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Title <論説>三角縁神獣鏡製作の工人群 Author(s) 岸本, 直文 Citation 史林 = THE SHIRIN or the JOURNAL OF HISTORY (1989), 72(5): 643-685 Issue Date 1989-09-01 URL https://doi.org/10.14989/shirin_72_643 Right Type Journal Article Textversion publisher Kyoto University

Title 三角縁神獣鏡製作の工人群 Citation 72(5): 643 ......(643) 角縁神獣鏡の重要性は現在でも変ることはないが、小林の考え方以上の研究の進展が見られない。本稿では小林行雄の研

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Title <論説>三角縁神獣鏡製作の工人群

Author(s) 岸本, 直文

Citation 史林 = THE SHIRIN or the JOURNAL OF HISTORY (1989),72(5): 643-685

Issue Date 1989-09-01

URL https://doi.org/10.14989/shirin_72_643

Right

Type Journal Article

Textversion publisher

Kyoto University

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三角縁神獣鏡製作の工人群

一【要約】三角縁神獣鏡は古墳時代前期の首長層の動向をうかがう上で最も有効な考古資料である。これまで詳細な研究が進められ一

一てきたが、なお多様な三角縁神獣鏡を系統的に理解するには及んでいない。本稿では従来あまり重視されなかった神獣像の表現を一

一新たにとりあげ、神獣像表現を主要な十二種に分類した。そしてこれが他の属性と相関があることを確認し、表現の差異は製作者一

…の違いを反映するものと考えた。次にそれぞれの鏡群相互の関係を整理することにより、製作の動向を検討した結果、四神四獣鏡一

一群と二神二獣鏡群および陳氏作鏡群の大きく一一一つの作鏡者集団を認めることができた。そして三角縁神獣鏡が当時の中国鏡諸形式一

一の中から成立したこと、また製作に携わった大きく三派の工人集団のなかで、独特の表現を守りながら、種々に神獣像の配置を考一

一案してゆく過程をあとづけることができた。この整理により、仇製三角縁神獣鏡についても変遷の整理を試みている。一

三角縁神獣鏡製作の工人群(岸本)

三角縁神獣鏡は、前方後円墳の成立当初から古墳時代前期全般にわたり数多く古墳に副葬されており、政治的に重要な

意義をもっと考えられ、前期古墳を論じる上で重要な役割を果してきている。すなわち等しい鏡背文様をもっ同窓駒が多

く認められ、この分有関係が幾内を中心として各地の古墳に及ぶことから、弥生時代の集団関係をこえた広範な政治的連

合が、幾内優位の下に成立したことを如実に示しているからである。この同箔鏡分有関係を追及し、すぐれた業績をあげ

たのは小林行雄であり、古く一九五

0年代に書かれた諸論考に示された見解は、今日でも多くの支持をあつめている。三

(643)

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角縁神獣鏡の重要性は現在でも変ることはないが、小林の考え方以上の研究の進展が見られない。本稿では小林行雄の研

2 (644〕

究を基礎としつつ、新たな視点から三角縁神獣鏡を製作した工人群の把握につとめ、製作状況を明らかにしたい。こうし

た作業によってはじめて三角縁神獣鏡の配布過程を検討し、古墳時代前期の首長層の動向を厳密に論じうるものと考える。

まず小林行雄の研究をふりかえり、問題点をいくつか指摘しておきたい。

一九五七年に発表された「初期大和政権の勢

力圏」において、三角縁神獣鏡の「鏡式」の違いにより同箔鏡の分布に偏りがあり、これが大和政権の勢力拡大過程を具

体的に示していると主張した。すなわち単像式鏡を主体とする「西方型鏡群」と呼んだ鏡式が、北九州から東は濃尾地方

にかけて早くに配布され、やや遅れて複像式鏡を主体とする「東方型鏡群」が、瀬戸内から東海・関東地方におよぶ地域

に配布されたと論じている。けれども鏡の新古を示した上でないため、この配布の段階差の主張は必ずしも説得的ではな

ぃ。新しく配布されたという複像式鏡は文様が精微なものを含み、むしろ単像式鏡よりも古いと思われるものがある。ま

た一

Oを数える小林の鏡式の分類は、多様な神獣像表現をとるものを含み、かっこれらを単純に「西方型」と「東方型」

という分布の型に分けるのは、型にはずれる例も発見されている今日、根本的に再検討する必要がある。

さらに小林は神獣像の配置による分類を進め、

一九七一年に「三角縁神獣鏡の研究|型式分類編|」を発表し同。これ

によると神獣像の配置は二四種にもおよび、これが文様帯などの他の要素と相闘があり、内区を乳により分割してできる

四区画ないし六区画に神獣像を種々に配置することが、三角縁神獣鏡製作の原理であったと論じている。配置による分類

の重要性に異議はないが、これら二四種は偶然に考案されたものに過ぎないのだろうか。配置法のうちわけは四神四獣鏡

系が一

O種、二神二獣鏡系と三神三獣鏡系が六種ずつ、その他二種となっている。しかし配置A・民がそれぞれ二

O例と

一九例でかなり多いのに対して、配置G-

Y-

M・町・

U-

Vはそれぞれ一例に過ぎず、二四種のあり方は均質ではない。

これらは例えば配置Bが配置Aからの変形であるように、配置の変形が累積した結果であると思われるが、そうした系統

的な整理を示していない。そもそも三角縁神獣鏡は中国鏡の伝統的な鏡式から逸脱した特異な鏡といえるが、西国守夫は

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画文帯神獣鏡および画像鏡に系譜的につながる諸要素を示し、両鏡式の複合によって三角縁神獣鏡が生み出されたと説い

ている。西国の視点を継承し、二四種の神獣像配置が中国鏡に見られる文様構成からいかに生み出されたのか、検討する

必要があろう。

ところで波文帯三神三獣鏡とよぶ鏡群は、椿井大塚山古墳など四神四獣鏡系が主体をなす出土鏡群には共伴することが

少なく、新しい中枢から配布されたものと小林はかねてから考えていたが、これをとくに取り上げて一九七九年にコ二角

縁波文帯神獣鏡の研究」を発表した。ここでは共伴関係を確認し「新型式鏡群」として位置づけ、傘松形から博山炉への

変化、あるいは界闇鋸歯文の省略を退化としてとらえ、型式学的にも新しいことを傍証しうると説いている。しかしこの

方法は、型式組列を提出し、これを共伴関係やルジメントによって検証する一般的な型式学的研究法とは異なる。これは

組列を見出すことが三角縁神獣鏡においては困難なためであろう。博山炉の出現という新たな図案の採用は変化の方向が

不明であるし、界圏鋸歯文の省略は妥当なものであろうが、抹消的な要素と言わざるをえない。したがって主要な属性で

ある内区主文について組列を見出しえないかどうか、検討の余地があるだろう。

以上、小林の論考を中心に問題点をいくつか挙げた。

いずれにしても製作動向が十分に把握されていないといえる。そ

三角縁神獣鏡製作の工人群(岸本)

こで従来あまり重視されなかった神獣像の表現を取り上げ、検討を進めていくことにする。

の差をこえて同じ文様である鏡群を包括する用語として「同型鏡」を

使うことが適当であろう。しかし「同箔鏡」は学史的意義が大きく既

に定着しており、本稿では製作技術をとくに取り上げないため、上に

述ベた「同型鏡」の意味で、「同箔鋭」を慣用的に使用しておく。

②一九五二年の「同箔鏡による古墳の年代の研究」(『考古学雑誌』第

三人巻第三号)を嚇矢とし、-九五三年の京都府椿井大塚山古墳出土

鏡群(一-一角縁神獣鏡三二回以上)や一九五六年の岡山備前車塚古墳出

土鋭群(同一一面)の発見により研究は飛躍的に進展し、次々に重要

①いわゆる同箔鏡の製作方法については未だ確定しているわけではな

ぃ。入賀晋は、「中国製」一一一角縁神獣鏡は原型からの踏み返しにより、

「佑製」三角縁神獣鏡は同一箔からの鋳造によることを究明している

(人質「佑製三角縁神獣鏡の研究l同箔鏡にみる箔の補修と補刻|」

『学叢』第六号、一九八四年)。したがって「中国鏡」は厳密な意味

での「同箔鏡」ではない。ただしこれは一種ずつの検討にすぎず、普

遍性をもつかどうか不明である。いずれにせよ同じ鋳型から生まれた

鏡という意味の「同箔鏡」という用語は避けるべきであり、鋳造方法

3 (645)

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な論文を発表した。これらは加筆追補のうえ『古墳時代の研究』(一

九六一年)にまとめられた。

③小林「初期大和政権の勢力圏」(『史林』第四

O巻第四号、『古墳時

代の研究』に修正のうえ収録)。

④小林は鏡式による配布の段階に差があるのは、鏡が「自然に」鏡群

別に保管される状態にあり、また「西方型の鏡よりも東方型の鋭の方

をおもんじようとする理由があった」からだと推測している(『古墳

時代の研究』ニ

O九J一一一

O頁)。もとより一一一角縁神獣鏡は三世紀中葉

に邪馬台国が貌から輸入したものであり、限られた時間の所産である

と考え、少なくとも椿井大塚山古墳出土鏡群については製作年代差を

認めていない(小林「前期古墳の副葬品にあらわれた文化の二相」『古

墳時代の研究』一六五J一六九頁)。

⑤一九七七年に福岡県神蔵古墳で六面白の獣文帯四神四獣鏡が出土し

たが、同箔鏡は既に神奈川県白山古墳から発見されており、複像式鏡

で「東方型」とされていたものである。同様に福岡県から近年出土し

ている、妙法寺二号墳出土鏡や藤崎六号墳出土鏡また那珂八幡古墳出

土鏡は、いずれも「東方型」に属するものである。最近になり都出比

呂志は小林の配布論を再検討し、東方型鏡群の配布の遅れに対し疑問

を提示している(都出「前期古墳と鏡」京都府埋蔵文化財調査研究セ

ンター編『謎の鏡|卑弥呼の鏡と景初四年銘鏡l』一九八九年)。

⑥小林「三角縁神獣鏡の研究l型式分類編l」(『京都大学文学部紀要』

第二ニ、加筆のうえ『古墳文化論考』一九七六年に収録)。以下に本

論文を引用する場合は、すベて『古墳文化論考』からのものである。

⑦ここに鏡体を等しくしながら内区主文の配置の異なる鏡を多数製作

する意図が読みとれ、=一角縁神獣鏡が特殊な製作状況で作られたこと

をうかがわせる。のちに提唱することになる特鋳説の主要な根拠とな

るだろう(小林「『倭人伝』と一一一角縁神獣鋭」『財団法人大阪文化財セ

ンター設立一

O周年記念シンポジウム邪馬台国の謎を解く

l弥生時

代の近畿と九州|』一九八二年)。

③四神間獣鋭および、これを変形した三神五獣鏡、また五神四獣鏡な

どをまとめて四神四獣鏡系と呼ぶことにする。二神二獣鏡系と三神三

獣鏡系も同様である。

③西国コニ角縁神獣鏡の形式系譜緒説」(『東京関立博物館紀要』第六

号、一九七一年)。とくに画像鏡は、乳による内区の分割や車馬像な

ど文様モチーフ、縁部が断面三角形のものがあることなど、三角縁神

獣鏡の系譜を考える上で早くから関連が指摘されていた(たとえば梅

原末治『紹興古鏡店訳英』一九三九年、五頁)。また小林は複像式の配

置が当時の中国鏡になく、一二角縁神獣鏡の製作にあたり初めて考案さ

れたものと想定している(『古墳時代の研究』一九九J二O一一良)。

⑬『古墳時代の研究』一一一七J一二八頁。

⑪小林コニ角縁波文帯神獣鋭の研究」(『辰馬考古資料館考古学研究紀

要』一)。

4 (646)

小林行雄らが中国鏡と考えている一三

O余種の鏡について検討を加える。三角縁神獣鏡は周縁・主文部・鎧の構成が定

まっており、鏡径も二

O数個とよくそろっている。外側からみていくと、断面形が三角形の特徴ある縁をもち、外区は複

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三角縁神獣鏡製作の工人群(岸本)

線波文帯を二帯の外向鋸歯文帯ではさむ構成をとる。主文部は

界圏により文様帯と内区にわかれ、文様帯は銘文や獣文などを

表した部分と櫛歯文からなる。内区は四個ないし六個の大きな

乳を等間隔におき、各区に半肉彫表現による神像と獣像を配す

神獣像配置の分類(小林行雄の図を一部改変)

る(図一)。姐は半球釦で有節重孤文の釦座をめぐらすことが多

い。これらの各属性については小林が既に詳細な検討を行って

おり、全面的にこれにならう。

分析に際しては内区主文である神獣像の表現を取り上げる。

神獣像の表現上の特徴をとらえ、同じ特徴をもつものについて、

他の属性との対応関係を見てゆく。神獣像の表現を取り上げる

のは、内区主文である神獣像こそ主要な属性であり、また製作

者の違いが明確に反映していると考えるからである。実際、配

置が異なるものの同じ表現をとる例は多く認められ、同じ製作

図1

者が異なる配置の鏡を作っていることは疑いない。表現を中心

に分析を行うことにより製作者を軸とした検討が可能となり、

製作の動向をうかがう上で配置の分析とともに有効となろう。

なお「仇製」三角縁神獣鏡は、

三角縁神獣鏡を模倣

「中国製」

としたものとして説明しうるため、後に改めて触れることにす

5 (647)

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1

神獣像表現の分類(表一

図三)

神獣像表現を比較するには同じ図柄について分析しなければならない。神獣鏡

は西王母と東王公(父)

の二神仙とともに神仙世界の諸神が表され、また神像の

聞におかれた獣像は「禽獣」と総称され、神仙世界において邪悪の侵入を防ぐ役

割を担一うものであったらしい。しかし三角縁神獣鏡の場合、神仙や禽獣の違いを

認識して描きわけたのではなく、区別がある場合も初期段階の模倣の作品であり、

すぐに同一表現の繰り返しになる。いずれにしても神獣像表現の原則は共通して

おり、

一神一獣を抽出して比較すればよい。

神獣像の細部は図二のとうりである。神像はほぼ正面を向き挟手した座像であ

るものがほとんどである。獣像は一方向に駆ける姿をし、体の側面をこちらに見

せ、顔の正面を振り向いたようにこちらに向ける。ただし頭の向ぎには縦にする

ものと横にするものがある。

神獣像の表現は実に多様であり、なかには時間の経過によって生じた退化と見

られる例がないではない。しかし退化したものが必ずしも時間的に後出するので

なく、原型と併存していることも考えられ組列と認めるかどうかの判断は容易で

ない。また製作者の技術的拙劣さによる変形もあるだろう。さらに三角縁神獣鏡

が中国鏡の複合により生み出された性格から、中国鏡の要素を適宜とりいれ、変

化のあり方が一方向の単純なものでないこともありうる。ここでは細部の表現に

おいて強い共通性をもつものをまず抽出することにしたい。

目旬

頭頂

{量神

6 (648〕

獣文帯同向式有t•獣鏡( 9 鏡〕から神獣像の部分名称図2

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三角縁神獣鏡製作の工人群(岸本)

表1 神獣像表現の分類表

神 像 獣 像

小突起による瞳をもっ。衿や扶のひだが写実 大きくロを開き上下の歯牙で巨を街む。太い

① 的。外向きの縁飾りをもっ。多くの翼をのば 眉と鼻梁をもち頬のふくらみがある。体部の

し,一番上のものは三重線が突帯である。 羽毛表現に優れ,足を大きく後方にのぼす。

V字の衿から単線多条の翼をのばし,挟が手 鼻先と両頬のふくらみが三つの突起になる。

② と離れ独立する。扶の脇に円形のふくらみ。 角状の表現がある。羽毛の表現は形骸化し,

袖の二重線は残るが手の表現が形骸化する。 足や尾も倭小化する。

輪郭線でふちどった横長の突帯を腰にわたす。 太い眉と鼻そして大きな目をもっ。下顎は小

③ V字の衿と内費する弧線で上半身を表す。よ さく巨を街む。首は異様に長〈,体部は細〈

く目立つ太い翼を三本ほどのばす。 数本の平行線による形骸化した羽毛をもっ。

顔は豊満でやや横を向〈。鼻筋が通り頬がふ 頭頂のふくらみから鼻梁が降り先端がふくら

④ くらむ。渦に三山を加えた冠をもっ。半円を む。横に捷がのびたような表現をとる。首は

並べた縁飾りをもち,翼は三角形である。 太く体部の羽は写実的で腹に巨がとりつく。

頭が四角く三山冠をかぶり,額に突起がある。 頭頂はふくらみ耳と鹿角状の角をもっ。鼻筋

⑤ 縦長のV字の衿に横向きの縁飾りをもっ。翼 は通り頬は豊かで大きな目をもっ。上顎の先

は最上段のみ突帯表現とし聞に珠点を入れる。 が下方へ巻〈。羽は豊かでふさふさと垂れる。

丸顔。扶にはひだが三本あり,体部は輪郭線(二種あり。角状のものをのばす龍は,上顎を

で囲む。上半身はひだで表すものと,横線上 大きく開き三角形の歯牙がつく。頭が丸く耳

⑤ に縦線をのばす表現(縦縞上衣〉のものがあ をもっ虎は,ロをひと続きに表し顔の両側に

る。神座の下部には縦線を加え両仮uに雲気を 房をのばす。いずれも横縞のある先の丸い鼻

張り出す。 をもっ。

⑦|叩ーが M がひと続きに|叩退化…一末端内なり,縁飾りは痕跡程度になる。 をとりまき,目の横に羽毛表現が加わる。

③|顔はふく M 同一一|伽f退化ーが献を一一合飾りをもっ。縦縞上衣。翼は突帯による。 せることはない。

⑨|衿…=f-1)>~1\'J\l::tJ: ~ 酬をO-t!11-I⑤の一種の;.,.11,退化変形……

とりまし縦線を加えた神座と雲気が目立つ。成や羽の表現が形骸化している。

⑮|制緩し吋上衣をもっ体吋郭|顕は逆三…縞ーもち角カ

線で囲み雲気が張り出す。奨は一対程度。 らひと続きの大きく聞いた口をもっ。

|「叫…⑮艇叫…………とほ明吋一ほ刷吋叩ぽ聞叩同酌じ一だ

|両日山⑫ 痕跡がある。縦縞上衣が衿と結びっく。 角は先を上に曲げる。体部は細く形骸化。

⑬|……一 |一形で直線的同町乳上にのびる。巨を街む。

7 (649)

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表現④

(44鋭)

表現⑤

(92鋭)

表現③および⑬は省略した

表現①

(35J昆)

表現②

(68鏡)

表現③

(81銭)

8 (650)

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三角縁神獣鏡製作の工人群(岸本〉

表現⑩(131鋭)

表現⑪(114鋭)

表現⑫(128j;克)

9 (651)

表現⑥

(56鋭)

表現③(17鋭)

図3 神獣像表現の分類

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2

工人単位の棚把握

10 ・ (652)

J

前節での神獣像の分類をもとに、この分類が妥当なものであるかどうか確かめてみよう。このために神獣像の配置や文

様帯を中心とする他の属性との対応関係を見ていくことにする。

表現①(図四)

十二例

配置Aをとるものが多く、加えて特殊な配置をとる例がある。画文帯環状乳神獣鏡や対置式神獣

鏡の構図をそのまま踏襲したものである。文様請はほとんどが銘文で、

一例のみ唐草文である(河鋭)。「吾作」銘(七例)の

ほか

「張氏作」銘や「王氏作」銘がある。銘文の内容は同一系統の七言句で、配置Bをとるもの(二例)が時計四り、その

他は反時計回りにめぐらす。乳は径が小さく目立たない。組座の周囲に四ないし八偲の小乳をもっ。

一区画中の向い合う

獣像の聞に、-蓮華座のある一傘松形を立てる例が多川。

配置只ないじ九であるものがほとんどである。これは両側の獣像が神像に向い合う、画文帯対置

表現①(図四)

5'~9:表現②

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三角縁神獣鏡製作の工人群(岸本〉

図4 事!•獣像表現①② 1~4:表現①,

11 (653〕

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式神獣鏡の構図と同じものといえる。あとは配置AとDが一例ずつ。文様帯はすべて獣文帯で「天王日月」の吉祥句を入

れた方絡を八個配し、その聞に同じ形態の獣をめぐらせるものが多い。方格の文字のうち「天」ではなペコ一合J

とな、って

いふ制がある。形骸化した傘松形が鎧をはさんで一直線になるようこ個置かれが点が共通する。四つめ乳とともに、有節

12 (654)

重弧文の釦座脇の小乳四個により内区を八区画に分割している。

四神四獣鏡系の配置U(二例)と、三神一一一獣鏡系の配置民(三例)

一がある。

文様、一帯は

A

「天王日月」の

吉祥句を入れた方格四個と小乳四個とで八分割し、

〉向じ形態の獣を内向き反時計回りにめぐらす獣文帯であるopなかには

獣文帯のみで櫛歯文を欠ぐものがある。また乳上や神像の両脇に三角文をもっ例が在目さ料る。一多ぐは摂座乳と有節重孤

文の姐座をゐつ。なお画像鏡通有の平彫で、細い,体をねじって振り返る姿を表わした獣像におきかわっていVるものがある

⑦e

この二例は二神二獣鏡系の配置yhと

Lをとり銘文をもち界圏を欠く。

表現①(図五)七例

ω-m鋭)。

j疋S主

神獣像表現③図5

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表現④(図六ν

一O例

置T九(一

例)吋と、

ミれから派生した配置Iお

よびYの’一一神二獣鏡系と、四神四獣

鏡系の配置をとるもの一会ニ例)がある。

文様帯はほとんどが唐草文であり、

「天王臼月」の方格や小乳により八

ー二ニの区画に分け、唐草文をヰり

かえ九。二例は銘文をもつが

T

(む

ω鏡)、内容は例の少ないものである。

櫛歯文が斜行ずるものが多い。また

界圏外斜面に連孤文をもつものが七

例を数え、この鏡群に特有である。

三角縁神獣鏡製作の工人群(岸本)

挟座乳が多く、うち乳の斜面に連孤

文を加えるものがある(三例山が、四

神四獣鏡は素乳である。

表現⑤(図七)

二神二獣鏡

系の配置TAと日

(五例)のほかハ四神

四獣鏡系の配置広(五例)と三神三獣

鏡系の配置Lふとんおよび広がある。

13 (655〕

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文様帯は「天王日月」の吉祥句を

字ずつ入れた方格と小乳により六J

二の区画に分け、各種の獣を内向

き反時計回りに充填している。この

獣文帯は原田大六が「西神文帯」と

呼んだもので、玄武

・朱雀・白虎・

青龍のほか円形物を捧げもつ神仙

(日拝)や、芝草(あるいは夜)をもっ

人物などが表されている。例外とし

て唐草文帯と珠文帯そして波文帯が

ある。外区の複波文または単線の波

文に珠点を加えたり(五例)、斜面に

連孤文を入れた

Oする(二例)点が特

に有縦で線あをる入。

れまる たも傘の松が形多はい⑬傘。の

挟下座半乳部

が多く、いううち配置

Lをとるもの(

例)は乳斜面に連孤文をも

74句、四

神四獣鏡系の配置をとるものは姐康

をもたない~素乳である。

14. (656)

干tjt.獣 P像表現 り⑤図7

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表現③(図れれ)七例

すべて四神四

獣鏡系の配置MないしAでーあ

d

る。文

様帯は画文帯、合一例)と、

これが退化

したと考えられる獣文帯(一例)、お

よび銘文(四例)であるy銘文の場合、

「位至三公」あるいは

「君宜高官」

の吉祥句を一

字ずつ収めた方格四個

を十字に配し、その間に「陳是作」

銘の七言句を入れる。車輪閤座乳が

一例あり注目される(臼鏡ゴ

表現⑦

(図八)七例

四神四獣鏡系

の配置をとるがB

・E-

D-V』わった

三角縁神獣鏡製作の工人群(岸本〉

変則配置である。銘文をもっ六例の

ほか、半円方形帯の文様帯の例があ

る(お鏡)。銘文は同穫の七言句で戸

「五回作」銘(四例)と「陳是作」銘(

例)マあ

P

る。

先の半円方形帯をもっ

鏡も、四つの方格に「陳」「是」「作」

「寛」e

の四文字を入れている。

1・2:表現⑥子3;4:表現⑦神獣像表現③①図8

15i;i,(657〕

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表現③(図九)入例

配置はM(一例)と変則配置の

Hや町(一一一例)があるほか、

小林の分類にないものがある。

文様帯は

(658)

「陳氏作」銘をもつもの(五例)と「吾作」銘(一例)、

さらに波文帯(一例)や特殊な画像文帯(一例)がある。

銘文は一字

16

一字の聞に小乳を入れる小林の

X

「型式」が四例をしめる。内容は同種の七言句で時計回りにめぐらせている。画像鏡と

の関連が指摘される車馬を図案に取り入れたものがある(三例)。このため獣像を欠く例もあるが(日鏡)、神像が共通して

いる

om鏡では表現⑤の龍の顔を乳上におく。また画像文帯盤龍鏡(1鏡)は、文様帯の一画に同じ龍の顔を見ることから

本鏡群に含めゆ櫛歯文との境が二重線であるもの(二例)や、車輪圏座乳をもっ例がある(一例)。

配置Aか配。文様帯は「張是作」銘をもつもの(二例)および波文帯(一例)である。界闇内斜面の鋸

歯文が内向きであるもの(臼鏡)や、ここに鋸歯文でなく櫛歯文を入れる特異なもの(臼鏡)がある。

表現③(図九)一一一例

表現⑬(図十)四例

配置ム(一例)と、三神三獣のうち獣像一体を博山炉形におきかえた配置MおよびWがある。山川鏡は

「陳孝然作寛」

鑑のまわりに四尾の魚をめぐらすなど特異なもので、

=一神三獣鏡の配置をとらず内区を八分割すること、

銘をもっ。文様帯はすべて波文帯であり、うち櫛歯文との聞が二重線であるもの(別鏡)がある。内区の博山炉形は三J四

段重ねの立派なもので、承盤とよばれる受皿や亀の上に置かれて非常によく目立つ。これを配置Mのように一区画に入れ

たり、神像区に併置したり乳上に置いたりしている。これ以外にも内区のモチーフとして、四例すべてに魚が描かれ、ま

た蛙を表すものもある(二例)。斜面には鋸歯文を入れることなく、界圏は低いが鋸歯文をそなえている。車輪圏座乳(

m-

m鏡)や、鋸歯文の姐座をもっ例(

m-

m鏡)も注意される。

表現⑥(図十)七例

すべて配置民をとる。文様帯は獣文帯と波文帯が三例ずつ。獣文帯は、内区の乳と変らない大きな

乳一

O個を等間隔に配し、獣を内向き反時計回りにめぐらす。双魚・蛙・亀・象・鳥・魚・怪獣などを表している。神像

の左上の乳上に蛙をおく例(山一鏡)がある。界圏帯をそなえているが鋸歯文を欠き、斜面は無文である。

表現⑫(図十一)五例配置民で文様帯は渡文帯のものがほとんどである。

m鏡は例外的に配置民をとり、また川鏡は獣

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三角縁神獣鏡製作の工人群(岸本)

図9;-神獣像表現③⑨ l~5-:表現③; ,6:表現③

17 ,(659〕

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図10神獄像表現⑬⑬ 1~3:表現⑬,4~6:表現⑬

18' (660)

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文帯の文様帯をもっ。獣文は表現@のもの(例えば山鏡)と同様である。」すべ

て乳上に嬢小化した博山炉形をおくなど、内区の文様全体が簡素化しでいる。

車輪圏座乳をもつものがこ例。」形骸化した有節重弧文の釦鹿をもっ。

表現⑬パ図十一)二例

?ともに配置

Lをとり波文帯をもっ。乳上には博山炉

形を立てる。魚が捕かれているj

d

以上、神獣像表現を同じくする鏡群につ~いて、他の属性との対応を見て守

た。その結果、文様帯や神獣像の配置と明確に対応することが明かとなった。

たとえば河川表現①は配置、λをと勺「吾作』銘の文様帯をもち、表現②は配置

Fをとり「天王日月」・の方格と一獣文帯をもっ。表現④は交様帯が唐草文であ

り、同様に表現⑤は特有の獣文帯をもっ。表現⑤は配置MA

をとり文様帯は画

三角縁神獣鏡製作の工人群(岸本)

文帯ないし「陳是作」の銘文帯をも労、表現@、は「陳氏作」t

の銘文帯をもっ。

表現⑫などは配置民をとり波文帯をもつものがほとんどである。このように

文様帯とはほぼ対応しているといえる。また配置め場合は、

種に限られる

ことは稀で数種の配置を含む場合がほとんどであるがハ、主体となる配置と少

数の変形配置からなり、ほぼ関連の密な配置でまとまっている。配置や文様

帯以外にも細かな点で共通していることは詳述したとうりである。

このよ、つに、神獣像と他の要素が明確に対応を見せる℃とはゾ神獣像表現

の違いが製作者の違いを反映しているとい\つ考え方の妥当性を示していると

(133 出府

図11 神獣像表現⑫⑬ 1:表現⑫,2:表現⑬19 (661う

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言えるであろう。もとより分類した各表現でまとめられるそれぞれの鏡群が、

一工人の手になると言うのではない。確か

20 (662)

に神像の顔付きまで全く一致するといった、同一工人の作品であることを認めてもよさそうな例も存在する。たとえば表

現②の二面(必鏡と臼鏡)など、神像の顔の表情といった極めて細かい点も一致し、同じ工人が作ったものと考えてよいだ

ろう。しかし、今のところ個人の製作に帰することができる例はごく稀であり、製作工人個人レベルを問題にすることは

できない。それでは各々の鏡群はどのような製作者集団を反映するものであろうか。やはり表現②の鏡群を例に考えてみ

たい。表現②としてまとめられる表現上共通の特徴をもちながら、徴細な差異が認められ、二つの鏡群に分けることがで

ぎる(先の必-m∞鏡と回-

m・口-

H-W鏡)。そしてこの差は文様帯の獣像の表現および向きとも対応している。

の二例では、横長で三角形の頭をもっ獣像を内向き反時計回りに、後者の五例の多くは、丸い顔に目を表す突起をもちロ

をつき出した獣像を外向き時計回りにめぐらすのである。すなわち必鏡と槌鏡が同一人物の作品であるとすれば、ここに

つまり前者

鏡群は、数人からなる製作者集団の差異に帰せられると考えたい。

表現@の鏡群の製作に携わった少なくとも二人の工人が想定できる。したがって表現において共通した特徴をもっ各々の

①対象とする資料は紙数の都合で割愛するが、京都大学文学部考古学

研究室編『椿井大塚山古墳と三角縁神獣鏡』〈京都大学文学部博物館

図録、一九八九年)に掲げた三角縁神獣鏡目録を参照されたい。本稿

において使用する鏡番号はこの目録の通し番号である。小林は新し〈

同箔鏡が確認されると、新しい番号を与えるのではな〈、配置による

型式分類により従来の目録に挿入する方法をとっている。このため同

箔鏡番号は頻繁に変更されてきた。図録においても同様に配列し番号

を与えたが問題は残る。同箔鏡あるいは資料番号の変更を避けるため

には、瓦の型式番号と同じ方法を採用すベきであろう。

②田中琢によれば直径の平均は二二・三個であり、二

01二五個の間

に九O%がおさまるという。この事実から「一定の大きさの、しかも

大形の鏡を製作する意図が働いた己とを十分にうかがわせる」とし、

大きさの規格性を重視し特鋳説の一つの論拠としている。田中『日本

の原始美術八古鏡』一九七九年〉。

③小林「三角縁神獣鏡の研究!型式分類編l」(前掲)。ただし配置に

ついては小林の分類を「型式」と考えず、「配置A」などと呼んで使

用する。これは同じ配置をとりながら神獣像の表現や文様帯のあり方

は様々であり、むしろ形式という方が実情に近いからである。なお銘

文については樋口隆康の基礎的な分析があり参考とした(樋口「中国

古鏡銘文の類別的研究」『東方学』第七輯、一九五三年、『展望アジ

アの考古学|樋口隆康教授退官記念論集l』一九八三年に再録)。

④小林行雄は「一一一角縁神獣鏡の研究|型式分類編l」(前掲)の中で、

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三角縁神獣鏡製作の工人群〈岸本〕

「細部の表現」として神獣像の表現を取り上げている。しかし神像の

冠および獣像の頭位と頭向を主として問題にしたもので、神像と獣像

の表現そのものを類型化したものではない。

⑤各図柄が何を表したものか、また全体の主題は何かといった問題に

ついては西国守夫と林巳奈夫の研究が参考になる。これによると神獣

鏡は東西の二神仙とともに、白牙や鐘予期あるいは黄帝と句告さらに

蒼額と神農など神仙世界の諸神が表されているらしい。画像鏡も図像

表現が異なるものの、やはり図柄全体で神仙世界を現出しているとい

う。西国「神獣鏡の図像1白牙挙楽の銘文を中心として|」(『MUS

EUM』二

O七号、一九六八年)、林「漢鏡の図柄二、三について」

(『東方学報』四回、一九七三年)、林「漢鏡の図柄二、三について

(続)」(『東方学報』五

O、一九七八年〉、林「画像鏡の図柄若干につ

いて|隅田八幡画像鏡の原型鏡を中心として

l」(『考古学論考小林

行雄博士古稀記念論文集』一九八二年)。

⑥三角縁神獣鏡の場合、神像では冠にいくつかの種類が見られ、渦状

の冠は西主母に三山の冠は東王父に対応するようだが、渦状冠と三山

冠をかぶる神像が二体ずつであったり、神像四体ともどちらか一種の

冠をかぶっている四神四獣鏡の例が少なくない。獣像には体の縞や班

点、また頭上の角や耳の特徴から龍虎の区別を示す例があるが、全く

同じ獣像を繰り返す場合が多い。

⑦この二例の銘帯は「かまぼこ形」の断面をもっ。この特徴はやはり

画像鏡ないし盤龍鏡に特有なもので、三角縁神獣鏡では他に一例ある

だけである。

m鏡の銘文は「尚方作」で始るけれども、樋口隆康の分

類Qaにあたり、やはり画像鏡と盤寵鏡に多〈用いられるもので、=一

角縁神獣鏡では他に例がない(樋口「中国古鏡銘文の類別的研究」前

掲〉。西田守夫も則鏡の特異性を指摘し、奈良県佐味国宝塚古境出土の

尚方作神獣車馬画像鏡と群馬県前橋天神山古墳出土の尚方作二禽ニ獣

画像鏡との関連を論じている(西国コニ角縁神獣鏡の形式系譜緒説」

前掲、二一六J二一七頁)。

③唐草文については樋ロ隆康の検討がある(樋口「同型鏡の二一一一につ

いて|鳥取県普段寺山古墳新出鏡を中心として|」『古文化』第一巻

第二号、一九五二年、『展望アジアの考古学|樋口隆康教授退官記

念論集l』に再録)。

⑨原因「十八号遺跡」(宗像神社復興期成会編『続沖ノ島』一九六一

年)一五五頁。

⑬富樫卯三郎・高木恭二「熊本県域ノ越古墳出土の三角縁神獣鏡につ

いて|鳥取県普段寺山ニ号墳出土鏡との比較|」(『考古学雑誌』第六

七巻第三号、一九八二年)で既に指摘されている〈一二一頁)。

⑬文様帯には騎馬像や車馬像があり、本鏡群の神獣車馬鏡の車馬像に

通じる。盤程席憾の頭部は他の一一一角縁盤情鏡とやや異なり顔を正面に向

けるものがあり、その表現は③に類似する。また山岳が表されている

点も備前車塚古墳ほかから出土した同箔鏡(M鏡)に例がある。さら

に鏡径は二五・

O佃を測り、一一一角縁神獣鏡の中でも最も大きい部類で

あり、同じ表現⑧の先の備前車塚古墳出土鏡(二五・五個)あるいは

滋賀県大岩山古墳出土鏡(日鏡l二五・七四)がやはり大型である点

も参考となろう。

⑫兵庫県放の山古墳一号鏡(

m鏡)は縁部内面に鋸歯文をもつが、小

林行雄は中国鏡を踏み返して鋳型に加工したものである可能性を示唆

しているハ小林「仇製三角縁神獣鏡の研究」『古墳文化論考』一九七六

年、註二一一)。そうであるならば城の山古墳鏡自体は妨製鏡ということ

になる。

⑬柳田康雄は神蔵古墳出土鏡(必鏡)を報告するに際し、既に指摘し

ている(木下修編『甘木市文化財調査報告第三集神蔵古墳』一九七

八年、二

O頁)。

21 (663)

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製作工人三派

それでは次に分類した鏡群相互の関係を追及する。分類した鏡群の中には、本来神獣像がそなえていた特徴が失われ退

化形態と考えられるものがある。そこで表現から型式組列をうかがえるものがないかを検討し、三角縁神獣鏡の製作にあ

たった工人たちの動向をあとづけてみたい。

1

四神間獣鏡群(表現①・②・③)(図四・五)

9鏡(図四l5)は画文帯同向式神獣鏡の文様構成を、そのまま一一一角縁神獣鏡の内区にあてはめたもので、神獣像は三角

縁神獣鏡一般とは異なり極めて精綴である。ところで表現②の中でも河鏡(図四

16)は写実的な表現を留めているが、

9

鏡に通じる点が認められる。獣像の顔面構成とくに上顎の反り方や体部の羽毛の表現など、あるいは表現②の特徴である

神像脇の丸いふくらみは、

9鏡の神座の脇に展開する雲気に由来すると見られる。また一体の獣が頭の側面を向ける点も

共通する。したがって9鏡は表現②の鏡群に含めて理解することが適当であり、

9鏡をもとに同鏡が作られたことが想定

できる。これは9鏡が表現②と同じ天王日月獣文帯の文様帯をもっ点からも裏付けられる。同鏡の段階で配置九をとり表

現②に特有な配置となり、これをもとに表現@の多くの鏡が作られる。神獣像もより退化し、それとともに文様帯も、

9

鏡では「天王日月」の方格の聞に異なった姿態の獣や鳥を表したものであり、

百鏡も「天王」

「日月」と一方格二字に変

わるものの同様な獣や鳥を表していたが、同じ形態の獣文の繰り返しになってしまう。こうした表現@の系譜は、姐をは

さみ対向させて傘松形を配する表現②に共通する特徴が、同鏡をへて9鏡にたどれることからも傍証できる。

こうした変化がたどれる表現②は表現①との関連がある。

9鏡は表現①に見られる蓮華座のある傘松形をもっ。また問

鏡の神獣像は表現①にかなり近い。ところで表現①の鏡群のほとんどは配置Aをとるが、画文帯対置式神獣鏡や環状乳神

獣鏡の構図を踏襲した特殊な例がある。こうした例は縁部が典型的な三角縁ではない。これらと同向式神獣鏡の構成を踏

22 (664)

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襲した表現②の鏡(9鏡)を考えあわせれば、このような画文帯神獣鏡の内区をそのままあてはめた一群の鏡こそ、三角縁

神獣鏡の創出にあたり最初に作られたもので、この中から四神田獣の配置が考案されたものと考えられる。

次に表現②と③の関係を見ていくことにする。両鏡群とも文様帯は「天王日月」

の方格あるいは珠点で八分割した中に、

同一形態の獣文を配したものである。神獣像表現においても、細かく観察すると共通した特色が見られる。神像では下半

身の表現が全く異なるが、顔の表情や翼およびV字の衿は類似している。また表現②の神像脇のふくらみと、表現③に見

られる下の突帯脇にある巻きこみ表現は、

一脈通ずるものがある。獣像の場合も、表現③の変形が大きく表現②とは別個

のものに見えるが、顔面の構成は同じであり、特徴的な鼻先と両頬の三つの突起も共通する。表現③の長い首は、表現②

の胸前面の羽毛表現を独立させたものとして説明しうる。また巨の街み方や羽の表現も似通っている。

さらに両鏡群とも、

文様帯の方格に「天」にならずコズ王日月」となった例を含み、両者のつながりを如実に示している。表現③の配置Gは、

単像式の配置を守りながら配置Fの向き合う獣像を、すべて同じ方向にむける変形により生れたのであろう。

このように表現②と③の聞にも密接な関連を見ることができ、したがって表現①・②・③の三者は互に密接な関係にあ

ったことがわかる。このことは表現①のうちに例外的に配置九とGが、また表現②に配置Aが存在することも根拠となろ

三角縁神獣鏡製作の工人群(岸本〕

うし、かつ三者の時間的な並行関係も示していると思われる。ここまでの検討をまとめるならば、三角縁神獣鏡の製作に

あたり、画文帯神獣鏡をそのまま写していた段階から、やがて四神四獣鏡が考案され、

群が、他方では配置Fをとる表現②の鏡群が製作されたのである。さらに、表現②の鏡群のなかから配置Fに変形を加え

一方では配置Aをとる表現①の鏡

配置Gを生みだし、表現上にも改変を加え表現③の鏡群が生みだされたのである。なお表現③のなかに三神三獣の配置を

見ることは注目される。表現③の神獣像を三神三獣の配置にあてはめたもので、この段階に三神三獣鏡が採用されたこと

を示している。以上のように表現①・②・③は同一の起源から分派したものであり、配置Aなど四神四獣鏡系の配置を生

23 (665)

みだし発展させたことから、これらの鏡群を四神四獣鏡群と呼ぶことにする。

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2

ニ神=獣鏡群(表現④・⑤)(図六・七)

配置T

れを基本とする二神二獣鏡系の配置が主流である点が共通する。表現⑤の引鏡(図七

l1)や位鏡の獣像表現は表現

④の卯鏡(図六|1)とほとんど同じである。

豊かな羽毛をもち頭を横に向け、街んだ巨は二又に分れて胴にとりつく。そ

れぞれ腹には班点と縞模様が見られ原則的に龍虎の区別がある。神像の表現はおよそ異なるけれども、横向きの脇侍をそ

える点は共通している。神獣像の表現以外にも両者の交流はうかがえる。表現④に特有な唐草文や、界圏外斜面に連孤文

を入れる特徴も、表現⑤の一部に見られる(必-

G鏡)。

また乳斜面に連孤文をもつものが両者に三例ずつあり、摂座乳が

多いこと、文様帯の区画に「天王日月」

の方格および小乳を用いること、文様帯の櫛歯文が斜行するものが多い点など、

両者の共通点は数多い。このように表現④と⑤の二つの鏡群は密接に関連することがわかる。

それぞれの鏡群の動向を細かく見ていこう。表現④の神像には裾の先端が巻き上がった独特の表現をとるものと、そう

でない二種があることに注意したい。巻き上げ表現は神仙の着る本来の衣とは考えられない不自然なもので、数条の壁で

上半身をくっきりと描いたもの(

ω-HH

鏡)が型式的に先行すると思われ、これを変形して生れたと考えられる。これは獣

像の頭が横幅の広いものから、徐々に頭頂のふくらみが強調されるとともに長細くなり、眉がなくなり目を縁どる輪郭線

のみとなり、先端が巻き上がり鹿のような表現になる変化と対応している。配置Lの神像一区画を二神併座像に変形して

生れた配置ーでは、

いずれも巻き込み表現を取ることも傍証になろう。また文様帯は整った唐草文(貯鏡や川町・μ

叫鏡)から、

やがて渦状の弧線を適当に加えたり斜交する直線を入れたりして複雑さを増そうとする傾向が読み取れる。さらに文様帯

の区画も、小乳と「天王日月」の方格(仏鏡)から方格に一字ずつになり(問鏡)、やがて小乳のみとなって、八区画ないし

一二区画から一

O区画へと変化する。なお摂座乳が界圏よりから銀に近づくこと、斜面が無文の例が多くなる点も関連し

た変化といえるかもしれない。

一方、表現⑤も同じ特徴を守りながら、退化により二段階に区分しうる。とくに獣像では、目と鼻が強調され上顎の巻

24 (666)

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き込みが目立つようになり、下顎が張って顔全体が四角くなる。また体は痩せて羽毛が写実性を失い、首も独立した肉と

なり羽毛を単なる縦横の線ですませるようになる。

さらに巨は口に街まなくなり、下端は二又に分れて胴にとりつく突帯

表現であったが、二又に分れず二重線表現の一本になってしまう。神像はこれに比べるとあまり崩れはないが、細かく見

ると衿の丈が短くなるなどの変化をきたしている。そして二神二獣の配置を変形して生れた配置Hをとるもの(Mm鏡など)

ゃ、また三神三獣の配置をとる例(山鏡など)がこれに対応しているのである。文様帯はもとの獣文帯になかった魚が加わ

り(

m-m鏡)、八ないし一二区画であったものが一

O区画になる(山鏡)。

こうした例では内区に魚を入れてみたり、出鏡

のように獣像の一区画に蛙を充てたりする点が注意される。

以上の検討をまとめるならば、表現④と⑤は二神二獣の配置を基本とする製作原理を共有する二派であり、ときに四神

四獣鏡の配置Aを試作しながら変化していく。

一方は唐草文の文様帯を守りながらやがて二神二獣の配置を改変した配置

ーを考案し、他方は独特の獣文帯を守りながらやがて三神三獣の配置を採用する。この過程で当初は一部類似していた神

三角縁神獣鏡製作の工人群(岸本〉

獣像も分化し、それぞれ退化していったのである。それでは二神二獣の配置は何に由来するのであろうか。大きい乳によ

り内区を四分割し西王母と東王公および龍虎を表わす二神二獣の文様構成、卯-

m・白鏡に見える衣の裾を引きずりなが

ら主神に従う脇侍の存在から、その系譜を画像鏡に求めることが妥当であろう。なお配置Aの存在あるいは三神三獣の配

置および蛙や魚などの図案は、他の鏡群との関係を検討する手掛かりになる。さらに当初からそなえる挟座乳が、画像鏡

の乳からの発展的採用であるとすれば、三角縁神獣鏡の挟座乳はこの二つの鏡群で最初に採用されたのかもしれない。以

上のように画像鏡に起源し二神二獣の配置を発展させたことから、これらの鏡群を二神二獣鏡群と呼ぶことにする。

3

陳氏作鏡群(表現@・①・③・①)(図八・九)

(667)

これらの鏡群は、神獣像表現の類似から容易に同一系統であることが推測されるが、そのあり方はやや複雑である。い

ずれにせよ表現⑥を祖形として表現⑦・③・⑨が生れたものと認められる。この場合、表現⑥の獣像に龍虎二種の区別が

25

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あることが重要である。以下にその変化のあり方を見ていこう。

表現⑦は、獣像二種のうち一方の龍のみを取り出したものと理解でき、神像もやはり表現⑤のそれがやや退化したもの

といえる。表現③については、神像は必ずしも表現⑥からの変形ではなく、表現④・⑤の鏡と類似しているように見える。

表現③に二神二獣系の配置が多いことも関連があろう。しかし上半身に縦縞上衣をいれる点が共通し、これは表現⑥の神

像の一部に見られるものである。また獣像の方は表現⑥とほとんど同じであることをより重視したい。特徴的な先が丸く

横縞のある鼻はよく一致している。

m-

m鏡のように、表現⑤の二種のうち虎だけを使うものが多い。ところが注意して

みると、回鏡では一個の乳上に虎と対になっていた龍の顔面がある。また1鏡の画像文帯のなかに同じ龍を見ることは既

に指摘した。さらに表現⑦のお鏡の半円方形帯の文様帯のなかにも同様に二つあって、こうした現象が共通することも一

群としてまとまることを示している。

そして銘文に見える作鏡者名をみると、

表現⑥は三例とも「陳是作」、表現⑦の

例も「陳是作」であり、さらに表現③はいずれも「陳氏作」であって、いずれも「陳」氏の手になることを明示している。

さて祖形と考えられる表現⑥の特徴である、龍虎の組合せと表現そのものは、画文帯対置式神獣鏡に由来すると考えら

れる。たとえば椿井大塚山古墳から出土した対置式神獣鏡を見ると、西王母と東王父の両神仙の両側に二種の獣像が向き

合っている。右には縞のある体と丸い頭をもっ虎が、左には班点のある体に眉か角上の突起をのばした龍が、ともに口の

脇に房をなびかせながら配置されている。こうした姿は表現⑥の二種の獣像と基本的に同じである。したがって神仙を介

して向い合う龍虎を表わした対置式神獣鏡の構成から、神仙像を別の区画に移し両側の龍虎を向いあわせる変形を加え、

表現⑥に特有の配置が考案されたと考えられる。脇侍を従えて三神構成をとる表現⑥に特有なMの配置は、この変形の結

果生み出されたのである。表現⑥に特有のこの脇侍は、半身で勺状のものを捧げもち、対置式神獣鏡の構成である獣|神

ー獣二単位の間にある図像に由来するものとみて間違いない。また画文帯神獣鏡の外縁にみられる画文帯を、文様体に採

用している例(日・日鏡)の存在も妥当性を示していよう。さらに神像の縦縞上衣の表現も対置式神獣鏡にさかのぼる。

26 (668)

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こうして表現⑥の由来が明らかになれば、その後の変形の過程がより一層理解しやすくなる。まず表現⑥のうちにも、

神併座を考案したものの充填に苦労し、

一神に替えて傘松形を入れたりしている。表現⑦では、

詑鏡が半身の神像と虎

類似の獣像を一体ずつ残しているけれども、ほかの例は正面を向く神像と龍の像を四つ繰り返すことで済ませるようにな

る。表現③を見てみよう。表現③は特異な配置Hをとることや、また車馬を表わすことからくる制約のために獣像の配置

が定まっていない。獣像がひとつ欠落したり(臼鏡)、やがて半身の像を残しつつ神像は二つずつに減り、獣像は虎が一つ

ずつになったり(但鏡)、龍虎一つずつであったり(げ鏡)、龍のみを一つずつを入れたりする(お鏡)。なお表現⑨の鏡群が

表現⑥の変形であることは一見して明らかであり、配置Uを踏襲しているが、日鏡では虎のみを臼・臼鏡では龍のみを四

体繰り返しており、やはり龍虎の区別を放棄している。ただし三例は変形の程度が甚だ大きい。

以上の検討の結果、四つの鏡群は互いに密接に関連して変化してきたことがわかる。画文帯対置式神獣鏡に由来し、

υK

以下の配置を発展させた一連の鏡群であり、多くは「陳」氏の手になると思われることから、これらの鏡群を陳氏作鏡群

と呼ぶことにする。

4

波文帯鏡群(表現⑬・@・⑫・⑬)(図一

0・一一)

三角縁神獣鏡製作の工人群(岸本〉

表現⑩は神獣像に崩れがなく、一一一?四段重ねの立派な博山炉形をもち、界圏は低くなりながらも依然として内斜面に鋸

歯文を入れている。この表現⑬を祖形として表現@・@・⑬の鏡群が生れたものと認められる。以下に神獣像の退化から

はじめ、配置や文様などの他の要素にうかがえる変化のあり方を見ていこう。

表現⑪は全体に簡略化し内区の無文部が広くなる。神獣像はあまり崩れていないけれども、細かく見れば獣像は脚が形

骸化し口の脇の房が目立たなくなり、神像は額に突起がつくという異形化が起っている。博山炉は描かれないが、三つの

乳上に蛙を置くものがある(山鏡)。次に表現⑫では神獣像が大きく変化する。神像は両一肩一部が独的し四つの肉で体が構成③

口は単線で彫られ歯牙が二本になっている。

27 (669〕

され手が痕跡程度になる一方、獣像は全体に細く一肩から腹がひと続きになり、

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自の縁取りがよく目立つ。博山炉形も表現⑫のものでは、縦線を入れた図形三つを砲弾形の頂と左右に置いた図形へと退

化し、これを乳上におくことを定式化している。表現⑬の神獣像は表現⑪・⑫に比べ表現⑮にかなり近く、複雑な表現を

よく留める。ただ獣像は首から胸・腹までがひと続きになっている。なお

m鏡の獣像が巨を街む点が注意される。

神獣像以外の共通点として、なによりも配置民(獣像は右向き)を主体とする三神三獣鏡であり、ほとんどが波文帯の文

様帯をもっ点が挙げられる。ほかに四例の獣文帯がある。大きな乳で一

O区画し双魚・蛙・亀・怪獣などを内向き反時計

(670) 28

回りにめぐらせている。こうした獣文の出目はなお明らかでないが、

のちの佑製鏡のモデルとなる点は重要である。なお

文様帯を一

O分割することは三角縁神獣鏡全体の中では少なく、他の鏡群の例とともに注意しておきたい。さらに車輪圏

座乳が多く見られること、円圏座乳の場合も直径の大きい円圏であることは特徴的である。また内区神獣像の聞に魚を入

れる点も共通する。しかも表現⑮が半肉彫表現によるのに対し、表現⑪では線描きになっている。蛙も表現@だけでなく

表現⑮にも見える(

m-

m鏡)。なお表現⑫や⑬に例がある界圏鋸歯文の省略は、やはり退化現象と見てよいだろう。

以上の検討の結果、表現⑩をもとに残る三者が生みだされたことが明らかとなり変化の様相も判明した。すなわち四つ

の鏡群は一つの組列とは見なしがたく、異なる三つの方向に枝分れしたようである。博山炉形を例にとれば、表現⑮の立

派なものは、表現⑬はうまく引継ぐけれども表現@では採用せず、表現⑬では退化型へと変化している。これらの鏡群で

ついで博山炉形の採用、文様帯に獣文を入れたものが

重要な点を挙げると、まず三神三獣の配置が定式化していること、

あることである。このように文様帯に波文帯をもつことが卓越することから、これらの鏡群を波文帯鏡群と呼ぶことにす

さて神獣像の分析を通じて、陳氏作鏡群と波文帯鏡群は同じ系列における変化と考えられるので、この点を特にとりあ

げて両鏡群の関係を見ていくことにする。波文帯鏡群の原型である表現⑮と陳氏作鏡群の表現③の神獣像を比べてみると、

神像は非常に類似している。上半身には緩い衿と縦縞上衣が見られ、縦線を入れた神座から張り出した雲気や翼のあり方

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なども共通する。獣像は一見異なるけれども詳細に見れば両者のつながりが認められる。波文帯鏡群の獣像は、頭頂が逆

三角形で横縞のある鼻がのび、上顎と下顎がひと続きに表わされた口を大きく聞き、また角状のものをのばす。こうした

特徴をもっ口と頭は表現@の虎に、角は同じく龍に由来すると考えられ、いわば陳氏作鏡群に特有な龍虎を複合したもの

と説明できる。とくに横縞のある頭の丸い鼻、あるいは口の脇にある房といった独特の表現が共通すること、基本的に両

者とも巨を街まないことなどは同じ系列の所産であることを示していよう。

神獣像以外にも両者のつながりを示す要素は多い。

表現③や表現⑨のなかにも波文帯の文様帯をもっ例がある(鉛・日

鏡)。また波文帯鏡群に六例みられた車輪圏座乳は、陳氏作鏡群に既に例がある(回-

m鏡)。文様帯二帯聞の二重線は両者

に一例ずつ見られ旬。さらに波文帯鏡群にしばしば表れる蛙のモチーフは、陳氏作鏡群で既に例がある(日鏡)。また表現

⑦の一面(お鏡)の文様帯は、半円方形帯のあいだに様々な獣を入れるものだが、渡文帯鏡群のなかの表現@などにある獣

文帯と類似したものと見ることもできる。同列に扱うことは難があるかもしれないが、魚や亀あるいは鳥、象のような獣

などを含み関連があるものと考えたい。

三角縁神獣鏡製作の工人群(岸本)

さらに両者を結びつける根拠を二つの鏡を挙げて示しておく。まず兵庫県阿保親王塚古墳出土の一面白鏡)は表現⑮を

とる波文帯神獣鏡であるが、「陳孝然作寛」の銘文をもち「陳」氏の作品である。また京都府園部垣内古墳出土の一面(国鏡)

は、龍虎を表わし半身の神像をもつことから表現⑤に分類したが、この鏡では獣像の一つに替えて博山炉形を入れており、

また表現⑮に見られる鋸歯文の紐座をもつのである。

以上のように、波文帯鏡群を新しく位置づける小林行雄の見解は、神獣像の表現からも妥当であることを明らかにしえ

た。表現③において龍虎二種の獣像の配置を模索し苦労していたのが、三神三獣の配置を採用することで解決する方法を

見出したのではないだろうか。同時に獣像の表現および文様帯の波文を統一し、また新たに博山炉形をモチーフとして取

29 (671)

り入れたのであろう。

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5

その他の鏡群

30 (672)

これまで見てきた三派は、三角縁神獣鏡全体の八割に達し主体をなすものである。しかし三派以外にも、表現の分類に

あたって取り上げなかった鏡群がいくつか残っている。もとより神獣像の表現が三派と異なる少数派であるが、細かく観

察すると三派とのつながりが見出しうるものもある。

新作徐州鏡類(表現⑬)五例

配置Cをとり傘松形を十字に配し「新作徐州」銘をもっ。

獣像は躍動感あふれる表現をと

る。神像は扶の表現が表現③に通じ、神座の雲気とみられる巻き込み表現は表現②や@と類似する。神獣像がやや簡略化

した例(釘鏡)では配置Aをとり、その傘松形の入れ方は表現①と共通する。逆に表現①のなかに「銅出徐州」の銘をもち、

乳を内区の中央におく点で表現@に通じる例がある(河一鏡)。したがって四神四獣鏡群との関連がうかがえる。

仏獣鏡類(表現⑮)四例

神像のかわりに結蜘扶座した仏の姿を表わす。四神田獣の配置をとる群馬県赤城塚古墳出土鏡

三神三獣の配置をとる岡山県一宮天神山古墳出土鏡(山鏡)をへて、さらに神獣像が著しく簡略化した二面

(凹鏡)から、

(m-

m鏡)への推移が容易にうかがえる。赤城塚古墳出土鏡は配置Fに変形を加えたもので、獣像は表現①ないし②の一

部(河鏡など)に似ているほか、文様帯の獣文は表現②の鏡群に含めた同向式神獣鏡(9鏡)に近い。獣像の類似は一宮天神

山古墳出土鏡も同様であるが、この鏡以降の三面の獣文帯は、同じ獣文を繰り返すものになり表現②・③に共通し、こう

した推移のあり方も一致する。逆に上腕から膝にかけて垂れる天衣の表現は仏獣鏡に特有なものであるが、表現②のなか

に同じような表現の神像をもつものがある(日鏡)。したがって四神四獣鏡群と関連することは確実で、おそらく表現②の

早い段階に派生したものであろう。

ともに内区の幅が非常に広く、文様帯は櫛

歯文を欠き、同じような稚拙な獣文帯をもっ。また神像脇の三角文や釦座周囲の円圏をともなう小乳、摂座乳をもつこと

表現⑮

四例

神獣像の表現はおよそ異なるが文様構成が極めて類似する。

なども共通している。素環頭大万かと思われるものを街む獣像があり、これは本鏡群のみに見られる。こうした共通性に

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もかかわらず神獣像の表現はおよそ似ているとは言いがたく、文様帯の方格に入れた吉祥句もそれぞれ異なることから、

一連の三部作であることをうかがわせる。これら三鏡を他の鏡群と比較すると、神獣像の表現をみた場合、福岡県原口古

墳ほかから出土した鏡(捌鏡)は新作徐州鏡類(表現⑬)そのものであり、また大阪府紫金山古墳例ほかの同箔鏡(山鏡)や

京都府長法寺南原古墳例ほかの同箔鏡(叩鏡)は表現①に類似するようである。

また挟座乳をもっ三神三獣鏡で文様帯の櫛

歯文を欠く点は表現③に通じ、とりわけ三角文の存在は両者の関連を如実に示している。したがって四神四獣鏡群に含め

て考えてよいだろう。これらの神獣像は異形化しながらも複雑さをとどめているが、三角文や三神三獣の配置をとること

は、表現③のなかで三神三獣鏡が採用されて以降に位置付けられよう。なお静岡県午王堂山三号墳例ほかの同箔鏡(乃鏡)

は配置九をとる四神田獣鏡であるが、諸要素にわたり三鏡と共通し表現⑮に含めた。

盤龍鏡類五例

四頭式盤龍鏡をモチーフとする類である。

神獣鏡と対比できるのは二例に見られる小神像であるが、

乳上に押込められたもので比較が困難である。挟の形を見ると新作徐州鏡類(表現⑬)に似ているように見える。しかし文

様帯が波文帯であることから陳氏作鏡群との関連も考えられる。内区に盤龍像のほか魚や蛙を入れる点も考慮すると、陳

氏作鏡群に含めて考えることが妥当であろ河。

三角縁神獣鏡製作の工人群(岸本〕

紀年鏡類

景初三年と正始元年の紀年鏡がある。

同向式神獣鏡の文様構成をとり、神獣像は一般の三角縁神獣鏡のそれ

とは直接比較できない。しかし両者とも「陳是作」銘をもつことから、陳氏作鏡群に属すと考えてよいだろう。

ほかにも類例のない単独例が残るが、三派に関連を見出せるものがあり、特異な少数派も三派に帰しうると考えられ、

三角縁神獣鏡をほぼ網羅することができそうである。製作に携わったのは、四神四獣鏡群と陳氏作鏡群そして二神二獣鏡

群の大きく三つの作鏡者集団に限られ、三派が組織編成されて三角縁神獣鏡を製作していたものと理解できるであろう。

ではこれら三者の関係はいかがであろうか。これまで述べてきたように、神獣像の表現が共通する各鏡群は、配置や文

様帯あるいは特定のモチーフが限られるのが原則であり、大きく一一一つにまとめた各派のなかで、神獣像の表現や配置、文

31 (673)

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様帯や特定のモチーフは関連づけられ系統的に追うことができる。したがって三派は製作単位として独立性の強いもので

あったと認められる。先に見た分派はこの単位内における工人組織上の相違を反映しているのであろう。しかしながら三

者は全くの没交渉ではなく、神獣像表現と文様帯の交換現象、配置や特定のモチーフの共有などが見られる。こうした現

象を手掛かりに三者の関係を検討し、並行関係をたどり三角縁神獣鏡の製作動向を体系的に理解したい。

たとえば奈良県佐味田宝塚古墳出土鏡のうち一面(印鏡)は、表現⑥の龍虎二種の獣像および神像をもつが、文様帯は表

現⑤に通有の「四神文帯」であり、例外的に内区の神獣像と文様帯が対応しない。また神奈川県真土大塚山古墳例ほかの

同箔鏡(9鏡)も同様に表現④の神像と表現③の銘文をもっ。また岐阜県一輪山古墳ほかから出土した鏡(お鏡)は神像・獣

像とも表現③に属すが、神像の裾が巻き上がっており表現④の影響がある。

さらに表現③の大阪府国分神社蔵の一面(U

鏡)は、摂座をもち乳の斜面に鋸歯文を入れ、

界圏外斜面にも連弧文を加えるなど二神二獣鏡群との関連がうかがえる。

こうした例をみると陳氏作鏡群は二神二獣鏡群との結びつきが強いように思われるが、四神四獣鏡群との関連も認められ

る。表現⑦のうち二例に見られる三神五獣の配置Bは、四神四獣鏡群の表現①に例がある。表現⑦に共通して獣像が巨を

街むことは、原型である表現⑤に見られないことから、やはり四神四獣鏡群の影響と考えざるをえない。

さらには二神二

獣鏡群と四神四獣鏡群との聞にも関連が認められる。

たとえば表現④と⑤には配置Aをとるものがあること、あるいは表

現①の鏡群のなかに唐草文帯の文様帯をもっ例(河鏡)があることなどである。

こうした現象は三角縁神獣鏡の製作工人の交流を示している。そもそも三角縁神獣鏡は全体の文様構成が定まっており

鏡の直径もまとまっている。神獣像の多様性は製作に携わった工人がある程度の数に上ることを示しているが、それを越

えて鏡の構成が一致することは、三角縁神獣鏡が当時の中国鏡にない鏡式であり新たに創出されたと考えられることと相

倹って、特別な体制で作られた規格品だとする見方は妥当なものといえる。したがって大きく三派の生産体制にあるとは

いえ、互いに疎通や連絡が見られる事はむしろ当然のことであろう。三派はそれぞれ特有の神獣像表現をもち、中国鏡の

32 (674)

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三角縁神獣鏡製作の工人群(岸本)

ニ神ニ獣鏡群

環状干し相I•献鈍

吋誼式神i'itl{四神四獣鏡群

文様構成の中から新たな神獣像配置を次々に考案しなが

ら、全体として共通の変化の方向をとり、最終的には

神三獣鏡へと推移していく。三神三獣の配置が採用され

る経過はなお明確ではないが、単像式で獣が反時計回り

にめぐる四神田獣の配置Uを考案し、続いて三神三獣鏡

を製作した表現③において最初に試みられたものと考え

ておく。三神三獣鏡のほかにも配置の共通性を追うこと

によって、三派の並行関係をたどることができる。また

図12 三角縁神獣鏡の系統

二神二獣鏡群の末期に文様帯を一

O区画にすることは、

波文帯鏡群のそれと機を一にしている。さらに挟座乳に

ついて触れておこう。目立たない小さな乳を守ってきた

四神四獣鏡群にあって、表現③に見られる摂座乳は内発

的に生み出されたのでなく、ほかからの採用であるだろ

ぅ。おそらく既に触れたように二神二獣鏡群の挟座乳に

由来するものと考えられる。表現③の剖鏡(図五)など界

圏の近くに四乳をおくあり方は、表現④の卯鏡や表現⑤

の引・回鏡に極めて近い(図六・七)。

以上の検討の結果

を図一一一に示し、まとめに替えることにする。

33 (675)

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①この禽獣文が何に由来するのか明確な考えはないが、あるいは画文

帯の飛禽走獣文がもとになっているのかもしれない。

②西田守夫コニ角縁神獣鏡の形式系譜緒説」(前掲)二一一

OJ二二二頁。

③小林行雄はこうした経過を推論し、配置Fの考案までの過程を見通

している(小林「『倭人伝』と一一一角縁神獣鏡」前掲、二

O頁)。

④配置HあるいはWという四神二獣鏡の配置は、小林行雄は二神ニ獣

の配置を変形して生れたと説明している。しかし表現③の例を見ると、

四神ニ獣の配置はむしろ表現⑧において考案されたと考えた方が適当

であるかもしれない。小林は四神二獣の配置について特殊例が多く不

安定であると指摘している(小林「一一一角縁神獣鏡の研究|型式分類編

l」前掲、一一一一一一OJ一一一一一一二貝および三六人頁)。

⑤このうち銘文のあるニ例は「張是作」であり、陳氏の作ではない。

⑥ただし神像が二神二獣鏡群のうち表現④のものに似ていることが示

しているように、他の鏡群との関連もうかがえない訳ではない。表現

⑦の配置Bなども注意しなければならないだろう。

⑦三角縁神獣鏡の製作に陳氏が重要な役割を果したとする見解は、す

でに西国守夫が論じている(西国「三角縁神獣鏡の型式系譜緒説」前

掲、二二九J二一一一一一頁)。

③表現⑮の獣像をみれば、正確には歯牙ではなく下顎の表現からくる

ものであることがわかる。

⑨小林行雄は博山炉形の成立過程を検討し、波文帯四神二獣鏡(HH鏡)

に見える線描きのものから徐々に発展し、表現⑫のこの図形をへて、

やがて表現⑬に見られる承盤や亀に立てた完全な博山炉形になるとい

う(小林「一一一角縁波文帯神獣鏡の研究」前掲、五一

J五二頁)。しか

し画像鏡には承盤を立てた立派な博山炉形を描いたものがあり、表現

⑬の製作にあたり採用したもので(西田守夫コニ角縁神獣鏡の形式系

譜緒説」前掲、二

O七J一二

O頁)、こうした完全な博山炉形から表

現⑫の図形へと退化したものと考える。こうした現象は神獣像の退化

と対応するものと言えるだろう。

⑬表現⑬は配置九はないが、

Mは亀を獣文と同様にみなせば全て右向

きであり、T

叫とWも三獣のうち二獣が右向きである。また内区を八分

割する「陳孝然作」鏡(附鏡)の二獣も右向きで、表現⑬もやはり基

本的に獣を反時計四りにめぐらすものである。

⑪西田守夫「一ニ角縁神獣鏡の形式系譜緒説」(前掲)二

O九頁。

⑫小林行雄はめ製三角縁神獣鏡の分析に際し「獣D」とよぴ、象の鼻

に見えるのは上顎を巻き込むように表現したためで、象ではないと考

えている(小林「的製三角縁神獣鏡の研究」前掲、四

O五頁)。しかし

表現⑦の京都府西山2号墳出土鏡〈お鏡)の半円方形帯の文様帯では、

らくだと見られる獣文をともなっており、あるいは象でよいのかもし

れない。

⑬西田守夫はこの鏡の神獣像と類似する例を挙げ(

m-

m鏡)、筆者の

いう表現⑬の分類にあたる鋭群を指摘しており、「陳孝然作莞」の銘

文の存在から、類似例も陳氏の作であろうと推測している(西国コニ

角縁神獣鏡の形式系譜緒説」前掲、二

O九J一一一

O頁)。

⑬これらの鏡群は典型的な一一一角縁でない(西田守夫「一一一角縁神獣鏡の

型式系譜緒説」前掲、二二二J二二三頁)。京都府長岡近郊出土鏡(初

鏡)は斜縁でもなく完全な平縁を呈する特異なものである。

⑬景初四年の紀年銘をもっ京都府広峯一五号墳出土および同箔の辰馬

考古資料館蔵の盤龍鏡が、「陳是作」銘をもつことも傍証となろう。

⑬表現②に含めた同向式神獣鏡(9鋭)は、表現において稚拙な紀年

鏡に比ベ格段に優れている。

9鏡は表現②つまり四神四獣鏡群であり、

紀年鋭が陳氏作鋭群に属することが妥当であるなら、この巧拙は製作

工人集団の違いとして説明しうることになる。

9鏡は神像のひとつが

鉛に頭を向け「変形」同向式神獣鏡とよばれ、同向式の神獣像構成を

(676) 34

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守る紀年鏡と、求心式の神獣像配列をとる一般の一一一角縁神獣鏡との中

間に位置するものと説明されることが多い。しかし右に述ベたように

異なる製作単位の製品と考えられ、両者を先後の関係と単純に理解す

ることはできない。

9鏡が求心式配列への過渡的なものとする理解は

妥当であろうが、四神四獣鏡群のなかで行われたもので、紀年鏡から

つながるものではない。

⑬福岡県名島古墳例ほかの同鑑鏡(川鏡)は神像が半身の脇侍をとも

なう三神併座であること、獣像が龍の変形と理解できること、博山炉

類似の図形をもち鋸歯文座錘であることから陳氏作鏡群に属させうる。

山口県宮洲古墳出土の同向式神獣鏡(U鏡)は蓮華座のある傘松形を

もち表現①に含めるのが妥当であろうか。愛知県奥津社蔵例ほかの同

箔鏡(筋鏡)は、乳上の神像が福岡県藤崎出土鏡(5鏡〉など盤龍鏡

のものに類似する。けれども文様帯の獣文は櫛歯文を欠く点とともに

表現⑬に近い。ただし文様帯の獣文中に象を見ることは注意される。

また静岡県新豊院山D2号墳出土鏡(

ω鏡)と岡山県郷観音山古墳出

土鏡〈日鏡〉は薄肉の神獣像であり、獣のひとつが鳥におきかわって

いる。三派とのつながりは見出しがたい。

三角縁神獣鏡製作の工人群(岸本〕

表現からみた佑製三角縁神獣鏡

⑬近年、奥野正男と白崎昭一郎は製作の系統を追及することを試みて

いる。とくに奥野は表現にも注意をはらっており、研究の方向や個別

事象について見るべき点がある。しかしながら、四神四獣鏡や二神二

獣鏡・三神三獣鏡の別、さらに小林の配置の枠組みのなかで系譜を追

うあまり、無理な線引が見られること、さらに鏡群相互の関連は傘松

形の出現と消滅以外には検討がなされておらず、全体の整理が成功し

ているとはいえない。奥野『邪馬台国の鏡l三角縁神獣鏡の謎を解

l』三九八二年〉、白崎「三角縁神獣鏡の一考察|三神三獣銭を中

心として|」(『福井考古学会会誌』第二号、一九八四年)。

置Bは四神四獣のうち神像一体が獣像に置き替わった三神五獣鏡

であるが、ニ獣併置の一区画中の一獣が下半身を省略する特徴があり、

これは表現①にも表現⑦にも共通し、両者の関係はかなり密接なこと

がうかがえる。この現象の必然性は説明しえないが、配置B自体は獣

像が対向する表現①の配置Aの変形であり、四神四獣鏡群における考

案と考えたい。銘文は同じ内容の「吾作」ではじまる七言句であるが、

表現①が文末に「今」をつけるのに対し、表現⑦は珠点により文末を

示すか、あるいは何も入れないという違いがある。

佑製三角縁神獣鏡は「中国製」三角縁神獣鏡の模倣と退化で説明しうる。

佑製三角縁神獣鏡の神獣像は類型的で、

国製」三角縁神獣鏡に比べると多様性に乏しい。このため近藤喬一や小林行雄も神獣像表現をとりあげて分類を試みてい

る。しかし小林は徹密な分析にもかかわらず、かえって全体の整理がなされていない。これまでの中国鏡の整理をふまえ、

(677)

神獣像表現を中心に検討することにより、製作の動向や変遷をより理解しやすく説明しうるものと考える。この結果、製

作の系譜を詳細に論じ三段階を設定した近藤の考え方と、ほぽ同様なものとなった。

35

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第I段階(図一一一一)

(678)

中国鏡の忠実な模倣の段階である。表現⑪の

一部(削

・出鏡)を模倣した獣

36

文帯三神一一一獣鏡、表現④のうち配置ーをとる例(邸・的鏡)を模倣した唐草文

帯三神二獣鏡、

および両者が複合した唐草文(鳥文)帯三神三獣鏡がある。

獣文帯三神コ一獣倭鏡(図=

71)は、表現⑪のうち獣文帯をもっ

一部の鏡

を模倣したものである。近藤のいうAグループ。いずれも配置九をとり獣像

の頭が左を向き時計四りにめぐるもので、模倣の対象である中国鏡が配置民

であるのと対照的である。これは既に指摘されているように、中国鏡を自の

前にして獣の向ぎをそのまま鋳型に彫り込んだために、獣像の向きが逆転し

たのであろう。神像の体は左右二つの肉から構成され、中央の窪みに挟手す

る両手が表現されている。上半身の縦縞上衣は文様化している。獣像の頭を

見ると、頂部の逆三角形と横縞のある鼻が一体化してY字の線表現になり、

また角状の突起は目立たなくなっている。

ロの聞きも小さくなり、全体に丸

い頭に三角形のロがついた格好である。大きく彫り込んだ肉とその上の線刻

によって神獣像を表わし、中国鏡の半肉彫表現にみる立体感は見られない。

蔚草文帯コ一神二獣倭鏡(図

一コ丁2・3)は、二神二獣鏡群の表現④のうち、

一区が二神併座像となった配置ーを模倣したもので類例は多くない。このう③

ち紫金山古墳ほかから出土した鏡(加鏡)は中国鏡の踏み返しといわれており、

仇製鏡製作の初期には踏み返しの技術が存在じでいたらしい。

一方、福島県

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三角縁神獣鏡製作の工人群〔岸本)

会津大塚山古墳例ほかの向箔鏡(加鏡)をみると、かなり忠実に半肉彫表現を

図13 仇 製三角縁神 獣 銭

模倣しているが、獣像の頭や沖像の衣あるいは唐草文は異形化している。さ

らに二神併座像のひとつは、モデルである表現④の神像表現をとらず、表現

⑪の神像を模倣したもの、

つまり獣文帯三神三獣倭鏡にみられる神像と同じ

ものである。これは両者が同じ工房で製作されたことを示していよう。

唐草文(鳥文)帯三神三獣鏡(図一一一一i4)にはこうした事実が端的にうかが

える。配置九および神像

一体の表現は獣文帯三神三獣倭鏡の要素であるが、

獣像と神像二体の表現さらに文様帯は唐草文帯三神二獣倭鏡の要素であるJ

二体の神像は、表現④でも新しい段階にみられる衣の揺が巻き上がる表現が

さらに異形化したもので縦長のこつの肉が独立し裾の巻き上げは単線でわず

かに表わす。文様帯の唐草文は図案化じてもとの姿を失い、独自の線表現に

よる図形となっている。獣像は頭を横に向け口を大きく聞くもので、頂部が

癒のようになり、全体に細長く、角状の表現が虫の触角のように先端が巻き

上がる表現④に特有のものである。狭い一区画に頭を縦に向ける獣像を入れ

るのが困難であったために、表現④の頭を横に向ける獣像を採用したのであ

ろう。亡の神像と獣像の複合は次の第E段階で定着する。

松盛形の図形は、砲弾型の中を上と左右の三区に分け中央に珠点を置くも

のである(小林の分類1

)。

37 〔679)

また外区や文様帯の櫛歯文部に一

O個の小乳を付

加するのも、この段階に限られる。

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第E段階(図一四)

38 (680)

中国鏡の神獣像の融合がみられ、仇制緩鏡が定型化した段階。近藤のいうB

グループの主体にあたる。唐草文帯三神ニ獣倭鏡の横向きの獣像と、ー獣文帯

三神三獣倭鏡の神像および一

O個の獣をめぐらす文様帯をもっ形に定着する。

いずれも獣像は時計回りにめぐる配置九をとる。松銭形図形は砲弾形の中を

区分することなく放射状の線刻を加えたものである(小林の分類U)。

大きな

第E段階

肉とその上の線刻によって神獣像を表現しようとする傾向が顕著となり、線

刻が犯く雑な印象を受ける。この表現の巧拙から第E段階を二つに分けるこ

t布製三三角縁神獣鏡

とができる。後出のものは線刻がより粗くなり、獣像の口が二重線から単線

による表現へと退化するなど、

より稚拙なものとなっている。

第直段階(図一五)

図14

第E段階からの退化と変形が進み、もはや神獣像表現の上ではべ模倣した

中国鏡から大きく逸脱したものになる段階。近藤のCグループである冶-配置

はいずれも九になる。神像は衣の二つの肉が独立し輪郭線がなくなり、

っし、

には

「ハ」の字に開いた異様なものになる。衿の表現は残るものの、縦縞上

衣はやがてなくなり、挟の表現は手を失うとともに壁の向きが変わってしま

、円ノ。

獣像は顔面の写実性を失い、菱形の口に縦線で歯牙を表わす(

m-

m鋭)。

佐賀県谷口古墳出土鏡(制鏡)や岐阜県長塚古墳出土鏡(問鏡)では、獣像の顔

はこれまでの退化の方向では説明のつかないものになり、一一部の円で屈ゐた

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三三角縁神獣鏡製作の工人群(岸本)

渦巻文とともに出自が不明で、一二角縁神獣鏡以外の鏡から借りてきたもので

あろうか。界圏は単なる突線となる。また松建形は下半部に大きな斜面があ

るものになる(小林の分類…m)。これ以降、神獣像は退化の

一途をたどる。、大

阪府駒ヶ谷宮山古墳出土鏡(別鏡)は、もはや神獣像の表現が全く変形し、一い

くつかの肉と線刻でようやく元は神獣像であったことが判る程度のものにな

り果てる。ただし鏡の直径は厳格に守っている。

第皿段階

こうして佑製三角縁神獣鏡の推移を概観し、気のついた点を二点挙げでお

図15 佑製三角縁神獣鏡

ぎたい。まず中国鏡と杭製鏡では神獣像表現において明らかな相違があるζ

とである。比較的忠実に模倣している第I段階のものでも、たとえば獣文帯

三神三獣倭鏡の獣像にみるように、モデルとなった波文帯鏡群の獣像からは

大きく変化している。神像についても鋳型の製作技術の未熟さは明らかで、

彫りの違いにより区別しうる。このように神獣像表現において中国鏡と仇製

鏡の間で明確な一一線をひくことができ、両者の境はあドまいなものではない。

また仇製三角縁神獣鏡に見られる中国鏡二種の要素の複合を見ると、神獣像

表現と文様帯が明確に対応する中国製三角縁神獣鏡とは異なり、両者の異質

性が認められる。これは両者の鏡作りの体制の違いを示しており、中国鏡と

仇製鏡の重要な相違といえるだろう。

39 ・ (681〕

たとえ

「中国鏡」が日本製と考える場

合も、この異質性は無視する訳にはいかず何等かの説明が必要となろう。

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①小林「的製三角縁神獣鏡の研究」(前掲、一九七六年)。

②近藤コニ角縁神獣鏡の佑製について」(『考古学雑誌』第五九巻第二

号、一九七三年)。

③鏡の番号は中国鏡と同じく、京都大学文学部考古学研究室編『椿井

大塚山古墳と三角縁神獣鏡』〈前掲)の資料目録による。

③小林「仇製三角縁神獣鏡の研究」(前掲)、四一四J四一七頁。

⑤小林「仇製三角縁神獣鏡の研究」(前掲)、三九六J三九八頁。

⑥田中琢『日本の原始美術八古鏡』前掲、六三頁。

まとめにかえて

新たに神獣像の表現に着目し、この検討を通じて三角縁神獣鏡の製作過程を復原し、その変遷を追求してきた。その結

果、大きく三つの製作者集団が認められ、それらが互いに関係をもちながら推移していく過程を跡づけることができ、多

様な配置がうみだされる経過を説明することができた。

次の課題は古墳での共伴関係を検討し配布の段階差を再検討することである。詳細は機会を改めて述べることにするが、

三角縁神獣鏡を複数出土している古墳について、表現による鏡群別に共伴関係をみると、三派の型式組列は互いにほぼ矛

盾なく対応しており、出土古墳の新古にほぼ対応するようである。このことは副葬にいたる時期に差が生じる程度に製作

の年代幅があったこと、かつ副葬が順次なされたことを示す。

ひとつの型式組列とみなしうる陳氏作鏡群と波文帯鏡群を

軸に配列し、大きく一一一つの段階に区分できると考えている。波文帯三神三獣鏡は椿井大塚山古墳などと直接の分有関係を

もたず、これまでにも配布時期が新しいものと考えられてきたが、新たにその聞に位置する段階の設定を考えている。こ

れは表現⑮の波文帯三神三獣鏡、表現④のうち神像の衣が裾を巻き上げる表現をとり、より新しくしうる唐草文帯二神二

獣鏡および三神二獣鏡、さらに四神四獣鏡群のうち表現③以降に位置づけられる表現⑮などからなる鏡群である。これに

よって中国鏡だけからなる副葬鏡群をもち古い相を示すとされた古墳のうち、原口古墳や長法寺南原古墳さらに万年山古

墳を、三角縁神獣鏡自体から新しい様相を認め分離することができる。また小林が画文帯神獣鏡や碧玉製腕飾類の存在か

ら新しい相に含めた兵庫県東求女塚古墳やヘボソ塚古墳も同様である。

40 (682〕

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最古段階である棒井大塚山古墳や備前車塚古墳など、表現@や表現③までを一括して副葬し、また表現④や表現⑤の古

いものを含む最古の鏡群について、これを小林は「初期大和政権の勢力圏」において中央型・西方型・東方型の三段階を

想定した。しかし小林の分類は問題なしとはしえず、そのままの形で検討することはできない。配置の相違によって異な

る分布の型に分けられた鏡も、表現からは同一製作者集団の手になるものがあり、配置の違いにより配布の時期差がある

とは考えにくい。分布のはずれを指摘してもあまり意味はなく、表現でまとまる鏡群により再検討する必要がある。そこ

で表現による分類に対応させれば、中央型は吾作銘複像式神獣鏡であり表現①に、西方型は表現②と③に対応する。また

東方型は表現③などの陳氏作鏡群を主体とするものであろう。これにより改めて分布をみると、依然として西方と東方に

偏りを見せている。しかし東海から関東地方においても、表現①と②の鏡が全く出土していない訳でなく、例外とするに

は数が多い。むしろ西方型の鏡の著しい偏差が問題にされるべきである。四神四獣鏡群と陳氏作鏡群の製作は並行して行

われており、たとえ分布の偏差を認めるにしろ、これを配布の段階差の反映とみなすことは難しい。ここでは小林説の当

否の判断ならびに新たな結論を提出することは保留せざるをえないが、再検討の必要性を提示しておきたい。

以上、小林行雄の研究を基礎に新たな視点から三角縁神獣鏡を検討した。三角縁神獣鏡は前方後円墳の成立を含め、古

三角縁神獣鏡製作の工人群(岸本〉

墳時代前期の社会を考える上で欠くことのできない考古資料である。鏡自体の検討にもとづき、配布過程の究明やその意

味など今後に残された課題は大きい。

〔謝辞〕本稿の作成にあたり小野山節先生と山中一郎先生から御指導いただいた。また岡村秀典・菱田哲郎・藤沢彰子各位をはじ

め考古学研究室の方々から御協力をえた。さらに学部在学中に教えを受けた岡内一一一員・宇野隆夫両先生にも謝意を表したい。鏡につ

いては岡村氏をはじめ西村俊範・森下章司氏に日頃から教えを受け、森下氏には資料集収にあたり惜しみない助力をいただいた。ま

た一九八九年一月二八日に考古学研究会関西例会において発表した際、都出比呂志先生ほかの方々に有益な御意見をいただいた。最

後に本年二月二日に逝去された故小林行雄先生に拙稿を献じることをお許しいただき、心から御冥福を御祈りいたします。

(683) 41

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挿図出典

-奈良(伝〉富雄丸山〔樋口古鏡〕図版一一一一五1二七

0

2広島中小田京都国立博物館編『日本の数明』、

九年、一九八

6京都椿井大塚山

7京都椿井大塚山

8京都椿井大塚山

9京都椿井大塚山

1京都椿井大塚山

2大分赤塚〔緊英〕図版第五八|一

3奈良新山〔豪英〕図版第六四|一

-岡山(伝〉鶴山丸山〔樋口古鏡〕図版一一一ニ|二二六

2奈良佐味回宝塚東京国立博物館蔵東博写真資料

3鳥取普段寺山1号〔樋口古鏡〕図版一一二|一一二三

4兵庫ヘボソ塚〔樋口古鏡〕図版二七|一二三一一

1三重(伝)桑名市〔樋口古鏡〕図版一一四1一一一一八

2京都椿井大塚山

3奈良桜井市金崎

4兵庫東求女塚

図四

3京都椿井大塚山

4京都椿井大塚山

5静岡上平川大塚

図五

図六

図七

九戸じ

後藤守一「大塚古墳調査報告」『考古学雑

誌』第一二巻第九号、一九二二年、口絵

〔豪英〕図版第六二

l一一

〔樋口古鏡〕図版三二

l二四二

42 (684〕

図八

1岡山備前車塚

2兵庫牛谷天神山

3奈良新山

〔樋口古鏡〕図版一一一一一一1二六四

〔樋口古鏡〕図版一三三

l一一六六

奈良県立橿原考古学研究所附属博物館編

『馬見丘陵の古墳』、一九八八年、原色図版

4京都椿井大塚山

1山梨甲斐銚子塚〔樋口古鏡〕図版一一五|一一一一九

2奈良佐味回宝塚〔家英〕図版第六一

lニ

3大阪国分茶臼山〔樋口古鏡〕図版一一一六

l二五二

4滋賀古宮波山〔樋口古銑〕図版一一一七1二五一一一

5群馬北山茶臼山〔緊笑〕図版第三九1一O

6京都(伝)内里〔爽英〕図版第六四|四

図一

01岐阜円満寺山〔波文帯〕図版一一一一

2出土地不明〔樋口古鏡〕図版一二四!二四八

3兵庫阿保親王塚〔波文帯〕図版四

4奈良新山〔樋口古鏡〕図版一一一一一

l二四三

5大分亀甲山〔樋口古鏡〕図版一一一五|二四九

6福岡沖ノ島御金蔵〔波文帯〕図版六

図一一1奈良新山〔波文帯〕図版七

2石川小田中親王塚〔波文帯〕図版十二

図一三l出土地不明梅原末治編『桃陰盛和漢古鑑図録』、

一九二五年、図版第四五

〔問中古鏡〕一一一七

図九

2出土地不明

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〔田中古鏡〕一二八

宗像神社復興期成会編『続沖ノ島』、

六一年、図版第三一下

図一四1山口長光寺山〔樋口古鏡】図版一五七

l三二ハ

2福岡一貴山銚子塚小林行雄『福岡県糸島郡一貴山村田中銚子

塚古墳の研究』、一九五二年、図版第一四

|二

図一五l福岡一貴山銚子塚右に同じ、図版第一一一一|一

3福島合津大塚山

4福岡沖ノ島げ号

三角縁神獣鏡製作の工人群(岸本〕

2佐賀谷口〔田中古鏡〕四二

椿井大塚山古墳出土鏡は筆者の撮影および京都大学資料による。略号

で示した文献の正確な名称は次のとうり。

〔樋口古鏡〕樋口隆康『古鏡』、一九七九年

〔ER英〕後藤守一編『古鏡緊英上篇』、一九四二年

〔波文帯〕小林行雄「一一一角縁波文帯神獣鏡の研究」『辰馬考古資料

館考古学研究紀要』て一九七九年

田中琢『日本の原始美術八古鏡』、一九七九年

〔田中古鏡〕

(京都大学大学院

(685) 43

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Artisans Organization of Deities and Sacred Animals

on Mirrors with Raised Triangular Rims

KISHIMOTO Naofumi

Raised triangular rimmed mirrors with deities and sacred animals are

the most important artifacts which aid in the understanding of the

early Kofun period society. Although Dr. Yukio Kobayashi has con-

ducted a detailed study of this type of mirror, their variety has not

been thoroughly defined. In this paper, mirrors are divided into twelve

principal types based on the expression of the figures due to different

artisans. As a result of examining the relations between these twelve

typ巴s,three large groups can be discerned: mirrors with four deities

and four animal groupings四神四獣鏡群, mirrorswith two deities and two

animal groupings二神二獣鏡群, andmirrors of the Chen family陳氏作鏡

群.Transition and transformation within each mirror group is explained.

Finally, in line with this classification, mirrors with deities and animals

manufactured in Japan are divid巴din to three stages.

Korean Problems after the Jingo Incident

TAKAHASHI Hidenao

The conflict between Japan and China was solidified through China’s

intervention during the Jingo壬午 incident. Afterwards, it is commonly

recognized that Japan held an expans10nist policy toward Korea and

thus came to greatly increase its army. This article is an attempt to

reexamine such commonly held views and to access the evolution of

the Korean problem in light of the Sino-Japanese war.

First, the heretofore unexamined development of the Korean policy

towards Japan after the uprising, the point of which was the indepen-

dence of Korea, is investigated. Secondly, an attempt is made to cha-

racterize that policy. Finally, the Chinese policy toward Korea, and the

importance of the Korean problem in the conflicts between China and

Japan, which had some bearing on the Sino-Japanese war, are examined.

(822〕