上の方々には特にお世話になった。

衷心よりお礼を申し上げる。また大阪大学と京都大学で音韻論のクラスを受

講してくれた学生の皆さんにも感謝したい。本論文に読みやすい点があると

すれば、それはひとえに受講生からの貴重なフィードバックがあったからで

ある。